体に発疹が出来た。掌にぽつぽつと赤い点が。SSRIという薬の副作用だ。こういう症状が出たのは初めてだったので、珍しがって手を閉じたり開いたりしてみた。すると赤い斑点が広がっていくではないか。
(面白い…)
部屋の中をうろうろと歩く。普段はあまりしない掃除などをしてみる。運動量に応じて発疹が広がっていく。やがて掌全体に。そして腕までも侵食し。動きを止めると徐々に治まっていく。完全に動きを止めて数分後、やがて掌だけに斑点が残った。
こういう面白い事を一人で楽しむのも味気ない。我輩は友人に電話した。今の症状を。
「それって移らないのかな?」
「SSRIは鬱病の治療薬だ。それの副作用で出たものだから他人には移らないだろう」
友人は弾んだ調子で「今、行く」と言って電話を切った。我輩は今の所無職だからいいが、こいつは空白の三週間に突入していて…即ちその三週間の意味は仕事ではないのか?
考えるのはよそう。奇妙な友人の奇抜な考えは我輩のような平凡な頭脳からは計り知れないのだから。
大阪−京都間をものともせず、そいつは直ぐにやってきた。にこにこと人当たりのいい笑みを浮かべて。この笑みに騙される女は数知れずだな…と少し思い浮かべながら我輩はそいつを部屋に入れた。
「仕事はどうした?」
「いいって、それより掌見せて」
……いいのか……?
掌を見せる。赤い斑点がある。我輩は手首を軽く振る。斑点は少し広がり、やがて指先まで赤く染めた。
「すごーい」
わきわきとそいつが我輩の掌を揉む。徐々に斑点が手首の方へと侵食していく。
「そうだ、きゃさりんは?」
きゃさりんというのは我輩の同居人で家賃の折半相手。女性だが、別に恋人とかそういう訳ではない。何故なら奴は度々この部屋に帰らない日があり、我輩は他に彼氏がいるんだろうと思っているからだ。詮索はしないが。それに、奴と暮らし始めたのも単に仲のいい友人だからという理由で実は好きだったとかそれは無いし、相手にも選ぶ権利はあるから身近で楽だからなどという詰まらない理由で我輩のような男を選ばないだろう。同じ趣味の同居人。こいつ…みずはが3歳の幼児と偽装結婚をした時に我輩ときゃさりんが一緒にその結婚式会場に行って祝福の言葉を述べた時に喜んでもらえたようだし…。ともかくみずはは見ていて飽きない。面白い。普段は真面目な詰まらない方の元塾講師、そんな感じだが毎日の行事(と言っても差し支えなかろう)が絶えないのだ。
そんな毎日の行事に我輩も花を添えている気がしなくもないのだが、それはさておき。
「出かけた。今日は帰ってこないそうだ」
「ふぅん」
にたにたと笑う。嫌な予感がした。こいつがこんな笑みを浮かべる時は碌な事が無い。
「服、脱いで」
「………何故」
「まぁ脱がなくてもいいけど」
みずはは冷蔵庫の横に設置している元は靴棚だったが今では酒瓶置き場になっている所に行くと、我輩が所望している秘蔵のウィスキーを手に取った。
「待て、それをどうするつもりだ」
「1.俺が飲む。2.覇者りんに飲ませて体を熱くさせて自分から服を脱ぐようにする。3.覇者りんにこのウィスキーをぶちまけ…」
「お願いです3だけは止めて下さいお願いです3だけは止めて下さいお願いです3だけは止めて下さい」
「よろしい」
何がいいんだ、何が。
取り敢えず上半身だけ裸になった。
「この赤い点ってどこまで広がるのかなぁ?」
「さあ」
触られた掌が熱い。秘蔵物のウィスキーはこいつの手から取り上げて、我輩は別のウィスキーを用意した。確かにこいつには高価なものの方が似合うが、だからといってそう易々と渡す訳にはいかない。
ウィスキーグラスに琥珀色の液体が注がれる。アイスピックで砕いた氷をグラスに落とし、二人で乾杯した。…何に乾杯したのかは分からないが。
「運動量によって発疹が広がるんならさ、多分それは体の熱で広がっていくと思うんだ。だからお酒とか…で体を熱くしていけばきっと腕から体全体に広がっていくと思うんだよね」
「腕ぐらいならいいが…顔中を斑点だらけにして我輩が外を出歩いていたらきっと誰もが避けて通ると思うぞ」
「覇者りんって普段からその風貌で人を避けさせているじゃん」
…悪かったな、非モテで。
無言でウィスキーをストレートで流し込む。確かに斑点が広がっていく。手首に。腕に。そして肩に。…ああ。
ぐらぐらと視界が揺れている。酔っていると自覚しているが、意識ははっきりとしていた。目の前のこいつはいつの間にか我輩の側によってきてしげしげと赤い斑点を見つめたり、触ったりしている。
「そんなに珍しいか?」
「普通の人間にはそういうのは現れないからね」
「…我輩は貴様よりは普通だと思うがな」
「どうだか」
すべすべした掌が我輩の胸をなぞる。
「止めろ」
「何で?」
「…くすぐったいから」
「ふぅん」
本当は別にくすぐったいとかそんな事は無かったが、こいつに裸の体を触られているのが耐えがたかった。
「もう充分鑑賞しただろう」
そっぽを向いて我輩が服を着ようとすると、そいつは後ろから抱きついてきた。
「何をするんだ」
「んー…酔ってるから寄りかかりたいだけ」
人の体重は純粋に心地良くて。でも別に我輩はそういう感情は抱いていなくて……
「って何をするんだ!」
そんな事をつらつらと考えている間にそいつは慣れた手つきで我輩のジーンズのチャックを降ろした。
「何って…分からない?」
「分かりたくない!」
反論を唇で塞がれた。ぬめりとした舌が口腔内に侵入する。意識を手放そうかと思った時にやっと唇が離れた。
「いつもいつも我輩は言っているだろう!そういうのは嫌だと!大体貴様は男同士だからだとかそういうタブーは持ち合わせていないのか!」
「普段から好きだって言っている相手と2人きりの状況を作った覇者りんが悪い」
「我輩はそんな事は言ってない。断じて言った記憶は無い!」
「だっていつも触られたら勃ってるでしょ…ってあれ?」
そいつが我輩の股間に手を伸ばしても、今日ばかりは反応しなかった。
「おかしいなぁ…覇者りん敏感なのに」
「……薬の副作用で勃たなくなってるんだ」
「口で嫌だと言っている割には抵抗しないよね」
だから我輩はそういう感情は持ち合わせていなくて…
「しようか」
本気でどうでもいいが、こいつが我輩の部屋に来る時にいつもコンドームを持ち合わせているのはいつも機会を狙っているからだと思う。理性が逆らえと命じているのに我輩はそいつのされるがままに服を脱がされていった。そして体中に斑点が広がっていった。
日付が変わり。
ベッドで不敵な笑みを浮かべながらそいつはこう口にした。
「覇者りんが勃たなくなっても全然問題無いんじゃないの?」
嫌な奴だ。本気で心からそう思う。我輩はぐったりしながらそいつの言葉を聞いていた。
「そういえばさ、今日はテキストサイト座談会があるんだよ。俺、いつも忙しいでしょ。今日、一日休みだからアルファーインターナショナルのおはらさんが座談会を開いてくれたんだ。ほら、覇者りんも俺もちゆAV制作に関わっている人間だし」
「たまの休日ぐらいゆっくり休めばいいだろう」
「ほら、だって覇者りんに合法的に触る理由欲しかったし」
そんな訳で我輩は朝から疲れきった体でこいつとのろのろと新幹線に乗り込み、その座談会に参加した。
座談会は居酒屋で行われ、我輩は昨日の事を忘れるかのように酒をくらっていた。そして我輩に同行していたこいつは…いつもの他人に接する穏やかな笑みで会話に参加していた。
…誰にも知られていない関係か…と思いながら座談会に参加していたので結局我輩は聞き役にまわり、他の人間に比べて言葉数は少なかったと思う。あまり話すと体が痛くなるからという理由もあるが。
例の斑点は消えていた。我輩は心の中で「またこいつの毎日の行事に花を添えてしまったな」と思っていた。
何故ああなるのを承知であいつを呼んでしまったかはもう考えない事にした。
END