ボン!
「うわっ!なんだなんだ!?」
朝っぱらから我が家のトースターが黒い煙を景気良く吐き出している。
「くっ…また失敗だ…」
乙女さんが俺のために料理を勉強してくれている、それはとてもうれしい。
今は春休み、新学期も近い。俺と乙女さんはあれからずっと愛を育んできた。
俺達は互いに愛し合ってるし、だからこそ卒業後も乙女さんはこの家にいてくれているんだ。
しかし、トーストすら満足にできない人がどうやって料理できるものだろうか。
スイッチを押すだけじゃないか。
「このトースターは気合が足りない」
「乙女さん、トースターなんて言葉知ってたんだ」
「どういう意味だ!」
結局のところ、俺がトーストを焼くことになるわけで…
ちなみに、今日は米が残っていなかったので朝食はパンになった。
一応、乙女さんが後で買いに行くことになってるんだけどね。
「おにぎりなら、得意なんだがな」
「というか、乙女さんがおにぎり以外のものをまともに作った覚えがない」
「…恥ずかしながら、その通りだ」
スバルが毎日作ってくれたらなぁ…
あの通い妻制度も、今になってみれば懐かしい思い出だ。
「やっぱりスバルに料理を教えてもらうしかないかな…」
「いや、それはダメだ。先輩が後輩に泣きつくなど、あってはならないこと」
「そうは言うけどさ、そうやって意地を通してきてこの結果だよ?」
「しかし…」
「いいじゃないか、みんな仲間なんだから。
スバルなら腕もいいし、何より料理教室とかに行く必要ないよ」
「ううむ…」
渋々、乙女さんは了解してくれた。
なんとか説得することに成功した俺は、今度はスバルに頼みに行った。
「なるほどな。別に俺はかまわねぇぜ」
「ありがとう、スバル」
「気にすんな。それにしても、あの乙女さんを説得できるとはな。
やっぱり愛の力ってやつかな?」
「からかうなよ」
さすがはスバル、一発OKだったぜ。
持つべきものは、頼りがいのある親友だよな。
「今度の日曜日でいいか?その時ぐらいしか時間がとれねぇんだ」
「ああ」
「じゃ、食材を買ってから行くからな」
俺はこのことを早速乙女さんに報告した。
「本当に伊達に頼んできたのか…」
「もちろんだよ」
説得はしたものの、やはり乙女さんは不満顔だ。
上下の関係を厳守する乙女さんにとって、これはかなり嫌なことだろうけど…
まぁ、乙女さんのためだ。
「まぁまぁ、乙女さん。今日はそれよりも久しぶりに…」
「む、まったくスケベなやつだな。いいだろう、今日は容赦しないぞ」
そんなに気合を入れられてもなぁ。
そして日曜日。
スバルは食材を買い込んで家にやってきた。
「悪いな、わざわざ来てもらって」
「俺の家でやるわけにもいかないだろ。さて、乙女さん。
やるのは肉じゃがでいいんだよな?」
「ああ」
「乙女さん、前もってスバルに頼んでたのか」
「何を作るかは決めておきたかったんだ。目的がないと、気合が入らないだろう?」
「まぁ、日本の家庭料理の定番だわな。それじゃ早速始めるとするぜ」
「よし、わかった」
まずは野菜の水洗いから始めたスバルと乙女さん。
とりあえずここは問題なし。
というより、ここで問題があったらマズイだろ。
「じゃあ、今度は皮むきだ。玉葱はそのまま外側を剥くだけ」
「こ、こうか?」
「そうそう、いい感じいい感じ。力は入れすぎないように。次は人参だ」
そう言うと、スバルは皮むき用の道具を取り出した。
「本当は包丁でやるほうがいいんだけどな。ま、別にこれでも問題ねぇだろう」
「いや、ここは私が包丁でするぞ」
乙女さんは包丁を片手にやる気十分。俺達が止めても無駄だろう。
そして、人参の行く末がどうなるかも予測できた。
「…」
「やはり皮むき器を使ったほうがよさそうだな…」
見事に芯のみが残った人参が完成しましたとさ。
当たり前だけど、他の人参やジャガイモは皮むき器を使った。
「材料を切る時は一口大に。大丈夫?」
「問題ない。まかせろ」
こうして見ると…
「玉葱はそのまま切ってもいいけど、できれば大きさを揃えるようにして…」
「なるほど、こうだな」
なんだか…
「ジャガイモはしっかりと芽をとっておく、と」
「こ、こうか?」
ほほえましくて…
「切った野菜は一度水に浸しておくんだ」
「よし、それは簡単だ」
「うわぁぁぁん!」
「ど、どうしたんだレオ。突然叫んだりして」
「お前らしくないぜ。どうしたんだ」
「だってさ…後ろから見てると、スバルと乙女さんがすごくお似合いのカップルのような気がしてきて…
乙女さんをスバルにとられるんじゃないかと思ってさ」
「何を言ってるんだ、私はお前を一番愛しているんだぞ」
さらりと言ってのける乙女さん。
スバルが目の前にいるのに、よくそんな恥ずかしいことが言えるな…
聞いてるこっちが恥ずかしくなるぜ。
「はいはい、ごちそうさまごちそうさま。心配すんなって、レオ。
俺は乙女さんをお前から奪おうなんてこれっぽっちも考えてねぇよ」
やれやれという顔をするスバル。
「でも、乙女さんからお前を奪うってのは面白そうかもな」
「たまに冗談に聞こえない時があるからやめてくれ」
「伊達、玉葱はまだ火にかけないのか?」
「玉葱は熱が通りやすいんでね。あと、俺のやり方では砂糖は使わない」
「へ?なんでだ、スバル?」
「味付けに使った酒が甘さを出しているからだ。基本的に調味料は酒と醤油で十分」
玉葱を鍋に放り込んで落し蓋をして、あとは様子見。
とりあえずお茶で一服することにした。
「そういえば伊達、卒業したらどうするつもりなんだ?」
「一応スポーツ推薦でK大学行き…ってとこですかね。卒業したらみんなとはしばらくお別れになっちまうかな」
「お前、カニはどうするんだよ」
実は11月頃、スバルとカニが付き合ってることが発覚したのだ。
いきさつについて姫が恐ろしいほどしつこく聞いていたが、二人ともそれを話すことはなかった。
ただ、スバルは『昔からカニが好きだった』ということは話してくれたんだけど。
とにかく、二人が付き合うってことは非常に喜ばしいことではある。
ちなみに、フカヒレはしばらくふてくされていた。
「一緒に行くって言ってるんだがなぁ…いかんせんアイツの成績では…」
「無理か」
「ああ。祈ちゃんも『カニさんの成績では絶望的ですわ』って言ってたぜ」
バカさ加減ではある意味フカヒレよりも上だからな…
そんなカニの話をしていると。
「消防署の方から来たぜー!乙女さーん!」
元気のいい偉大なバカが、チャイムを鳴らすこともなく家にあがりこんできた。
もちろん、こんなことはいつものことだから注意なんて今更しない。
注意しないところを見ると、どうやら乙女さんも慣れてしまったようだ。
「うっ…スバルもいたのか…」
「ん?俺がジャマか?」
「い、いやぁ…別にそういうわけじゃないけど…」
どうしたんだろう、カニのやつ。
そういえば最近、アイツが乙女さんの部屋に入れてもらってたりするな。
「蟹沢、別に構わないだろう。話してやったらどうだ?」
「うー…」
「俺に隠し事か?まぁ詮索はしねーけどな」
「いいよ、話すよ…隠すようなことでもねーし。でもなー…」
なんだかすごく言いにくそうだな。そんなに恥ずかしいことなのかな?
「蟹沢が言いにくそうだから、代わりに私が話そう」
実は蟹沢は最近になって、私に勉強を教わるようになったんだ。
伊達と同じ大学に入りたいから教えてくれと私に頼んできてな。
正直、私も最初は驚いたぞ」
「きぬ、お前…」
「…だから言いたくなかったんだよ。ボクのキャラじゃねーし。
ハッキリ言ってさ、ボクも無理だとは思う。厳しいと思うよ。
けど、ボクはスバルと一緒にいたいんだ。離れたくねーんだよ」
ここにもアツアツのカップルが一組。
スバルとカニがお互いをじっと見つめあっている。
ひょっとして、このまま一気に桃色空間まで突入ですか?
「ありがとうよ、きぬ。だったら頑張らねぇとな。おっと、そろそろいいんじゃないかな」
やっぱりスバルはいつもの調子だった。
鍋の蓋をとってみると、すごく美味しそうな匂いが立ち込めた。
スバルと一緒に作っていたとはいえ、乙女さんでもここまで美味しそうな料理ができるとは…
「よし、それでは早速盛り付けを…」
「それにはまだ早いぜ、乙女さん」
「どうしてだ、伊達?」
「煮物系の料理の場合、一度火からおろして冷ますんだ」
「そんなことしたら不味くなるんじゃないか?」
「いや、野菜とかは冷ましている時に味が染み込みやすいんだ」
「なるほど…ん?どうした、蟹沢?」
「だってさ、乙女さんがスバルをとっちまうんじゃねーかって気がしたもんだからさ…」
こいつ、俺と似たようなこと言いやがった。俺はこいつと同レベルか…
途中でカニの乱入はあったけど、とりあえずは肉じゃがの完成。
見ただけで美味しいのがわかってしまうような見事な肉じゃがだ。
カニも一緒になって、全員で試食をすることになった。
「…どうだ、レオ?」
「ゥンまぁぁぁぁ〜〜いッ!」
あまりの美味しさに、取り乱しそうになってしまったぜ!
いやいやいや、これを乙女さんが作ったなんて信じられないよ!
「どうだ、きぬ?」
「すんげぇうめーよ!さすがスバルだぜ!」
どうやらカニもご満悦なようだ。
「さて、それでは今日はここまでだな。次は…」
「いや、伊達。私はもういい」
「えっ?乙女さん、いいの?」
せっかく料理の勉強が本格的に始まったところなのに…
「伊達は私に教えるよりも、蟹沢に教えてやった方がいいんじゃないのか?」
ニッと笑う乙女さん。二人のことを気遣ってやっているのか。
それを聞いたカニは顔を真っ赤にしてしまった。
やっぱりこの二人って、付き合ってるんだなぁ…
あんまりベタベタしたりしてないもんだから、ちょっと疑ってたけど。
「蟹沢、今日は勉強を見てやれなかったが、いつでも来い。
伊達とお前が同じ大学に行けるように、私がみっちりと教えてやるからな」
「お、おうよ!ボク、はりきっちゃうもんね!」
カニは肉じゃがをおいしそうに頬張りながら意気込んだ。
二人とも、お幸せにな。
「そうだレオ、ちょっと謝らなくてはいけないことがあるんだが」
「何?」
「今度は電子レンジを壊してしまった。すまない」
「…料理覚える前に、まず機械の使い方を覚えようよ…」
オマケ
俺達が家で楽しくやっているその傍ら、完璧に蚊帳の外に放り出されている影が二つ。
その影は窓から俺達の様子を覗いていた。
「あーあ、楽しそうだなぁ…」
「まったくだよな。俺も幸せになりてぇ…
それにしてもよっぴーに覗きの趣味があるなんて思わなかったよ」
「ち、違うよ。鮫氷君が対馬君の家を覗いてたから、何してるのかなって…」
「ふーん、まぁそういうことにしとくか」
「…なんだか寒いね」
「そう、心が。なぁ、よっぴー。君の心で俺の冷えた心を暖めてくれ」
「いやだなぁ鮫氷君。顔を洗って出直してきてよ」
「ひいっ」
「むっ?」
「どうしたの、乙女さん」
「ほんの少しだけ黒い気配を感じたが…すぐ消えてしまった。気のせいかもな」
(作者・シンイチ氏[2006/01/07])