前触れ無く体調を崩した。
九度を超えた発熱。頭痛と嘔吐。身体は熱くほてるのにそのくせ芯は寒い。口の中もいやらしく乾いて身震いが止まらなかった。
うざい。寝返りをうつことすらおおごとだ。身体が重い。
なんでこんな毛布やふとんなんか被っているのだろう? からみついてうっとうしい。汗が出るほど熱いんだからこんなものいらない。
動かすのもおっくうな身体で、思考の中では大げさにもがき、転々とする。
この苦しみが早く過ぎ去ってしまえと思いながら。
母さんの顔があたしを覗きこむ。薬? うるさい。そんなもの飲みたくない。黙って寝てるんだからほうっておいて。
頭がボワッとなっていらいらする。いいから母さんどっかにいって。このままじゃ当たり散らしてしまいそう。
ああ、また気分が悪くなってきた。苦しい。センパイ―――。
気がつけば浅く眠っていたようだ。数時間か、数十分か。頭が痛いな。口の中もカサカサだ。
まぶたがものすごく重い。目をつむっていたら黒い塊に押し潰されてしまいそう。
参ったな、と思う。こうして黙っていると不安だ。ずいぶん軟弱になっている。風邪のせいだ。
気持ち悪いけど眠る気にもならない。センパイ、会いたいな。予定が合わなくてもう三日くらい会えてない。そうだ、メールしておかなきゃ。ケータイ、どこだっけ。枕元にはない。
身体がだるい。とても携帯電話を探す気にはなれない。
それでも携帯を手に取れないと思うとセンパイへの衝動が膨れあがる。鈍い頭を動かして視線をめぐらす。そうしたら。
「よう、大丈夫か?」
「―――」
呼吸が止まった。会いたいと思ったその瞬間に会いたい人が目の前にいる。
ぽかん、と呆気にとられて。
「どうして……?」
「どうしたもこうしたも」
その声を聞いた瞬間に安堵感が胸に染み渡った。
「なんかぱったりメール来なくなって、しばらく顔合わせてなかった分めちゃくちゃ気になってさ」
おかげで身体からよけいな力が消える。まぶたが自然に閉じた。もう怖くない。センパイの声を聞く。
「そうしたら、おばさんからお前が風邪でダウンしたって連絡が来るじゃん。すごくビックリした」
「ごめんなさい、心配かけて」
「ばか、謝ることじゃないだろ。ってまあ、今は会話はいいんだよ。よけいなこと考えてないで寝てろ。ついててやるから」
「―――はい」
なによりも、その言葉がうれしい。
「あ、あの……」
「ん?」
「あたしが眠るまで、その、額に手を置いていてくれますか」
「うん、おやすい御用」
あたしの前髪をかきあげて、おでこに先輩の手が添えられる。
「冷たい……」
思わず口をついた。
「なごみが熱いんだよ」
苦笑する声に、小さな安らぎの吐息がこぼれた。
そうして、無言。センパイの掌の感触だけを頼りに眠りとうつつを行ったり来たり。
なんだか、すなおに寝てしまうのがもったいないとさえ思ってしまう、幸せなひととき。
身体が苦しいのは、相変わらずなのだけれど。
「いままで頑張りすぎるくらい頑張ってるからな、そりゃ電池も切れるよなあ」
「……なんですか……? その例え」
「風邪ひいたことは災難だったけど、電池交換する機会だと思えばいいってこと」
「はあ……」
熱と眠りの中に、まどろんでいく。
「それにしても可愛い寝顔だな」
「なんですか、唐突に……」
「俺が来たのお前が目が覚めるちょっと前なんだけどさ、その時はものすごい怖い顔で眠ってたんだぞ」
「はあ……」
「カニと殺しあってる夢でもみた?」
「……なんで、夢でまでアイツなんかと顔合わせなきゃいけないんですか……」
意識がぼやけていく。眠りの中ではもう、会話は脳に記銘されずに。言葉そのものがただ直接に、心にストンと落ちていく。
「……あたしが寝たら、帰ってくださいね……」
「ちょ、おい。なんだよ、聞きようによっちゃ傷つくぞその言い方」
「センパイに風邪移ったら、あたし……」
「……ああ、そゆこと。でも風邪ひいたらなごみが看病してくれるだろ」
「それはもう……」
「もちろん看病といえばナース服で」
「もちろんです……」
「……マジか? ホントにいいのか?」
「……………………」
「……寝言かよ!?」
「……寝言です……」
「……………………」
しばらくして、センパイはあたしの額から手をどける。彼の立ち上がりざまに、あたしの頬を撫でるやわらかな感触。
深いまどろみの泥の中で、あたしへのやさしさそのものの感触がゆっくりと身体に染み透っていく。
風邪をひいた日の、そんなとあるひとコマ。
(作者・名無しさん[2006/02/02])