目が覚めた。カーテンの隙間から、明るい陽の光が差し込んできている。
 外はどうやら上天気らしい。今日もいい一日になりそうだ。
 水差しの水で喉を潤した後、部屋をぐるりと見渡した。
 ベッドからは女の気持ちよさげな寝息が聞こえてくる。
 音を立てないようにそっと近づき、寝顔を覗き込む。
 ふと、はだけた胸が視界に飛び込んできたが紳士的に目線を外す。
 だがまた自然にそのたわわに実った果実に目が行ってしまう。コレが漢のサガというものか。
 しかしながら、こうしていつまでも幸福に浸っているわけにもいかない。時間は有限である。
 サキュバスの甘美な誘惑をダンディに振り払うと、その幸せそうな寝顔に顔を近づけた。
 まだ起きる気配は無い。
 目覚めを待っていたのでは埒があかない。それに多少の空腹感もある。
 意を決して彼女を起こすことにした。

「祈ー。起きろ朝だー。我輩腹が減ったぞー」


 無論これで起きるような祈ではない。彼女の寝起きの悪さには毎朝苦労させられているのだ。
 何度か呼びかけた後、いつものように嘴で突こうとして、ふと趣向を変えてみようと思い立った。
 我輩は強靭な足の爪で祈の柔らかな髪をひと房掴むと力強く羽ばたき、上空へ向けて引っ張りあげた。
「いたたたあ、痛い痛いですわぁ……」
「祈、朝だぞ起きろ。そして我輩の飯を用意しろー」
「五月蝿いですわねこの鳥公。夏休みなんですからもう少し寝かせてくださいな」
「なーに言ってやがる。休みだろうが、そうでなかろうが、お前は好きなだけ寝てるじゃないかー。
 いい加減起きろー。我輩もうおなかペコペコなりよー」
「何か別のキャラが混じってますが……。私の安眠を妨害した罪は重いですわよ」
 祈は我輩のビューティホーなバディをむんずとひっつかむと、そのまま間髪いれず無造作に腕を振り下ろした。
 当然我輩は成すすべも無く床に叩きつけられる。
「ITEッ!」
 辛うじて受身が間に合ったからいいものの、これが他の鳥類であったならば全身複雑骨折は免れなかったであろう。
「なんて事を、しやがる祈ー」
「私はもう少し寝てますから、食事は自力でなんとかしてくださいな。
 外で喧しく鳴いている蝉など美味しそうではないですか?」
 そう言うと祈はシーツを頭から被った。
「なんだと」
「ぬるま湯に漬かりっ放しじゃなくてー、たまには野生に戻って狩りなどなさってみてはいかがですのー?」
 おやすみなさーい、と手をひらひら振ってみせると祈はそのまま寝入ってしまった。
 むう、なんて奴だ。
 一応キッチンにも足を運んでみたものの、我輩の力では冷蔵庫は開けられないし、
 可視領域には食えそうなものは見当たらなかった。
 ここでこうしてこの寝穢い女にかかずらわっているよりも、
 食料を確保しに外出した方が建設的だろう。
 そう判断した我輩は、開いていたトイレの窓から軽やかに大空に向かって飛翔した。


 我輩はオウムである。名前は土永。本名は捨てた。
 パートナーに呼ばれる名さえあればそれでいい。
 しかし、我輩の思いも知らず、相棒は薄情だった。
 我輩の懇願を無視して惰眠を貪るとは、あきれた奴だ。
 復讐が何も生まないことは歴史が証明しているが、それはそれこれはこれだ。
 いつか思い知らせてやる必要がありそうだ。我輩はいくつかリベンジのプランを頭に思い描いた。
 さしあたって今は復讐よりも腹を満たすことが重要だと肉体が告げている。
 腹が減っては戦は出来ぬ。これも歴史が教える真理のひとつ。
 少し思案したのち、我輩は松笠に進路を向けた。我輩の人望の厚さを祈に見せ付けてやろう。


 松笠に到着した我輩は、とりあえず祈の職場である竜鳴館に向かうことにした。
 夏休みということもあって学園内に生徒の姿はまばらだった。
 大学食に行ってみたが我輩に饗応してくれそうな者は見当たらない。
 仕方なく校内を彷徨っていると、校庭に見慣れた姿を発見した。
 おお、あれはまさしく我輩の想い人、鉄乙女。
 颯爽とはばたき、乙女に近づく。
 拳法の胴衣姿の乙女はタオルで汗をぬぐっていた。どうやらランニングから戻ったところらしい。
「おう、部活か乙女ー。ご苦労なことだなー」
 我輩は乙女の目線の高さでホバリングしつつ、声をかけた。
「今日も、光る汗がベリベリチャーミングだぜ乙女ー。我輩を悩殺するつもりか?」
「なんだオウムか。飼い主はどうした?」
 乙女はそっけなく言った。そのぶっきらぼうさも麗しい。
「祈はまだ寝ている。お前の爪の垢でも、煎じて飲ませたいくらいだらけているぞ」
「ふぅ、相変わらずだな、あの人も。で、お前は夏休みだというのに一羽で何をしにきたんだ?」
「祈が起きないので、我輩まだ飯を、食っていないのだ。乙女ー何か食わせろ」
「……いきなり図々しい鳥だな」
「そういうな乙女。我輩とお前の仲では、ないか」
「どんな仲だ」
「将来を誓いあ、っ、救命阿ッ!」


 最後まで言う前に、乙女の繰り出す鋭いハイキックが我輩を捕らえた。見事撃墜され、地面に落ちる我輩。
「な、何をするんだ乙女」
「自分の胸に聞いてみるがいい」
 何を言っているのかさっぱり分からん。
 おそらく婚約者を前に照れているのだろう。愛い奴。ちょっと表現がバイオレントだが。
「おいお前、何か不埒なことを考えてはいないか?」
 乙女の視線が痛い。だが厳しさの中にも愛が籠もっているな。
「いいや。勘繰り過ぎだぞ、乙女」
「ふむ、まあいい。それほど腹が減っているのなら、私の弁当を分けてやらんでもないぞ。おにぎりだがな」
「本当かー乙女ー」
 さすがは我輩の妻となる女。
 ツンツンしているようでその奥には優しさを秘めているのだ。我輩は分かっていたぞ。
「と、言いたいところだが、一食抜いたくらいで死にはしない。我慢しろ、根性無しが」
「大ショックなり」
「代わりと言っては何だが、いい事を教えてやろう。
 空腹を忘れる取っておきだ。鉄家に伝わる伝統の方法だぞ」
「それはなんだ乙女? 教えろー」
 乙女は腕を組むと、一拍間をおいた。そして言う。
「うむ。それは 気 合 い だ!!」

 いかな未来の愛妻とはいえ、あの体育会系のノリには少々ついていけないところもある訳で……。
 乙女は部活の続きがあるからと道場に戻ってしまった。それを潮に我輩も校庭を離れることにした。
 結局乙女からは何も得ることが出来なかった。気合では腹は膨れない。これも人類が永年に亘って経験してきたことだ。
 まあいい。乙女には式のあとでたっぷり奉仕して貰うとして、食事は誰か他の者からゴチになるとしよう。 
 我輩は食欲を満たしてくれそうな知己を求めて舞い上がった。


 窓から竜宮を覗くと、いつものようにエリカとよっぴーがお茶しながら仕事をしていた。夏休みだというのにご苦労なことだ。
「あ、土永さん」
 我輩に気づいたよっぴーが窓を開けて迎え入れてくれる。流石に気が利く。
「うむ、面倒をかけるな、よっぴー」
「もう、よっぴー言わないでよぅ」すねた顔もキュートである。
 我輩は軽やかに室内に入ると、椅子の背もたれに着地して羽を畳んだ。
 室内には冷房が効いていて清涼な空気が満ちていた。
 エリカはパソコンに向かってなにやらキーボードを叩いている。
 よっぴーは我輩の向かいに座ると、ノートをめくってペンを動かし始めた。
 我輩の目は、テーブルの上に広げられたクッキーの山にロック・オンした。
 切り出すタイミングを見計らうため、我輩の視線はクッキーとエリカとよっぴーを順繰りに巡る。
「何よ、何か用?」
 視線に気づいたのか、エリカが振り返り、あくまでぞんざいに訊ねてくる。
「祈が我輩に、食事を用意してくれないのだ。
 だから何か我輩に振舞うがいいぞ、小娘ども。情けは人の為ならず、というからな」
「えっらそうね。ナニ、祈先生どうかしたの?」
「寝ていて起きない」
「普段どおりね」エリカは呆れたように肩をすくめた。
「普段どおりだね」よっぴーもため息をつきつつ、つぶやいた。
「普段どおりだ」我輩も胸を張って言い切った。
「だからわざわざ学校まで食べ物たかりにきたワケ?」
「有り体に言えば、そうなる。事は急を、要するからな。
 そこにある茶請けのクッキーでもいいぞ。我輩に寄越すのだ」
「ちょっと可哀相かな……。クッキーくらいいいよね、エリー」
「ふーん。そう、ね。あげてもいいけど、条件があるわ」
 エリカがにやにやと笑いながら言った。
「なんだ? 我輩の、身体が目当てか? 申し訳ないが我輩の妻は、
 乙女と決まっている。愛人として囲ってやる、くらいなら構わんが。
 だが乙女は、そういうの嫌がりそうだな」
 女を虜にする我輩の魅力も罪だが、すまんな、諦めてくれエリカよ。


「どう調理しても美味しくなさそうだからいらない。
 というか、その知能指数の低そうな妄想やめなさい。フカヒレ君じゃあるまいし」
 なんだかこれ以上ないくらいに侮辱された。
 まあいい。我輩は大人だからな。ここは聞き流してやるとしよう。
「ならば、何が望みだ?」
「揉ませなさい」
「は?」この小娘、今何を言った?
「だからー、祈先生の胸。揉ませなさい」
「エ、エリー、それは……」
 こーのおっぱい星人が……。まあ同志ではあるが、今は胸談義をしている場合ではない。
 そのような約束をしてしまったら、後で祈からいかなる報復をされるか……。
「そんなこと、出来ん。我輩まだ、死にたくないのだ。せめて乙女と、祝言をあげるまではなー」
「五月蝿いわね。アンタの意見は聞いていない。私が揉みたいと言っている。
 出来ないならこのクッキーは諦めなさい」
 そういいながらエリカはクッキーを一つつまむとポイと口に入れた。
 我輩はすばやく脳をフル稼働させて考えた。
 一片のクッキーのために明日を捨てるか、誘惑に負けずに永らえるか。
 祈を差し出せば当面腹は膨れるだろう。
 だがその後に我輩が祈の腹を満たすことになってしまう。それは避けたい。
 返事は決まった。一時の快楽のために相棒を差し出すほど我輩は落ちぶれてはいない。
「わかった。茶菓子は諦めよう」きっぱりと答えた。そう、男は引き際が肝心なのだ。
「ちっ」「ちっ」
 ん? なんだか今、舌打ちが二人分聞こえたような……。

 竜宮を飛び立った我輩は竜鳴館上空を旋回しつつ、次なる方策を練っていた。
 これ以上ここに留まっていても収穫は無さそうだ。かといって悠長に構えている余裕は無い。
 空腹感は増すばかりだ。ふむ、どうするか。
 そうだな、バカを相手にしたほうが、労少なく獲物は上等を望めそうだ。
 方針を決めた我輩は市街へ向かってツバサに力を込めた。


 松笠の駅前に着き、看板の上で羽を休めつつ辺りを見回していると、
 我輩アイが人波の中に見慣れた集団を捉えた。
 ふふっ、見つけたぞ、対馬ファミリー。
 うまい具合に奴らはクレープを食いながら歩いている。それが我輩の今回のターゲットとなるわけだ。
 看板から滑空し、対馬ファミリーの元へ近づいていく。
「あ、土永さんじゃん」
 最初に我輩に気づいたのはちっこい小娘。蟹沢きぬだった。
 この嬢ちゃんは多少すばしこいようだが、我輩の敵ではないだろう。
「おう、ジャリども、元気か?」まずは友好的な挨拶から。
「なんだよ。土永さんだけか? おっぱ…じゃない、祈せんせは一緒じゃないの?」
 猿顔の眼鏡っ漢、鮫氷・バカ・新一が能天気に言う。ふん、小物が。だが心の広い我輩は答えてやる。
「祈はまだ家で寝ている。だから我輩一人で遊びにきたんだー」
「なんだよ、祈ちゃんまだ寝てんのか」
 長身の伊達スバルが言う。こいつの運動能力は侮れん。警戒に値するぜ。
「寝坊多いぞ、祈ちゃん」
「まあ、囀るなヒヨコども。夏休みにも関わらず我輩が、ありがたい話をしてやろう。
 いいか、アメリカ人に向かって『ぎぶみーちょこれーと』と唱えるとな……」
「だからいつの時代の鳥なんだ」
 そう呟いたのはファミリーにその名を冠された男、対馬レオ。だがこいつも安パイに過ぎん。
「先生がいないんならどうでもいいや」鮫氷は早くも我輩から興味を失ったようだ。
 うむ、まずはこの無礼なザ・負け組から獲物を掠め取ってやろう。バカにはバカ向きの方法でな。
「おぉーッ、あんなところで、全裸のおねいさんがよさこい踊ってるぞー!」
「え、どこどこおねいさーん、もっとさーびすさーびす」
 愚かな……。鮫氷はこちらの思惑通り、手に持ったクレープから意識を離した。
 いまやコイツの頭は、存在しないストリーキングの女が占めているのみ。
 この好機を逃さず、我輩は素早く身を躍らせた。目標捕捉。勝利は目前。貰った!
 狙うは愚者の右手に握られたチョコバナナクレープ!
「な……!!」
 しかし、我輩は次の瞬間、信じられないものを見た。
 我輩の目の前を我輩以上の超スピードで横切るものがあった。
 辛うじて視界に捉えたそれは小柄な少女の形を成していた。


 かっ、蟹沢、きぬ!!
 きぬは我輩を凌駕する身のこなしで素早く鮫氷のクレープを奪取すると、
 流れるような優雅な動きで自分の口にそれを格納した。なんという早業か。
「何だよ土永さん。そんなおねいさんどこにもいねえじゃん」
「む、す、スマンなー。見間違い、だったようだ」
 あまりの出来事に、我輩は何とかそう応じるのがやっとだった。
 事態を把握せず、愚昧にも我輩に抗議する鮫氷。
 しかし我輩の興味はすでに鮫氷にはない。
 おもわぬ伏兵の登場に我輩は呆然としていた。
 いかに空腹だったとはいえ、まさかスピードで我輩を上回るとは。
「つーかフカヒレ、お前のクレープ、カニに食われたぞ」伊達の指摘に漸くバカは我に返る。
「なにすんだよカニ! よくも食いやがって、お前の分寄越せよな!」
「へへーん。スケベなことに気を取られるフカヒレが迂闊なんだよーだ」
 そういうときぬは自分の分のクレープを口に放り込むと、すばやく咀嚼し、嚥下した。
「意地汚いな、カニ。人のものとったりしたら、めーなの」
「いいじゃん、レオ。ボクはヒトから取ったんじゃなくてフカヒレから取ったんだからさ」
「んー。そうか」
「そうだな。じゃー、いいのか」
「納得するのかよ! つーか俺、人じゃないのかよ!」
「人として終わってる奴はもう人じゃねえ」
 ジャリどものバカトークを聞き流しながら、我輩はプランの建て直しを迫られていた。


 バカときぬの分のクレープはすでに失われた。残るは対馬と伊達の二人分。
 伊達は相手にするには手強そうだ。ただでさえ空腹で本来の力を発揮できないのだ。
 わざわざ強敵を相手にして徒に体力を消耗するよりも、与し易い相手を選ぶほうがクレバーというものだ。
 我輩は標的を対馬レオ一本に絞ることにした。
 先程は少々蟹沢きぬの能力を甘く見積もりすぎていた。
 今と同様の方法で対馬のものを狙ったとしても、やはり同様にきぬに強奪される公算が高い。
 かと言って正攻法で奪ってはのちのちに禍根を残す。
 食い物の恨みは恐ろしいからな。これも人類が歩んできた歴史が示している。
 ただ、いかなる作戦でいくか。それが問題だ。
 食い物に関しては鋭敏なカニレーダーを掻い潜り、尚且つこいつらの注意をクレープから逸らす方法。
 我輩は素早く思考を巡らせる。
 そうだ、こいつらに共通する弱点をつけばいい。
 それは、勉強だ。ここで架空の(まあ、現実のものとなる可能性も高いが)補習話をでっち上げ、
 意識が萎えたところを一気に急襲する。
 よし、これでいこう。
 ふっ、このうすらバカどもが絶望に沈む姿が目に浮かぶぞ。栄冠は我輩に輝く! 
 さて……。
「あー、うまかった」
「そうか、オレにはちょっと甘すぎだ」
 我輩の目に映ったのは、食い終えたクレープの包み紙をゴミ箱に捨てる対馬と伊達の姿だった。


 いつのまにか我輩は商店街の一角に佇んでいた。
 傷心に我を忘れ、あちこち飛び回っているうちにたどり着いたらしい。
 ……あれ、なんだか目からしょっぱい水が……。
 もはや空腹すら忘れるほどに絶望に打ちひしがれていた。
 なぜだ。我輩はそんなに高望みをしたのか?
 我輩は、ただ人並みに食欲を満たしたかっただけなのに。
 自問を繰り返す我輩の耳に、不意に無感情な声が届いた。
「そんなところで呆けているな。商売のジャマだ」
 振り返るとそこには見覚えある、目つきの鋭い黒髪ロンゲの姿があった。
「なごみ」
 一年生、椰子なごみ。エプロンをつけている。
 見上げると、「フラワーショップ YASI」という文字が目に入った。
 どうやらここはなごみの実家である花屋らしい。
 そうか、我輩は偶然とはいえ、なごみの家の前で黄昏ていたのか。
「だからジャマだといっている。さっさとどくがいい」
「ああ、悪かったなー、なごみー」
 我輩は言い返す気力も無く、覚束ない足取りでその場を去ろうとした。
「どうしたオウム。珍しく元気が無いじゃないか」
「ん、まあなー。ちょっと人生に、絶望していたところだー」
「ふん。興味はないが、今は客もいない。ただ喋っていくだけなら止めないぞ。
 ……その気が無いなら早く消えるがいい」


 どうもなごみなりに気を使ってくれているらしい。ぶっきらぼうだがいいところあるじゃないか。
 よし、我輩の愛人リストに入れてやってもいいぞ。
「なんだその目は。おかしなことを考えているなら潰してやってもいいんだぞ」
「とんでもない。……じゃあ、ちょっとだけ、愚痴るからー、適当に聞き流してくれ」
 我輩は朝からこれまでの出来事を語った。
 思い出すだに自分の無力さが身にしみて余計に悲しくなる。
 だが我輩は滔々と思いの丈をぶちまけた。
 なごみは聞いているのかいないのか、黙々と花の手入れをしている。
「……というわけなのだ。もう、我輩は、我輩は……」
 話が終わってもなごみは眉一つ動かさず、しばらく花をいじっていた。
「じゃあな、なごみ。一気に喋ったら、少し気が楽になったぞ」
 我輩がその場を去ろうとすると、なごみが呼び止めた。
「お前、腹が減っているのか」
「まあなー。話したとおり、朝から何も食っていない」
「ちょっと待っていろ。ごちそうしてやる」
「ほ、本当か、なごみー!」
 神、いわゆるGODはまだ我輩を見捨ててはいなかった!
 なごみは一旦奥に消え、すぐにまた戻ってきた。
「そら、食ってもいいぞ」
 どん、という鈍い音とともに我輩の前に置かれたのは、大振りのバケツだった。
 中には大量の緑色の物体が詰まっている。
「なごみ、これは一体……」
「剪定して落とした花の葉っぱや茎だ。沢山あるから遠慮はいらないぞ。好きなだけ食べるといい」
「く」
「く?」
「クエルカー!」
「なんだと!?」


「いくら我輩が、空腹でも葉っぱを喜んで食うほど、落ちぶれてはおらんぞー! 
 それとも何か、我輩をバカにしているのか?」
「何を言っている。お前はオウムだろう。普通オウムはナッパとか青物を食べるんじゃないのか?」
「む、それは中々筋の、通った言い分だが、我輩をそこいらの一般オウムと、一緒にされては困る。
 日本人なら白いご飯と味噌汁、おかずは三品。これだね。まあ素人は大人しく麻の実でも食ってろってことだ」
「何を贅沢を言っている。お前腹減っているんだろう、オウムだろう。だったらこれでも十分だろう?」
「囀るなヒヨッコが。そうやって鳥類にレッテルを貼るな。自分の基準でしか物事を見れない奴は、
 我輩のような、超規格外の大物に出会ったときに、対応できんぞ未熟者」
「……」なごみは顔を伏せてしまった。
「どうした、なごみ。分かったらそれ相応の食事を、用意するがいい。肉を焼くならレアで、頼むー」
「……」
 様子が変だ。なごみの肩が小刻みに震えている。
 心なしか外気温が下がったような。そして、なんだ、大気が、鳴動している?
「!」
 ゆっくりと面をあげたなごみのかんばせには、この世のものとは思えない憤怒の表情が張り付いていた。
 そして我輩に容赦なく叩きつけられる負のオーラ。これは、紛れも無く、殺意ッ……!
「な、なごみ?」
「…ぅしに、調子にのるなよこの、鳥公……!」
 百戦錬磨の我輩を萎縮させるこの迫力ッ!
 我輩は成すすべもなく、そのマイナスのエネルギーの奔流に身を任せるのみ。
「消 え ろ、 潰 す ぞ ……!!!!!」
「うわーん、お助け〜!」
 我輩は脱兎の如く、その場を離脱した。戦略的撤退というやつだ。
 恥も外聞もない。明日を生きるために今の誇りを捨て去り、一目散に逃亡した。


 我輩は疲れ切った身体を引きずるようにしてなんとか祈のマンションにたどり着いた。
 結局散々苦労したものの、収穫はゼロ。空腹と徒労感とがダブルパンチとなってのしかかって来る。
 一時は祈の言ったように、蝉でも捕まえて食べようかとも思ったが、
 最後のプライドがそれを許さなかった。そもそも捕まえられなかったら尚更情けない。
 朝から何も口にしていない我輩はそれこそ疲労困憊で部屋に戻ったのだった。
「あら、お帰りなさい、土永さん。遅かったですわね」
 部屋に戻ると、祈はお茶を啜って寛いでいた。
「祈。我輩、腹が、減ったぞー。何か、食わせてくれー」
 我輩はフラフラと止まり木までたどり着くと、祈に頼んだ。
 もう、食い物ならなんでもいい。贅沢は、なるべく、多分、きっと、言わない。
「だから、遅かったと申し上げましたわ」
「何が?」
「今しがた、出前のお寿司を食べ終えたばかりですわよ」
「……なんと! 今、なんと!?」
「美味しかったですわよ〜。競馬でちょっと当てましたので、奮発しましたの」
 テーブルの上には、すでに綺麗に空になった寿司桶があるばかり。
「お、す、し……」
「もう、特上なんて久しぶりでしたわ〜。ああ、美味しかった」
 食い終わった寿司の味を反芻しているのか、祈は頬杖を突きながら幸せそうにため息をつく。
「わ、我輩の、我輩の分は……?」
「ありませんわよ。もう全て食べてしまいましたし」
 一縷の望みを託した我輩の問いも、あっさりと打ち砕かれた。
「無い……」そうですか。
「しいてあげれば、ガリでしょうか?」祈は小皿に盛られたピンク色の物体を差し出す。
「ガリ」
 ……ガリ。ガリか。美味しいよね、ガリ。生姜を甘酢で漬けたやつ。うん。我輩、ガリ好きだぞ。
 我輩は落涙しながら、小皿いっぱいのガリを齧った。
「ところで土永さん、今日は一日どこで遊んでいましたの?」
 聞くな、祈よ。漢には、漢には触れて欲しくない事の一つや二つ、あるもんなんだぜ。

 我輩はオウムである。名前は土永。本名は捨てた。
 パートナーに呼ばれる名さえあればそれでいい。……そう思っていた時期が我輩にもありました。


(作者・340兼604氏[2005/09/23])

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