「少しの間、距離を置きましょう。」
お姉さまの疲れきった声と共に吐かれた溜息は、祐巳の心に重い影を落とした。
「姉妹の関係を解消するとか、そういうのではなくて・・・。」
「分かっています。暫くは・・・その、こういう事はしないようにするって事ですよね。」
乱れた服を整えながら、祐巳は低い声で呟く。
「・・・ええ。祐巳も私も、少し考える事があると思うの。」
何かに耐えるように目を瞑って、お姉さまは小さく頭を振った。
―どうしてこんな事になったのだろう。一体、なぜ。
背中にじっとりとした嫌な汗が伝っていく。
祐巳はその不快な感触だけが、今の自分を現実に引き留めておいてくれているのだ、と思った。

梅雨が明けてから、お姉さまはまるで別人のようになってしまった。
普段はそうでもないけれど、祐巳と二人きりになると子供みたいに祐巳に甘えて、欲望のままに祐巳を求める。
最初の内はすれ違っていた間の隙間を埋める為に、躍起になっているだけだと思っていた。
でも、そうじゃなかった。
体育祭や学園祭が終わっても、お姉さまは元に戻るどころか益々酷くなるばかりで。
いつも目に見えない何かに怯えているように、祐巳を必死に縛りつけていた。
今日だって。いつものように祐巳は週末の休みにお姉さまの部屋に呼ばれて、いつものようにすぐベッドに押し倒されたのだ。
見上げたお姉さまの顔はどこまでも暗くて、その瞳には祐巳なんか写っていなかった。
それを見た瞬間に、今まで心の中で抱えていた何かが爆発してしまったのかもしれない。

『もうやめて下さい。』
耐えられなかった。
このままお姉さまと一緒に戻れない所まで落ちて行ってしまうように感じて、気が付けば祐巳はそう叫んでいた。
祐巳の言葉を受けた次の瞬間、お姉さまが眠るようにゆっくりと瞳を閉じた様子が、はっきりと脳裏に焼きついている。
そう、最初にお姉さまを拒んだのは。
怖くなってお姉さまとの関係から逃げ出したのは、他でもない祐巳自身だった。


体が石のように重い。腕や足を動かす事すら面倒臭い。
あの梅雨に体験した感覚と似ている。
お姉さまとはもう終わりなのだろうと思えば思うほど、祐巳の体は重量を増していく。
お互いを求め過ぎていたのかもしれない。
――離れて欲しくない。触れ合っていなければ不安で堪らない。
相手への重すぎる想いが絡み合って、祐巳とお姉さまは身動きが取れなくなっていた。
どちらかがもうそれに耐えられないと思ってしまえば、それで二人の関係は終わり。
このままでは駄目だと最初に口に出したのは祐巳。だけど、きっとお姉さまも苦しんでいた筈だ。
その証拠に距離を置きましょうと告げたお姉さまは、何処までも落ち着いていた様子だった。
まるで祐巳が拒絶する事を待っていたかのように。
だからこそ、祐巳には手に取るように分かってしまった。
あれはきっと、お姉さまなりの『別れ』の言葉だったのだ。

雨は降り続く

「今日はこのまま帰る?」
由乃さんは大きな目をパチクリさせながら祐巳の言葉をそっくりそのまま反芻した。
放課後の教室。最後のHRが終わってもう大分経っていたから、祐巳以外でクラスメイト達はもう一人として残っていなかった。
中々薔薇の館に来ない祐巳を不思議に思って、由乃さんはわざわざ迎えに来てくれたらしい。
「・・・うん。」
とても薔薇の館へ行ける気分ではなかった。
あの場所にはお姉さまが居るから。
昨日のお姉さまとの出来事を認めたくない訳ではないけれど、一人でこれからの事を考える時間が欲しかった。
お姉さまが紡いだ精一杯の別れの言葉を、祐巳は受け止めなければならない。
「どうして?・・・何かあった?」
「・・・ううん。別に何も。」
祐巳は笑ったつもりだったけれど、祐巳の顔は目を細めるくらいにしか動いてはくれなかった。
もちろん昨日の事も今の祐巳の心境も知らない由乃さんは、そんな祐巳の様子を見て訝しげに首を傾げる。
それと同時に丁寧に編み込んである三つ編みが、風に靡くように揺れた。
暫く黙って睨むように祐巳を見つめていた由乃さんが、やがて溜息をついて目の前の椅子を引き、そこに腰を掛けた。
「由乃さん・・・。仕事は?」
由乃さんは部活と生徒会の仕事を両立させなければいけない立場だから
こんな所で祐巳に付き合っている場合ではないはずだ。
もしも元気のない祐巳を心配してくれているのなら、それは嬉しく思うけれど。でも―。
「そんなのいつでも出来るわ。」
祐巳がもう戻った方がいいんじゃないかと口を開こうとした時、由乃さんは有無を言わさない強い口調でそう言った。


長い睫毛に隠れている瞳は何処までも深い色をしていて。
そこには感情なんて、存在していないように思えた。
時を刻む時計の音だけが教室を支配している。
あれから由乃さんは、閉じたり開いたりさせている自分の手の平を見つめているだけで、何も喋ろうとはしない。
こんな風にじっと何かを考えているような由乃さんを見るのは、かなり珍しいのではないかと思う。
「あの・・・由乃さん?」
もしかしていつも騒がしい親友にこんなにも真剣な表情をさせてしまう程、自分が落ち込んでいるように見えたのだろうか。
何となく申し訳なくなって祐巳が控えめに呼びかけると、由乃さんは弱々しく顔を上げた。
覇気がないように見える由乃さんのその様子に、祐巳はふと違和感を感じて首を傾げる。
けれどもそんな些細な違和感は、次に由乃さんから発せられた言葉で何処かに吹き飛んでしまうのだった。
「祥子さまと、また喧嘩したの?」
「・・・え?」
いきなり悩みの核心に触れられて、心の準備をしていなかった祐巳は思わずぎくりとした。
その反動で机に置いていた手を逃げるようにして引くと、由乃さんは素早くその手を取った。
ひんやりとした小さなその手は、祐巳の硬く握った手を解すように優しく包み込む。
「祐巳さんがそんな風に悩むの、祥子さまが関係してるとしか思えないから。ね、何があったの?」
―なんだ、やっぱり分かっちゃってたんだ。
心配そうに上目遣いで顔を覗き込んでくる由乃さんを見て、祐巳は小さく笑みを漏らした。
祐巳の世界はお姉さまを中心に回っている。情けないけれど、それは二人を知る人なら誰もが知っている事だったんだっけ。
でも、それでも祐巳は、由乃さんにお姉さまとの事を話す気にはどうしてもなれなかった。

祐巳とお姉さまが個々に生きていけるようになる為には、この機会に距離を置かなくてはいけない。
恋人としての小笠原祥子さまには、さよならを言わなくてはいけない。
誰も居ない教室で祐巳が出した結論は、口にするにはまだ悲しすぎたから。

「やだな、由乃さん。お姉さまと喧嘩なんてしてないよ。」
不自然なくらいに明るい祐巳の声は、静かだった教室に虚しく響いた。
乾いた笑顔を貼り付けた祐巳の顔を由乃さんは目を細めて見つめる。
「・・・嘘。だって祐巳さん、さっきまで今にも死にそうな顔してたもの。」
「・・・そんな事。」
「お願い、私にだけは話して。二人の事に口を出したりなんてしないから。」
重なった手の暖かさと、優しく諭すような由乃さんの口調に、途端に祐巳の胸は火を灯したかのように熱くなる。
由乃さんの気持ちはとても嬉しかった。
こんなにもお姉さまと自分の事を心配してくれる人が居るんだって、祐巳は泣きたくなった。
でも、だからこそ余計に今のめそめそしている情けない自分を、心から心配してくれている
由乃さんに晒してしまう訳にはいかない。
この先納得のいく形でお姉さまと別れたとしても、以前と変わらず二人が笑い合える事が出来ていたのなら。
その時初めて、由乃さんにちゃんと全部報告したい。
頑張ったんだねって、その時に言って貰いたいと祐巳は思った。


「ありがとう由乃さん。でも、平気だから・・・ごめんね。」
由乃さんの手を、そっと外してから立ち上がる。
「祐巳さん・・・どうして。」
「今日はもう帰るね。由乃さんも早く薔薇の館に戻った方がいいよ、皆心配してると思うし。」
祐巳は曖昧に笑って、机の傍に置いてある鞄を取ろうと手を伸ばした。

身を屈めたその瞬間、何かに強く腕を引っ張られてバランスを崩す。
「え・・・!?うわっ!!」
スローモーションのように、視界がぐらりと傾く。
そのまま肩を押されて、祐巳の身体はあっという間に床へ倒れ込んだ。

「い、いたた・・・。」
運良く周りの机には当たらなかったけれど、それでも床に打ちつけた腰にはじんじんと鈍い痛みが走る。
何が起きたのか分からないまま祐巳が腰をさすりながらゆっくり上半身を起き上がらせようとすると
再び肩を押されてそれを阻まれた。
「よ、由乃さん!?」
視界いっぱいに広がった由乃さんの顔を見て、初めて祐巳は自分の体に覆い被さるように
乗っかっている由乃さんに気が付いた。
この状況があまりにも衝撃的だったから、祐巳はすっかり『誰に倒されたか』という事を失念していたのだ。
「いい加減にしてよ・・・。」
驚きに目を瞬かせる祐巳を苦々しい表情で見下ろしていた由乃さんの口から出たのは、押し殺したような低い声。
祐巳の肩を抑え込んでいる由乃さんの手が、声に合わせて微かに震えた。
「由乃さん・・・?」
「私には関係ないって言うなら、私の前でそんな顔しないで!」
堰を切ったように由乃さんが怒鳴る。思わず身を強張らせた祐巳に構わず、由乃さんは感情的に話し続けた。
「あの時だって!祐巳さんの事で私がどれだけ悩んだか分かってる?」
あの時。そう言われて、祐巳はすぐにピンと来た。
由乃さんはきっと、祐巳とお姉さまがすれ違った、あの梅雨の出来事を言っているんだ。
祐巳を心配してくれた由乃さんを突き放し傷つけてしまった、苦い思い出。
「勝手に悩んで、落ち込んで。どうして私の事まで拒絶するような態度するのよ・・・。」
「・・・由乃さん。」
・・・そんなつもりじゃなかったのに。
由乃さんの大きな瞳からポロポロと流れる涙を見て、祐巳の心はずぶずぶと沈んでいった。
またやってしまったのだ。
言葉が足りなくて気付かぬ内に人を傷つけてしまう事があるんだって、祐巳は知っていた筈だったのに。
「ごめん、ごめんね由乃さん・・・。そんなつもりじゃなかったの。だからお願い、泣かないで・・・。」
どうしたら良いのか分からなくなって、祐巳は小刻みに震えていた由乃さんの背中に手を回す。
「もう嫌なの!知らない間に祐巳さんが遠くに行っちゃうって一人で悩むのは、もう嫌なのっ・・・!」
由乃さんの顔が近づいてきて、三つ編みのお下げが、祐巳の頬にかかった。

「・・・!」
反射的に目を瞑ると次の瞬間には、乱暴に落ちてきた由乃さんの柔らかい唇が、祐巳のそれに押し付けられていた。

「・・・んん・・・っ!」
無理矢理差し込まれた生暖かい舌由乃さんの舌は、祐巳の口中を自由に動き回る。
酸素を求めて顔を逸らせば、すぐさま逃すまいと由乃さんに口を塞がれて。
祐巳から漏れる声すらも飲み込むように、由乃さんは祐巳との口付けに夢中になっていた。

やがてそれに満足したのか由乃さんは、祐巳の上唇を歯で軽く挟んでから顔を離す。
胸がくすぐったくなるようなその甘い感触は、手放しかけた祐巳の思考を取り戻すには充分な役割を果たしてくれた。
「・・・よ、しのさん。」
馬鹿みたいに口を半開きにして見上げると、由乃さんは乾いた笑みを浮かべて口を開く。
「祐巳さんが祥子さまとどうなろうと、構わない。」
「・・・え?」
由乃さんは苦笑したまま、目を丸くしている祐巳の首筋を指で撫でた。
「あれは、私の本音。」

タイを解いて露になった祐巳の首筋をなぞって、由乃さんの舌が滑る。
そのまま上の方に由乃さんの顔が移動して、耳の裏までねっとりとした舌遣いで丁寧に舐められた。
「由乃さ・・・っ!」
由乃さんの荒い吐息が直接耳朶に触れ、擽ったくなって祐巳は小さく身を捩った。
「・・・動かないで。」
そんな祐巳を捕まえるように、由乃さんは耳朶を軽く噛みながら祐巳の襟元に右手を潜り込ませる。
暖かい制服に包まれていた肌に直接触れたその手の平は、氷のように冷たかった。
「つ、めたっ・・・。」
「すぐに暖かくなるから、大丈夫よ。」
由乃さんの指が、器用に胸の下まで下着をずらす。
スースーした風を感じる間もなく、祐巳の小さな胸は由乃さんの手に包まれていた。

「・・ぁあ・・・っ・・・ぁ!」
あまり大きいとは言えない祐巳の胸の形が変わる程に強く、由乃さんの手が捏ねるように動いた。
時々胸の小さな突起も一緒に揉まれて、その度に祐巳は甘い悲鳴を上げる。
由乃さんは祐巳のそんな反応を確かめるように顔を間近で覗き込んでくるものだから、鈍い快感は益々昂るばかり。
暫く祐巳の様子を観察していた由乃さんが、目を細めて悪戯っ子のように微笑んだ。
「・・・ここが気持ち良いんだ。」
「あぁっ!」
胸の突起を、爪で軽く押し潰される。
一際大きく声を漏らした祐巳を見て、由乃さんは小さく首を傾げて笑った。
「祐巳さんは分かりやすいんだから。・・・この体勢辛いから、ちょっと起きて。」
祐巳に体重が掛からないように腕を立てていた由乃さんが起き上がり、祐巳の肩に腕を回して上半身を抱き起こす。
二人とも床に座ったままの状態になってから、祐巳は抱き寄せられるままに由乃さんに体を預けた。
当たり前だけれどお互いの体は密着して、背中に由乃さんの柔らかい感触を感じて祐巳の頬は自然と熱くなってゆく。
「祐巳さん・・・。」
祐巳のうなじに口付けて、由乃さんは再び襟元へと腕を伸ばした

今度はすぐに胸の突起だけを摘ままれて、弄られる。
「ぅぁ・・・あ・・・っ。」
祐巳の頭が白くなっている間に、もう片方の由乃さんの手は既に祐巳のスカートを捲って太股を這い回っていた。
「ん・・・ぁ・・ぅん・・・。」
内股を何度か由乃さんの手が往復すると、祐巳の両足は少しずつだけれど確実に開いていった。
吸い込まれるように、スカートの奥へと由乃さんの細い腕が侵入して行く。
「・・・やっ!!」
ショーツの上からいきなり由乃さんの親指が強く押し込まれて、祐巳は思わず身体をびくりと震わせた。
そこはもう充分に濡れている。ベトベトになったショーツの感触でそれが分かった。
「よ、しのさん・・・?」
それから中々指を動かそうとしない由乃さんを不思議に思って振り返る。
するとまた悲しそうな表情を浮かべている由乃さんがすぐに目に入って、祐巳は小さく息を飲んだ。
「・・・どうして拒まないの?」
「また由乃さんの事傷つけちゃったから・・・謝るだけじゃ、足りないと思って。」
下手な事を言ったらまた泣かせてしまうような気がして、祐巳は選びながら言葉を返した。
「・・・そっか。」
それを聞いた由乃さんは泣き出しこそしなかったけれど、何故か自嘲気味な笑みを浮かべたのだった
「あぁんっ!ぁっ!ぁ・・・ぃっ・・・!」
ショーツの中に突っ込んだ手を、由乃さんは突然勢い良く動かした。
そこの全体を揉んだり、愛液で溢れている溝を撫でたり。
ぐちゃぐちゃと耳に届く水音が、祐巳の興奮と快感を否応無しに増長させる。
「ぁぁっ・・・!よしのっ・・・さん・・・そんなに激しくしな・・・っいで!」
激しい愛撫にお姉さまとの貪り合うような行為を思い出してしまって
祐巳は首を振って縋りつくように由乃さんの制服の袖を掴んだ。
「・・・祥子さまにいつもされてるんだから、これくらい平気でしょ。」
それなのに由乃さんは愛撫を弱めるどころか、たっぷり濡れた祐巳の中に指を二本沈める。
「ゃ・・・あっ!」
いきなり与えられた大きな快感を、祐巳は背中を仰け反らせて呑み込んだ。
下半身から波のように湧き上がってくる何かが、そのまま全身を駆け巡って、やがては祐巳の思考を壊す。
「・・・祐巳、さん。」
由乃さんの声が遠くなって、祐巳の中を出たり入ったりする指の動きが加速する。
「あっ、あっ・・・も、ぁっ、ぁああ!!」
偶然なのか故意なのか。
人差し指の爪が蕾に触れたと同時に体がびくりと震えて、祐巳は果てた。


窓の外から覗く赤い空は、夕日がとても綺麗に見えるほど晴れ渡っていた。
床に座ったまま窓の外をぼんやりと眺めていた祐巳の心は、それと比例するかのようにどんよりと曇ってゆく。
行為の余韻なのか、それともこのすっきりしない気持ちがそうさせるのか。
とにかく力の入らない腕と足を投げ出して、祐巳は壁に体を預けた。
「私ね、祐巳さんみたいな友達・・・今まで居たことなかったの。」
隣に座っていた由乃さんが、ふと口を開く。
体育座りで膝を抱え込む由乃さんの横顔が何処か切なげに見えて、祐巳は視線を再び窓の外へ向けた。
「だから祐巳さんが悩んでても、どうしてあげたら良いのか分からなくて凄く苛々してた。」
「・・・うん。」
「急にあんな事しちゃってごめん。話したくない事なんて・・・誰にだってあるのにね。」
「・・・ううん。」
祐巳は首を横に振ってみせた。
言葉が足りなくて、由乃さんを傷つけてしまったのは祐巳の方だったから。
「でもそれだけじゃない。祐巳さんはまた祥子さまとの事で落ち込んでるんだって思ったら・・・なんか無性に腹も立って。
どうして自分はこんなに怒ってるんだろうって・・・しながら考えてたら、私は祐巳さんが好きなんだって気が付いた。」
「・・・由乃さん・・・。」
突然の告白に、祐巳は驚いて由乃さんを見た。
だって由乃さんがあんな事をしたのは、以前と同じようにだんまりを決め込む祐巳に腹を立てたからだとばかり思っていたから。

「私達、もう元には戻れないね。」
淋しそうに由乃さんが微笑んだから、その後何か口にする事は出来なかったけれど。


『私達、もう元には戻れないね。』
由乃さんが残した言葉を、祐巳は胸の中に押し込めながら一人帰り道を歩いた。
由乃さんが、祐巳を好きだと言った。中途半端な気持ちで、祐巳は由乃さんに抱かれた。
その時点で二人の関係は既に親友で片付けられる物ではなくなってしまったのだから、由乃さんの言葉は多分正しい。
もしかすると祐巳は、同時に恋人であるお姉さまと親友であった由乃さんを同時に失ってしまったのかもしれない。
「元には戻れない、か。」
お姉さまと純粋な気持ちで愛し合えていた関係も、由乃さんと気軽に笑い合えた関係も。
どんなに願っても、もう戻っては来ないのだ。

これからどうなって行くんだろうと、祐巳は晴れた空を仰いでぽつりと呟いた。
「・・・どうしたらいいんですか、お姉さま。」
当たり前だけれど。
今にも消え入りそうな祐巳の声はやがて辺りに解けて、お姉さまに届く事はなかった。

梅雨はもう明けたと思っていた。
お姉さまとの愛情や由乃さんとの友情はこれから育てて行けるんだって、信じていた。

一体、自分は何を勘違いしていたのだろう。
・・・雨はまだ、止んでなんかいなかったのに。


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