竜宮のドアを開けると、俄かには信じがたい光景が目に飛び込んできた。
……。
一旦ドアを閉め、深呼吸。ゆっくり三つ数えてから開けなおす。
やはり、それは変わらないままそこにあった。
あたしは室内に足を踏み入れ、カバンを定位置に置くと、窓から空を見上げた。
呆れるくらいの青空があるばかり。
「どしたのなごみん」
ソファで本を開いて寛いでいたお姫様が声を掛けてきた。
「いえ。とても珍妙なものを見たもので。明日あたり初滑りでもできるかと思ったんですが」
「ああ、コレね」
お姫様が指さす先には無駄飯喰らいの甲殻類。
しかし普段と違い、机に向かってなにやら真剣な表情でペンを動かしている。これは珍しい。
「大丈夫よなごみん。別に勉強や生徒会の仕事してるわけじゃないから」
よくよく考えれば何が大丈夫なのか分からないけど。
あたしはカニの向かいの席に腰を落ち着けた。
いつものように電卓と領収書の山を取り出しながら、
「で、何やってるんです、この甲殻類は」
「クロスワードだってさ」
クッキーを口に運びつつ、面倒くさそうにお姫様が答える。
遊んでるだけか。しかし、クロスワードパズルとはカニにしては知的な遊びだ。普段は「やまいだれ」が付いているのに。
しかし、ちらと覗き込んで見て、思わず脱力。
レオレオレオレオレオレオレオレオレオレオレオレオ(ry
すべてのマスがレとオで埋められている。ひとマスに無理矢理レオが詰め込んであるところもある。
……やはり持って生まれた「やまいだれ」は簡単には取れないらしい。
「お、なんだよココナッツ。勝手に見るなよな」
カニが頬を赤らめて抗議する。
「気色悪い。なんだそのパズルは」
「なんだって、恋する乙女の苦悩?」
「真顔で聞き返すなカニミソ」


「さっきからず〜っとその調子なのよねー」さすがのお姫様も呆れ顔だ。
「ただでさえ少ない脳の容量の大半をセンパイに割いてるから、バカに磨きが掛かってるな」
「いやぁ、問題を解こうと思っても浮かんでくるのは愛しい愛しいレオの顔ばかりなんだよ」
カニはうっとりとした表情で言う。
「――愛するって、辛いもんなんだな」
「知るか。勝手にやってろ」
要するにパズルの答えが分からないから逃避していたんだろう。
「おっとすまねー。ココナッツにゃ縁遠い悩みを聞かせちまったな。ま、そのうちいいこともあるって」
「……なんかムカつく」
「僻むなよ」
「誰が僻むか」
「椰子さんも紅茶飲むでしょ」
と、給湯室から佐藤先輩がお盆を持って現れた。
「あ。頂きます」
「ハイ、エリーも紅茶入ったよ。……ねえ、さっきから、部屋に着くなり熱心に何読んでるの?」
「エロ本」
「……」
「月刊乳王国特別増刊号。『究極の巨乳vs至高の美乳』よ」
そういってお姫様はこちらに表紙をかざして見せた。直球のセクハラ。
「や、やめなよエリー」
佐藤先輩がカップをテーブルに置きながら嗜める。
「あ〜、乳揉みしだきてぇ〜」
意に介すことなくお姫様はしみじみと言った。
「オヤジですか」
「今、私の中ではオッパイ揉みしだきたいキャンペーンが絶賛開催中なの。だからなごみん、」
「揉ませません」
「早! 揉ませてくれとは言わないわよ。揉みしだかせて」
「同じです。冗談じゃないです。断固拒否します」
「ちぇー。つまんないの。あとでよっぴーのを心ゆくまで揉みしだこうっと」
宣言するとお姫様は再び雑誌に視線を落とした。


佐藤先輩は苦笑している。もう諦めているのだろう。
「で、カニっちはどうして突然クロスワードなんか始めたの?」
レオの書き取りに没頭しているカニに佐藤先輩が訊ねた。
「ほら、よっぴーココ見てよ」
と、カニはクロスワードの雑誌を広げて見せた。
「どれどれ……へぇ、正解者の中から抽選で三組にハワイ旅行ペアでご招待。だって」
「ハワイなんて珍しくもない。すぐそこじゃない」
「そりゃお姫様はそうでしょうけど」
「姫みたいなブルドーザーと一緒にすんなよ。ボクは慎ましい庶民だからね。ハワイなんか行ったことないし」
「もしかして、ブルジョワ?」
佐藤先輩が小声であたしに訊いてくる。
「カニの思考は分かりませんが、文脈と発音の類似性から判断するにおそらくは」
お姫様は雑誌のページをめくりながら、
「で、それ当てて対馬クンとラヴラヴツーリングと洒落込もうってハラ?」
「そ。いわゆる一つの婚前旅行? ボクのセクシーな水着姿でレオを改めて悩殺しちゃうんだもんね」
「でもクロスワードパズルが解けないなら計画倒れだよねぇ」
屈託無く笑いながら佐藤先輩がいともあっさり核心に触れた。
カニがガックリとうなだれる。
「う……。くそ、すまねーレオ……」
そこで勢いよくドアが開いた。
「話は聞かせてもらったぁっ!」
「レオ!」
「対馬君……」
「出のタイミングを計ってたわね」
「不肖この対馬レオ、愛するきぬのためならば灰色の脳細胞をいくらでも貸し出す用意があるぜ!」
と、立てた親指で自分を指してポーズを決めるセンパイ。
「レオ〜っ!」
カニが駆け寄り、センパイにしがみついた。
「愛いヤツよ、きぬ」


二人は芝居がかった動作で、ひしと抱擁を交わす。
「アイカワラズナカイイネェ」
「佐藤先輩、台詞が棒読みです」
「そう?」
「よっぴー、ティーカップティーカップ」
「……あれ、ヒビでも入ってたのかな?」
佐藤先輩はティーカップの取っ手しか持っていない。カップ本体はソーサーに乗ったまま。
……。
「あはは。おかしいねぇ」
笑う佐藤先輩の手から、真っ二つに折れたカップの取っ手が零れ落ちる。
空気の読めないバカップルは互いに頬寄せ合ってクロスワードに取り組み始めた。
「まず縦のカギ1。『モンゴルの首都』か。七文字で」
「モンゴル〜? うーダメだ。モンゴルっていったらモンゴリアンチョップくらいしか思い浮かばねー」
「あはは、惜しい。それは首都じゃなくて手刀。
きぬはお茶目さんだなぁ〜。そんな愛嬌あるところもキュート! この答えはウランバートルだ、確か」
「おお! さすがレオ。そんな伯爵っぷりもステキ過ぎるぜっ!」博識、な。
「惚れなおしたか。んじゃ、次な。『世界三大珍味、キャビア、フォアグラとあとひとつ』 これは四文字」
「んーと、と、とり、とふゅりゅ、トリュフ、だっけ?」
「ビンゴ! 大正解だ。やればできるじゃないか!」
「へへ、愛のパワーのおかげだぜ♪」
「ん。じゃあ、これは正解のご褒美だ。――ちゅっ」
「……んっ。えへへぇ。ちくしょーやる気出た! ボクらの愛の前には不正解の二文字は無いぜ!」
それ三文字だ。
「……あれぇ? またティーカップ割れちゃった。変なの」
変なのは佐藤先輩の握力です。
「よし。続いてこれ。なになに、『高級食材でサメのヒレのこと』 四文字で、二文字目がカだな」
「う〜。難しいな。なんだろう。……わかんねー」
「俺もわかんね。どっかで聞いた気がするんだけどなぁ……」
大丈夫かこのヒトたち。
「鮫氷君かわいそう」
「私は二人のお脳の具合の方がカワイソウだわ」


「あ! もしかしてフカヒレじゃね? ばっちゃが言ってた気がする」
「あーそうだそうだ思い出した。フカヒレだ。冴えてるぞ、きぬ。んじゃ、またご褒美な」
「ちゅ、んちゅ、んむっ。ちゅっ……」
二人はさっきより濃厚なキスを交わし始めた。
み、見てられない……。――ちら。……いやいやいや。
突如、お姫様が立ち上がる。
「くあぁっ!! 私の前でイチャイチャイチャイチャ。――もう辛抱堪らん! よっぴー、今すぐ揉みしだかせて!」
「え!? エリー、今すぐって!?」
「今と言ったら今! 可及的速やかに! 古来から兵は神速を貴ぶというわ。事は一分一秒を争うのよ!」
お姫様は佐藤先輩の腕を掴むと強引に立ち上がらせた。
「さぁー、マウントポジションで小一時間揉みしだくから! ハイおっぱい! おっぱい!!」
「ちょ、まっ……! たすけて〜」
「……」
お姫様は佐藤先輩をズルズル引きずって奥の部屋へと消えていった。
「VIVA!! おっぱい!!」
ほどなくお姫様の雄叫びが聞こえてくる。
まったく、どいつもこいつも……。
「ぷはぁっ、幸せすぎて息するの忘れてたよぉ」
こっちはまだやってたのか。
「ふぅっ、俺もだ、きぬ」
二人は荒い息遣いのまま見詰め合っている。
「折角だからそのまま死んで貰えると助かるんですが」
「えへへ……。でも、もっとご褒美欲しいな……」
聞いちゃいないし。
「はは、マイハニー、そのおねだりはすでに犯罪だぜ」
「じゃあレオ、ボクを愛の指名手配にしちくり♪」
「ああ。時効は無いから覚悟しとけよ、きぬ」
……キモ。
バカップルの放つ強烈なラヴラヴ光線にさらされながら、深い深いため息をつく。
早くここを出なければバカが伝染る。一体いつになったらあたしの代わりは見つかるんだろう……。


(作者・れみゅう氏[2006/02/27])

Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!