いつも通りのテキスト学園理事長室。他の生徒は春休みなので寄宿舎にいる者と家に帰る者で分かれ、こうしてパソコンに向かい業務をこなしているのは教師のみ。だが、教師も一部の者を除いては殆どが家に帰って仕事をする人間が多く、ある意味学園内は閑散としていた。
「暇・・・だ」
やらなければならない事は数あれど、理事長でなくても出来る仕事である。この若くして理事長まで昇りつめた男は何もしてない事が嫌いな性質であり、休みの時ぐらい休めばいいのにわざわざ学園にまで出向いて仕事をしているのである。
「暇なら遊びに行こう」
ひょい、と顔を出した男に理事長はげんなりとした顔をした。
「どうしてこうオートロックの扉を開けて来るのか」
「技術」
目の前のこの男。臨時英語教師兼理事長補佐兼学園内で唯一他国との通訳を出来る男。元は学園より上の組織にいたが、ごたごたがあって今では理事長の補佐の名目でいりびたっていたりする。
「仕事中だ」
「暇なんじゃなかったっけ」
無視して理事長は仕事の続きを開始した。この理事長室。別名蝋人形の館とも言われており、あちこちに蝋人形のオブジェが見えるが今は外からの光を浴びてただのマネキンのようにしか見えない。
「気が散るから帰れ」
そんな言葉に従うぐらいならハナから来ていない。理事長の覇者りんが嫌な顔をすればする程、構うのが嬉しかったりするのだ。対照的な二人だったりする。
様々な肩書きを持つ男、みずはは理事長室の窓をいっせいに片っ端から開けていく。突風が部屋の中に入ってきて、覇者りんは書類を手で押さえてパソコンの仕事の中身を保存した。
「何やって・・・!」
「桜」
「はぁ?」
困惑する表情。書類に落ちる薄紅色の花弁。ざーっと音がして、開け放たれた窓から一斉に桜の花弁が入ってきた。
書類を机の中に入れ、ノートパソコンの蓋を閉じるとみずはが見ている外を一緒に見る。
「花見だねぇ」
窓の淵に凭れて優雅に笑う。学園の庭ではビニールシートを広げて寄宿生達が宴会をしていた。
「高校生が酒を飲んでいいと思ってるのか」
「死ななければいいんじゃない?兄貴先生も家元も生徒会長もいるからそんなに危ない事にはならないでしょ」
「上の者が率先して何をしているのやら。これだから学園の風紀が」
30人ぐらいの馬鹿騒ぎしている場を羨ましいと思いつつも、最高責任者なるもの一緒に騒げるわけもなく。窓を閉めようとした理事長にみずはが徳利を出した。
「飲もう」
「正気か。貴様はこの神聖な学園をどう思っている」
「固いなぁ。別に何もしないから」
「何かしたら窓から突き落としてやる」
「何かって、何?」
「・・・・・・」
理事長より少しばかり背の高いみずはが理事長が閉めようとした窓に手をかける。理事長は窓を閉めるのを諦めて遠くを眺めた。一面に咲き誇る桜。窓を閉じてずっと理事長室に篭っていたからか、それとも興味がわかなかったせいか、何も感慨が起こらなかった。この男が来るまでは。
ふざけているのか真面目なのかその表情からは窺い知れない。部屋中に舞い降りる桜。白い徳利と猪口を持って笑む身長の高い男。
「今日ばかりは多目に見ようよ。春休みなんだし。酒の飲みすぎで急性アルコール中毒になっても俺らの責任じゃないし。大人が二人もいれば止めるでしょ」
椅子を窓の側まで持って行って座りながら桜を見る。
「・・・あの大人二人が一番心配だ」
「はははっ。言えてるかもね」
みずはは理事長に猪口を渡すと、徳利から酒を注いだ。
「誰も飲むとは」
溢れるばかりに並々と注がれた酒。このまま持っていると零しそうだ。
「ほら、一気」
「今日だけだからな」
いつもこの男のペースに乗せられる。飲み干した後、徳利を奪い取った。
「二度目はないぞ」
「一杯頂戴」
「・・・」
飲んだ猪口に清酒を注ぎ、猪口を渡す。酒を飲む穏やかな表情に何故だか照れてしまい、視線を反らす。突風が止み、吹き荒れていた風も凪ぎ穏やかな風が花弁を二片、三片落とすだけになった。
「あんまり固い事ばっかり言ってないで一緒に馬鹿騒ぎしたいならそうすればいいんじゃないの?」
「怯えるだろう。周りが」
「怖そうな顔してるからだよ。例えばさ、この肩の棘とか取ってしまえばいいんだよ」
「身長は低い、年も若い、そんな中で異例の出世。莫大な権力を持ってても威厳を保つのに必死なんだ、これでも」
春の風がスーツを通る中、窓に頭を乗せて言う。こんな事は普段全く口にしない。言えるのは、年がそんなに離れてないのにもっと上の権力を持っていた相手だからだろうか。みずはは、学園を管理する上の組織から格を落とされて、今ここに存在している。若くして上の地位まで行く辛さを唯一分かりあえる相手だからかもしれない。その穏やかな顔つきからは苦労は窺い知れないけれど。
「大丈夫。俺がいるから」
桜の中でへらへらと笑っている。
「さあ、行こう」
出された手。いつも側にいる笑顔。
不純同性行為を自分で禁止しておきながら、桜の花弁がひらりと入るこの部屋で、この男に惹かれている。
どうかしている。
「何処に」
「徳利と猪口を返しに。これ、兄貴先生のものだから」
「何だって我輩が一緒に」
「だって徳利持ってるの覇者りんじゃん」
「・・・返しに行くだけだからな」
「うん」
差し出された温かい手。ひと気の無い校舎。窓の外からは延々と桜並木が見える。
「あのなぁ。いつまで手を握ってるんだ」
「俺が握っていたいから」
「強引だな」
「悪くないでしょ?」
「別に悪いとはその・・・」
「決まりだね」
春の陽気に踊らされている人間達。その中で少し照れた表情で徳利と猪口を返しに来た理事長を見て怖がっていた生徒達も「今日だけは特別だぞ」との言葉に一斉に喜び出す。みずはに手を引かれて帰るその姿にそこにいた生徒と教師の視線が集まったのは言うまでもない。
「・・・恥ずかしい」
「なら手を離せばよかったんじゃない?」
「いいんだ。今日はエイプリル・フールだから」
「そういう事にしておこう」
春の光が射し込む中、何故春休みに学校に来たか聞いてみた。するとこいつはさも当然のように笑った。
「暇そうにしてるんじゃないかと思って」
「気分転換にはなったな」
「でしょ?もうすぐ誕生日だね。何してほしい」
「別に何も・・・」
「考えておくよ。何がいいかな」
本人を無視してうきうきと考えているみずはを見て溜め息一つ。
忙しい、そんな理由で桜をじっくり見る事も無かった気がする。
一瞬にして散る桜と春風をこの男が運んできた気がした。
「どうしたの?」
「何でもない」
春、か。ぽつりと呟いた言葉が花弁と共に落ちた。
<END>