13、











祭りの日…明け方までしつこいくらいに離してくれなかったカカシ先生に、後ろ髪を引かれつつ、漁にでた。

嵐は止んで、雲間から太陽の光が覗いている。
夜まで晴れるだろうと、同僚が空を見上げながら呟いた。

自分も男だから、好きな相手を求める気持ちはよくわかる。
でも、カカシ先生とのそれは、それだけというにはあまりに激しいもので、毎回、呼吸もできなくなるほど、息苦しくて。 まるで深い海に溺れる人のようだ、と舵をとりながら、海を眺めつつ思った。


いつものように、深夜に出荷する量の魚を引き上げると、仕事は終わる。

「またな、イルカ」

「おう」

同僚と、暖かい言葉をかけあいながら港を後にすると、そのまま家には戻らず、浜辺に向かった。

祭り太鼓に、高いやぐら。

大勢の島の住人に混ざって、華やかな着物を着た、数少ない若い乙女たちもやぐらを囲み踊っている。


子供たちからは笛の音にお囃子。

古い言葉で唄われる鬼の伝説。

島の古い人間でも、分かりにくいと囁かれる島歌は、意味をなさない呪文のようで、耳に妖しく聞こえる。

浜辺で配られている甘酒を片手に、松の木の並ぶ浜の入り口で1人佇む。

カカシ先生…まだかな。


「おい、どうだ、景気は」

ぼんやりとカカシ先生を想っていた俺に、背後から、甘酒を持った綱手姫が話し掛けてきた。



丁度良かったから、以前聞き損ねていた、神隠しに話題を運ぶと、 意外にも、綱手姫は嫌な顔をせずに語り始めた。

「行方不明者の足がかりを探すために島へやってきた刑事も首をかしげるほど、平和な島なのにな…
世の中わからない事はいっぱいあるよ」

「じゃあ…まだ…」

「皆どこに消えたかねえ…でも、死体があがってないだけ、家族はまだ救われてるよ。
愛している者が、生きていないといわれるよりはよほど…」

綱手はそう言って目を細めた。
そうだろうか。
むしろ、はっきりと生死が確認されたほうが、安心できるのではないだろうか。 家族が、友人が、生きているか生きてないか、分からないまま心配する日々を過ごすなんて、針のむしろで俺だったらとても耐えられない。 しかし、こんなに、俗世を離れた島ではむしろそういう話が、似合っているのかもしれない。海の音を聞きながら、伝説に囲まれ、静かに、愛する人が戻るのを待つ毎日。


「…そうだ。あの伝説には別の話があってな」

綱手はぐびりと酒を飲みながら、話す。

「実はな、鬼は、人を喰わず、ただ、あの『御鬼嶽』に隠れ住んでいたという。
臆病な鬼で、風貌が妖しいというだけの理由で、島の子供たちに石を投げつけられて虐められていた。
それを見かねた島の娘の1人が、鬼を守ってやってな。
鬼はすぐに恋に落ちた。
しかし、種の違う者同士…鬼の想いは叶うことなく、娘は別の男の元へ嫁いでゆく。
それでもいいと、影からそっと娘を想うだけの日々を送る鬼。
その想いはすぐに島の人間に感づかれ、酷い制裁を受けて、千里眼を持つという鬼の片目を失った。

しばらくして、島はひどい天災に襲われた。
病が流行って、男たちが床に伏せり、まだ若い女たちも漁に狩りだされる羽目になった。
きつい労働がたたったのだろう。まだ若い女がふらりとよろめくと、波高い海に投げ出された。
夜の漁だったから、船の上から浮をなげようにも、悲鳴しか届かない。
娘の声が遠くなってもうだめかと思われた時、女が、船に戻ってきた。
…あの鬼に抱えられて。
幸い、女はすぐに息を吹き返したが、助けに来た鬼が、船の上で皆に見守られながら息を引き取った…。

女は、鬼を助けたあの娘だった。

島の上から、遠い漁を眺めていたんだろうな。鬼の目で。
娘が海に投げ出されるとわが身も返らず、飛び込んで、助けに向かったんだろう。

…島の人は改心して、そんな鬼を心底悔やんで、『御鬼嶽』に手厚く葬った。
それから、毎年、その魂を静めるために祭りが開かれるようになった…と、そういう話だ」

呆然としている俺を見て、口の端だけで笑うと、酒を呷った。

「前聞いた話と全然違うんですね」

「そうさ。島の人間だってあまり知らない話だからね。
私のばあちゃんから聞いた話だ。
鬼といえば、怖い、恐ろしいが定説だからね。
嫌なことがあれば、鬼のせいにするこの島で、こんな裏の昔話は伝わらないのさ」

綱手は空になった酒杯を左右に揺らしながら、潔い笑みを浮かべた。




祭りでは、宴も酣、白い着物を来た一人の乙女が榊を持って、火を焚いたやぐらを囲んで舞っている。

空をうめつくす星空の元、潮の匂いの濃い沖から吹く風に、着物の袖がさらわれている。

その薄手の生地に肌が透けて踊る様は、どこまでも幻想的だ。

娘を囲うように、恐ろしい鬼の仮面をつけた若衆が、滑稽な踊りを舞っている。

島の人々も、その儀式を、みな膝を抱えて静かに眺めている。
どの顔も、火に照らされて、儀式が終わるのを厳かに待っている。

このあと、踊りを踊る乙女は、木で作った船に一人で乗って、沖合いの『御鬼嶽』に向かう。


―――遅い。カカシ先生、どうしたんだろう。

あの人は約束を破るような人ではない。

不安に、心がざわめいた。

「――――綱手様」

俺がカカシ先生を心配していると、島の男たちが2人、声を低くして、隣の綱手に話し掛けてきた。
2人とも、なにやら、棍棒のようなものを持ち、その表情はせっぱつまっていて、穏やかな雰囲気ではない。
綱手は眉を顰めた。

「なんだい?」

「島の若い男たちが、別の浜辺の林で血を流して倒れています。
祭りで興奮して、喧嘩でもしたのかと思ったんですが、どうも喧嘩というには一方的すぎて―――」

「はっきりお言い」

「現場は惨憺たる有様で…まるで嵐でも去ったかのように木々が折れ、男たちが折り重なっていて、傷が、深くて死にそうな者もおります。すぐに船で本土の病院に向かわせたのですが…」

「なんだって!?そういうことは先に言うんだよ!」

どけ!案内しろ!という綱手の声に、2人の男がついてゆこうとするが、俺はその内の1人を捕まえた。

「なんだ?」

「…その倒れた男たちの中に…もしかしたら…」

聞きたくない。

けれど…

「与那という男はいなかったか?」

返事を待つ時間が長い。
こんなに緊張しているのは初めてかもしれない。
じんわりと嫌な汗が頬を伝った。

「…いや、いなかったが…」

「…そうか」

ほっとして、肩が下がる。

しかし、すぐに顔をあげた。
足早に浜辺を後にして、まっすぐ丘の上の、はたけ診療所へ向かう。
足を進めながら、青ざめてゆくのを止められない。
胸を締め付けられるような、嫌な、嫌な予感にばかりに囚われる。

「―――カカシ先生!」

ドンドン、と、白い、診療所のドアを叩いても、誰からも返事がない。

まさか、という思いと、やっぱり、という思い。

いや、カカシ先生はきっと、今ごろ、祭りに向かっている最中なんだ。
そう思おう、そう思おうと何度も心の中で念じる。

でも、俺がここまできた道は浜からの最短距離で、カカシ先生とは一度たりとも行き会わなかった。

違う道を?

そうだ、そうに違いない!

こんな不安な思いにさせて、会ったら文句の一つでも言ってやる!

カカシ先生の姿を求めて、島中を走ったが、見当たるような場所には、まったくいなくて。

泣き出しそうな気持ちのまま、俺の足は自然と、ひとけのない、あの浜辺へ向かっていた。







岩場の多い浜辺から見上げる夜の『御鬼嶽』は、不気味なほど大きく見える。

両の拳を固く握り締め、ごくりと喉を鳴らすと、靴のまま海に分け入った。

水を含んで重くなったTシャツを脱ぎ捨て、靴も脱いで、沖へ、沖へと向かう。

約束したのに…一緒に祭りにでてくれと。
鬼の気配のする夜は、貴方が傍にいて、俺の抱える不安な気持ちをやわらげてくれると思っていたのに。

疚しい気持ちがなかったわけではない。
疑いの気持ちがなかったわけでもない

でも…でも…と心の中で否定を繰り返す。

1人で悩んでいると、不安ばかりがつのって、自分は一体何に言い訳しているのか分からなくなってくる。


月がなかったらもっと暗くてさぞ泳ぎにくかっただろう。
夜の海は、黒に近い色で、底なしの沼のようだ。

何度も海水の飲みながら、我ながら、馬鹿なことをしていると思う。

でも、あの場所に、彼がいないことを確認できれば、すべてが安心できると思えた。


『御鬼嶽』の近くにまで泳いで辿り着いたころには、すっかり息があがっていた。

ぜいぜいと荒い息のまま、島に向かうと、『御鬼嶽』の方から人が走ってきて、ぎょっとした。
まさかカカシ先生かと目を見張ったが、違う。

髪を振り乱した、ものすごい形相をした男に、見覚えがあった。

「やった…!あいつの正体を暴いたぞ…!」

笑っているような怒っているような顔の男が、こちらに向かってくる。
と、背後から、鋭い音がして、男が、わけのわからない金切り声をあげて海に倒れた。

「与那!!!」

名前を呼びながら、慌てて駆け寄った俺の目に、海に浮かぶ与那の背中に、じわりと鮮血が浮かぶのを見た。

胸を、背後から、なにかで撃ち抜かれている。

急所を一発…慌てて体をひっくりかえしたが、瞼は閉じられ、もう生きていないことは明らかだった。
ズボンのポケットから、試験管が零れ落ちた。
蓋が開いて、海に流れ出る暗くてよく分からなかったが、触ってみると、苔のようだと分かった。
この岩のものだろうか…思うところがあって、匂いをかいで、言葉を失う。

与那の体を支えながら、絶望的な気持ちで、『御鬼嶽』の割れ目を見やった。

暗黒の入り口には、木で作った船が横付けされていて、俺よりも先に、浜辺で踊っていたあの乙女が入っていることを知る。

行きたくない。

しかし、もう進まぬわけにはいかなかった。






「カカシ先生…」

いるんでしょう?

そう言いながら、洞窟に足を踏み入れる。

月の明かりが、洞窟の天井から零れ落ちて、乾いた洞窟の砂浜をきらきらと照らしている。

岩の影と、月光に挟まれるように、カカシ先生はいた。
襤褸の黒い布を纏い、片腕に白い着物の乙女を抱いているが、少女はだらりと腕を垂らし意識がなく、細い喉から血が流れている。
カカシ先生の表情は冷たく、唇から一筋の血が、顎のラインに沿って滴っている。

「やめてください…もう、そんなことをしないで…」

震える声が止まらない。

「いつものカカシ先生に戻ってください。貴方は病院の先生で、人を救うのを仕事にしてる優しい人で…」

じりじりとカカシ先生に近寄る俺の目の前に、カカシと同じ襤褸を纏ったサスケが立ちはだかる。

その両目が、人にあらざりし色を帯びている。

赤い目。

闇に浮かんで、ゆらゆらと輝くさまは禁忌と知りながら、美しかった。
あの時と同じ…、夜道で見たあの赤い目と、同じ。
あの時は襲うために現れたのではなく、ただ、無事に帰れるように後を追ってきただけだったのかと、自然と悟る。

サスケは、じっと俺の目を見つめ、カカシ先生そっくりな表情をして「去れ」と強い口調で言った。

「アンタはこっち側の人間じゃない。
アンタには島の景色が良く似合う。
陽だまりみたいな穏やかな人間だから、こっちには、これない」

はじめて、俺に向かって明確な意思をもって語りかけてきた…。
やはり、弟だ。大きくなったら、きっとカカシ先生そっくりになるのだろう。

どさり、と背後で、少女が砂浜に落ちる音がする。

「サスケは先に行っていろ。…オレは、この人に話がある」

カカシ先生は、顎に滴る血を拭いながらそう言った。

先に行ってろとは、どういう意味なのだろうか。つのる不安が隠せない。

サスケが洞窟の暗がりに向かってゆくのを横目に、カカシ先生が近づいてきた。
不安でたまらないという目で見上げると、ふっと、いつもの笑顔を見せた。

「よくここが分かりましたね」

「…あ…」

ぼろっと涙がこぼれた。
人の心を忘れていないカカシ先生に、安心して、足元が崩れそうになると、体を抱き支えてくれた。

「サスケに、先に行ってろって、どういうことですか…どこかに行くんですか?」

その背中にぎゅっとしがみつくと、それしかいえなかった。
もっと他に言いたいことはあったのに。
真っ先に言わなければならないことは他にあるのに。

「…そうですね。もう、限界ですから」

「嫌です!行かないでください!いっちゃ嫌です!」

頬をとめどなく涙が流れる。
その背中にしがみついて、行かせるものかと力を込める。

「オレは…人を殺しました。大勢の人が来る…ここに。
イルカさんも見たでしょう?洞窟の前で…」

ぶんぶんと首を横に振る。

「構いません。…俺が殺したことにすればいい。
そうすれば、カカシ先生の正体もばれずに、どこに行かなくてもすむ」

「…1人や2人じゃない、もっと大勢の人を殺めたことがあると言ったら?
…オレが、怖くないですか?」

「怖くなんてないです!カカシ先生のことは、貴方なんかよりももっとよく知ってるから、怖くなんて…!」

「オレの本当の姿を見てもそうといえるでしょうか。
好きだと言ってやって来た少女たちに、本当の姿を見せると、みな逃げ出して、海に溺れていきましたよ。
助けようと手を差し伸べても、怯えるばかりで」

カカシ先生は苦しそうに己の心を吐露する。

「俺は怖くなんてありません。だったら、本当の姿を見せてください!逃げ出しませんから…」

カカシ先生は首を横に振る。

「貴方にだけは、あの姿を見せたくない。もし、貴方に拒否されたら、きっと本当に立ち直れないから」

「じゃあ、どうすれば思いとどまってますか?でなければ、俺も連れて行ってください」

「無理です」

「…そんな」

言葉に詰まって、ひく、ひくと喉が鳴る。

「…いっそのこと殺してください。
言いましたよね、貴方が死んだら後を追うって、約束しましたよね!
魂だけになっても愛してくれるって言いましたよね!
置いていかれて、一人ぼっちにされるよりは、そっちの方が幸せですから!」

「…それも…無理です」

「じゃあ、自分で死にます。カカシ先生がいなくなったら、もう薬を飲むのもやめます」

「それは…困りましたね」

カカシ先生は、困った顔をして笑った。
今、きっと自分は子供みたいにだだをこねている。
でも、こうするしか方法がないんだ。
どれだけ卑怯な手を使ってでもこの人を行かせたくない。

「置いていかないで下さい…行かないで」

自分の声を聞きながら、自分がどれだけこの人に依存していたか分かる。
もう、この人がいないと生きてゆけないと、いえるくらいに。

カカシ先生は、懐からそっとあの薬を取り出して口に含んだ。
涙で顔を腫らせた俺の顎をとって、くちずけて、無理矢理飲ませる。

「作り方の書いた紙は残していくんで、これからも飲んでください…よく効くから」

この岩に自生している苔から作った薬。

「なんで」

「貴方に触れて、はじめて人間の優しさを知った気がします。
島の人間は、皆、自分本位な人間ばかりで、今まで、自分をひた隠して生きていました。
でも、貴方と話しているうちに、そういう人ばかりではないと思って、少しづつ人間と接するようになりました。
それが…あの少女を、若い男たちをおびき寄せる原因ともなったのですが…。

今日、林でオレを襲ってきた与那の仲間の口から、"オレのあとは貴方だ"という言葉を聞いて、自制がききませんでした。

…とっくの昔にもう気づいていました。こんな日がくることを。

貴方をという人を知って、少しづつ変わっていく自分を、もうこれ以上隠すことはできません」

「…カカシ先生…」

「他の誰にも触れさせたくなくて、いつの日か、本当に、貴方を殺めてしまうかもしれません。
そうしたら、絶対後悔する…」

離れられなくなる前に、行かせてください。

カカシ先生は、襤褸の下で、ぽつりと呟いた。

とっくの昔に、もう心は離れられなくなってるのに…

嫌だ、という言葉が、喉の奥でつかえた。

そんなことを考えていたなんて。

もう会えないなんて…絶対我慢できないのに。

カカシ先生が、いとおしそうな表情で、そんな俺の頬を撫でる。

耳元に頬を寄せると、あの、深く、優しいイントネーションで囁く。

「来年の今日、またここで会いましょう。
来年も、再来年も、祭りの夜、乙女が祈りを終えて去ったあと後にだけ、この場所で」

「会えますか…?」

「はい。その日だけ、ここに来ますから。貴方がこなくても、ずっと待ってますから」

また、じんわりと涙が湧いてくる。

細い針で胸をつらぬかれているような苦しみと、悲しみを覚えながら、笑顔を浮かべた。


「馬鹿ですね…来るに決まってるじゃないですか…」

そう言うと、どちらからともなく、また抱きしめあった。




















"潮騒よ この声を届けて" 

"夕凪よ あの人をここに運べ"


"夜になり 人も海も眠るころ あの人に会えるから"


"波よ 穏やかに いつまでも"







(2005/9/11:完)






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