ぼくが彼女と知り合ってからもう10年になる。
10年程前に遡ると、ぼくは今ほどではないが、自分の性別が嫌だった。男性になりたいと思っていたのではなく、女性でいる事が嫌だったのだ。
母親を嫌悪し、母親の性別を忌み母親と同じ性でいるのが嫌だった。
そしてその母親から離れ、祖母の家に住まわせてもらい、それから男性とも女性とも肉体関係を結んでみたが、結局はどちらとも上手く行かなかった。
自分がおかしいのとは思っていたが、どうおかしいのかは分からなかった。
そんな折り、とある雑誌のサークル紹介を見つけた。
「GAME」GAY=MEというのから来ているらしい。
そこで初めてトランスセクシャルという単語を目にする事になる。
ぼくは当時、同性を相手にしながらも同性愛者が異端だと思っており、しかし今のようにネットワークが網羅されていない社会だったから情報源も乏しく、自分の性に迷い女性でいる事を嫌いながらも女性でいなければならないと思っていた。
「GAME」の主催者のさお。そこで初めてぼくは彼女と出会った。
バイセクシャルやノンセクシャル、そういった聞き慣れない言葉。ぼくは当時同人誌を作っており、そんな狭いカテゴリーの中で男性と知り合って恋愛をしていたが、実社会では小学校入学から中学卒業まで散々男子生徒に苛められていたせいか、男性は怖かったのだ。
女子高を選んでも卒業するまで集団の怖さには全く慣れなかったが。
だから当時FTMTG(女性から男性になりたい人。その中でTGは手術まで至るのまでは望まない人を言う)のさおに惹かれていったのだと思う。
ぼくは友人も少なく、肉体と性別の違和感を話せる人物もいなかった。そのサークルで初めてぼくがFTMTGのタチだと知った。
それからさおとぼくの付き合いが始まる。付き合いといっても文通程度だが、二人とも手紙を書くのは好きでお互いにハイペースで交換しあっていた。
母親への嫌悪からくるものだったので、トランスとは違うものだっただろう。男性への恐怖心もあった。
出来る事なら中性になりたかったのかもしれない。
さおへの愛情は憧れだっただろう。当時のさおが某バンドのコスチュームプレイヤーをしていた写真はぼくが求めていた中性そのものだった。
そのサークルには様々な人種がいて、「普通」の枠に嵌らなくてもいい事を知った。
人には人の悩みがあり、そのサークルには大勢の種類の人間がいたので会長として相談を受けていたさおは大変だったと思う。
誰からも愛されていたからやはり特定の彼氏がいた。
誰からも愛されていたからやはり不特定多数の相手がいるさおの楽園「EDEN」があった。
ぼくも愛していた。
「普通」の枠に嵌らないでいられる間はそれなりに幸せだったのだ。
間違っているのかもしれなくても。
その幸せは突如として崩れ落ちる。
母親が離婚してぼくが住んでいる母方の祖母の家に来たのだ。
理屈で言えば元々は祖母の娘なのだから母親にとってはここに来て当然だと思っただろう。
しかしぼくは許せなかった。
育てるのを放棄した母親。父親が一家を支える為に昼も夜も働いているのに勝てもしないパチンコで家計を食い潰す母親。テレクラやスナックで毎晩のように他の男と遊んでいる母親。
10年経った今でも後悔している。5時間ものお互いの罵倒の末に母親の「他に男を作ってすぐ出て行くから」そんな言葉で母親を家に入れてしまった事に。
母親が住み始めてぼくのものは勝手に捨てられていった。どんどん捨てられていくもの。さおの写真。さおから貰った膨大な量の手紙。ぼくの本。ぼくの服。机。椅子。ぼくの持ち物。宝物。
何度殺そうと思ったか分からない。でも「殺してやる」と言う度に刃物を投げられた。
正直、怖かったんだ。
「こういう人と付き合うから駄目なんだ」
「女なんだから女らしくしなさい」
父親が社長だったので、父親の会社に就職出来たが心は依然として晴れなかった。
母親から与えられた女らしいとされる服を着てもひっそりとさおとのささやかな交際は続いていたし、作り続けていた同人誌も押入れの中に入れていた。
髪を伸ばす事も含めてなんでもかんでも強要される。
「世間様から変な目で見られるでしょ」
「周囲からおかしな人だって思われるでしょ」
自分はこのままでいてもいいのだと思っているのにその考えは悉く排除される。
「普通じゃない」「まともじゃない」「お前は変だ」「おかしい」
毎日毎日降り注ぐ言葉。こうでありたいと願う自分とこうしなければならないと言われる言葉。
「ぼくは変なのか」「おかしいのか」
それは疑問系に変わっていき、やがて精神が軋み始める。ぐらぐらと。
自分でも女らしくしようとホステスをしてみたり、彼氏を作ってみたりしたがいずれにしても長くは続かなかった。
無理をして女らしくしようとしても駄目なものは駄目なんだ。
めっきり対人恐怖症になったぼくはレズビアンの集まりに出かけても何も自分からは行動出来なく、母親に殺意だけが次々と増加していった。
ぼくの価値観を壊そうとする母親に何年も対立して、何度殺そうと思ったか分からない。
自問自答。殺してしまえば悩まなくて済む。
母親殺しの罪は重く、15年は刑務所から出れないと聞いていた。
こんなぼくでも、さおとの付き合いを止めて刑務所に入るのも嫌だったんだ。
性差に悩み、生きるのが辛く、死んでも死ななくてもいいと思いながら生きていた。
風呂場を血で真っ赤に染めたり、絨毯を血で染めたりと自傷行為を続け、死ぬのなら死んでもいいと思っていた日々。
母親と同じ性でいるのを毛嫌いしながらも、男性にもなれない自分。
それまでは致命傷まで至らなかったが、やがて事件は起きた。
毎日死にたいと思いながら車を運転していたせいだろうか。ぼうっとしながら運転していた。その時道路を老人が横断していた。
80km/hで走っていた車。止まれない。このままだとぶつかる。
ハンドルを咄嗟に回した先には電柱。
車は大破し、ぼくは薄れていく意識の中で人を轢かなかった事に心底ほっとしていた。
病院のベッドの上。警察の何時間にも及ぶ事情聴取。同じ事を繰り返し尋ねられる。そしてそのまま精神病院に収容され保護者になってくれた父親。父親に泣きながらありのままの自分を打ち明けた。自分の事。母親の事。自分が女でいるのが嫌な事。死にたいと思いながら抜け殻のように生きていた事。
父親は黙って聞いてくれた。そして「このままお母さんと住んでいたらお前は駄目だ。俺のとこに来るか?それとも俺の持っているマンションに住むか?」。父親には既に奥さんがいる。ぼくは人が怖かったので一人暮らしを選んだ。
退院後、引っ越しの際には父親が手伝ってくれた。母親には父親の家に住むと言った。
さおとの付き合いはそれからも続き、一人暮らしを始めてから3年経った今では結局ぼくは女である事を選んだ。自分と母親への嫌悪感は無くならなくても薄れては、いっていると思う。自傷行為もしなくなった。
強要されたからでなく、結局ぼくは男にはなれないのだから。
さおの方も色々あったんだろう。今ではすっかり女らしくなって昔のコスしていた頃を鮮明に覚えているのはぼくの他には少ない筈だ。
さおはぼくの話を聞いてくれるよき理解者だ。
ぼくは今でもさおを愛している。
だからこの話をさおに捧げようと思う。
さおがいなければぼくはとっくの昔に死んでました。
有難う。
<END>
作者注:この話はノンフィクション形式を取ってますが、所々フィクションが混じってます。
その辺の程ご了承願います。