今日は六月だと言うのに空に雲ひとつ無いせいか日差しも強く、空気も乾燥している。
 お昼前にともねえが「砂埃が舞っちゃうと、せ、洗濯物が汚れちゃうからな」と
言って庭に水をまいていた。
 お昼ごはんの片づけを終え、雛乃姉さんの部屋で待ったりお茶でもご馳走になろうかと
部屋に向かったところ、当の雛乃姉さんが縁側でマルをひざに乗せ、なにやら難しそうな
顔をして考え事をしている。
「雛乃姉さん、どうも」
 俺が話しかけるとようやく気が付いたように「おお、くうやか」と、返事をした。
「どうしたんですか? 難しそうな顔をして。何か考え事でも?」
「ああ、いや……うーむ……」
 俺が聞くと、再び難しい顔をして考え込んでしまった。
「ギュウギュルッギュッギュギュー(ひなのんにもプライベートってもんがあるんだよ!
空気も読めないのかよこの短小!)」
 白い塊がなにやら言っているようだが、そこは大人の余裕で華麗にスルー。
「ギュッギュー(無視すんなよ!)」
「まぁ、待てまるよ。そうだな、我一人で考えていてもあまり進展がないような
気がするしなぁ。思い切ってくうやに話してもいいかも知れぬ。
くうやよ、我の隣に座れ」
 姉さんが自分の隣をぽんぽんと叩く。
「はい、じゃあ失礼します」
 雛乃姉さんの隣に座ると、マルが俺を威嚇するように歯をむき出しに睨んできたが、
姉さんにピシッと扇子で叩かれ、
「まるよ、少し向こうに行っておれ。お前がいると話が進みそうに無い」
「ギュルギュル〜(そっ、そんな、マジかよ!? ひなのん〜)」
と悲しそうにどこかに飛んでいった。
「夕飯までには帰るのだぞ!……さて、と」
 マルを見送った姉さんが俺のほうに体を向けて改めて座りなおした。
「で、なんなんです? 悩み事は?」
「うむ、悩み事……とはちと違うような気もするが……まぁ、悩み事か。
昨晩、我が神主に呼ばれて霊と話をしに行ったのを覚えているか?」
「はい、何だかどこぞの空き家で子供の幽霊が出るって言ってた奴ですか?」
「うむ、その事なのだがな……」


 姉さんは幼い頃から最近まで病気で長い事臥せっていた。
 長い長い病魔との戦いの内に姉さんは幾度と無く生死の境をさまよい、そのうちに
『この世の者ではない者』を見ることが出来るようになってしまった。姉さんの外見が
幼いのも、病魔との闘いのせいだと言える。
 病気を克服し、以前より体が丈夫になった今では、バイト先の神社の神主からたまに
「除霊」を頼まれる事がある。
「除霊、とは言っても、我がするのは霊の話を聞いてやり、憂さを晴らすのを
手伝うだけだからなぁ。除霊、とはちと違うのではないか?」
と、前に言っていた事がある。

「その事って言っても、勿論姉さんの事だから昨日の内にその幽霊は成仏したんですよね?」
「いや、それがな……うまく行かなかったのだ」
「!!! ……へぇ」
 なかなかに驚いたが、声に出すと何だか悪いような気がしたので平静を装った。
「珍しいですね。で、その幽霊はどうなったんですか?」
「うむ、また今夜会う約束をしたんだが、その時までに答えを見つけなくてはいけないのだ」
「何の答えです?」
 聞き返すと、姉さんは少し悲しそうな顔をして答えた。
「……その子は我と似たような境遇でな、我の場合は助かったが、その子は……」
「ダメだった、わけですね」
「うむ」
「何故その子は助からなかったか、の答えですか?」
「いや、どうやって我が病魔を克服したか、という話になった時にな、
我は『助かったかどうかは問題ではない、助かろうとそうでなかろうと、如何に自分や
周りの人間ががんばったかが重要なのだ』と言ったらな、『じゃあお姉ちゃんと違って家族が誰も
心配してくれなかった分、僕は運が無かっただけなの?』とな」
「実際、そういう運に恵まれて無かっただけなんじゃないですか?」
「そういうのは簡単であるが、それでは逆に悲しませてしまうだけではないか。
『運が無かっただけで死んでしまった』で納得して成仏できる奴などいるわけないだろう。
我もしまったと思った。今日の午前中に近所で話を聞いて回ったのだが、実際その子の親は
仕事ばかりに夢中になって、わが子をあまり省みずに、葬式もまるで厄介ごとを済ますように
ぱっと終わらせてしまったようだ」


 話を聞いていて気の毒になってきた。
 病床に臥せっていたのだろうから勿論外に出ることもかなわず、
「こいつにパスタを食わしてやりたいんですがかまいませんね!?」
と、気にかけてくれる友達に出会うことも出来なかったんだろう。
「どう……するんですか? 今夜約束したって……」
「それでさっきから悩んでおるのだ」
 太陽が夏のようにぎらぎらしている。
「うむ、まぁ、どうにかなるかもしれないなぁ……そのためには、お前の助けが必要だがな、くうや」
「えっ? 俺のですか?」
 驚いて俺が聞き返すと、姉さんはスッと立ち上がり、
「今夜夕飯を食べ終わった後、すぐに出るぞ。片付けはともえに任せておけばよい」
と、言うと部屋に戻っていってしまった。
 ……

 夕方になるといつもより早めにともねえが夕飯の準備に取り掛かった。
 俺が気が付いて手伝いだすと
「ご、ごめんな空也。雛乃姉さんに頼まれたから、今夜は早めに支度することにしたんだ」
 早めの夕食を皆で済ませ後片付けをともねえに頼み、雛乃姉さんと玄関で人力車に乗り込む頃には、
日もほとんど地平線の向こうに沈み、辺りは薄暗くなってきていた。
「雛様! 今夜はどちらまで行きましょう!?」
「昨晩と同じ空き家に頼む」
「へい! わかりやした!」
 人力車が動き出したせいか、生暖かい風が頬をかすめるようになった。
 空を見ると昼間は雲ひとつ無かったのに、雲が顔を出したばかりの月を早くも覆い隠そうとしている。
 その生暖かい風も、目的地の空き家につく頃には冷たい風に変わっていた。
「つきやしたよ」
「うむ、ご苦労。これで二時間ほどどこぞで酒でも飲んで来い」
 そう言った雛乃姉さんは財布からお金でも出すのだろうと思っていたが、出てきたのはいつもの飴だった。
 何で酒を飲めと言って出てくるのが飴なんだろうか。
「恐悦! では二時間後にお迎えに上がります!」


 人力車の兄ちゃんが去った後に雲の隙間から顔を出した月に照らされた家を見ると、
屋根の瓦はところどころ剥がれ落ち、雨戸や障子戸は無く、庭の草木も荒れ放題だ。
 いかにも「出る」という感じのボロ屋。
「なんか、思ってたよりも凄いところですね」
「我は昨日も来ているからな。それほどに驚く事でもあるまいよ」
 庭先でそんな事を話していると、ぽつぽつと雨が降り出してきた。
「ふむ、これは早く中に入って来いということなのかも知れぬな。くうやよ、行くぞ」
「はい」
 家の中に足を踏み入れると、外から見たよりかも中はもっとひどかった。
 ところどころ床に穴が開いていて、そこらじゅうの床板が反り返っていた。
 穴にはまらないように、床を踏み抜かない様に慎重に懐中電灯を持った姉さんの後をついていく。
 いろんなところが雨漏りしているせいで、そこらじゅうでぽたぽたと水音がして気味が悪い。
 昨晩は姉さん、ここに一人で来たんだよな……さすがというかなんと言うか……
「この部屋だ」
 姉さんがドアの前で立ち止まって俺の顔を見る。
 姉さんに頷き返すと、姉さんは懐中電灯の明かりを消してドアを開けた。
 部屋の中からじめじめとまとわりつく様な空気が流れ出てくる。
 一歩足を踏み入れると、部屋には骨組みだけになったベッドが一つのみ。
 そのベッドの上が、ぼぅっと白くぼやけて見える。その白いもやがゆらりと揺れたと思うと、
「ちゃんと来来来たんだね……」
と、もやが頭の中に直接話しかけてきた。
「我が約束を破るとでも思ったのか?」
「……この人は誰誰誰?」
「こやつは我の弟だ。くうやという」
「ふーん……」
 何かは分からないが、体中をじろじろと見られている感覚がする。口には出さないが気味が悪くて
今にも逃げ出したい気分だ。
「で、やっぱり僕は運が無無無無無無無無無かっただけなの」
「そのことなのだがな……」
 姉さんが俺を一瞥して続ける。
「こやつにもお前の境遇を話してやってくれないか?」


「……いいよ」
 もやの話は大体雛乃姉さんから聞いたとおりだった。
 生まれた時から病弱で、外に出ることは出来ず、両親は冷たく家を空けがちで、
友達を作ることもかなわず、失意の内に死んでいった。葬式は質素なもので、
両親は墓参りにも訪れず、すぐにどこかに引越し、この家はあれ放題。
「これが僕僕僕僕の人生生生」
 ここまで聞いて、少し不思議に思ったことがある。
「どう?やっぱり僕は家族に恵恵恵恵恵まれなかったから死んだの?
そういう運運運が無かっただけかな?」
「ひ、一つ、聞いてもいいかな?」
 緊張して声がうまく出なかった。
「うん」
「君が生きていた時、誰が君の世話をしていたんだ?」
「家政婦さん。僕僕の家はお金持持持ちだったから」
「その家政婦さんは、良くしてくれなかったのか?」
「良くしてくれたよ。優優優優しい人だった。でも僕の親じゃないないないないないない」
 白かったもやがだんだん赤くなっている。
「親じゃなくても、良くしてくれた人がいたなら、何でそんなに絶望してるんだ?
その人の励ましは、助けにならなかったのか?」
「血血血血血血血血血血血血血血血血血血血血が繋がってないないないない」
「血が繋がってるのがそんなに大切かよ」
 俺が吐き捨てるように言うと、
「生きてて家族に囲まれてるお前に何が分かる!」
 今までぼんやりと頭に直接話しかけていた声が、
恐ろしいほどの低音で、ビリッと空気が震えるほどはっきりと耳に聞こえた。
 もやも今では赤黒く輝いている。
 ヤバイ、怒らせたか?
「まぁまぁ、二人ともそう熱くなるな。飴でもなめて落ち着け」
 今まで一歩下がって様子を見ていた姉さんがするすると前に出てくると、
俺ともやに飴を一個ずつ渡した。イチゴ味だ。
 もやも飴をなめたのか、だんだんと色が白に戻っている。この飴凄いな。


「ごほん」
 姉さんが咳払いをして俺達の注意を引き、話し始めた。
「実はお前には言ってなかったが、このくうやは我の弟ではあるが、血は繋がっていない。
我等姉妹の中には片親が違うものもいるが、このくうやにおいては全くの他人だ。
血の上だけでの話ならばな」
 姉さんが俺のほうを見て頷く。続けろと言うのだ。
「……俺の家族は皆俺によくしてくれている。皆俺より年上で、姉さんばっかりで、
親父はどうしようもない馬鹿で、母さんは亡くなったけど良くしてくれた。
一時期は血の繋がりも無い俺がこの家にいても良いんだろうかと思ったこともあったけど、
そういう事を口にするたびに誰かに怒られた。そんなことは関係ないってな。
俺は、家族であるためには血の繋がりというのは必要ないと思っている。
家族であるために必要なのは心の繋がりだ。精神の繋がりだ。
少なくとも俺は姉さんたちの家でそう学んだよ。」
 姉さんが更に一歩もやに歩み寄って続ける。
「お前が実の両親にどう思っていたか、家政婦にどのように良くして貰ったか、
聞いた話だけでは我はすべてを知る事は出来ない。しかしその話の中だけでも、
我はお前と家政婦殿の心のつながりを感じたぞ。両親は墓参りに来ずとも、その家政婦殿は
来てくれているのではないか?」
「……」
 もやが静かにゆれている。
「……まぁ、それで満足するかどうかはまた別の話であるな。我も霊魂が成仏したら
その先はどうなるかは分からん。だがもし、お前が再びこの世に生を受けることがあって、
今回の事を覚えている事があったら、我等の所に来い。その時は、な」
「そうですね。その時は一緒に遊ぼうぜ」
「それで満足は出来ぬか?」
「……わかった。成仏仏仏してみるみる」
「うむ、では、我の舞を見て逝くが良い」
 姉さんが静かに鎮魂の舞を踊る。いつ見ても見事な舞だ。暗い家の中で、姉さんの周りだけ
輝いて見える。
 俺がそんな姉さんに見とれていると、いつの間にかもやは消えて、外の雨の音が聞こえてきた。


「どうやら行ったようだな」
「そうですね」
 姉さんが懐から懐中時計を取り出す。
「思ったより早く終わったな。人力車が来るまでまだ時間があるぞ」
「姉さん、一つ聞きたいことが」
「何だ?」
「姉さんは最初からこうなるって予想して俺を連れてきたんですか?」
「たわけが! 我を誰だと思っている!」
 姉さんが俺の手をピシャリと扇子で叩いた。
「柊雛乃であるぞ! このぐらいのこと計算できずに、柊の姓が名乗れるか!」
「さ、さすが姉さんですね」
「そうであろ? 我はこんな感じで弟からも尊敬されてしまうからなあ。いつすかうとが来るか
いつもはらはらして過ごしておる。まぁその時はお前達のことは決して見捨てたりはしない。
むしろ……」
 この後一時間半にも渡り姉さんの未来のヴィジョンについて聞かされた。
 でもこう言う話をしている時の姉さんは本当に楽しそうだ。
 やがて人力車の兄ちゃんがやってきて、俺達を拾って家に向かう事に。
 その途中、人力車の上でふと姉さんが
「くうやよ、あまり褒められたものではなかったが、今夜はまぁ、よくやった。飴をやるぞ」
 笑顔で飴をくれる姉さんを見て、この人の弟で本当に良かったと思った。
 家に着く頃には、雨が止んで月が再び顔を出していた。


(作者・SSD氏[2006/06/11])

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