「ふぅ……」
今日のお弁当のおかずを作りながら、私は軽くため息をついた。
ため息の理由は、最近自分のペースを乱されがちになってしまう一個上の先輩を思い浮かべたからだった。
最近どうも、その先輩――対馬レオという――と一緒に居ることが多い。
同じ空間にいること自体は……まあ別に構わないんだけど、
先輩は何かと私に干渉したがるからかなり……いや、ちょっと厄介だ。
私は一人で静寂な空間にいるのが好きだ。
私が好きな静寂は。他人の干渉を受けては得られない。
そういった意味で、先輩から何かとちょっかいを出されるのは迷惑だと思っている。
先輩と知り合ってから、私が静寂を感じている時間は大きく減っていた。
だけど……最近は先輩と一緒に居るのも悪くない、と思い始めている自分がいるような気がする。
なんか、自分がキモい。
本当に……先輩にはペースを乱されてばっかりだ。


「なごみちゃん、どうしたの?
ぼーっとして……」
「あ、お母さん……」
急に母がのぞき込んできた。
気配を感じなかったので、びっくりした。ただ単に私の注意が散漫だっただけだが。
「なごみちゃん、何だか嬉しそうな顔をしてたわねぇ……。何かいいことでもあったのかしら?」
「別に何も……」
干渉したがりの先輩にむかついていただけで、嬉しくなる事なんて一個もない。
むしろ苛立った顔をしてて然るべきなはずなのだ。母はいろんなものに対して見る目がない。

「そう?
そうなの……残念ねぇ……なごみちゃんが嬉しそうだと、母さんも凄く嬉しいのに」
母はこういう事をさらりと言ってのける天然気質だから、聞いているこっちは恥ずかしくなってしまう。
「それとね?
なごみちゃん……嬉しそうにしているのは構わないんだけど……
 お鍋から焦げ臭いにおいがしちゃっているわよ〜」
「だから別に嬉しそうじゃ……って、ああ!」
先ほどから火をかけっぱなしだった手元の鍋を見ると、底が見事に焦げていた。
鍋の中の揚げ鶏肉の甘辛煮を、一応一口味見してみると焦げた苦い味がした。
とてもじゃないが、人に食べさせるような出来じゃない。
ああもう最悪。
今日の自信作になるはずだった一品は、責任を取って全て私のお腹に入ることになってしまった。


昼休み。
二人分のお弁当を持って、私は竜宮へと向かう。
竜宮へはまた私の方が先に到着して、先輩のことを待つ形になった。
ここへ着くのは、たいていの場合私の方が早い。
別に急いで来ているわけじゃないけど…ただ単に先輩が遅いだけ、という事にする。
「先輩まだかな……」
自分で言って驚いた。思わず口を手でふさいでしまう。
念のため周りを見渡して、まだ誰もいない事を確認してホッとする。
たぶん、お姫様あたりが居たら
『あ〜ら、なごみん♪
そんな切ない声をあげちゃって、一体誰を待っているのかしら♪』
とか言ってからかってくる事だろう。
……想像しただけでもムカつく。

「よう、椰子」
「……」
少し機嫌が悪くなってきたところで、ようやく先輩がやってきた。
軽いのりで挨拶してくるところに、ちょっと苛立ちのようなものを感じる。
「遅い」
「……そんなにらむなよ。ちょっと用事があってさ。
 って、待っててくれたのか?」
「そういうの、キモいですよ。先輩」
「ぐぅ……」
用事…か。少し気になったが、干渉されたくない人間は他人に干渉しないのが暗黙のルールだ。
だいたい、先輩の用事なんか知っても意味がない。
少しひるんだところで、今日のお弁当を差し出す。


「今日はちょっと失敗しちゃったので、おかずが一品少ないんですが我慢してください」
「へぇ……そりゃ残念だな」
手渡す際に、一応言っておく。
先輩は凄く残念そうにお弁当を受け取った。先輩は感情がすぐ表情に出る。
そんなに暗い表情だと、それほどまでに私のお弁当に期待してくれているのだな……と感じ取れて、そこらへんは素直に嬉しく思う。
先輩はお弁当を広げて、食べ始めた。
やっぱり、メインのおかずがスッポリと抜けているお弁当は見てて物寂しかった。

「あれ?
椰子のお弁当、俺のより一品多くない?」
……相変わらず目ざとい。
「これは失敗したおかずですよ。作った者の責任として、処理をしているんです」
朝は食べきれなかったので、お弁当に残りを入れてきた。
ちなみに、この失敗作は母にも食べさせていない。私だけで全部食べきるつもりだ。
「ふーん……」と、先輩は自分のお弁当に戻った。
今日も美味しそうに食べてくれて、食べているのが先輩だとしてもかなり嬉しい。
その分、自信作になるはずだったコレがその口に入らなくなって、少し寂しかった。

「なあ椰子?」
「何ですか?」
自分のお弁当を大半たいらげた先輩が、またも私のお弁当に目を向けている。
「それ、俺にも食べさせてくれない?」


先輩は例の失敗作を指さしながら言った。
「イヤですね。これは失敗作です。とても人に食べてもらうようなものじゃありません」
「でも椰子は食べているじゃないか」
「先にも言ったとおり、私には作った者としての責任があるんです。
 作ったものは全部食べないと、食べ物に失礼ですから」
一瞬、料理を作っていたお父さんの姿が頭に思い浮かんだ。

「でもさ。
 たとえ失敗してようと、作ってもらったものを食べるのも、作ってもらった者の責任じゃない?」
どういう理屈ですか、それは。
「……別に先輩のために作っているわけじゃないですから。
 あくまで料理のレビューを聞くため。ひいては私のためです。
 先輩にはちゃんとした成功作を食べてもらってレビューしてもらわないと意味がないんですよっ」
「う……」
後半はかなり激しく、きつい口調になってしまった。
先輩はばつが悪そうに、少しうつむく。言い過ぎた…と思ったが、フォローの言葉を探っても何もかける言葉が見つからなかった。
私は先輩を見ないようにして、失敗作のおかずを口に入れた。
作ってからかなり時間が経っても、焦げた苦い味はそのままだった。


その後はほとんど無言で、今日のお昼ご飯は終わった。挨拶もそこそこに、先輩と別れる。
何となく気まずくて、今日のレビューは聞けずじまいだったが、仕方がないと諦めた。
メインの無いお弁当の感想を聞いても微妙だし、今日はどんなに「美味しい」と言われても素直に受け止めることも、喜ぶこともできそうに無い。
先輩には悪いことをしたと、少しは思っている。
でも、きっと明日にはいつも通りの先輩に戻っている事だろう。単純だから。


家に帰って、ベッドに寝転がる。
今日は店の手伝いをしなくていい日なので、特にすることがない。
というか、昼間の先輩の顔が頭から離れず、何をするにしても集中力に欠けている。
これなら、何もしない方がいい。そう思って、ベッドの上で丸くなった。

先輩は……悲しそうな顔だった。
本当はもっと複雑な表情だったけれども、一番はっきりとわかる感情はそれだったと思う。
今でなら、もっと別の言い方があったんじゃないか……と、反省する。謝る、という選択もあった。
でも、私はそれをできなかった。それが……線の外側に位置する人間への、私のやり方だったから。
そう……先輩は線の外側。
だから、私のやり方は本来ならばあれで正解だ。

……じゃあ、何で私はこんなにウジウジと先輩の事で悩んでいるのだろう?

いつの間にか溜まっていた、口の中の唾液を飲み込む。
まだお昼ご飯で食べた失敗作の苦い味がするようで、少し顔をしかめた。
未だにそんな味が口の中に残っているなんて、ありえない。もしかしたら、先輩の事を考えているからかもしれない。

ああ……そうか。
私は成功作を食べて、ちゃんとレビューしてもらいたかった訳じゃなくて……
ただ、失敗したものを先輩に食べられるのが恥ずかしかっただけだったのかも……
納得のいかない答えだったけど、不思議とそれが一番胸になじんだ。


そしてまたやってくる昼休み。
また一番乗りは私。先輩は後からやってくるはずだ。
だが、今日はなかなか来なかった。昨日よりも、遅い。
今日は来ないのかもしれない……もしかしたら、これからずっとも。
原因は……言うまでもなく私だろう。うがった言い方をすれば、先輩は意外と根性がない。
素直に言えば、昨日は私が悪かったと思っている。少しは。

「っと! 遅れた!すまん!」
壊れそうなくらい扉を響かせながら、先輩が飛び込んできた。
走ってきたのか、かなり息を切らせている。
「……遅いですよ」
「う……ごめん。ちょっと用事ができて」
「またですか……一体何の用事です?」
あ。干渉……
「え? ああ、祈先生から書類とか荷物運びをやらされてさ。
 昨日もそうだったんだよな。『占いでは対馬さんにやらせるのがベストと出ています』とか何とか言って」
”昨日”という単語が出てきてドキリとした。
先輩は昨日の事を気にしてないみたいで、いつも通りに笑っている。
ほんの少しホッとして、ほんの少し喜んでいる自分に気づく。

「……なんか俺の顔に付いてる?」
「……間抜けな面の皮が付いてますよ」
いつの間にか先輩の顔を凝視していたらしい。


「はい。今日のお弁当です。
 昨日先輩が食べたがってたのも入ってますから。
 ……もっとも、今回のは成功作ですけど」
「ああ、ありがとう」
悪くない出来だと思う。それでも、昨日の(途中までだけど)には及ばないような気もする。
だけど、昨日あんなに食べたがっていた先輩なら美味しいといって喜んでくれる事だろう。
その顔と言葉を想像すると、今から嬉しくなる。本来の目的とは、ちょっと違うけど。

先輩はさっそくおかずを口に含んだ。
ゆっくりと咀嚼している。その光景を、私はじっと見つめた。。
「うん、これいけるよ。
 俺はもう少し辛めの方が好きだけど、これはこれで甘さと辛さのバランスが取れてていいんじゃないかな」
……は?
「……何ですか?それ」
「何って……レビューだよ。昨日椰子がちゃんとレビューしろって言ったからさ……俺もちょっとは考えて感想言うことにしたんだよ。何か駄目だったか?」
「……」
「な、何で睨むんだよ」

「……らしくないですね」
そう。らしくない。
先輩はもっとがっつくように食べて、そして満足したように「美味しかった」と笑ってくれないと…。
無性に悲しくなった。悔しくもある。
「ボキャブラリーの貧困な先輩は、それらしく素直に感想を言ってくれればいいんですよ。
 語る言葉を持たないのに批評家をきどったって、キモいだけです」
「おい、椰子。おまえ言っている事がめちゃくちゃだぞ」
そんな事は私だってわかっている。先輩が怪訝そうな顔をするのも無理はない。
だけど……先輩から素直に「美味しい」と言われなかった事が、何故か酷く私を傷つけた。


「……先輩」
「ん?」
「昨日私が言ったことは抜きにして、前までの先輩だったら……
 この料理に対して何て言ってましたか?」
何て、矛盾。昨日は自分から「ちゃんとレビューしろ」って言っといて。
でも、私は聞かずにはいられなかった。
昨日の私は先輩に対して酷い事を言ったんだと今更になって気づく。
もはや謝るという選択肢は、意地っ張りな私の心に埋もれてしまっているのだけど。

先輩は私の目を見ながら少し考えた後、笑って言った。
「美味かった」
「他には?」
「蝶美味かった」
本当に、単純な言葉。
でも、素直に受け止める事ができた。
「……」
「だから何で睨むんだよっ」
「睨んでいるわけじゃありませんよ」

ありがとうございます、先輩。

「……今何か言った?」
「いえ、何も言ってませんよ。その歳でもう耳が遠くなったんですか?
 可哀想に……」
「あのなあ……」


怪訝そうにする先輩。でも、もう一度は言ってあげない。
言いたいことの半分程度だけど……そして相手には伝わってないけれど。
私はようやく言葉にする事ができた。

納得のいかない所は正直言ってまだあるけれど……だけど、少しずつ認めよう。
私は先輩に、作ったお弁当を食べてもらいたい。
「美味しい」って喜んでもらいたい。
それが、今の私にとってたまらなく嬉しいものなのだ。

先輩。
私は今では、先輩のためにお弁当を作っています。


(作者・AKI氏[2005/11/23])

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