指先から始まる日 



「だーれだっ」

そんな声と共に、祐巳の視線が遮られた。
目の前にある白くて可愛らしい手。瞼や鼻に触れる指先から伝わる体温が、ほのかに暖かくてとても心地いい。
自然に零れる微笑。何かもうちょっとこのままでもいいな……なんて思いながら答えずにいた祐巳の後ろで
案の定痺れを切らした両手の主は、怒った様に声を上げた。

「もう、祐巳さんったら早く答えてよ!それとも……私の事が分からないなんて言わないでしょうね?」
後ろで彼女が頬を膨らませている姿が、祐巳の閉ざされた瞼の前にくっきりと浮かぶ。
思わず声を出して笑いそうになるけれど、そうすると彼女はきっともっと不機嫌になってしまうに違いないから。
祐巳はほんの少し首を傾げた後、優しさと笑みを込めて言った。
「由乃さんの事、分からない訳ないでしょ?」
そう言って祐巳は、眼を覆っていた手に自分の手を添えた。一瞬だけぎゅっと握って、手を離す。そしてくるっと後ろを向いた。
ツインテールを揺らして微笑を向けた祐巳の前には、口を窄めて頬を膨らませた祐巳の想像通りの由乃がいた。
微笑を浮かべた祐巳に向かって、由乃が拗ねたような声を出す。
「祐巳さんの意地悪」
「えへへ」
由乃の言葉に楽しそうに笑った祐巳は、言葉を続けた。

「だって由乃さんの手が、あったかいから」
祐巳は、由乃のぷらぷら揺れる手を握った。祐巳の体温が、由乃の指に伝わる。
「ね?」
微笑んだ祐巳に、眼を丸めていた由乃は、優しく微笑を返した。きゅっ、と祐巳の手を握り返し、由乃は口を開いた。
「お待たせ」
「うん、待ち遠しかった」




「……ねぇ、そう言えば今日は、令さまには何て言って出てきたの?」

残暑も漸く過去のものとなりつつある日曜日、日差しが暖かく過ごしやすい午後のK駅前は
多くの人たちが思い思いの時間を過ごしている。
祐巳は左手に、由乃は右手にそれぞれ同じショップの袋を持ち、K駅近くの公園を目指して歩いていた。
互いの空いた手を、指を絡ませながら。

楽しげで他愛のない話の中で、軽く言った祐巳の言葉。由乃はほんの少しため息と苦笑い交じりに、祐巳の問いに答えた。
「修学旅行の買い物、って言ったよ。パジャマとか小物を買うんだって」
「まぁ、間違ってはいないね」
そう言って笑みを浮かべると祐巳は、自分の手の中にある袋を見た。
そんな祐巳の様子を見て、由乃も同じく右手にある袋を見た。
二人で選んだ、お揃いのパジャマの入った袋。落としていた視線を持ち上げ、祐巳は言葉を続けた。
「でもそれで、良く令さま引き下がったね。付いてくるって言いそうなのに」
そう言って意地悪そうに笑いかけた祐巳に、由乃は苦笑いを浮かべたまま言葉を返した。
「うん、言ってた。付いてくるって。でも今日はクラスの友達と会うから、って言ってさ」
「……嘘は確かについてないね、それも」
「祐巳さん以外の友達と会うんだって勘違いするのは、令ちゃんの勝手だから」
苦笑いを浮かべた祐巳に、ほんの少し怒った様に口を窄めて微笑んだ由乃はそう言った。
「まぁ、私と会うなら名前を出すと思うよね、令さまも」
「そう言う祥子さまはどうなの?」
「うん。昨日聞かれた。修学旅行の準備は捗ってるかって」
そう言うと祐巳は、ほんの少し空を見上げた。晴れ渡った青空に、白い雲が流れている。
ニヤニヤと笑みを浮かべた由乃が、更に訊ねた。
「それで、何て答えたの?」
「明日クラスメイトと買い物に行くんです、って答えたよ。
お姉さまったらちょっと残念そうに、そう、って言っていたけれど」
祐巳の苦笑い交じりの返答に、由乃は思わず、ぷっ、と噴出した。
「祥子さまもきっと、お買い物に付き合おうって思ってたんじゃないの?祐巳さんも人が悪いなー」
「ひどーい、由乃さんったら」
祐巳がそう言うと、二人互いに顔を見合わせた。視線が交差すると、何故か笑みが吹き出てくる。
二人は同時に噴出すと、立ち止まって一頻り笑いあった。

やがて笑いを収めた二人は、またもや足を進めた。笑いの余韻が残る由乃が、前を向きながら言った。
「お互い心配性な姉を持つとさ、大変だね」
由乃の言葉に頷きを返した祐巳も、再度笑みを浮かべつつ言った。
「こんな風に会っているなんて、由乃さんと二人だけの、秘密だね」
そう言うと祐巳は、繋がったままの手に力を入れた。
由乃も祐巳に答えるように、きゅっと手を握った。

指を深く絡め、互いの存在を確認しあった二人は、顔を見合わせると同時にこくん、と頷いた。
そして顔を上げ、互いの微笑を浮かべると、また足を動かした。
大切な二人だけの時間を過ごす為に。




朱に染まった夕焼けの空にグレイの雲が浮かんで見える。
K駅の改札口には、帰途に就こうとする人の波でごった返している。
彼らは一様に、休日を楽しんだ満足げな表情をしていた。
中には家族に振り回されて疲れ果てている男性の顔も見えるけれど。
祐巳と由乃は、そんな人ごみの中で見つめ合っていた。
繋がったままの手を離さないまま。
寂しそうに笑みを浮かべた祐巳が、口を開いた。
「明日になったらまた、学校で会えるのに。何で別れが辛いんだろうね」
祐巳の言葉に、由乃は照れくさそうに微笑んだ。少し頬を染めながら、由乃は言った。
「……それだけ祐巳さんが、私の事を好きなんでしょ?」
「そう、そうだね」
照れ交じりの由乃の言葉に祐巳はそう答えると、にっこりと微笑んだ。そのまま祐巳は、おずおずと言葉を続けた。
「……そう言う由乃さんは?」

祐巳の問いかけに、ぴくんと固まる由乃。白い頬が見る見るうちに赤に染まる。
「なっ、何言っているのよ、祐巳さんたら」
そう言ってうろたえる由乃に、ニンマリ微笑みながら意地悪そうに、祐巳は言葉を紡いだ。
「令さまには言えるのに、私には言えないの?」
「からかわないでよ、祐巳さんったら。……分かるでしょ?」
そう言って由乃は、祐巳の視線から逃げるようにそっぽを向いた。
そんな由乃を見つめながら、祐巳は両手で由乃の手を握った。
そして祐巳は、横を向いた由乃の耳元に口を近づけると、そっと囁いた。

「由乃さんの口から、聞きたいな」
祐巳の吐息が由乃の耳に掛かると、耳まで真っ赤に染まった由乃は俯いてしまった。
耳元から顔を離した祐巳は、そんな由乃を、微笑を浮かべながらきょとんと見つめた。
由乃の言葉を待っていた祐巳は、真っ赤になって俯いたままの由乃に声をかけようと、口を開きかけた。
それは、一瞬の感触だった。
開きかけた祐巳の唇に、柔らかくて暖かい何かが押し付けられ、すぐに離れた。
祐巳の目の前には、顔を上げた由乃さんがいる。首筋まで真っ赤に染まっている。
祐巳は、自分の頬も紅潮している事に気が付いた。どんどん顔が熱くなっていく。祐巳は喘ぐ様に囁いた。

「由乃さん……ずるい」
そう言って祐巳は、にっこりと微笑んだ。
そんな祐巳を見つめていた由乃は、照れを隠そうと怒ったように呟いた。
「……ちゃんと祐巳さんの言うとおり、口で答えたでしょ?」
「……うん。嬉しい」
由乃の言葉に祐巳はそう答えると、握り締めたままの手に、もう一度力を入れた。
由乃の体温が祐巳に伝わり、祐巳の鼓動が由乃に伝わった。
微笑を浮かべたままの祐巳と、怒った様に口を窄めて頬を膨らませた由乃。
見つめ合ったままの二人の顔は、お互いに真っ赤だった。
そうしていると、しばらくの間見つめあって過ごした二人の顔からは、少しずつ赤みが引けていった。
怒ったような由乃の顔も、いつの間にか柔らかい微笑みに変わっていた。
祐巳は、由乃と繋がったままの両手を離すと、足を一歩踏み出した。
そして由乃の背中に手を回し、一瞬だけきゅっと抱きしめて、また離れた。
そしてまた見つめ合うと、祐巳は柔らかな微笑を浮かべたまま、言った。

「また明日ね、由乃さん」
「うん、祐巳さんも気をつけて」

祐巳の言葉に、由乃も優しげな微笑を浮かべたまま答えた。
どちらとも無く右手を差し出し、互いのそれを一瞬握り締め、すぐに離れた。そうして離した右手を持ち上げた。
持ち上がった手をそっと振ると、二人は同時に後ろを向いた。


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