「流石にちょっと天国見えたねぇあん時は。まぁこうして無事日本に着いたから今じゃもう笑い話なんだけどさ」
「そうか。それは残念だ。そのまま本物の天国を堪能してくればよかったのに」
「やだなあ、素直じゃないんだから。みずはは覇者りんと一緒の時ならいつでも天国見」
ボフン。
「………」
「風呂に入る。決して覗くな」
「そう。じゃあ一緒に入る」
「今のを訂正する。金輪際我輩の裸を見るな。勿論我輩の脛も腹も鎖骨も全部だ。偶然見えたなどというものも例外にせんからそのつもりで」
「なんだよそれ!!」
無理に決まってんじゃん!!という絶叫を背中で拒絶し、覇者は脱衣所のドアをぴしゃりと閉めた。
独りきりになってやっと息をつく。
家に帰るとどうしても首をつるなり手首を切るなりそういう想像しか出来ないので奴が―――みずはが「会おう」と行ってきたのは(認めたくはないが)渡りに船だったのかもしれない。
海外から帰ったばかりだというのに、奴は家に帰るようなことはせず直接我が家にやって来た。案の定「会いたかった」と抱きつこうとしたので、鳩尾に真っ直ぐ足を突き入れるという挨拶もきちんとかましてやったが。
かすかに剃刀の誘惑を感じつつバスルームのドアを開ける。水滴で滑る冷たいタイルを歩き、シャワーノズルを取った。
心地よいお湯が頭、体、足と流れていく。うっとりと目を閉じて、しばらくその感触を楽しんだ後栓を締めようとして………やめた。
(………)
そういえば、酷く滅入っている時ほどその温かさがやたら身に染みる気がする。
人肌に温めた水で包まれる事がこんなに嬉しく優しいものとは、一体世界中の何人が感じているのだろうか。
気付けば湯を垂れ流しにして、自分の胸にかけていた。確実に脈打つ心臓と、誰かのそれに似た温もりを添わせるように、ただ優しく。
…ああ、厭だ。一体我輩は何がしたいのだ。
シャワーの勢いを痛いくらい強くし、ほとばしる湯に頭を突っ込む。
首を伝い、腹を伝い、局部に湯が及んだ時にはたと誰かを思い出したが、わざと頭の中から抹消した。
これ以上、気持ちを掻き乱されるのは真っ平御免だ。
部屋に戻ってくると、なにやら神妙な顔をしてみずはがこっちを見つめていた。
「何これ」
「…何がだ」
「今日の日記」
ノートパソコンをぐりっとこちらに向けると、我が帝国のトップページが見えた。
「ああ…」
頭が痛い。なんだ、説教でもするつもりなのかこの男は。
というか、何故貴様が我輩よりも辛そうな顔をする。
「だから電話くれなかったの?」
「しないのはいつもの事だろうが。違う、誰とも話したくなかった」
「みずはとも?」
「…ああ」
「水臭いよ、恋人なのにさ。それならもっと早く帰ってきたのに」
「………」
「でもよかった。みずはが帰ってくるまで、覇者りん生きててくれた」
「勝手に自殺願望の塊にするな。別に貴様の為に待ってたわけじゃない」
「それでもいい」
立ち上がって駆け出して、みずはは我輩の濡れ髪ごと抱きしめてきた。
「俺の知らない所で死ぬなんて許さない。覇者りんの死に水取るのは俺なんだから」
「…貴様何時まで我輩に付きまとうつもりだ」
「終生」
すり、と首筋に頭を擦り付ける。
みずはの頬が濡れて、その頬に我輩の頬が濡れる。
「一生、どんなに嫌がっても傍にいるんだ」
「……我輩の気持ちは無視か」
「無視なんかしてないじゃん。覇者りんはみずはが好きなんだから」
「誰が何時そう公言した」
「してなくても、みずはがそう思ってるんだからそうなんだよ」
勝手な奴だ。本当に勝手な奴だ。
連絡しなかったのは貴様も同じだろう。
金髪碧眼の女に現を抜かしていたのはどこのどいつだ。
我輩がなにも知らんとでも思っているのか。
三歳児と(偽装とはいえ)結婚までしたくせに。
愛人はべらせて何が好きだ。死に水だ。
ぐにょぐにょの地球外生命体が何を抜かす。偉そうに。
我輩の事など本気じゃないくせに
…そう、言えればいいのに。
引き寄せられた唇を合わせるすれすれで、奴がそっと目を開ける。
「覇者りんが、一番だよ」
「…だったら他の連中とも早く切れて欲しいもんだな」
もっとも、そんな事をするようなみずははみずはじゃないんだろうけれど。
キスをしながら、自分から腕を伸ばしてみずはを抱きしめてみた。
…あのシャワーの温もりは、悔しいけれどやっぱりこいつに似ている。
自分を、涙が出るくらい安心させる。
これが事実なんだから、なんて口惜しい。
キスの後、『恋人』って言葉否定しなかったねと奴は笑った。しまったと思った。
しばらくしてみずはが帰った後、我輩はパソコンに向かい合っていた。
奴にいえなかった言葉の全てを、メールの上に並べたてて。 終