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I was born.
私は産まれたのではない。 産まされたのだ。 ベッドに横たわり、鉄格子の嵌る窓から、どんよりとした空を眺めている毎日。昨日はこの秋初の雪が舞った。カレンダーは秋でも、ここの広大な土地だけは、もう、冬なのだ。 私がこんなところで時間を費やしている理由は簡単である。 母から、産みの母から逃れるためである。いや、正確には違う。あのまま生家で日常を送っていたら、私か母のどちらかが、この世を去っていただろうから。 母など死んでしまっても構わないと思っている。これまで受けた苦しみを全て肉体に向けていいのであれば、この手で母の時間を止めたいと願うだろう。今はこれでも落ち着いた方だ。しばらく前は、世の中から人など全て消えてしまえば良いとも思っていた。 私が初めて人に抱いた殺意。 しかし、その対象は母ではなかった。 私には兄がいた。しかし、もういない。記憶の中にだけで生きている兄。そして、弟もいた。弟は数年前に家を飛び出して以来である。父にはときおり金の無心電話が掛かってくるらしいので、どこかで生きているのだろう。 私がまだ幼かった時、弟が友達を連れて家で遊んでいた。その時、私が何をしていたのかは記憶に無いが、この二人からは度々苛められていたという苦い思い出だけは残っている。 姉が弟に苛められるのは、別段不思議なことではない。 家族と言うのもおこがましい、この一集団における私の地位は、最も下にあったのだから。少なくとも母には、私を人として映す心も眼も皆無だったのだから。 寵愛される弟、虐待される姉。 母の言動を常に見ていた弟の目にも、私という存在は遊び道具くらいにしか捉えていなかったのであろう。まだ幼い。幼いが故に、人間という尊厳など微塵も意識できない時。 キューピーのソフビ人形で戦いごっこに飽きた弟は、友達が最近買ってもらったという空気銃で遊び始めた。初めは人形を標的に遊んでいたはずが、次の瞬間には十分な痛みの威力を与えられたBB弾が、私を目指して飛んできた。向けられた銃口に、反射的にきつく目を閉じたの幸いし、それは瞼に当たるに留まった。 脳の奥まで響く痛みが身体の全神経を揺すぶり、家に戻ってランドセルから彫刻刀を手にするまでは、さして時間を要さなかった。右目から流れる涙と、左目から流れる涙の意味は全く別物だ。 痛みと怒り。 ぼやける視界の中で、それまでストックしていた殺意を、体中に解放したのだ。 しかし、幸か不幸か、それは叶わなかった。母に見付かったからである。団地の表面にある駐車場で追い掛け回していたのである。もしも今なら、こんな単純な殺意と方法を選択しなかったと思う。 今でも覚えている。 「祖母ちゃんの家に行きなさい!」 母が私の頭上から浴びせた台詞だ。 意味が分からなかった。どうして、私だけ叱られなければならないのか。 しかもなぜ、祖母の家に行けと言われたのかも。母は私の心を理解しようともしなかった。殺意が湧いた理由を、全く知ろうともしなかった。 私は、ひょっとすると邪魔なのかな……幼心にこのような傷を負う生活。 殺意が薄れることなく、気が付けば自らの命に手を掛けるようになっていた。 ベランダから身を乗り出し、そのまま重力に任せ落下した。 殺意の解放からほどなくして、自分の生に対しての呪縛を解放してしまった。 恐怖など何もなかった。こうすることを、皆が望んでいるものだと思った。だが、二階からでは命を絶つ以前に、ほとんど怪我をすることもなかった。下が柔らかい芝生ということもあり、軽い打ち身と一瞬の脳震盪で終わってしまったのだ。 今思えば、このとき死んでしまっていれば、これまでの苦い思いを全て経験する必要がなかったのだ。しかし、こうやって今を生きていられなかったわけだ。 生きていることについての不安はある。苦しみもある。 だが、一人ではないという確信も得ている。人間は、母と弟だけではないのだと。 それは、父の存在があったからだ。 私の唯一の味方。幼い私を大人に成長させてくれた人間。 父には感謝している。父自身が苦しい時でも、私を支えてくれた。父の苦しみに喘いでいる時、父はどこに支えを求めていたのだろう。 大人になってから、父のありがたみに気が付いた。 ここまでの話は、私の人生にとって序章でしかない。 いつの日か、また筆を取る気力が出たら、この続きを綴ってみたい。 今日はもう疲れた。 睡眠薬を飲んで寝よう…… おやすみ。 〜(続く)〜 |
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Written by 桃桜 杏 anzuhime_312@hotmail.com |