いるかちゃんの幸せ。
 それは、要芽姉様の傍らにいること――。
 一点の曇りも無い瞳で、当たり前のように言ったから。
 ほんの少しだけ、姉様を羨ましいと思った。
 確かに俺はいい加減で、自分の気持ちをはっきりさせることも出来ない。
 要芽姉様が好きだ。その気持ちは、今でも変わることはない。
 
 でもそれは一生持ち続けていい願いだろうか。
 姉様と恋人同士になる。……それは、身体を重ねてすら約束されないことなのに。

「……私も空也のこと、好きよ」
 そんな甘い言葉。幼い日の姉様の姿。
そればかりを繰り返して、幾つの夜を越えてきただろう。
「……さん、空也さん」
「起きてください。ねえ、空也さんってば……」
 ……姉様がありえない口調で喋っている。
ああ、これは夢だ。
 自覚すると、夢の中の姉様の姿は、急速に薄らいでいく。

      *

「ああ……らぶり〜ですねえ。私もこんな弟が欲しかったです……」
 すりすりと頬擦りされる。頭の下は、絶妙な柔らかさのいるかちゃんの太股。
電車に揺られるうちに、どうやら俺は眠ってしまったらしい。


「寝顔、可愛いです……。やっぱりお姉様の血を引く方なんですねえ……」
 既に起きているのに、こんな独り言を言われては目が開けられない。
どうせなら、といるかちゃんの腰に手を回し、きゅっと抱きしめる。
「……どんな夢を見てるんですか、もう」
 慌てる仕草が可愛い。……ああ、本当は薄々気付いていたけど。
 いるかちゃんと逃げることになってから、俺は彼女を意識し始めていた。
 長い髪に揺れるリボン。年上のわりに、垢抜けない女の子で……。
熟す余地を残した、魅惑的なスタイルをしている。
 最初から可愛いとは思っていたが、それは恋とは違っていた。
言うなれば、「同志」。姉様に対する立場が似ていたから、親近感があった。
 しかし一人の女性として認識を改めると、何と言うか……
クラクラする。正直なところ、俺は完璧にいるかちゃんに参ってしまっていた。
 柊のお姉ちゃん達と比べてはいけないが……。
いるかちゃんは、彼女なりの不思議な魅力を持っていると思う。
姉様が手放さないのも、今ならよく理解できる。

「あ〜……この感じ。いつまでも抱いていたいような……」
「空也さん、お姉様と同じことを仰いますねえ……。
 けれど私の身体はひとつしかありませんし……困りました」
「うん……だからさっきから、姉様が羨ましいな、って声に出てるじゃん! 俺!」
 がばっと起き、自分の失態に突っ込みを入れる。
「はい、さっきから寝言も言ってましたよ。
 『姉様〜、許してくださ〜い』なんて」
 恥ずかしい……。そんなベタな寝言を吐いていたなんて。
「姉様には見られたくない所を見せちゃったし。……ははっ」
 帰れないかもな、と思う。自分の節操の無さが招いたことだ。
しかし、8人のお姉ちゃん達に会えなくなると考えると、どうしようもなく虚無感があった。


「大丈夫です、夜にちゃんと話す、って言ったでしょ?
 私がお姉様無しではいられないように、お姉様も同じなんですから」
 その自信は凄いな……。根拠はないけど、言うとおりかもしれない。
姉様がいるかちゃんを徹頭徹尾放り出す、なんて考えられない。
「いるかちゃんは大丈夫だと思う。けど俺は……」
 あの夜のこと。DNAが云々というよりは、
同じ部屋にいるかちゃんがいる事実に突き動かされて……。
 彼女を抱いた。その決定的シーンを、姉様に見られた。
 そして後の展開は、言わずもがな。
 お姉ちゃん達が必死で姉様を止め、その間に俺たちは二人で逃げた。
いるかちゃんは俺の手を取り、服を引っつかんで脱兎のごとく逃げ出したのである。
 その行動力と度胸。日頃から大胆なことを言う人だとは思っていたが……。
こんな状況になってもパニックにならないのは、姉様に鍛えられたからだろうか。
「あの、空也さん。一つ、言っておきますけど」
「え……何?」
 いるかちゃんは咳払いをすると、急に真剣な顔つきに変わった。
「男の子なら、もっとシャンとしていてください。
 “あんなことしなければ良かった”なんて顔をされて、喜ぶ女性がいると思いますか?」
 ごくたまーーーに見せる、いるかちゃんの“年上の顔”。
その勢いには昔から、どうしてか逆らえなかった。
 大きな瞳を前に、正直たじろぐ。どうにか視線をそらさず、俺は答えた。
「しなければ良かった、なんて思ってないよ。
 俺はいるかちゃんが、本当は怒ってるんじゃないかって……」
「後になって怒るなら、最初からあんなことさせませんよ」
 言って、ふっと笑う。そして、俺の頭を優しく撫でてくれる。


「こうすると幸せそうな顔をするって、お姉様も言ってました」
「男らしくとか言っといて、子供扱いはないんじゃないかな……」
「いいじゃないですか。年下なのは、ずっと変わらないんですから。
 それに子供扱いなんてしてないですよ」
 言って、自分の膝をぽんぽんと叩く。
「もう少しで着きますから。それまで、……どうでしょうか?
 私の膝の上の寝心地が、悪くなければの話ですけど……」
「……カップルみたいに見られるけど、いいの?」
「可愛い姉と弟。……そう見えて実は、というのも悪くないのでは?」
「ん〜……どっちでもいいや、もう。失礼しま〜す」
 いるかちゃんの膝の上。ふわり、といい匂いがした。
さわさわと頬を撫でられるうちに、あの夜の記憶が蘇ってくる。
「この夏の間は……私達……」
「え、何? いるかちゃん」
「い、いえ、何でもありません。……ところで空也さん、
 目を閉じたままでいいですから、私の話を聞いてくれますか?」
「うん、聞かせてよ」
 電車の窓がどこか開いていて、少しずつ違う風が流れてくる。。
 “この夏”。ひょんなことから訪れた、俺といるかちゃんの夏季休暇。
――というより、ほとぼりが冷めるまでの逃避行。
 柊の、犬神の姉さん達のことを思う。
 それぞれの反応。……想像するだけで恐いケースが幾つか。
俺も夜になったら電話でもして、自身の無事を知らせるべきだろうか。
 ……要芽姉様。次に会うときのことが、今はまだ想像できない。



「家の近くにも、海があるんですよ〜。健太と一緒に、小さい頃は良く遊びました」
 いるかちゃんの話に、時々相槌を打ちながら耳を傾ける。
正直なところ、少し興味が沸いてきたし、テンションも回復してきていた。
「砂浜に埋められて、夕方まで放置されたこともあったんですよ。
 あと三十センチの所まで波が来たときは、本気で健太を祟ってやろうかと……」
「……ねえ、いるかちゃん」
「はい? ……えっと、もしかして私、変な話してました?」
 目を開けると、いるかちゃんは頬を染めて焦っていた。
「あっちに着いたら、目覚めのチューで起こしてくれる?」
「……空也さん、全然私の話聞かずに、そんなことを考えてたんですか?」
「ちゃんと聞いてたよ。ただ先に確かめておきたくなった。
 いるかちゃんと一緒に過ごす以上……また、ああいうことがあるかもしれないし」
「こ、ここでそんな宣言をされても……私は……」
 やっぱり、一夜限りの間違いだろうか。
もっともそういう理屈を超えて、また押し倒してしまいそうだが……。
 けれど確かめておけば、思い止まれる。
俺といるかちゃんの関係。いるかちゃんの、気持ちを。
「……ほ、ほっぺたになら。唇にするのは、少し……その……」
「え……それじゃ、キスするのは全然OKってこと?」
 いるかちゃんはばふ、と俺の顔を抑え込み、それ以上の質問を遮った。
「いいですから、もう寝ちゃってくださいっ。でないと、鼻をつまんで起こしますからね」
「わ、分かったよ。余計なことはもう言わない」
「……よろしい。……ふわ。私も、眠くなってきました……」



 電車の音。いるかちゃんと、俺の寝息。……何ていう安らぎ。
「(ぐあっ)」
 肩にはいるかちゃんの胸が乗っている。……何ていう柔らかさ。
「(……寝られん)」
 無防備ないるかちゃん。下半身に集まる血。芽生える悪戯心。
「ん〜……お姉様ぁ……私、……いぬにでも何でも……なりますからぁ……」
「(うひぁっ……!)」
 思わず声を出しかける。いるかちゃんは寝ぼけて、俺の顔を舐めていた。
ペロペロと、子犬のように。……ディープキスでもし返してやろうか、と思う。
 しかし寝込みを突くのは、男子の本懐ではない。
「あ……んむっ……お姉ふぁま、ん……私にも、……」
 いるかちゃんは俺の唇を奪うと、舌を絡めて吸ってきた。
どういう夢を見ているのか知らないが……さっきキスは恥ずかしいと言っていたのに。
「(気持ちいい……)」
 ディープキスはその後丸二分は続いた。いるかちゃんの唇は、ほのかに甘い。
さっきチョコレート食べてたからか、などとぼんやり思う。
「ん……おっ、お姉様……そんな大きいの……」
「(……やばっ)」
 客が少なくて良かった、と心から思う。
いるかちゃんの手は俺の胸板を下がっていき、ついにジュニアへと辿り着いた。
 ズボンの上から撫でられる。いるかちゃんの言動からすると、
ディルドを着けた姉様に責められる夢でも見ているらしい。
 元々興奮は限度に達している。すりすりと擦られるうちに、我慢汁が出てきていた。
しかしここで出したら……大惨事。
 しかし出そうだからといって、いるかちゃんを起こすのも情けない。
「おっき……すぎます……こんなの……あふっ」
「(……あふっ)」
 ……かくして、たった一人の我慢大会の火蓋が切って落とされた。

           *

「……あ、空也さん。どこに行ってたんですか?」
 トイレから戻ってくると、いるかちゃんは起きていた。
妙に顔がつやつやしている。
「え、えーっと……ちょっと顔を洗ってきただけだよ」
「そうですか、残念ですねー……せっかく、私が……」
「いるかちゃん、どんな夢見てたの?」
「はうあっ! ……どど、どうしてそんなことに興味を持つんですか?
 お姉さんはぜーんぜん、変な夢なんて見てませんよ?」
「いるかちゃんって、結構……」
「な、何ですかっ? その結構……の続きは何ですかっ!? 
 ……うあ〜ん、そんな含み笑いしないでくださ〜い!」
 ……結局、俺が何をしてきたのかというと。
 いるかちゃんの愛撫で限界に達したので、電車のトイレで一発抜いた。
……フッ、パンツの中で出すよりは百倍マシだ。変態って言うな。
「……あ、空也さんっ。そろそろ、見えてきましたよ」
「長かったなー……思えば遠くに来たもんだ」
 駅のに近付き、電車はスピードを緩めていく。
俺は荷物を降ろしながら、何だかんだで嬉しそうにしているいるかちゃんに気付く。
「……やっぱりいるかちゃんは、笑ってる顔が一番似合ってる」
「ほ……ほんとですか?」
 いるかちゃんは言ってから、片手で携帯を操作し始めた。
「健太〜、お姉ちゃん、笑顔が可愛いって言われたよ〜」
 弟さんに電話をかけていた。


『へー、良かったな。……ていうか姉ちゃん、それどころじゃない。
 非常に申し訳ない話なんだけど……』
 電車が停まる。俺たちはホームへとひとまず降りた。
いるかちゃんは電話で話を続ける。
「あ、ごめん。今電車降りた所だから……それで、何だっけ?」
『今から家に帰っても、誰もいないぞ』
「……な、何で? どうして?」
「?」
 いるかちゃんに視線を向けられる。しかし、俺にはその意味が分からない。
『元から家族で北海道に行く予定でさ。姉ちゃんが帰ってくるって親父に一応言ったんだけど、
 予定変更はしないって。姉ちゃん大人だし、一人でも大丈夫だろ? ってことで……」
「そっか……そういえば、そんな話を聞いてたような……」
『つーわけで、しばらく避暑だから。カニ買ってきてやるから、留守番しててくれよな』
「あ、ちょっと待っ……」
 電話が切られたらしい。いるかちゃんは無言で携帯をポケットに入れ、
そして俺の方を見た。……なぜか決意の燃えた瞳で。
「あのですね……私の家族は、旅行中です。つまり……」
「……つまり?」
「み、皆まで言わせますか? ……つまりしばらく、私の家で……」
 いるかちゃんは口ごもった。もう、俺にも言わんとすることは分かっていた。
「二人っきり……?」
 ホームに、ひゅるると風が吹き込んでくる。夏だというのに、北陸の風は少し涼しい。
 蝉の声が今更に聞こえる。いるかちゃんは荷物鞄を両手で持ち、深くお辞儀をした。
「ふつつかものですが……よろしくお願いします」
 顔を上げる。見ている方もどうにかなりそうなほど、見事な赤面。


 頭の中で考えていることが、同じ。そう確信した瞬間、全身が熱を持ち始めた。
「……あ、あのっ。それでは、行きましょうか」
「う、うん……荷物は俺が……」
 いるかちゃんの鞄を持とうとしたとき、手が触れ合った。
……ひんやりとして、柔らかい。
 いるかちゃんは触れた手を押さえ、胸に当てた。
「わ……私からも、確認したいと思っていたことが一つ、ありまして」
 いるかちゃんは上目遣いで俺を見上げた。
「後悔……してませんか?」
「全然。……俺、いるかちゃんのこと好きだから」
「そ、その好きは、どういう好きですか? ただえっちさせてくれる女の子だからか、
 それとも……」
「色んな意味を込めて」
「……空也さんはやっぱり、ちょっと困った男の子ですね」
 荷物で手を塞がれたまま。ふわり、といるかちゃんは俺の首に手を回した。
「……ん……」
 今までで最も優しく、そして初めての――恋人として交わすキス。
 電車が、ホームに入ってきて。周囲で人の行きかう足音が聞こえても。
 まるで世界に二人だけになったような気分で、俺たちは唇を重ねていた。
 互いの鼓動を、感じながら。


(作者・名無しさん[2005/05/21])

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