十一月の肌寒い日。竜鳴館が夕陽に染まる頃。
一人の少女が廊下を歩いていた。
暗い桃色の髪をおだんご状にまとめた小柄な少女である。
少女の名を楊豆花(ヤン・トンファー)と言い中国からの留学生である。
彼女はクラブ活動を終え帰宅しようとしたところであったが、ふと、教室に忘れ物をしている事を思い出し教室へと歩いていた。
不意に彼女が足を止める。
廊下の真ん中にノートサイズの一枚の紙切れが落ちていた。
彼女は身を屈めそれを拾い上げた。
数秒間じっと眺めた後、彼女は鞄に収め。再び教室へと向かった。
ガラリ、と音を立てて2−Cの扉を彼女は開けた。
赤く染まった部屋の中で地面に這いつくばり地虫のように動く先客がいた。
「…特殊な趣味にでも目覚めたカ?」
先客が顔を上げ、少女を舐め上げるように見つめる。
「おっ、豆花。探し物してるんだけどさ、見つからなくってね。」
「あちゃー、もうこんな時間か。参ったね。」
青年は立ち上がりズボンについた汚れを払う。
「探し物ネ、何を探しているカ?」
「これっくらいの大きさの紙。」
青年は手でノート程度の大きさを作る。
「ん?それならひょとしテ。」
「これ違うカ?」
少女は鞄に手を入れ先ほど拾った紙切れを青年に差し出す。青年は飛び上がって喜び、少女の差し出した紙切れを受け取る。
「おおお、豆花は俺の女神だ!!助かった!!ありがとう!!感動した!!お礼に何でもご馳走する!!そして俺と付き合って下さい!!」
「それは遠慮するネ。」
「あらら、がっくし。」
青年はおどけるようにオーバーに肩をすくめ、受け取った紙切れを自分の鞄に収める。
「ところで…」
「おおっと、もうこんな時間だ。早く帰らないと母上と父上が心配しちゃうよ。じゃ、そういう事で。」
少女の台詞を遮るように青年は叫ぶと鞄を掴み、脱兎の如く走り去っていった。
ポカンとした様子で走り去っていった青年の影を少女は見ていた。


翌日、少女はいつもどおり登校し、2-Cで雑談を楽しんでいる。
「いつも通り楽しそうネ。」
「ほんまやな、しっかし毎日毎日良く飽きへんなぁ。」
今現在の少女とその友人の話の種は部屋の片隅でいちゃいちゃする一組のバカップルである。
対馬レオと蟹沢きぬの二人は二学期に入って以来、常に所構わず時を問わずいちゃいちゃとしていた。クラスメイトも既に馴れてしまい、思い出したように会話の種にする以外は空気のようなものとして扱うようになっていた。
2学期以前は対馬レオと蟹沢きぬの傍にはもう二つの影がよりそっていた事を少女は覚えている。
今は遠く由比浜学園にいる伊達スバルと、彼らを少し離れた場所から眺めている鮫氷新一の二人である。
ちらり、と少女は鮫氷新一を見る。
「そういえば最近、鮫氷君が大人しいネ。」
「言われて見ればそうやね。しっかし、ぶっちゃけフカヒレのこと何て誰も気にも留めてないからどうでもいい気もするで?」
「マナ、それはちょっと酷いネ。」
「でもそのとおりやろ。」
「あ、それよりや昨日の…」
少女と友人の会話は昨日のTV番組へと移る。
他愛の無い会話を続けながら少女は時折、鮫氷新一を見ていた。
少女は感じていた。鮫氷新一が対馬レオと蟹沢きぬを見る目は遠く、届かない星に向けて手を伸ばす子供のような哀しみが込められている事を。


退屈な授業が終わり、再び放課後が訪れる。
少女は鮫氷新一を探し教室をぐるり、と見渡す。
鮫氷新一の姿は既に無く、少女は甘い空気を全力で放出する対馬レオと蟹沢きぬの元へと近寄る。
「対馬君、カニち。ちょと良いかな。鮫氷君、知らないカ?」
「フカヒレ?知らないけど。」
「あいつ最近付き合い悪いんだよなー。生徒会の方も顔出さないし。」
「一回、しめてやんないとね。」
「おいおい、きぬ。フカヒレの気持ちも考えてやれよ。」
「きっと、俺達二人の為に気を利かせてくれてるんだよ。」
「そっかぁ、さっすがレオ、鋭いね。」
「きぬの愛の力が俺を何倍も鋭くするんだよ。」
「んもう、そんなに褒めても何も出ないんだからね。」
「褒めてなんか無いさ。ただ当たり前の事を言ってるだけだから。」
「やぁだぁ、レオってばぁ。」
「そういえば、豆花さん。フカヒレに何か…」
対馬レオが少女の事を思い出したとき、既に教室に少女の姿は無く、遠巻きに彼らバカップルを見る幾つかの視線があるだけだった。


少女はクラブ活動を自主的に休み校舎を歩き回っていた。
各種スポーツクラブが汗を流しているグラウンド。
ブラスバンド部が楽器を奏でる音楽室。鋭い目線をした長い黒髪少女がいた屋上。
楽しげにお喋りをする一団の居座る食堂。怪我をした生徒が包帯を巻かれている保健室。
目当ての人物は見つからず、廊下から窓の外を眺めため息をつく。
ポン、と肩が叩かれる。
「よ、何してんの?こんなところで。」
「鮫氷君を探していたネ。」
「え、俺を?何?ひょっとして告白?そんなのいつでもOKだよ。喜んで俺と付き合ってください。」
「それは無いネ。」
「ガーーーーン、遂にあのバカップルを見返してやる事が出来ると期待したのに神様の馬鹿野郎ーーーーー。」
窓を開け、グラウンドに向かい大声で叫ぶ青年の横顔を呆れたように少女は見ていた。叫びが終わり窓が閉められ、青年が少女の方に向き直る。
「鮫氷君、昨日のアレ。」
機先を制し少女が告げる。青年は罰の悪そうな顔をして頭をかく。
「アレ、楽譜ネ、しかも手書きネ。」
「まぁね。一応俺のオリジナルだから。」
「どうして、逃げたたカ?」
「いや、ほら恥ずかしいじゃん。そんな大したレベルじゃないし俺って。」
「大丈夫ネ、一生懸命作ったら想いが宿るネ。料理と同じネ。」
「そんな大層な想いなんて…」
「楽譜、消しゴムの後いっぱいネ。沢山書き込みもしてあったネ。」
少女がにっこりと微笑む、青年は苦笑を返す。
「実は今のところ一番の自信作。と、いってもまだ未完成だけどね。」
「ピアノの曲カ?」
「いんや、ギターだよ。」
「アイヤ、ギターだたカ。」
「完成したら聴かせて欲しいネ。」
「………喜んで。」
数瞬の躊躇いの後、いつもの軽い笑顔を浮かべて請け負う。
再び少女が口を開こうとしたが、青年は既に背を向けていた。そのまま、少女は遠ざかる背中を見ていた。


深夜、未だ人通りが途絶えない駅前。
寒風に吹かれながら目立たない場所で青年はギターを奏でていた。足を止める者などいないことを承知で。
目を閉じ、楽器と自分だけの世界の中で孤独に音色を作る。
曲が終わる。
パチパチ、と小さく拍手の音がした。驚いたように青年は目を開けた。
「豆花?なんでまたこんなところに。」
「マナに聞いたネ。楽器使う人は大体この辺にいるテ。」
「わざわざ俺を探しに来てくれたのか。いやー悪いね。何度も言うけど俺ならフリーだから遠慮なく愛を囁いてくれて構わないぜ。」
いつもどおりの道化染みた仕草でキラキラとした笑顔を作る。
「黄河が逆さに流れても有り得ないネ。」
「そりゃ手厳しい。」
「ところで、それ何?」
チャイナドレス姿の豆花の足元にちょこんと置かれた鉄製の箱。それは主にラーメン屋の出前で用いられる。
「オカモチね。知らないカ?」
「いや、オカモチは知ってるから。」
パタパタと手を振り否定の意を表す青年。少女はオカモチを持つと、青年の目の前に立ち、オカモチを目線の高さまで掲げる。
「差し入れネ。体が暖まるネ。」
怪訝そうな顔をしてオカモチと少女の顔の間で視線を往復させる青年。そして、ハッ、と気がついたように口を開く。
「おおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!」
「女の子の手作り料理キターーーーーーーーーーーーーー!!」
「遂に、遂に俺にも春がキターーーーーーーーーーーーーー!!」
ぐるぐるとオカモチを持って回るように踊る。
「無理、しないで良いネ。」
少女が告げる、ぴたり、動きが止まる。
「アハハ…」
乾いた笑いを響かせ。ペタリ、腰を落とす。
「中身何?」
「小龍包ネ。」


地面に座り、黙々と小龍包を口に放り込んでいく青年を少女は見つめていた。
「座れば?」
躊躇いがちに少女が地面を見る。青年は、ああ、と一言呟くとポケットからハンカチを取り出し自分の横に広げる。
「どうぞ。」
「ありがとうネ。」
少女がハンカチの上に座り、青年はまた小龍包を食べ始める。
「どうだった?」
「あんまり上手じゃないネ。」
青年が苦笑を漏らす。
「はっきり言うよね。その通りだけどさ。」
「でも、私は好きネ。想い、とても感じたネ。」
「………ありがと。」
二人は黙ったまま、時を過ごした。やがて青年が小龍包を全て平らげる。
「ご馳走様。美味しかったよ、さっすが料理部部長。スバルとも良い勝負だな。」
「伊達君、料理上手いカ?」
「かなり。」
「そか、一度食べて見たかったネ。」
「豆花もスバルがいなくなって残念?」
「当然ネ。」
「やっぱり。あいつカッコイイからなぁ。ああ、俺にスバルの半分でも格好良さがあったら。」
「鮫氷君は、寂しくないカ?」
「………分かんねぇ。」
「そカ。」
二人の間に再び沈黙が訪れる。黙ったまま、二人は空を眺めていた。
「帰りなよ。明日に響くぜ。俺と違って授業受けるんだろ寝ないで。」
ぼそりとした独り言のような呟きを受けて、少女は立ち上がり、オカモチを手に取る。そのまま数歩前に歩いたところでくるり、振り返り青年を見つめる。
「毎日弾いてるカ?」
「大体ね、雨とか嵐とか雪とかじゃない限り。」
「明日も差し入れ持ってくるから、良い曲作るネ。」
少女は青年が何かを告げる前に走り去っていった。


数日が過ぎた。少女は小龍包をつくり、青年はギターを弾く。
言葉はそう多くは無かった。それでも、彼等は楽しそうだった。
「もうすぐ、曲出来そうだ。」
青年が嬉しげに少女に告げる。少女もまた嬉しそうに微笑を浮かべる。
「それは良かたネ。対馬君達に聞かせてあげるカ?」
一つ、ギターの弦を慰みに鳴らす。
「レオ達か。」
「最近付き合い悪いと愚痴てたネ。ここらで一発、サプライズネ。」
ギターを置き、顔を上げ遠くを見つめる。
「別に良いんじゃね。あいつら二人で幸せそうだしよ。」
「案外スバルが消えて俺がいなくなったら喜ぶんじゃねぇのか。」
「二人の世界って奴だろ、羨ましいね。ハンッ。」
詰まらなさそうに鼻を鳴らす。
パシンッ!
不意に青年の左頬が高い音を立てる。赤くなった左頬を抑えながら隣に座る少女を見つめる。静かに、感情の見えない目で少女が鮫氷新一を見ていた。
「誰かを傷つける嘘を吐くのは悪い事ネ。」
「誰かを喜ばせる嘘を吐くのは良い事であり悪い事ネ。」
「自分を傷つける嘘を吐くのは救いようが無いほど寂しい事ネ。」
子供に聞かせるように、優しい声で少女が告げる。


青年は物憂げに少女を見る。
「…寂しい、か。」
「寂しいネ。」
「スバルは、凄い奴だよな。」
「凄い奴ネ。」
「レオ達は、幸せな奴等だよな。」
「幸せな奴等ネ。」
「俺は、空っぽな奴だよな。」
少女は首を振る。
「そんな事無いネ。」
少女が青年にギターを差し出す。
「スバルみたいな才能ねぇよ。俺には。」
青年は受け取らない。
「前も言ったけネ、でも、もう一度言うネ。」
「私は好きネ、新一のギター。だから、毎日聴きに来てるネ。」
青年は苦笑いをしながらギターを受け取る。
「今まで生きてきてさ。」
「ねーちゃん以外の誰かに褒められたの。」
「誰かに褒められてるって実感したの。」
「嫌になるぜ。すげぇ嬉しい。」
少女は青年を抱き寄る。
小さく、嗚咽がする声漏れる。
一対の彫像のように
彼等は身を寄せ合い朝を迎えた。


鮫氷新一は駅前にいなかった。少女はオカモチを抱えたまま、昨日まで彼がいた場所を眺めていた。
一時間、二時間と時が経過していく。あたりに人通りはすっかり無くなってしまった。
バタバタとした足音が少女の耳に届いた。少女が振り返る。
「わりぃ、遅れた。」
鮫氷新一がいつもの場所に立ち、ギターを構える。
「小龍包、冷めたネ。」
「責任持って全部食べさせていただきます。」
「新一、対馬君達に聞かせてきたカ?」
「ああ。」
「最高の友達だって確認してきた。」
少女が一つ頷く。
「次は私に聴かせて欲しいネ。」
「勿論、これを聞いたら。豆花が『鮫氷君ステキー彼女にして欲しいネ』って言い出すの間違い無しだ。」
「宇宙の始まりまで遡ってもありえないネ。」
「段々酷くなってないか俺の告白成功率。」
少女と青年が小さく笑い合い、二度、三度、青年がギターの調子を確かめる。
「豆花。演奏する前に言いたい事があるんだ。」
続きを促すように、小首を傾げる。


「東京に行く事にした。学校を辞めて。」
怒るべきか、驚くべきか、悲しむべきか、判断に迷った挙句その三つが混在した不可思議な表情になる少女。
「ななななななななな何を言うてるカ!?冗談ネ!?」
「本気だ。」
「スバルが別れ際に言ったんだよ。」
「『友達は対等であるべきだろう。なら、俺もカニに見合うものを手に入れなきゃな。』ってさ。」
「何だかずっとあいつらに置いていかれた気がしてた。」
「でも、置いていかれるのが寂しいからって、拗ねててもしょうがない。そう、教わった。」
「俺にはギターしかない、だからギターであいつらを追いかけて、追いついてやる。」
「つ…対馬君達には。」
「言ってない。引き止められたら、俺は行けなくなる。だから言わない。」
「馬鹿ネ。」
少女が涙を流しながら奇妙に崩れた微笑を浮かべる。青年は優しく、本当に優しく笑いながら涙を流した。
「東京は遠いネ。」
「すぐ近くだって。何なら毎日でも帰って来ちゃうよ。」
「いつも横にいた人がいなくなる。とても遠いネ。」
青年は何も言わず、ピックを握り手に力を込めた。
青年がギターを奏でる音が人気の無い駅前にどこか物悲しく響き渡った。


「皆さんに残念かつ意外なお知らせがありますわ〜」
「本日付でフカヒレさんが退学なされました。」
教室がどよめきで満たされ、それを窘めるようにオウムの土永さんの声がする。
「まぁまぁ、落ち着けヒヨコども、我輩は…」
少女はそれらの声を聞き流しながら、何を見るでもなく宙を見ていた。
やがて授業が始まり、ざわつく教室の空気を感じながら机の中から教科書を取り出す。
カチャリ、と音を立てて何かが落ちた。身を屈め拾い上げる。
見覚えの無いカセットテープ。
ラベルには下手糞な字でこう書かれていた。
「最見……………字、間違えてるネ。」
クスリ、と小さく笑い。呟いた。
「再見、新一。」
〜FIN


(作者・名無しさん[2005/09/04])

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