text and edit by 成瀬尚登( n2cafe@s27.xrea.com )
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まどろみの中で、もがいていた。何もせずに、もがいていた。
何もしないことは、生きることのもがきだった。何かをしているというのは生存の存在証明(アリバイ)であって、それは無自覚のうちになされるから誰も気づかない。
何もしようとしていないのに、自分は生きている。
その矛盾は解決されるべきものだったし、実際にそれを解決しようとした。
あの時、木田時紀は永遠をつかんだはずだった。命の決し方を自分で決めることができない人間がほとんどの中で、みずからの命の決着を完全に自分自身で決定することができた。それは最高に幸せで、最高に無意味なものだった。
屋上から見た夕焼け空は、おそらく最後の祝福であったのだろうし、手首につながれた細いリボンは、「木田時紀は最後まで須磨寺雪緒と一緒だった」という事実を永遠にそこに留めていただろう。
だから……自分は、永遠をつかんでいたはずだった。
……そして、おとずれたのは、全身の痛み。もたらされたのは、無機質な病室で横たわっている自分。
死のうという意志を持ち、それを実行できた自分に対して、木田は魂の昂揚を覚えていた。世界を終わらせることができる唯一の人間であるとすら感じていた。けれども、つかんだものは何の価値もない偽物であって、かわりに、そんな意志や権力(ちから)などは虚構に過ぎないという現実を与えられた。
切れば痛い。折れれば痛い。触れられれば痛い。そういう肉体で感じられる感覚こそが、今の木田の世界そのものだった。
要するに、自分はどこにでもいる普通の人間だったのだ……木田はそう理解した。
「……木田くん」
不意に須磨寺雪緒の声が自分の顔の真上から聞こえてきて、あらためて木田は現実に引き戻された。
瞼を開くと、雪緒が自分をのぞき込んできている。窓から漏れてくる月明かりの光に照らされて、彼女が微笑していることがわかった。
すでに消灯時間が過ぎている。木田と雪緒の病室は藍色の闇に包まれている。そこは木田と雪緒にとっての牢獄だった。すなわち、生を以て贖罪せよ……と。投獄されてからの日々は、平穏そのものだった。病院にいるのだから、生を思い煩う心配は他の場所に比べれば圧倒的に少ない。まして、木田自身は投身したときの怪我のせいで、動こうとすればいまだに痛みが走る。無理に動く必要もなかったし、動くことは面倒くさいと思っていたから、必要なとき以外は動こうとしなかった。じきに痛みは消える。じきに……たしかに時間の経過は木田自身にも平等に存在していた。
「……起こしちゃった?」
「ううん、寝てなかった」
「そう、よかった」
須磨寺雪緒を組成していたツインテールは、いまは純朴な三つ編みになっている。着ている服も、ごくありふれた上下のパジャマだ。彼女は木田よりも怪我の程度が軽かったから、いまではふつうに動くことができる。こうして消灯時間の後に木田のベッド脇の椅子に腰掛け、木田と話をするのが日課になっていた。もちろん、それは雪緒だけの日課ではない。
「今日はなんだか疲れていたみたいだったから」
「痛みに耐えるのに疲れた。痛いのは嫌だ」
「仕方ないわ」
雪緒はくすっと笑った。彼女にこんな笑い方ができると気づいたのは、屋上から身を投げる直前のことだった。あの時の微笑、何の憂いも無く、これから楽しいところへ行くかのように心からはしゃいでいる雪緒の美貌は、木田にとっては永遠の象徴ですらあった。だから、木田は目を閉じて、足を一歩前に踏み出した。……その笑い方を、雪緒はふつうに見せるようになった。絶対の価値と思っていたものが陳腐なものになったような気がして、木田は残念に思った。
「ちゃんとリハビリをしないと、身体が動かないままになってしまうわよ」
「動かさなくてもいいなら、動かしたくない」
「……それは、無理」
一瞬、雪緒の表情がかげる。その理由を木田は知っている。木田は不服ながらもひとつうなずいた。生きているのだから、動かなければならない。それを拒む自由は、二人にはもう存在しない。
「そういえば、エミ公、今日は特にうるさかったな」
「あ、知ってたんだ。寝てたと思ってた」
「あれだけ騒げば、誰だって起きる。ここをどこだと思ってるんだか」
「わたしが退院する日が決まったって言ったら、急にはしゃぎだして」
「まあ、そんなことだろうと思った」
妹の恵美梨はほとんど毎日見舞いに来ていた。木田の知る限り、恵美梨は雪緒のそばにつきっきりで、自分の方へはあまり寄ってくるそぶりを見せない。それも仕方ないかとは思っているのだが、雪緒に言わせれば、木田のこともちゃんと心配しているらしい。当初はICU(集中治療室)に入れられ、容態についての予断が許さなかったとき、恵美梨の心痛は端から見ていてもそれとわかるほどに酷かったという。だから、恵美梨の態度はそれを隠しているだけだと雪緒は言うのだが、木田自身は信じていない。むしろ、そのまま逝ってしまっていた方が、恵美梨にとっては悲劇のヒロインになれるチャンスだったのではないかと思っている。その機会を恵美梨は逸したわけだ。
「……ごめんなさい」
雪緒は目を伏せて、静かに言った。
「なにが?」
「一緒にここから出られなくて。わたしたち、同じことをしたはずなのに、結果が違うなんて」
木田は首を横に振る。
「単純な誤差だろう」
「でも、神様に誤差なんてあるのかしら」
その言葉に、木田はため息をついた。雪緒はたまに神様という絶対的な存在を口にする。自分の意志を妨げる存在を、いまだに肯定的に信じることができている。
神様という絶対者を信じられるだけ、雪緒はまだ幸福なのだろう。彼女はまだ世界に愛されている。
「……無い。この誤差は、俺たちのしたことの結果だ。神様のくれたものなんかじゃない」
「あっ……そうね」
雪緒は初めてそのことに気がついたような表情を見せた。たぶん心から納得はしていないだろうが。
「ごめんなさい……」
雪緒は木田の身体を慈しむように撫ではじめた。それは彼女なりのいたわりと贖罪なのだろう。
そうして、ふと、雪緒の手が木田の下腹部に触れた。
触れられた瞬間から、それは毛布越しに雪緒の手の中で屹立しはじめる。
「あ……っ」
雪緒がかすかに声をあげる。雪緒の手が興味深げに木田のそれの上を動く。
「木田くん、苦しくない?」
「……ああ」
「……してあげる」
雪緒はそう囁くと、木田の腰の方へ椅子ごと移動した。
木田はわずかに首を上げる。
雪緒は木田に掛けられていた毛布をまくり上げた。木田のそこは、屹立しているのがはっきりとわかるくらいになっていた。
ためらいなく、雪緒は木田のパジャマを下ろす。
手を木田のブリーフの上に載せる。
「熱い……」
囁くように小さな声でつぶやいて、そこを布越しに撫でる。
ブリーフに手をかけ、雪緒はそれを木田のひざのところまで下ろした。
はぁ……という熱い吐息が、雪緒の口許から洩れた。
屹立に手を添えて、上を向くように持ち上げる。
「……だいぶ生えてきたね」
屹立の根本に手をやって、下腹部を撫でる。ICUに入っているときに、木田の性毛は消毒のために剃られていたのだった。
「子供みたいで、可愛かったのに……」
まるで遠い過去を思い出すかのように、雪緒は言う。それは、木田よりも先に退院してしまうことへの惜別の想いがそうさせたのかもしれない。
「こっちは……相変わらず、大人」
雪緒は屹立に両手を添え、口を近づけていった。
舌を出し、亀頭に触れさせる。ぞくっという刺激が伝わる。
「んっ……んん……」
亀頭にまとわりつくように雪緒の舌は絡みつき、離れようとしない。
「ふ……はぁ……んん……」
鼻にかかった、雪緒の甘い吐息。
ぴちゃぴちゃ……淫らな音。
舌先が笠の輪郭をなぞっていく。巧みに顔を動かして、先端の小さな口から裏筋をたどり、ぐるりと一周。
くっ……と、木田は声を洩らした。
「もっと……してあげる。んんー……」
それが雪緒を煽ったのか、こんどは舌先に力をこめ、くりくりと時間をかけて刺激しながら、もう一周。
「はぁ……」
雪緒が舌先を離すと、そこから透明な糸が曳いた。それに気づいて、雪緒は木田の先端に舌をあてがって、透明な液をすくうように動かした。
ときおり、ぐりぐりと舌先が割って入ってこようとする。その刺激に、たまらず木田は身体をよじった。すると、おもしろがって、雪緒はさらに激しく繰り返した。
「いくね……」
そうして、おもむろに雪緒は口を開き、木田の屹立をゆっくりとその中に納めていった。
「ふうぅ……うん……」
半分くらい入ったところで、雪緒の上顎の感触が亀頭に伝わった。
口をすぼめ、全体でそこを刺激しながら、ゆっくりと引き抜いていく。雪緒の手は木田の屹立の根本にあって包皮を押さえていたから、木田の敏感な部分が隠れることはない。雪緒の口腔と唇は、逃げ場の無い木田の敏感な部分を痛いほど締め付けて、しごいていく。
雪緒の激しい吐息。
「んんっ……ふう……うんっ……はあっ……」
その呼吸のたびに、木田には強烈な刺激が与えられていく。
口の中をかき回すように、雪緒は木田の屹立を動かす。
屹立が雪緒の唾液のせいで濡れていく。
それに合わせて、雪緒の動きも速く、律動的になっていく。
「はあ……んっ……」
くちゅっ、くちゅっ……。
そして、根本を押さえていた雪緒の手の片方が、ぬるぬるとなった屹立をしごきはじめた。
ああっ……と、木田は声をあげた。吐息はすでに荒く、そのため、喉の渇きを覚えていた。
「はぁ……木田くん……いくときは言ってね……んん……」
雪緒の口と手が律動的に動いていく。その単調で定期的なリズムが、かえって木田の中の官能を高めていく。
「わかってる……」
「うん……はああ……はあぁ……はあっ……」
雪緒も、さらに動きは激しさを増していき、何か憑かれたかのように、一心不乱に木田の屹立に奉仕しつづける。
木田の中で、根本にこみ上げてきているものが、ゆっくりと屹立全体を浸食していく。
「っ……須磨寺、そろそろ……」
木田の言葉に、雪緒は屹立を口の中に包み込んだ。
「……くっ……!」
「んんっ……」
その瞬間、木田は衝き動かされるまま、屹立から熱いものを解放した……雪緒の口の中へと。
雪緒は目を閉じて、木田の精液を受け止めている。
びくんびくんと、幾度となく、木田のそれは脈を打つ。
そうして、すべてが終わったのを確かめてから、なおも吸い上げるようにしながら、雪緒は屹立を口から引き抜いた。
口の中のものをこぼさないように顔を上にあげ、それを嚥下する。
雪緒の白い喉が艶めかしく動く。
「……っ、こほっ……」
だが、急に咳き込んでしまい、あわてて雪緒は手で口許を押さえた。
「おい……」
大丈夫かと言おうとした木田を、雪緒は空いている手で制止しながら、木田の放ったすべてを飲み込んだ。
「大丈夫。今日は量が多かったから」
隠すように手を口許に当てたまま、雪緒は微笑の視線を投げかけてきた。
「こぼしたら、ばれちゃう。看護婦さんに怒られちゃう」
「……ごめん、須磨寺」
「ううん、これくらい、どうってことはないわ」
雪緒はにっこり笑った。そのけなげさに、木田は言葉を詰まらせて、それ以上何も言うことができなかった。