私は六月の雨があまり好きではない。
 雨が降ると涼しくなるどころか、むしろ蒸し暑くなってしまい閉口する。
 この時期から秋口まで、部屋に居る時も事務所に居る時も、エアコンをフル稼働させる。
「はぁ〜、やっと寒い冬が終わって春が来たと思ったら、また寒さの中に逆戻りなんですねー」
 田舎にはエアコンなんてありませんでしたからと、
いるかが震えながら仕事をするのは、事務所ではある種夏季の風物詩になっている。
「そんなに震えるほど寒いかしら?」
と、私が聞くと
「寒いですよー。スーパードルフィンいるかちゃんは常にホットですから、
気温が低いとダメなんですー。お姉様は自他共に認める『氷の弁護士』ですから、
暑いのが苦手で、寒いのが平気なんですよ」
 暑い寒いと言うのは、自分の体温と外気の温度差の感覚。
 外気温が体温を超えない限り、差が開くほど寒く感じる。
 体が温かく室温との差が激しいいるかのほうが、体の冷たい私より寒く感じるのは当然だ。
 色々な過去の悲しい別れが、私の体だけでなく、心までも氷にしてしまったのかもしれない。
 だから暑さに弱い私は、雨の陰鬱さも相成ってこの時期が嫌いだ。
 ……


 今日は朝から空を厚い雲が覆い、見た目はとても寒々とした印象を与える。
が、休日の遅めの朝食の雰囲気は折からの気温と湿気でどこか重苦しい。
「ふむぅ、今日も暑いな……」
「ほんっと、この時期ってジトジトしてて、嫌な感じですよね。雛姉さん」
「嫌な感じ度なら、高嶺お姉ちゃんだって負けてないよ〜」
「ちょっと、何よその頭に来る度数!?」
「気にしないで〜(・ε・)」
「これ、たかね、うみ、二人ともやめぬか」
「天気予報だと、雨は降らないって言ってるね。今日ワタシ、集会があるんだけど、
これじゃあみんな集まんないだろうなぁ」
「(ネコさんの集会かな…?)私もごっ、午前中にお買い物に行くことにするよ。
今日は買出しがいっぱいあるから、雨降ったら困るし…。
 洗濯物は念のため家の中に干すけど、みんな、ごめんね」


 朝食が終わると各自自室に散らばっていく。
 私は今度はお昼までエアコンの効いた部屋で寝ようと、自室に戻った。
 ……

 雨の音で目が覚める。
 窓から外をうかがうと、結構勢いのいい降りっぷりだ。
 気象庁もいい仕事をしてくれるものね。
 時計に目をやると、十一時をだいぶ回ったぐらいだ。
 ふと、朝食の時巴が午前中に買い物に行くと言っていたのを思い出した。
 軽く服を着て居間に下りると、洗濯物の暖簾の向こうで姉さんと高嶺が何か話している。
「どうであったか?」
「うん、やっぱりバイクは車庫にあったわ。巴姉さん、歩きで買い物に行ったのね」
「今日はたくさん買う、みたいな事を言っていたからなぁ。手もふさがっていよう」
「巴の、ことですか?」
 私が話の途中で割って入ると、二人は少し驚いたようにこっちを見た。
「ああ、かなめか。うむ、ともえがまだ帰らんのでな、どうしようかと相談していたのだ」
「それなら、私が迎えに行きますよ」
「おお!行ってくれるか、かなめよ」
「……はい」
 少し間を空けて、一回玄関のほうを見てから返事をすると、
姉さんは眉間にしわを寄せて、
「かなめ、お前、もしかするとまだ……」
「いえ、姉さん、その件については吹っ切れましたから。」
 それだけ返事をして、玄関に向かった。後ろで姉さんの呼ぶ声が聞こえたが、
聞こえなかったフリをして振り向かなかった。
 そんなつもりは無かったのだけれど、少し間を空けて返事をしたことで、姉さんには
まだ私があの事、あの人を飛行機事故で失った事を気にしていると思わせてしまったようね。
 そんな事は無い、もうあれから一年も経ったのだし、すでに気持ちに区切りをつけた……はず。
 玄関を出て傘立てを見ると、巴の傘も残っていた。
 あの子、傘持たないで買い物に行ったのね。


 車を出そうかとも思ったけれど、何となく運転する気分ではなかった。
 それに商店街へは車だと駐車スペースなど、何かと面倒くさい。
 右手で自分の傘をさして、左手に巴の傘を持って雨の中を商店街へ向けて歩く。
 巴は多分、途中のどこかで雨宿りでもしているんだろう。
 まだ歩き始めて間もないと言うのに、服が肌に張り付くようにべったりとし、
木製の傘の柄も心なしか湿っているような気がする。
「本当、蒸し暑いわね……」
 思わず呟き、襟元をぱたぱたと扇ぐ。
 そういえば最近、巴と買い物に行っていなかった。
 一年前、姉さんや妹達は落ち込んでいた私を少しでも元気付けようと、
外に連れ出そうとしてくれた。
 その中でも巴は
「かっ、要芽姉さんと、一緒にお買い物、行きたい……」
と、私に甘えるように、且つ私の面目を保つ形で買い物に誘ってくれた。
 皆の励ましの甲斐あってか、私は何とか精神的に死なずにすんだが、それでも
皆との温度差が少しずつ、確実に広がっていくのをどこかで感じていた。
 皆は暖かく、私はひたすらに冷たく。
 いつしか私も弁護士としての仕事も忙しくなって、励まし無しでも何とか
やれるぐらいにはなった。同時に、巴と買い物に行く回数も減ってしまった。

「かっ、要芽姉さ〜ん」
 不意に声をかけられたほうを向くと、両手に買い物袋を提げた巴が歩道橋の下で
雨をしのいでいた。
 巴の方に歩み寄る。
「馬鹿ね、傘も持たないで」
「あぅ、だって、今日は荷物が多くなるって分かってたから……」
「だったら私か瀬芦里に言えば、手伝ってあげたのに」
「要芽姉さんは寝てるの分かってたし、瀬芦里姉さんはバイクでどこかに行っちゃったから……」
「……何も私も鬼ではないのだから、そう言う時は起こしてくれてもいいわよ。
 ほら、荷物半分持つから、傘を自分で持ちなさいな」
「う、うん。ありがとう、姉さん」
 雨音の中、巴と並んで傘をさして今来た道を戻り始める。


 道々話をしながら歩いていると、巴が頻繁に私の顔を覗き込むような
動きをする事に気が付いた。
 今も巴は私の話を聞き頷きながら、顔色を伺っている。
「〜という事があったのよ。……ねぇ、巴?」
「なっ、何かな? 姉さん」
「私の顔に何かついているのかしら?」
「えっ、あっ、いや、なんでも、何でもないよ」
「嘘おっしゃいな。さっきから私の顔色を伺うように覗き込んで。」
「いやいや、ほっ、本当に、本当に何でもないんだ」
「……ちっ。なんでもいいから言えよ!」
「あうぅ……ごめんなさい」
 巴がしょぼくれて、心なしか一回り小さくなった気がした。
「で、何だというのよ?」
「さっ、さっきから姉さん、話をしながら何となく寂しそうな顔してたから」
「私が?」
「うん。だから、また……あっ、あの事を思い出してるのかなって……思って」
 巴が言う『あの事』とは、飛行機事故で亡くなったあの人の事だろう。
 今日、午前中だけで二回目だ。私があの人の事を未だ吹っ切れてない、と
勘違いをされるのは。
 ……いや、二人の人間に同じ事を指摘されたと言う事は、
実際寂しそうな顔をしていたのかもしれない。
 自分ではあの人のことには区切りをつけたつもりでも、
吹っ切れていないと言うのだろうか?
 吹っ切れたフリをして仕事に没入し、無理矢理にでもあの人の事を忘れようと
醜くもがいていたのだろうか?
 いるかを雇ったのは、いるかで気を紛らわそうとした結果なのだろうか?
 私は未だに寂しいのだろうか?
 未だあの事で家族に心配をかけているのだろうか?
 私はそんなに弱い人間なのだろうか?
 色々考えているうちに自分に腹が立ってきて、自然と早足になり巴との差が開く。


「あぅ、かっ、要芽姉さん! まっ、待って」
 私が急に早足になったので怒ったと思ったのか、巴が私に呼びかける。
が、振り向く気がしない。今振り向くと、私自身どんな顔をしているか分からない。
 顔を見せると、またあの子を心配させてしまうかもしれない。
 更に足を速め巴との差を広める。
 傘にあたる雨音が、さっきより強く聞こえる。
 早足で水溜りを踏むと、泥水が跳ねて靴が汚れた。
 早く家に帰って一人になりたい。
 暑い、蒸し暑くてイライラする。
「要芽姉さん! 待って!」
 すぐ後ろで巴の声がすると、腕をつかまれた。
 そんなはずは無い、巴の両手は買い物袋と傘でふさがっているはず。
 振り向くと、巴が傘も買い物袋も後方にうち捨てて、涙目で私の事を見ていた。
「巴、あなた……」
「かっ、要芽姉さん、ごめんね……う、うぇぇぇぇん」
 巴の頬を伝っているのが、涙なのか雨なのか分からないぐらい、
巴は頭からずぶぬれになって泣いている。
「何を謝っているのよ。あなたは何も悪いことはしていないじゃない」
「わっ、私、要芽姉さんがまだあのこと気にしてるのかと思って心配でっ……ごめんねぇ」
 そう、巴は何も悪い事はしていない。
 彼女はただ私の事が心配なだけだったのだ。
 それを私は自分の弱さにかこつけて、周りを見ずに自分に勝手に腹を立てて、
皆により心配をかけていたのか。
 そして何より、皆がそれほどまでに私の事を気にかけてくれているのが嬉しい。
 巴が私のために泣いてくれるのが嬉しい。
 今なら、皆の心配りが嬉しいと思える今なら、
今度こそあの人の事に区切りをつけられるかもしれない。


「馬鹿ね、傘と買い物袋、あんな所に落として。
あなたもびしょ濡れではないの。風邪引くからほら、傘拾いに行くわよ」
「うぅぅぅ〜」
「何時までも泣いていないで。私は怒ってはいないのよ」
「うぅぅ〜……ぐすっ……うん」
 巴が傘と買い物袋を拾い上げ、私が顔をハンカチで拭いてあげる。
「あ、ありがとう、姉さん」
「いいわよ。可愛い妹だもの」
 そう言って、巴の頬をなでる。
「あは、今日の要芽姉さんの手、何だかちょっと暖かいな」
「あら、そう?」
 雨の合間を縫って、すうっと風が吹き抜ける。
 あんなに蒸し暑く、鬱陶しかった雨が今は涼しく感じる。
 私の心の氷も、解け始めたのだろうか。
「あぅ、卵、割れちゃってる……」
 巴が落とした買い物袋の中を見て、つぶやく。
「卵はまた買いに来ればいいじゃない。
とりあえず、今は一回帰ってシャワーを浴びなさい。」
「うん。そうするよ。」
「それから……」
 雨が少し弱まって、雲の切れ目からわずかに日の光が見える。
「卵を買いに行く時は、私も呼びなさい。付き合ってあげるから」
「うん!」
 巴と再び並んで、家に向かった。
 雨はまだ止んでいないけれど、陰鬱として雰囲気はいつの間にか消えていた。


(作者・SSD氏[2006/05/28])

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