六月の後半、梅雨の湿気と夏の暑さが混じった肌に絡みつくような空気に包み込まれた日。
 褐色の肌の少女が同年代の青年に顔を寄せ、耳元で何事かをささやいている。青年は嫌がっているように顔をしかめ、距離を取ろうとしているが少女はまるでソレを意に介していないようだ。
 その様を見つめる4つの瞳。一人は少女、清楚な容姿をしており、ストールを肩にまとっている。今はその可憐な瞳に苛立ちと敵意を込めジッ、と青年に顔を寄せる少女を睨んでいる。
 そして少女の背後で普段とは違うその様に驚き怯え、声をかけることも出来ず震えながら三者を眺めている眼鏡をかけた青年。
 やがて、褐色の少女が走り去り、清楚な少女が青年のもとに駆けて行くのを眼鏡の青年は眺めていた。
「あ、やべ。遅刻する。」
 しばらく呆けるようにしていた青年は慌てたように駆け出した。何とか遅刻することなく正門前に辿り着き門番よろしく待ち構えている日本刀を持った少女に声をかける。
「ども、おはようございます。乙女さん。」
「鮫氷か、いつも言っているがもう少し早く登校しろ。」
「はーい、気をつけます。」
「ところで、ちょっと良いですか?」
「ん?なんだ。」


 一日の授業が終わり放課後になる。日中、褐色の少女は時折、朝の青年の所に会話をしに言っては適当にあしらわれておりどことなく不満そうであった。少女の友人らしく中国人の少女は呆れたようにその様子を見ていた。
 眼鏡の青年はその度に清楚な少女が褐色の少女と青年を睨むのをさり気なく観察していた。
「マナ、帰るネ。」
「あ、今日部活なんや。」
 褐色の少女が鞄を持つと去っていく、眼鏡の青年はさり気なく少女を追い駆けた。廊下を少々進み、階段に差し掛かったところで青年が声をかける。
「ちょっと時間ある?話したいんだけど。」
「ん?フカヒレやん珍しいな。でも、うち部活あるから急いでるんやけど。」
「あ、大丈夫大丈夫、すぐ終わるから。」
 少女は怪訝そうに首を傾げ、青年を見上げる。青年は軽く頭をかき、少し困ったような顔をして口を開く。
「あのさ、レオの事。しばらく放っておいてあげてくれないか。」
「あんまり言いたくないけどさ。レオも嫌がってただろ今日。」
 青年の言い草に少女は露骨に不満をあらわにし、反論する。
「なんでや、ええやん別にウチと対馬は友達なんやし。ちゃんと対馬には友達として仲良くやってこうって言ったで。」
「言っただけでレオの返事聞いてないなら意味ないじゃん。」
「…うっ。」
「図星かよ。マジで空気読めてないのね。」
 青年は一つ溜め息をついた。


 一瞬言葉に詰まった少女に青年は苦笑しながら見つめる。うっさいわ、と少女は吐き捨て目を逸らす。
「そう言われてもなぁ。うち、対馬とトンファーとカニッチぐらいしか話が合うのおらへんし、寂しいわ。」
「んじゃ、俺がしばらくレオの代わりに相手するって事でどう。」
 青年の台詞を聞き、少女が吹き出す。
「冗談やろ、フカヒレが対馬の代わりて。そら役不足やろ。」
「それを言うなら役者不足だって。それにしてもひっでぇの。」
 やれやれ、と呟き肩をすくめて首を振る青年。軽く、ハハッと笑う少女。
「すまんすまん。そやな、サッカー分かるかフカヒレ?」
「ん、まぁ人並みには…そんなに詳しくは無いぜ。」
「対馬はかなり詳しいでサッカー。」
 ニヤニヤと笑いながら少女は青年に告げ、くるりと背を向ける。
「ほなな、そろそろ行かんと部活に遅れてまうねん。」
「おーい、とにかくしばらくレオの事は放っておいてやってくれよ。」
 少女は青年に答えず、軽く手を振って去っていった。


 翌日、一応青年の頼みを聞き届け、少女は大人しく友人の少女達と教室の入り口近くに陣取り会話をしていた。時折、清楚な少女とその恋人である青年の方に視線を向けながら。
 忙しく開閉される教室の扉から昨日少女に頼みごとをした青年が入ってくる。褐色の少女とその友人はぎょっとした様子で青年を見た。
「あいや…凄いクマネ。」
「ど…どないしたんや、それ?」
「あー…お二人さんにカニ。おはよう。いや、ちょっと一夜漬けでな。」
「…今日テスト何てねーぞ。フカヒレ。」
「馬鹿野郎。俺がテスト勉強なんてするわけないだろ。祈先生のだけは例外だけどな。」
「全然褒められた事じゃないネ。」
「じゃ、何しとったん?」
「サッカーの勉強。レオの部屋に忍び込んで片っ端からソレ系の本読んでた。」
「サッカー?何でまたそんなもん勉強してんの?」
「良いじゃん、別にどうでも…俺は眠いよ。祈先生来たら起こしてくれ。」
 そう告げると、青年はよろよろとしながら自らの席に座り、机に突っ伏して眠りに落ちた。残された少女達は疑問符を浮かべながら眠る青年を見ていた。一人、褐色の少女だけは感心と喜びの入り混じった表情で青年を見ていた。
 因みに、教師が教室に入ってきても青年は起こされず、教師のペットであるオウムのクチバシで突きまわされた。
 再び訪れた放課後、少女は友人の誘いを断り、いまだ眠た気にしている青年のもとに赴くと、おもむろに青年の頭を掴みぐるぐると回す。
「どや?目ぇ覚めたか?」
「…おやすみ。」
 一瞬、顔を上げ少女の顔を見ると、パタリと倒れこんだ。
「もしもーし、フカヒレ?あかん…熟睡モードや。」


 次に青年が目を覚ました時、既に周囲は赤く染まっており、真っ先に目に入ったのは赤みがかった褐色の脚。青年は思わず親指を立てて叫ぶ。
「ナイスアングル!」
「起きて一発目がそれかい!」
 青年を魅了した脚が振り上げられ、顔面に打ち付けられる。顔面を撫でながら青年が立ち上がる。
「どや?目ぇ覚めたか?」
「ナイスホワイト!」
「もう一発蹴るで?」
「すいません、ごめんなさい。許してください。」
 頭を下げぺこぺことバッタのように謝る青年に少女は苦笑を漏らし、まぁ、許したるわ。と告げた。
「ところで、何で俺床に寝てたの?」
「掃除の邪魔になっとったから、うちが蹴り倒したんや。」
 青年は自分の制服についた小さめの足型を見て少し顔をしかめ、不意に驚いたような表情になり、少女に問うた。
「ひょっとして、待っててくれた?俺が起きるの。」
「ま、一応な。うちのせいでそんなんなってるんやったら…なんや、悪いやないか。」
 少し照れくさそうな少女に対し、別に良いのに、と青年は呟いて小さな笑顔を浮かべた。
「ところでな、なんでフカヒレが対馬のためにそこまでやるん?いくら友達や言うても頑張りすぎやで。」
「大した事じゃないんだけどね。あのクールぶって『俺はテンションに流されないぜ。』とか言ってるレオが珍しく熱くなってよっぴーのために頑張ってるみたいだからさ。ま、手伝ってやるのも悪くないかと思ってね。」
「それだけ?」
「それだけ。」
「あんた、馬鹿で変でダメな奴やと思うてたけど、結構良い所あるんやな。さすが、対馬の友達ってところやな。」
「何か、地味に俺の評価酷くない?」
 不意に少女は思う。自分が意外と目の前の青年について知らない事を、道化染みたイメージと言動ばかりが先行し、鮫氷新一という人物を霞ませ隠している事に。それは、ただの好奇心ではあるが、それでも、少女は「鮫氷新一」を見つめ始めた。
「気のせいやろ。ほな、フカヒレの勉強の成果見せてもらおか。サッカークイズ第一問〜。」
「テストすんの!?」
 それからしばらくの間、楽しそうな少女の声と悩みに満ちた青年の声が教室の中にこだましていた。


 文字通り一週間ぶりの休みである土曜日に青年は不慣れな手つきで粘土をこねていた。歪ではあるが青年の手の中でマグカップのような形に粘土は整えられていく。
 発端は数日前にさかのぼる。その日褐色の少女は青年を誘った。
「フカヒレ、週末空けといてや?」
「それ、疑問符がついてるだけで質問じゃないじゃん。まぁ、空いてるけどさ。」
「ちょっと付き合って欲しい場所があるんや。ほな、十時に駅前な。」
「いや…まぁ、分かったけどさ。せめてどこに行くかぐらい。」
 青年が最後の台詞を発する頃には、既に少女の姿は無く、遠くにその背中だけが見えていた。
 そして二人は電車に揺られる事少々に歩く事少々。少女の目的の場所へと辿り着いた。
「…陶器工房?」
 少女はさっさと中に入ると顔見知りらしい老人に軽く挨拶をし、あいつ初めてなんでよろしゅう教えてやってや。と軽く告げ、奥へと消えていった。
「坊主、…お前が対馬か?」
 友人の名前が出たことに軽い驚きを覚えつつも青年は返事をする。
「いえ、俺は対馬の友達で鮫氷新一です。はじめまして。」
「マナちゃんの彼氏か?」
「いいえ、全然。友達…のような知り合いのような…微妙な関係です。」
「そうか…まぁ良い。中に入れ、土は良いぞ。人を無心にしてくれる。」
 小柄ではあるが、何処と無く威圧感を感じさせる老人に普段よりも丁寧な受け応えをする青年。中に案内され、四、五人は座れるであろう大き目の机の上に粘土とエプロンそのほか細々としたものが運ばれる。
 奥にもう一部屋あり、そこには少女がいるようで人の動く音が聞こえる。
 老人は青年から少し離れた場所に置かれていた椅子に座ると懐から取り出した煙管に火をつけた。
「マナちゃんはマグカップを作っとる。坊主もマグカップでも作って、女の子にプレゼントでもしてみろ。何か分からん事があったら遠慮なく聞いてくれ。」
 青年は一つ頷くと、粘土をこね始めた。老人の言うとおり、段々と無心になり土をこねる自分を青年は感じ始めた。いつの間にか、老人の姿がない事に気がつかず。


 少女がいくつかのマグカップを代わる代わる手に取りながら溜め息を吐く。綺麗に整った形ではあるが、何かが物足りないと思いながら少女はソレを眺めていた。
 その様子を背後から眺めていた老人が声をかけた。
「出来はどうだ?」
「せやねぇ…後一歩、ってところやね。」
「…技術的には問題無い、ワシが太鼓判を押そう。」
「嬉しいんやけど、それはそれで困る発言やな。」
 マグカップを一まとめにしてプラスチック製のカゴに放り込み、老人の方へ振り向くと肩をすくめた。
「今日はこのぐらいにしとくわ。」
「そうか、茶ぐらい出そう。」
 二人は連れ立ち、部屋を出る。青年にも茶を勧めようと老人は声をかけようとした。
 だが、先程まで青年が粘土をこねていたテーブルに青年の姿は無く、少し離れた場所にある多数の陶器が陳列された棚の前に立ち、それらを眺めていた。
「何や、珍しい物でもあるんか?」
「いや…何となく眺めてただけなんだけどさ、これ全部同じ柄だね。」
「太陽とライオン…全部マナちゃんが作った奴さ。」
「ちょ、爺ちゃん。それ捨ててくれ言うて頼んどったやん。」
 老人は少女の台詞を無視し、さらに青年に問いかける。
「対馬、とか言う奴に贈るらしい。坊主の目から見てどうだ。」
「…悪くないんじゃないかな。レオ、ああいう手作りの品物って好きだしね。」
 一瞬、ためらいの表情を浮かべながらも青年は率直な感想を告げる。老人は、そうか、と小さく呟き。笑顔を浮かべる。
「良かったな。マナちゃん。」
「…あー…うー…」
 少女は照れくさそうに俯いていた。老人はそのままお茶をいれてくる、と告げ席を外し、青年はじっと陶器を見ていた。


 老人が三人分の茶とヨウカンを用意する。少女が簡単に机の上を片付ける。その際、青年が触っていた粘土を眺めて、へぇ、と呟いた。
「ん?どうかした?」
「いや、結構上手いやん。手先器用なんやな。」
 渋く熱い緑茶を含みながら青年が問う。老人はヨウカンをつつきながら、確かに中々だ、と青年を褒めた。
「俺楽器やってるからね。そのおかげでちょっと器用なだけだよ。」
 謙遜するように微笑む青年に少女は少しだけはしゃいで声をかける。
「へぇ、意外やな。何やもっとそういうのアピールしたら少しはもてるようになると思うで。あ、ひょっとして、そういう目的で始めたんやろ。」
 悪戯っぽく言う少女に青年は小さく笑って軽いトーンで答える。
「あ、やっぱバレた?おっかしいなぁ、ここで俺の好感度がぐっと上がるシーンのはずなのに。」
「アホかいな、バレバレやで。」
 少女がケラケラと声を出して笑う。すっ、と老人が席を立つ。少し待っていろ、と二人に声をかけ、出て行く。残された二人は顔を見合わせて首をかしげた後、それぞれのヨウカンをつつきき始めた。
 老人が抱えて帰ってきたのは古ぼけたギター、それをフカヒレに渡し。短く告げる。
「何か弾いてみてくれ…調弦はしてある。」
 言われて、青年はギターを弾き始める。少女はソレを懐かしく美しい思い出の中に届くように感じた。目の前のふざけた青年がこの音色を奏でている事に驚きを覚えながらも耳を澄ましていた。
 そんな少女に目を閉じ穏やかな表情を浮かべた老人が独り言のように告げる。
「…良い音だ。純粋で誠実な…良い音だ。」


 青年の演奏が終わる。老人は一つ頷き、小さく拍手をした。少女もまた、重ねるように小さな拍手を送り、青年は照れくさそうに頭をかく。
「良いギターですね。丁寧に手入れされてて…味がある。お爺さんのですか?」
「いや…随分昔に死んだ息子の物だ…よければ使ってやってくれ。その方が楽器も喜ぶだろう。」
「マナちゃん、ワシはちょっと疲れたんで休むよ…戸締りは後でワシがやるから気にしないで帰ってくれ。」
 そう言うと老人は立ち上がり、背を向けて工房から出て行った。去り際に少女は老人の目に光るモノを見て胸が締め付けられるような何かを感じた。
 二人は動かず、時だけが過ぎて行く。どれだけそうしていただろう。少女が青年に声をかける。
「フカヒレ、もう一曲、何か弾いてくれへんか。」
「いいよ。リクエストある?」
「うち、そういうの詳しくないから適当でええけど、そやな…優しい曲がええな。」
「それとな、途中まで作ってあるあのマグカップやけど。」
「乾かしたり焼いたりで一週間近くかかるねん。よければウチにくれへんか責任もって仕上げたるから。」
 青年はテーブルの隅にある自分がこねた粘土を見つめ、ああ、と一言だけ呟くと目を閉じギターを弾き始めた。少女のリクエストどおり、優しいメロディがつむぎ出される。
 ギターの音に被さらないよう遠慮がちに小さく、少女の口が開く。
「ごめんな、もてたいためにギター始めた。とか言ってもうて。」
 何も答えずギターを引き続ける青年を申し訳なさそうな、おどおどとした小動物のように少女は見ていた。
 やがて、青年のギターが終わる。目を開け少女を見る。
「気にするなって。らしくないじゃん。」
 明るく告げ、ハハッと笑いながら少女を安心させるように笑顔を見せた。
 少しだけ安堵した様子の少女は簡単に工房の片づけをし、青年の粘土を乾かすために奥へと運んだ。
 青年はギターを持ち、少女はもやもやとした想いを抱え。口数少なく、二人はその日を終えた。


 五日の時が過ぎ木曜日、ゆっくりとだが確実に、清楚な少女とその恋人である青年の周囲は元に戻り、穏やかな日々を取り戻していた。それにともない、青年と少女の時間は徐々に減っていった。互いに、不思議とそれが寂しいと思えた。
 少女は鞄の中からソロソロと二十cm程度の大きさの丁寧にラッピングされたレモンイエローの紙袋を取り出した。
 それを手に持ったままチラチラと教室の隅で談笑する3人の青年を見る。不安げに何度か青年達と自らの手にある包みの間で視線をお往復させる。
 ようやっと意を決したか自分を鼓舞するように頷き、一歩青年達へ向けて歩いた。
「浦賀さん。」
 涼やかな声が聞こえ、少女の肩を叩く。
「うひゃあああああ。」
 少女が絶叫する。
 手がすべる。
 ガチャン、と陶器が砕ける音がした。
 ペタリ、と少女が泣きそうな顔で座り込む。
「う、浦賀さん?えっと、驚かせちゃったみたいでごめんね。」
「アハハ、気にせんで良いよ。ウチが勝手に驚いただけやし。」
「でも、それ壊れて…」
「ええねんええねん、いくらでも代わりはあるんやし。」
 ジャラジャラと音のする紙袋を胸に抱えるように持ち、立ち上がる。そして、自らに声をかけてきた清楚な少女に歪な笑顔を向ける。
 そのまま、ゴミ箱に紙袋を投げ捨て、せつなげに溜め息を吐いた。ふと、自らが教室内の注目を集めていることに気がついた少女は愛想笑いを浮かべて、何でもあらへんよ。と言い手を振って周囲にアピールした。
 申し訳無さそうなする清楚な少女と褐色の少女の友人達が不思議そうな顔をし、何か聞きたそうな表情をしていたが、そのタイミングで遅刻していた担任教師が現れ結局うやむやになり、一日が過ぎていった。


 今日は散々だった、と少女は思いながら廊下を歩いていた。
 授業中は妙に教師に指されることが多かった上に、当然のように答える事は出来なかった。
 気を取り直すように放課後の部活動に打ち込もうとしたが、ちらちらと今朝の出来事が頭をよぎり集中力を欠いてしまった。おかげで練習メニューの出来も散々であり、先輩達からは怒られるよりも心配されてしまった。
 半ば自己嫌悪に陥りながら教室の扉を開ける。
 いつぞや少女が青年とサッカーについて語った時のように、赤く染まった部屋の中に青年がいた。
「よ。部活お疲れさん。」
 青年は本来少女が座る席に座り、右手を挙げて明るい笑顔で少女に挨拶する。青年の目の前、少女の机の上にはレモンイエローの紙袋と、一つのマグカップ。
「ちょーっとしんどいジグソーパズルだったけどな、ま、何とか直しといたよ。レオは帰っちまったから明日渡すんだな。」
 立ち上がり一歩引き、少女のために席を空けると太陽とライオンの模様が書かれたマグカップを指差す。
 少女は顔を伏せ、ツカツカと青年に近寄ると、両手で青年の胸の辺りを掴む。青年は疑問符を浮かべて、少女を見下ろすがその顔は見えなかった。
「この…」
「この…」
「このアホーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」
 背伸びをし、青年の耳元で大声で叫び、青年が驚いた瞬間に思いっきり少女は突き飛ばした。あっけなくバランスを崩し、背後の机にぶつかり倒れる青年。
「対馬にあげるって分かってるんなら、何で治すねん!!」
 少女の更なる叫びに青年は痛みに顔をしかめながら疑問と混乱が混ざった表情を浮かべる。
「ちょっと待ってよ。レオにあげるんだろ?何で俺突き飛ばされてるの?」
 何が悪かったのか分からないというように抗議の声を上げる青年。
「……………もう、ええ。」
 少女は、自分の行動の理由を上手く言葉に出来ず、マグカップを掴むと走って教室から出て行った。残された青年は痛みをこらえながら立ち上がり、体についた埃を払う。


 一人暮らしの狭い部屋は寒々と少女を出迎える。苛立ちに任せ、手に持ったマグカップを床に叩きつける。
 あっけなく砕けたマグカップの破片を眺めながら、ふと、自分は何をやっているのだろう、と疲れた表情を浮かべ。
 そのままベッドに潜り込み、何も考えないように目を閉じ、何も聞こえないように耳をふさいだ。
 翌日、青年は少女が学校を休んでいる事を知る。青年は少女の友人であり自らの友人でもある少女から住所を聞き出すと、見舞いに向かった。
 青年が友人から聞いた住所に辿り着き、ノックするが返事は無い。青年は溜め息を一つ吐く、苛立ちと心配とがない交ぜになっていた。
「いるんだろ?」
 扉の向こうに向けて呼びかける、返事は無いが、青年には最初から期待していた様子も無かった。扉に背中をもたれかける。
「皆が心配してたぜ。レオとか、豆花とか、カニとか、よっぴーとか、後、土永さんとかね。勿論、俺も。」
「確かに、俺はしばらくレオの代わりで遊んでただけだけどさ。まぁ、結構楽しかったし、嫌がるかもしれないけど友達だと思ってる。」
 軽く、ジョークのようにふざけた口調で青年は語る。
「だからさ、楽しくやろうぜ。いないと何か寂しいしさ。」
 最後の一言だけは青年の心情を暴くように重く乾いた調子で響いた。扉に預ける体重を減らす。
「これで実はただの風邪だったら間抜けだよな。ハハッ。」
 再び、軽い調子に戻ると、青年は扉に向けて手を振り帰って行った。
 扉越しに少女は青年の声を聞いていた。青年の声を聞くことで少しだけ安堵する自分がいる事を自覚しながら、目の前にある放置されたままのマグカップの破片を見ていた。
 尖った欠片が自らの心に突き刺さるようだった。
「うち…何やっとんやろうなぁ。」
 何処までも寒々しく自嘲的に吐き出された声が虚ろな部屋で揺れる。


 翌日、青年は部屋で貰ったギターをいじっていた。細かい調整をし新しい曲の譜を考える。時折、脳裏に少女の顔が浮かぶ。
 電子音が鳴り響く、青年は家族がいない事を思い出し。ハイハイ、今出ますよ、と言いながら電話の元へと向かう。
 その頃、少女は陶芸工房にいた。朝一番で駆け込み、仕上げたマグカップを前に何故かおいつめられたような表情で見つめている。出来に不満があるわけではなかった。むしろ、今までで一番良い出来だと少女は思っている。
 老人は時折、そんな少女の様子を見ては一言二言何事かを告げて去っていく。少女の反応は薄く、殆どが生返事である。
 再び、足音がする。少女はまた老人が来たのだと思い。特に何の反応も示さずマグカップを見つめている。
「へぇ、良く出来てるじゃん。」
 少女の肩越しに青年がマグカップを覗き込む。
「ちょ、ななななななななななしておるねん!!」
 少女が飛び跳ねるように立ち上がる。
 青年の顎を少女の肩が強打する。完全に不意をつかれた青年はあっさりと倒れ、右手に持っていたギターケースが落ちる。
「えっと…その…ごめんな。わざとやないんや。」
「…何か俺最近こんなんばっかりだな。」
 申し訳無さそうに謝る少女に対して愚痴るように呟き、体についた埃を払いながら青年は立ち上がる。
「もう馴れたけどね。」
 青年は肩をすくめて、少女の肩をニ、三度叩いて微笑みかけた。
 少女は顔を上げる。すると、青年のさらに背後、入り口のあたりで老人がこちらに向けてビシリ、と親指を立てているのを見た。
「あの爺…」
 ぼそり、と少女は呟いたが、気を取り直したように青年の顔を見る。
「その…この間はすまんかったな。うちちょっと混乱しとったみたいで突き飛ばしてもうて。怪我とか平気やった?」
「ああ、別に平気。でも何で怒ってたのアレ。」
「ま、まぁええやん。細かい事は。」
 少女の褐色の頬を少しだけ赤く染まる。
「そ、それよりな。ほら、これ。」
 少女がテーブルに置いたマグカップを青年に差し出す。


 青年はそのマグカップと頬の赤い少女を交互に見る。少女がマグカップを強く差し出すので勢いに負けるようにそれを受け取る。
「それとな、あの対馬の代役っていう話な、もうええよ。」
「あ、やっぱりちょっとウザかった?」
「そ、そやなくて…その…何や、役不足っていうか。」
「だからそれ役者不足だって。」
「ちゃうねん。ちゃんと辞書で調べたんやから役不足でええねん。」
「…えーと、て事は…」
 青年がちょっと考える仕草をした時、少女は青年の脇を駆け抜ける。
「ほな、またな。そのマグカップはうちからのプレゼントって事で。」
 去り際にそう告げて、少女の姿はどんどんと見えなくなっていく。
「…坊主。何をやっとる。」
 老人が状況についていけていない青年に声をかける。
「あ、失礼します!」
 青年はマグカップを持ったまま、地面に落ちていたギターケースを拾い少女を追いかけ走っていった。
「若いのぅ……。」
 老人が楽しげに二人が去っていった後を見ていた。
 少女の腕を誰かが掴む、少女が振り向くとそこには青年の姿がある。少女は頬を染め俯く。
 青年が少女に追いついたのは既に駅の近くであった。しかし、普段の運動量の差か少女は息を乱しているだけなのに対し、青年はもはや会話もままならない程に呼吸を乱しており。会話を始めるまでには今しばらくの時間が必要そうであった。
 少し俯き頬を赤く染めた少女と必死に息を整え何かを伝えようとする青年の姿が町の一角を暖かく彩った。


 スウェーデン、北ヨーロッパ、スカンジナビア半島の東部を占める立憲君主国。
 世界でもトップレベルの福祉と、冗談のような税金が特色である。
 修学旅行の行き先をいくつかのうちから選択出来るというので青年と少女、そしてその友人達はスウェーデンを選択した。
 班毎にいくつかの施設に分けて宿泊している。青年達の泊まるのは大き目のログハウスであり、陽気なスウェーデン人の一家が経営していた。
「寒、ほんと寒、早く温まりたいわ。暖炉暖炉…」
「全くだな。って…あらら、どうするよ姫。」
 先程、夜の森を見に行くと言って出かけた四人の若者のうち二人が帰ってきた。彼らの視線の先には赤々と燃える暖炉。
「バカッルから逃げてきたらここにもバカップルとわね。」
「独り者は寂しいもんだね。」
 暖炉の傍のソファーに座る褐色の少女とギターを奏でる青年。
 青年は目を閉じ、少女の好きな優しいメロディを紡ぐ。
 少女は目を閉じ、優しいメロディを聞きながら青年の肩口に顔を埋める。
 二人の目の前にあるテーブルには湯気の出るホットミルクが入ったペアのマグカップがある。
 そこにはデフォルメされたサメと太陽が寄り添っている様子が描かれていた。
 青年の演奏が終わり、二人が目を開ける。
 少女は太陽のような微笑を浮かべ、青年を見た。
 〜FIN


(作者・名無しさん[2005/09/09])

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