「・・・って事があってさ、恋する乙女は鉄より硬いだって!笑っちゃうよねー。」
 「そう、そんなことがあったの。」
 広い家の中で、私と要芽姉の話し声だけが居間に響く。
 夜も更けて、皆が寝静まった頃に、要芽姉とのたまの酒盛り。
 取り立てて、何を話すわけではない。
 その日にあった面白いこと、日雇いのバイトで気に入らなかったこと、
要芽姉は気に入らない依頼志願者のこと、
新しく見つけたミントアイスのおいしいお店のこと、そんなことを話す。
 二人とも比較的酒に強いせいか、この酒盛りで酔いつぶれたことは無い。
 でも今日は、要芽姉の様子が少しおかしい。
 口数が少なく表情が暗いし、返事も単調で聞いているのかも曖昧だ。
 「・・・あのさ、要芽姉?なんかあったの?」
 「いえ、なんでもないわ。珍しく、少し酔ってしまったみたいだわ。」
 「へぇー、珍しいこともあるんだね。」
 とは言ってみたものの、この要芽姉の沈み具合からして、これはなんかあったね。
 クーヤにでも何か言われたのかな?
 大人ぶってても、勿論私もだけど、要芽姉は脆い所があるからなぁ。
 「私の顔に何か付いているのかしら?」
 「ん!んーん!なんでもないヨ。」
 いつの間にか要芽姉の顔を覗き込んでいたみたい。
 私は要芽姉に深く追求するなんて、野暮なことはしない。
 でも、要芽姉が話す気になったら、徹底的に聞いてあげるんだ。
 要芽姉がぱたぱたと手団扇で自分を仰ぐ。
 「今夜は、少し暑いわね。」
 「そう?私はもう秋になったし、今夜は寒いと思うんだけど。」
 「あら・・・フフフ、どうやら、本格的に酔ってしまった様ね。」
 「酔い覚ましに外でも散歩する?」
 「いいえ・・・瀬芦里、今夜は私が少し沈んでるって思っているのでしょう?」
 「えっ・・・よく分かったね。」
 「伊達にあなたの姉をやっているわけではないわ。
・・・何があったってわけではないのだけれど、・・・あの日のことを思い出してね。」
 「あの日のこと?」


 「お母様が亡くなった日のことよ。」
 「・・・」
 私が柊家に来る前のことだ。
 つい二、三年まで性格が荒れていた私は、
この話題に触れることを無意識に拒絶していた。
 自分だけ母親が違う、共通の思い出が無い。
 言い方を変えれば、この話題から逃げていた。
 「ごめんなさいね。酔ってしまったとは言え、こんな話題・・・」
 立ち上がりかけた要芽姉を引き止める。
 「あのさ!・・・その、要芽姉さえよかったら、聞かせてくれないかな?」
 中腰になったまま、要芽姉がこちらを見て、そのまま座りなおした。
 「そうね・・・。いつかはちゃんと話さなきゃいけないと思ってたし。
いい機会かもしれないわね。」
 「ごめんね、なんか。」
 「フフフ・・・あなたは謝る事はないのよ瀬芦里。」
 寂しそうに微笑んでから、要芽姉は語りだした。


 当時私は小学校の高学年で、雛乃姉さんはまだ病状が回復せず、
起き上がることもままならならず自宅療養。
 特殊な病気にかかっていたお母様は自宅療養では間に合わず、
その半年ぐらい前からは県内で有数の病院に入院していた。
 私は妹達や空也を連れてよく病室にお見舞いに行った。
 雛乃姉さんは必ず毎回、お母様に手紙を書いたし、お母様も返事を書いた。
 私たちは勿論、お母様に早く良くなってほしいと祈っていたけど、
周りの大人達は後幾許の命かと冷めていた。
 
 学校で授業を受けていると、教室に職員が入ってきて、担任の先生に何かを告げた。
 顔を青ざめた先生を見て、嫌な予感が体を走る。
 担任の先生は私の元まで来て
 「柊さん、今すぐ妹さん、弟さんたちと、お母さんの病院へ行きなさい。」
と言った。


 担任の先生はなぜ病院へ行かなくてはいけないのかは言わなかった。
 しかし、それだけで十分理解できた。
 他の学年の教室から妹達と空也が集まって、
学校の職員が車で病院まで送ってくれることになった。
 「お姉様・・・ママに、何があったの?」
 高嶺が後部座席から不安そうに聞いてくる。
 「いいのよ。今は、何も考えないで。」
 「うぅぅ・・・巴姉さん!」
 隣に座っていた巴に高嶺が抱きつくが、
ミラー越しに見えた巴の顔も不安でいっぱいだ。
 海は自分も泣きそうな顔をしながら、空也の頭をただひたすら撫でている。


 「個室の病室に着くとお母様のベット周りには、
見覚えの無い親戚らしい人たちがうつむいて立っていわ。
 お父様の姿はまだ無かったの。
 今思うと、あの時あそこに壬生さんも居たのかもしれない。」


 親戚らしいおばさんが、私たちを見るとベットのほうへ来るように促す。
 病室の入り口からベットに着くまで、ひどく距離があるように思える。
 私の服の裾を、巴が後ろから引っ張る。
 やめてほしい。
 私だって怖いのよ。
 一歩一歩の足取りが重い。
 ベット脇につくと、今まで柵のようにベットを囲っていた大人達がさっと
両脇にそれて、静かに目を閉じているお母様の青白い顔が見えた。
 もう一歩ベットのほうに踏み込む私、それを後ろで不安そうに見守っている妹達と空也。
 お母様の手を握ると、まだ少しだけ暖かかった。


 親戚のおばさんが腰をかがめてゆっくりと言う。
 「要芽ちゃん、あのね、凛さん・・・お母さんはね、たったさっきお亡くなりになったの。」
 嘘だ。
 まだこんなに暖かい。
 顔色が悪いのだって、今日は具合がよくないだけなのだ。
 心が今までに無い喪失感に覆われ、泣きそうになる。
 だが、
 「う、うわぁーーーーーーん!ママー!」
 高嶺が堰を切ったように泣き出し、お母様にすがりつく。
 巴もつられて泣き出し、私の服の裾を強く引く。
 後ろを見ると、海が空也を抱きしめ震えていた。
 空也は信じられないという顔で呆然としている。
 私は・・・泣けない、泣いてはならない!
 今私が泣いたら、妹達や空也は誰を拠り所とすればいいのか。
 そこへ、病室の扉を乱暴に開く音が聞こえた。
 「はぁはぁはぁ・・・凛!」
 お父様が、息を切らせて入ってきた。
 「翔か・・・遅かったよ。」
 ふらふらとお父様はお母様のベットサイドまでやってきて、お母様の頬を撫でると、
 「・・・家族だけ残して、悪いがみんな外してくれないか?」
 親戚達は答えることなく、ぞろぞろと外に出て行った。
 高嶺の泣き声と巴の嗚咽だけが室内に響く。
 お父様がみんなの顔を一瞥する。
 「いいか、今の内にお母さんの手を握っておきなさい。」
 ベットサイドから離れていた巴と海と空也も一歩踏み込み、
全員がお母様の手を、腕を恐る恐る握る。
 「この温もりをよく覚えておくんだぞ。」


 十分も経ったろうか。
 高嶺の泣き声も嗚咽に変わっている。
 お父様が私の前にしゃがみこみ、
 「要芽、空也と妹たちを連れて、先に外に出ていてくれないか?」
 お父様にも何か思うことがあるのだろう。
 「ママから離れたくない!」
 高嶺が嫌がる。
 そんなことは言わないで。
 私だって離れたくない。
 半ば無理やり高嶺を引っ張り、病室の外に出る。

 病室の外で、震える高嶺を落ち着けようと、親戚は当時の高嶺お気に入りの
ココナッツジュースを渡すが、高嶺は手をつけない。
 少しすると、お父様が出てきた。
 「お父様・・・大丈夫ですか?」
 自分が泣きそうなのを我慢しているのに、何を私は聞いているのだろうか?
 お父様は震える手でポケットからタバコを取り出し一本咥えた。
 「ワシは大丈夫だ。」
 「お父様、タバコ、逆さまです。それに院内は禁煙ですよ。」
 こんな時なのに下らない事に冷静に気が付いた自分が嫌になる。
 お父様は咥えていたタバコを握りつぶし、ポケットに戻した。
 「お前達は佐藤のおじさんに連れて行ってもらって、先に帰ってなさい。
ワシはこの後のことをいろいろ相談しなくちゃならんから。」
 帰りの車の中で、空也と妹達は泣き疲れて眠ってしまっていた。


 家について、皆は居間で放心しているが、私はすぐに雛乃姉さんの部屋に向かう。
 静かに障子を開けると、薄暗い室内には雛乃姉さんの寝息だけが聞こえる。
 姉さんのすぐ横に座り、何を考えるでもなくただただ姉さんの寝顔を見つめる。
 しばらくするとお父様が帰ってきたらしく、私のことを呼び出した。
 「母さんのことなんだが、雛乃には・・・どうしようか。」
 なぜお父様は私にそんなことを聞くのだろうか。
 「お前が一番雛乃をよく分かっているから。」
 それは本当にそう思って言っているのだろうか?
 自分の判断に自信がないのだろうか?
 誰も彼も、私に寄りかかるのはやめてほしい。
 「もし私が姉さんだったら、正直に話してほしいと思います。」
 「やはりそうだよな。・・・ワシもそう思っていた。なら、行こう。」
 二人で再び雛乃姉さんの部屋に入る。
 二人の気配に目が覚めたのか、顔だけをこちらに向ける姉さん。
 電気をつけると姉さんの頬には、かすかに泣いたような跡が見えた。
 もうすでに知っているの?
 「親父殿、要芽。」
 「雛乃、あのな・・・その・・・母さんが、な・・・」
 お父様はなかなか言い出せないようだ。
 それを雛乃姉さんは覚悟を決めた顔で見つめている。
 もどかしい。
 「あのね、姉さん、お母様が今日、お亡くなりになったの。」
 一瞬の沈黙。
 「ごほっ・・・やはり、な。なんとなくそんな夢を見たのだ。」
 私はまた泣きそうになる。
 ここでなら、私も泣いていいはずだ。
 今度は私がこの二人に頼る番だ。
 「・・・しかし、これで我がダメでも、向こうで寂しい思いをしなくてすむなぁ。」


 ダメだ、まだ泣くわけには行かない。
 なぜ姉さんはこんなに弱気なことを言うのだろう。
 いい加減に頭にきた。
 「お、おい、雛乃そんな弱k・・・」
 「姉さん!見損ないました!
私はいつもあきらめずに病魔と闘う雛乃姉さんのことを尊敬していたのに!
今そんな弱気でどうするんですか!
私たちは、私たちはっ・・・お母様の分まで生きなければいけないんですよ!」
 そこまで言うと気分が高まり、部屋を飛び出した。
 廊下に出ると巴と高嶺が怯えたような目でこっちを見ている。
 そんな目で見ないで。
 頭にくる。
 自室に戻ろうと足を速める。
 居間の前を通ったとき、空也と海がお姫様ごっこをしているのが目に入った。
 一瞬足を止める。
 何でこんな時に。
 私は泣きたくても泣けないのに、なぜ二人はあんなことをしている?
 私もあんな気楽に生きたい、誰かに頼りきって生きたい。
 正直、少しあきれた。
 と、遊んでいた海が急に空也を抱きしめ、声を上げて泣きはじめた。
 「ごっ、ごめんね。お姉ちゃん、もう我慢できないよ〜。くぅ〜やぁ〜!」
 「おねえじゃ〜ん!うぇぇぇぇん!」
 「「うぇぇぇんえぇぇぇぇぇぇん!」」
 そうだ。
 悲しんでいるのは私だけではない。
 海も空也も、巴も高嶺も、お父様も姉さんも、みんな悲しいのだ。
 一番年下の海でさえ、空也の前で泣くまいと頑張っていたのに。
 なのに、私は勝手に泣くに泣けない悲劇のヒロインに浸っていたのだ。
 私は勝手に皆に腹を立て、なんて最悪な娘で妹で姉なんだろう。
 自己嫌悪に陥った。
 部屋に閉じこもり鍵を閉め、枕に顔をつけて泣いた。


 しばらく経つと、ドアをノックする音で目が覚めた。
 いつの間にか眠ってしまったのだろうか。
 「要芽!家政婦の対馬さんが夕飯を作ってくれた。食べよう。」
 「・・・」
 「要芽!」
 ドアの前まで歩いていき、外に向かって言う。
 「お父様・・・私は食べる気がしません。」
 ドア越しにお父様が話を続ける。
 「要芽・・・ワシは、お前に甘えていたよ。悪かった。
でもな要芽、お前、雛乃に言っていただろう。
ワシらは母さんの分まで生きなくてはいけないんだ。
そのためにはまずは夕飯を食べなくてはいけないんだ。
 明日は朝食を食べ、お昼に晩御飯!
 これをこれからずっと、毎日は難しいが、家族みんなでやって行こう!」


 「ちょっと待って要芽姉!」
 途中で要芽姉の話をさえぎる。
 「どうかしたのかしら?」
 「ショウが・・・そんな事言ったの?」
 「そうよ。私の記憶力がいいのは瀬芦里も知ってるでしょう?」
 「へぇ・・・」
 正直言って、ここまでの話でやっぱり頼りないと思っていた分、ちょっと感心した。
 だから少しでも仕事で暇ができれば、帰ってきてご飯一緒に食べるのか。
 ・・・やるじゃん、ショウ。
 「ん!ごめんごめん、話し続けて。」
 「私はね、お父様のその台詞で気が付いたの。」


 まさか自分がさっき雛乃姉さんに言った台詞を、そのまま返されるなんてね。
 分かったような口を雛乃姉さんに利いたことが自分で恥ずかしくなった。
 後で謝りに行かなくては。


 「私は自分が卑屈になっていると気付かせてくれたお父様や海に感謝したわ。
 だから今でもあの二人には頭が上がらないし、一目置いているの。」


 夕飯は家政婦の対馬さんが気を利かせてくれたのか、
フカヒレのスープとかそんな高級そうなものだったけど、味なんて分からなかった。
 兎に角、姉さんに謝らなくては。

 夕飯が終わり、みんなは早々と寝床に着いた。
 私は皆が寝静まった頃を見計らって、姉さんの部屋に入る。
 寝息を立てている姉さん。
 寝ている姉さん相手に謝るのも卑怯だと思うけど、今はこれで許してください。
 姉さんの枕元に座る。
 すると姉さんの顔がこっちを向いた。
 「要芽・・・か。」
 「・・・はい。」
 「さっきは悪かったな。」
 「姉さん・・・私こそ、分かったような口を利いて。」 
 「いや、我はお前のあの言葉で目が覚めた。ありがとう。」
 「姉さん、少しだけ甘えていいですか?」
 「うむ・・・我には何も出来んがな。」
 「そばにいてくれるだけでいいです。」
 「それなら我は、これからはより頑張らないとな。
我の変わりに頑張ってくれるお前のそばに、いつまでもいてやりたい。」
 そうして私はさっきとは別の涙を流した。


 「と、言うことがあったのよ。」
 要芽姉が話し終わると同時に、おつまみのカニカマも無くなった。


 「そうなんだ・・・。」
 「今日はこの日のことを思い出してしまって、ね。」
 言いながら要芽姉は立ち上がろうとして、ふらふらとよろめいた。
 急いでキャッチして、肩を貸す。
 「悪いわね。瀬芦里。ベットまで肩を貸してくれないかしら。
だいぶ酔ってしまったみたい。」
 「うん、いいよ。気にしないで。それより、ありがとうね。」
 「何のことかしら?」
 廊下に移動しながら、私は少し照れて言う。
 「その・・・辛い思い出のこと、話してくれて。」
 「辛い・・・ね。」
 ・・・

 要芽姉の部屋について、要芽姉をベットに寝かせる。
 もうすでに寝ぼけているのか、なにやらごにょごにょ言っている。
 「お母様・・・私は・・・」
 要芽姉の頬を涙が伝う。
 私はベットに腰をかけ、何も言わずに要芽姉の頭を撫でてあげた。
 「ありがとう・・・ございます。」
 それを最後につぶやくと、要芽姉は寝息を立て始めた。
 今夜はもう少し、要芽姉の頭を撫でていてあげようと思った。


(作者・SSD氏[2005/10/02])

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