カオスチェス/亜村有間


「カオス・チェス」

              亜村有間

「ちぇっくめいとぉ!」
 艦橋に、明るく元気でよく通る、それでいてほのかに艶やかな声が響きわたった。
「ち…ちょっと待ってよ、艦長。まだわからないわよ」
 エリナは、組んだ腕に強く力を入れ、低く唸りながらゲーム盤を睨みつけた。
「そうですか? だめみたいですよ。一番いい手を選んで三手先までですね」
 横からひょいっと覗き込んだ少女が、あっさりと無慈悲な宣告を下す。
「ほ、本当? ホシノ・ルリ? …えーと…えーと…。…あ…」
 しばらく必死で盤を見つめていたエリナはやがて敗北を悟りがっくりと首を落とした。投げやりに適当な手を選ぶ度に、ユリカのチェックメイトがかかり、ちょうど三手でゲームは終了した。
「ぶいっ! これで九勝二敗だね!」
 手放しで喜ぶユリカ。
「くーっ、今回こそ三勝目を勝ち取れそうだったのにっ!」
「まあまあ、ユリカから二勝取れるなんて大したものですよ。士官学校時代のユリカなんて…」
 むくれているエリナ、ほとんど条件反射的にフォローに入るジュンを見向きもせず、ルリは、すいっ、とユリカの前に進み出た。
「じゃ、艦長、次、お願いできますか?」
「…へっ? ルリちゃん?」
 なぜか一瞬だけ引いたユリカだったが、次の瞬間、ぐっ、と拳を握って熱血しながら向き直る。
「よーし! 手加減なしでいくよ、ルリちゃんっ!」
「はい、お願いします」
 ルリはペコリと軽く頭を下げた。
 

   ☆   ☆   ☆

 
 説明しよう。 
 カオス・チェス。その由来は2100年頃の複雑系研究だと言われているわ。数学研究と人工知能研究の学際分野で派生的に生まれてきたものだとされているわね。
 その特徴は、まさに複雑系の名が示すとおり、「決定論的でありながら定性的予測が不可能」それに尽きるわね。つまり、結果は各回で選んだ手だけで確実に決まって、運には一切左右されない。しかし、それにも関わらず、どんな手を選んだら勝利できるかを分析するのが極めて困難だということ。
 あと、規則が簡単で初心者でもすぐに出来るようになるにも関わらず、組み合わせの爆発は桁違いに大きくて、総探索によって確実に勝利する手を探すことは不可能だということも特徴ね。不可能と言っても、「現在の技術では」というただし書きがつくわけだけど、オモイカネ級のコンピュータでも、30手先以上の探索を行うには100億年かかるって言うんだから、事実上は不可能だと言っても差し支えないでしょうね。
 ニューラルネットでもかなり強い「棋士」は作れるんだけど、今のところ、人間のチャンピオンより強い棋士は生まれていない…そう言った意味でも、知能研究の上では極めて興味深い対象とされているわ。
 蛇足ながら、世俗の間でも、子供から学者まで、広く親しまれていて、連合大学でも、「カオス・チェス実習」なる単位が存在するぐらいだから、「カオス・チェスに強い」ということは、そのまま「頭がいい」ということにつながるわけね。もちろん、知能のごく一分野を評価するにすぎない、ということはわかっている人はわかっているんだけど、腕に覚えがある人どうしだと、ついつい熱中してしまうわけね。
 …そう、まさに今、ナデシコで流行ってしまっているように。
 
「解説は、恥ずかしながらお約束どおり、私、イネス・フレサンジュがお送りしました」

   ☆   ☆   ☆


「よーし、次はルリちゃんだよ!」
「はい」
 ルリは、落ち着いて、盤面を見渡した。丹念に、しかし時折大胆に相手の戦力を削いでいく彼女の戦略は今のところ功を成しており、一応、こちら側が優勢なようには見える。しかし、今回の勝負の中だけでも、二、三回、思わぬ手で情勢をひっくり返されており、まだまだ油断できる状況ではない。ユリカは決して相手をせかすことはなく、にこにこしながらじっと相手の出方を見守っている。
 そんな二人の様子を眺めていたジュンは、ふと、首を傾げた。
(ん? ルリちゃんどうしたんだろう?)
どうも、ルリの挙動が先ほどから不審なのである。表情はいつもと変わらず落ち着いているが、意識的にユリカの顔から目を反らしているようだ。それも、気を緩めていると、自然にユリカの顔に視線が移ってしまい、慌てて盤上に視線を戻し、駒を睨み付ける…そんな感じなのである。
 ついに、決心して駒の一つを摘み上げたルリは、ゆっくりと空中を移動させ始めた。
(これで…たぶんいいはず。)
 その途中で。
「あっ」
 ユリカの口から漏れた微かな声に、ルリの手はぴくりと震えて止まった。反射的に、一瞬だけ見てしまった相手の顔は、泣き出しそうに歪んでいた。無視して移動を再開させると、雲の間から太陽が覗くように、ぱーっとユリカの表情が明るくなっていく。さっきの位置へ戻していくと、また、ふにゃーっと情けない表情に戻っていく。
 にこにこ。
 ふにゃーっ。
 にこにこ。
 ふにゃーっ。
「……」
 無言のまま数回同じことを繰り返したあと、ルリは空中に駒を止めて、じっと考え込んだ。
(どうして…ここで? まさか…あっ!)
 突然悟ってしまったルリは、一瞬ためらった後、静かにその場所に駒を降ろした。
「あーっ!」
 突然のユリカの大声に、集まっていたギャラリーはぎょっとして一歩引いた。
「どうしたんだよ、ユリカ? 別に、チェックメイトじゃないだろ?」
「あ、アキト、何でもない、何でもないの!」
 ユリカは、ぶんぶんぶん、と勢いよく首を振った。挙げ句の果てに、バランスを崩してあわや椅子から転がり落ちかける。
「…本当に、どうしたんだよ、ユリカ?」
「え、えへへへへ…。はーあ…」
 数分後。
「チェックメイト」
「ふえーん」
 ルリの落ち着いた声と、ユリカの情けない声、そしてギャラリーの静かなどよめきが艦橋に響きわたった。
「これで七勝四敗かあ。さすがね、ホシノ・ルリ」
「別に。大したことないです」
 溜息混じりのエリナの賞賛に、返すルリの言葉はいつもながらそっけない。そのまま、がたん、と音を立てて椅子を引くと、そのまま艦橋を出ていってしまった。
「ん〜? どうしたんだろ、ルリちゃん…」
 その様子を首を傾げて見守るジュン。
「なによ? あの子が無表情なのはいつものことでしょ? 『きゃーっ、やったぁ、艦長に勝ったーっ!』なんて喜ばれる方が不気味じゃない」
 不思議そうにジュンの方を振り返るエリナ。
「そ、それはそうだけど…」
 あまりにも違和感のある想像に一瞬たじろいだジュンは、それでも言葉を続けた。
「…なんか、無表情を通り越して不機嫌だったような気がして…」
「はあっ? 何で勝負に勝って不機嫌になるわけ?」
「そ…それは…」
「よーしっ!」
 いきなり、立ち直ったユリカの声に、二人の思考は途切れた。
「明日は負けないよっ、ルリちゃん! …あれ? ルリちゃん?」
「さっき、出て行っちゃいましたけど?」
「そ、そうなの…」
 メグミにさらりと教えられて、ちょっとだけ肩を落とすユリカ。
『まったく、ユリカって、見かけによらず負けず嫌いなんだから』
 科白が重なってしまったアキトとジュンは、思わず顔を見合わせて、気まずそうに顔を逸らした。
 

   ☆   ☆   ☆

 
「よーし、これで終わりっと! ふわーあっ…」
 自室で事務仕事の残りを片付けていたユリカは、口に手を当てながら大きな欠伸をすると、思いっきり背を伸ばした。すでにパジャマに着替えてしまっており、いつでも寝られる体勢に入っている。でも…。
「さてと、寝る前にっと」
 いそいそと画面を切り替えて、再び、ディスプレイに向き直る。
「オモイカネ、いつもの。…一局だけお願いね」
 

   ☆   ☆   ☆

 
 同時刻。とある少女の部屋にどこからか通信が入った。そっとふとんから這い出た少女は、電気もつけずにパジャマ姿のまますたすと端末に向かう。
 

   ☆   ☆   ☆

 
「やったねっ! …付き合ってくれてありがとう、オモイカネ」
 そう言ってユリカは端末を切ると、ふとんに潜り込んだ。
「あーあ、オモイカネ相手だったら、結構勝てるんだけどなあ」
 ぶつぶつとそんなことを呟いていたユリカは、突然、ふふっと笑った。
「それにしても、オモイカネの手って、本当にルリちゃんの手によく似てるよね。やっぱ、あの二人って兄弟みたいなものなのかなあ。なんかいいな、そういうのって。…むにゃむにゃ…」
 そしてその幸せそうな表情のまま、眠りの国へと誘われていったのであった。
 

   ☆   ☆   ☆

 
「…ありがとう、オモイカネ」
 そう呟いたルリは、接続が切れた後も、しばらく真っ白の画面を見つめていた。
「これで、四勝七敗。…私って、見かけによらず負けず嫌いですね」
 そう呟いて、ふとんに潜り込んだルリは、しばらく天井を見つめていたが、やがて、不敵な、でもどこか嬉しそうな笑みを浮かべた。
「明日は負けませんよ、艦長」
 
   <終わり>
 

 
【後記】
 皆様、初めまして。私は、今のところ、ゲーム・悠久幻想曲関係中心のHP、クムナック・ステーションを運営しております、亜村有間と申します。今回は、成瀬尚登さんの企画、「ユリカたん祭り」に参加させて頂き、このような話を書いてみました。もともとナデシコは大好きで、何か書いてみたいと思っていたところだったので、機会を与えて下さった成瀬尚登さん、ありがとうございます。
 ユリカとルリ。私はこの二人が両方とも好きなのですが、実はこの二人、全然違うタイプのようでいて、以外と似た者同士な面もあるんじゃないかな、と思いながらこの話を書いてみました。
 特に、頭の回転の速さと柔軟さについては、二人とも、まさに逸材と言っていいと思います。こちらについても、その才能の現れ方は正反対ではありますが。
 この二人がライバル関係になったら、すごく魅力的な人間関係を築くんじゃないかな、とも思います。
 それではみなさん、読んで下さって、ありがとうございました。
 
               1999/05/30(Sun) 21:37:25
   亜村有間

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筆名  :亜村有間 (あむら あるま)
電子住所:クムナック(CMNAC)
Name [ Aruma Amura ]
E-Mail Address [ cmnac@lares.dti.ne.jp ]
URL [ http://www.lares.dti.ne.jp/~cmnac/ ]
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