それは突然やってくる。 最近はなかったのに。 もう解放されたと思ったのに。
どれだけ一日が楽しく過ぎても、何の予告もなしにやってきては、僕の心を蝕んでいく。
あの頃の忌まわしい記憶だ。
薄暗い部屋でたった一人、すすり泣いている僕がいた。
まだ小さい時だったけど、あそこで育った事は絶対に忘れる事ができない。
そして今日も、僕はあの頃の夢を見てしまうんだ。
「さぁ、千春君。 今日も私とお勉強の時間だよ」
「あ…ああ……こ、来ないで…」
小さい時の僕が、ものすごく脅えた目をして、あの忌々しい男を見ていた。
逃げようとしてもここは部屋の中、逃げ場なんてどこにもない。
「何を言ってるんだ、千春君。 ああ…可愛いなぁ……」
そう言って男は、小さい僕を捕まえて、ゆっくりと服を脱がしていく。
「や…や……やめて!」
払いのけようとした手が、男の頬を叩いた。
「…テメェ、何しやがる!」
そして小さい僕を何度も殴りつけた。
一通りの暴力が終わると、ぜぇぜぇと男は息を切らして言った。
「ああ、すまないねぇ、千春君。 でも、君がいけないんだよ? 私を叩いたりしたらダメじゃないか」
そして、男はおもむろに下着を脱いでいく。
「さぁ、今日もお勉強をしようじゃないか…」

「うあぁぁぁぁぁ!! はぁ、はぁ……」
そこで目が覚めた。 あれ以上見続けるなんて、おぞましいにもほどがある。
全身は嫌な汗でびっしょり。 寝ていたはずなのに、ものすごい疲労感が全身を覆う。
「また…あの夢か……」
どうしてなんだろう。
もうあそこには誰もいないはずなのに。
もう過ぎ去ったことなのに。
どうして思い出してしまうんだろう…


ベニ公のやかましいドラの音で目が覚めた。 今日の天気もよさそうだ。
いつものように執事服に着替え、身だしなみを整えてから1階に集合した。
「ん? おい、ハル。 朝から元気がないな」
皆が気合の入った顔をしている中、ハルは何だか憔悴した顔をしていた。
昨日はあんまり寝れなかったのかな?
「え? い、いやぁそんなことないですよ」
腕をブンブン振り回して元気のよさをアピールしていたが、やはりどことなく元気がなさそうだ。
俺と鳩ねぇも新参者とはいえ、皆のちょっとした雰囲気の違いとかはわかる。
今日のハルはまさにそれだ。
ん? そういえば…ハルって昔は一体何をして、どこに住んでたんだ?
本人も話そうとしないし、屋敷中の誰も話そうとしていないしなぁ。
まぁ、余計な詮索はしないほうがいいとは思うけど…
朝食の時に、それとなくベニ公とナトセさんに聞いてみることにした。
「なぁ、ベニ公とナトセさん。 ハルの奴、やっぱ様子がおかしいよな?」
「んー、そうね。 ま、たまにあることよ。 そういや、アンタ達が来てからなかったわね」
「そういえばそうだね。 何だか、夜中にうなされてるみたいだったよ」
「つーことは、嫌な夢でも見たってことか」
「ま、そーいうことね。 そんなに気にすることじゃないわよ」
うーむ、やっぱりそんなもんなのかな?
やっぱ俺としては、アイツも俺を頼っている事だし、何とか力になってやりたいけどなぁ。
ちらりとハルのほうを見たが、やっぱり元気がない。
「おい、ハル。 手が止まってるぞ。 食わねぇと力が出ないぞ」
「へ? あ、いやぁ、その…ちょっと食欲がなくて。 あははは……」
やっぱり気になる…どうかしたのかな?


元気のなかったハルだが、いざ仕事となればいつもの通りに戻っていた。
今日も元気に、汚れを見つけては超がつくほど念入りに落としていた。
やっぱり俺の勘違いなのだろうか?
昼飯の時もベニ公にからかわれてピーピー言ってるし。
一日、ハルのことをそれとなく見ていたが、結局どうということはなかった。
そして、晩飯が終わって…
「さーて、風呂にでもするか」

ガチャリ

「また来やがったな、このボケナス!」
ベニ公が着替え中で、ドアを開けた俺に鉄拳パンチ! しかし、俺もただのバカじゃないぜ!
「見切った!」
「なにィ!?」
屈んでパンチをかわした。 しかし、体勢を低くしすぎたのか…
「!?!?!?!?」
ベニ公の股に俺の顔がモロにくっついた。
「…さ、さて、そんじゃ俺はお祈りに行く時間だから失礼するぜ」
さすがの俺も今回だけは、何とかごまかして逃げようとしたが…
「い…い……いっぺん死ねーーーー!!!!!!!」

ボグシャーン!!

近くにあった予備の桶で思いっきり殴られた。
さすがの俺も今回は、意識が遠のいていくような感覚に見舞われた。
ああ…この世で最後に見たものがベニ公の股だったなんて…
どうせなら…は、鳩ねぇの…ほうが……


「う、うう…」
「あ、気がついたみたいですよ、ナトセさん」
「本当だ。 大丈夫、レン君?」
「こ、ここは…?」
辺りを見回したが、どうやらここは俺の部屋らしい。
「びっくりしたよ。 ベニのすごい怒鳴り声がして何かと思ったら、レン君が廊下で倒れてたから」
「で、レン兄の部屋に運んだというわけです」
「そうだったのか…あれ、鳩ねぇは?」
「今、ベニと一緒にお風呂に入るって言ってたよ」
ナトセさんがやれやれといった表情で言った。
「あれこそまさしく、鳩が鷹になる瞬間なんですね…」
何だかハルはガクガクと震えていた。

「や、やめ…こら、ハト!」
「ベニちゃんはイケナイ子ですねー。 レンちゃんをたぶらかそうとするなんて…」
「アホか! 仕掛けてきたのは下男のほうだっつーの!」
「そんなベニちゃんには、私も性的なおしおきをしないといけませんねー?」
「ひゃうっ! そ、そこは…森羅様にしか…触られたことない…のに……」
「うふふ、こうしてみるとベニちゃんもなかなか可愛いですねー。
 もちろん、レンちゃんには負けますけどねー」
「や、や、やーめーろー!! あ、ああぁ……ん…」

「まぁ、ゆっくり寝ておきなよ。 それじゃ、私は部屋に戻るから」
「うん、ありがとう。 ハルも行けよ。 俺はもう大丈夫だからさ」
「そうですか? それじゃレン兄、おやすみなさい」
ナトセさんとハルは、そう言って俺の部屋を後にした。


「うーん…寝苦しいなぁ……」
夜中の2時だってのに、目が覚めてしまった。 よく考えたら、俺って風呂に入ってないじゃん。
さわってみると、体のあちこちがベタベタする。
「仕方ない、ちょっと汗を流すか…」
部屋を出て、風呂場へと向かう。 ドアを開けるときに注意したが、やっぱりベニ公はいない。
しかし、どうやら先客がいるようだった。
「これは…ハルか?」
男物の服が床のあちこちにちらばっていた。 サイズが小さいから大佐でないのは確かだ。
となると、もうハルしか該当する奴はいない。
「おーい、ハル。 入ってるのかー?」
ドアの外から呼びかけてみる。 だが返事はない。
まさか湯船の中で寝てるってことはないよな? だとしたら、アイツ何時間風呂に入ってるんだ?
「おい、ハル!」
心配になって、勢いよくドアを開けた。
中にいたハルは…シャワーを浴びながら小さくうずくまって震えていた。
これは明らかに様子がおかしい。 何かの発作か?
「ハル! ハルってば、おい!」
小さく顔を上げたハルの目の下にはくまができて、目も真っ赤になっていた。
「あ…レ、レン兄……み、見ないで!」
ハルはそう言うと、俺に背中を向けてしまった。 しかし良く見ると、ハルの背中には無数の傷跡が…
「お前…その傷は……」
「うっ! そ、その…ご、ごめんなさい!!」
ハルはびしょ濡れのまま、風呂場を飛び出していってしまった。
ちらばっている自分の服もそのままにして。
「どうしたってんだ、アイツ…」
心配になったので、ハルの部屋まで行ってドアをノックしてみた。
「ハル? おい…」
「ご、ごめんなさい…レン兄……一人にしてください…」
ドアの向こうから涙まじりの弱々しい声が返ってきた。


やっぱり今日もハルは元気がなかった。 せっかくの日曜日だってのに。
ちなみに、ベニ公も元気がなかった。
「ハ、ハトに…陵辱された……」
みたいなことをブツブツ言っていた。
そんなことより、ハルが心配になって話を聞いてみようとしたが、ハルは俺を避けるかのような行動をとっていた。
「これは心配だ…夢お嬢様の専属なんだし、夢お嬢様なら何か知ってるかもしれないな」
俺は夢お嬢様の部屋へと行ってみた。 中では何やら妄想にふけっているお嬢様がいた。
本人から『ぽわーん』という擬音が聞こえてきそうだ。
「えへへ…舐めるように綺麗にするんだよ…舐めるように……」
「おーい、お嬢様ー?」
「わうっ! な、なんだぁ…脅かさないでよぅ。 何か用事なのかな?」
「ええ、実はハルのことで…かくかくしかじか」
「ほうほう、なるほど…」
しかし、お嬢様は困った顔をして見せた。
「残念だけど、私からは何も言えないよ。 ハル君って、自分のことを話そうとしないんだよ。
 ナトセさんや朱子さんのことなら知ってるけど、ハル君はちょっと…わかんないや」
うーむ、ご主人様である夢お嬢様にすら話していないとはな。
だとしたら、後は…

「それで私の元に尋ねにきたと言うわけか、小僧」
「ああ。 大佐なら何か知ってるだろうと思って。
 いくらこの屋敷で働いてるのがワケありばかりとは言え、一応事情は聞いてるんだろ?」
「まあな。 ふむ…教えてやらんでもない」
「本当か!?」
「だがな、小僧。 あ奴のことを思うのであれば、あ奴本人から聞くことだな」
「え?」
「悲しい過去を乗り越えねばならん。 それは人が成長する過程で最も大切な事の一つだと私は考えている。
 これは試練だと、本人に受け止めさせなくてはならんのだ」
ハル自身の口から、か…


夜、風呂からベニ公とナトセさんが出て行ったのを確認してから、俺はハルの部屋を訪れた。
「おい、ハル。 お前、風呂まだか?」
「え? ええ、まぁ…」
「よし、じゃあ一緒に入るか」
「え、ええ!? い、いいですよ。 僕は一人で…」
「いいから来いっての!」
嫌がるハルを部屋からズルズルと引きずり出し、風呂場まで引っ張ってきた。
「ふー、今日はよく動いたからなぁ。 ホレ、お前も脱げよ。 俺がお前の背中を流してやる」
「で、でも…」
「いいから!」
俺は無理矢理ハルを脱がした。 男の服を脱がせる趣味はないが、今は我慢しよう。
やはりハルの体には、無数の傷や火傷の跡のようなものがあった。 とりあえず俺はハルを背中を向けて座らせた。
「レン兄…その…」
「何も言うな。 黙って背中向けとけ」
お湯をかけて、石鹸を擦りつけたタオルでハルの背中を擦っていく。
ハルは何も言わない。 俺も何も言わない。 風呂場は完全に静まり返っていた。
「よし、お湯かけるぞ」
ざばっと桶のお湯をかけ、そして今度は俺がハルに背中を向けた。
「そんじゃ次は、ハルが背中を流してくれよ」
「レン兄…し、失礼します」
今度はハルが俺の背中を擦りはじめた。 俺は何も言わなかったが、ハルはゆっくりと、その口を開いた。
「レン兄…驚かないんですか?」
「何が?」
「だって、僕の体の傷のこと…」
「聞かねーよ。 それに、俺だって傷だらけだもんな。 ただ、お前から話すってんなら別だけどな」
「え…」
「ま、一応言っておくなら、誰かに話すことで楽になるってことはあると思うぞ」
「レン兄、やさしいんですね……僕…うっ、うっ……」
俺の背中を擦ったまま、ハルは涙を流した。 何だか俺もつらい。
もらい泣きをしてしまいそうだった。


そんな日が何日か続いた。
俺はハルから話すのをじっと待って、夜は必ず一緒に風呂に入るようにした。
裸同士の付き合いなら、ハルも腹を割って話してくれるのではと思ったのだ。
そしてある日の夜、ハルが俺の背中を流している時、とうとう言ってくれた。
「あの…お話、してもいいでしょうか? 僕の昔のこと…」
「ああ。 聞いてやるよ」
ついにハルの口から、その言葉が出てきた。 その言葉をどれほど待っただろうか。
俺とハルは湯船につかった。
「僕は捨て子だったんです。 それでずっと、教会で育てられました。
 そこの神父さんは捨て子を見ていられないということで、僕を含めて何人かの子供が一緒に住んでいました」
ハルは自分の昔のことをゆっくりと語り始めた。
「神父さんはとってもいい人でした……あくまで表面上では、ですが」
「何?」
湯船のお湯を手ですくい、自分の顔にかけるハル。
「その神父さんには特殊な性癖がありました。 その…子供に対して……」
「マジかよ…」
「はい。 夜な夜な子供を部屋に連れては、そこで……
 抵抗しようとしたりすると、容赦なく暴力でねじ伏せるんです。 ほら、僕の体も……」
そう言うと、ハルは左肩の火傷の跡を見せた。
「これは、火のついたままのタバコを押し当てられたんです。
 お腹や背中にも、いっぱい殴られたりした跡が…」
「ハル…」
ハルは肩の傷を手で擦った。
「とれないんです…いくら家の汚れを落としたって、僕の沢山の傷は落ちないんです…」
ハルの目からは涙が出てきた。
「特に神父さんは僕のことがお気に入りでした。 神父さんの部屋で、何度も何度も…
 そのたびに僕は、何度も死のうと思いました。 だけど、僕は生きたかったんです。
 生きていれば必ずいいことがあるって本で読んだことがあって、ずっとそれを自分に言い聞かせてました。
 今はこんな人間らしい生活なんてできなくったって、きっといつかは…」
自分の涙をぬぐうと、さらに話を続けた。


「やがて、僕と同じ目にあっていたある子がついに行動を起こしました。
 神父さんに呼び出されたとき、隙をみて神父さんを包丁で刺したんです」
「!?」
「そしてその子は、部屋のいたるところに灯油をまいて火をつけました。
 でも、その子は死にかけの神父さんに道連れにされて…
 その一件で、僕達は一瞬で住む場所を無くしました。 教会も何もかも、全部灰になっちゃいましたから。
 みんな離れ離れになって、僕もボロボロになって途方にくれていたところを、大佐に拾われたんです」
「そうだったのか…おっと、のぼせちゃいけないな。 出るか」
俺とハルは湯船から出て、体をふいていた。 そして、長い沈黙の後、ハルはまた話し始めた。
「…これでわかったでしょう。 僕は汚れてるんです。 多分、この屋敷の中で誰よりも一番……」
ハルはそう言うとうつむいてしまった。 俺はそのハルの顔を無理矢理あげさせて…
「お前…ていっ!」
ハルの頬を叩いた。 パシンッ!といい音が響いた。
「い、痛い! レン兄…」
「お前な…バカだよ……ここの人達は、いい人だってわかってるだろ?
 ベニ公やナトセさんだって、辛い過去があっても、森羅様達がしっかりと面倒見てくれてるだろうが。
 そんな過去を持ってるぐらいで、へこんでるんじゃねぇよ。 俺だってな…」
「…レン兄?」
「とにかくだ、お前のことはよくわかった。 辛いのもわかる。 だからって、ウジウジするなよ。
 どうしても辛くて仕方がない時は…俺が胸かしてやるさ。 思いっきり泣けよ。
な?」
「レン…兄……ぼ、僕…うわぁぁぁぁん!!」
ハルは俺の胸に飛び込んで泣いた。 これでもかと言うぐらいに。 今までの辛さを全部洗い流すように。
「わぁぁあぁあぁぁぁ…」
「今まで…つらかったろうな……」
そのまま俺がハルの頭をなでている時に…


「歯磨き忘れてたわー。
アタシとしたことが、雅じゃないわねー」

ガチャリ

「ア、アンタ達、何で裸で抱き合ってんの…?」
「あ、朱子さん…その……」
「いや、それはだな…これには深い事情があって……は、ははは…」
「……邪魔してゴメン。 そんじゃ」

バタン

「うわー! 待て! 誤解だって!!」
「そ、それはないですよ朱子さぁん!」
「あー! あー! あー! アタシは知らない! 何も知らない!」
そのままベニ公は部屋まで大急ぎで戻っていった。
俺もそれを必死で追いかける。
「誤解だって! まずは落ち着いて俺の話を…」
ベニ公の部屋の前まで到着し、そのままドアを開けた途端、腰に巻いていたタオルがはらりと落ちた。
「だからさぁ、あ……」
俺の息子がベニ公に向かってこんにちわをしてしまった。
「ちょっと! ハルとヤれなかったからって、今度はアタシか!?」
「ま、待て! 俺の話を…」
「近づいてくんな! つーか出てけー!!」

ボクシャーン!!

その後、気絶した俺はまたもやナトセさんとハルに部屋まで運ばれた。
「レン兄、本当にありがとうございました。 なんだかもう、あの夢にうなされないような気がします」
目が覚める直前、そんな声が聞こえたような気がした。
ハルのことをちょっとだけわかってやることができた、そんな夜だった。


(作者・シンイチ氏[2007/08/24])

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