Ms. Yamada and Ms. Sato

女子大生山田花子のアルバイト先は、ホームセンター兼書店である。よくあるホームセンターが書籍売り場をつけた形式ではなく、もともと書店だったのがうまくゆかず、新機軸としてホームセンターを始めたという形式だ。

書店の方の採用で入ったはずなのだが、気づくとホームセンターの方の作業が多くなっている。運動神経もなく体力も低く、コミュニケーションも下手だったので、最初はバックヤードとの商品の出し入れにせよ、外国人の多い同僚との意思疎通にせようまくゆくか不安だったのだが、色々あって失踪しているあいだに多少は逞しくもなっていたため、角材の積み下ろしを手伝ったり、簡単なベトナム語で挨拶をするぐらいはすぐできるようになった。

「お先に失礼します」

「お疲れ様です」

シフト終わり、頭を下げて挨拶をしてからの去り際、通りすがりに仲の良い同僚が手を振って来る。

「バイバイ、ヤマダサン」

「バイバイ、アン」

バイバイはベトナム語でも分かりやすいのでまごつかず答えられる。

ほっと溜息をついて携帯電話を見る。通知の最初の一つは母からのメッセージ。祖父の介護と弟の進路に関する長文。娘がしばらく行方不明だった件は、もうあまり話題にはしない。すぐ返信する。以前なら半日かかりきりになるところだが、今はさほど時間をかけずに済ませるようになった。

二つめの通知はルームメイトから。迎えに来てくれるという。

従業員用の駐車、駐輪区画に足を運ぶ。家とアルバイト先とキャンパスのゆききは、もっぱら自転車を使っている。以前ママチャリだったが、折り畳み式のかわいいモデルに変えた。やや古い傷つきをインターネットオークションで買って、ルームメイトの助けで直した。

折り畳みの利点は家の中に置けるのと、自動車に載せられること。最近はルームメイトのコンパクトカーに乗る機会が多いので重宝する。一般用の駐車区画に引いてゆくと、停まっていた四輪の一台がライトを点滅させる。

そばに寄ると、運転席から友達が降りて、自転車を荷室に入れるのを手伝ってくれる。

「おつかれ。ハナ」

「ありがとうございます。ヒロ」

助手席に座ってシートベルトをしめると、カーステレオから音楽が聞こえる。竪琴の演奏。アゼルバイジャンのチェング、だったろうか。快い響きだった。

「これも、かなり違うよね。あたしが弾いてたのと」

「でも、きれいです」

「うん」

この世界できっと二人にだけ通じるやりとり。車がモーターの力ですべるように走り出す。ハナは少し頬を火照らせて、なるたけ窓から流れる景色を眺めていた。

「あたしの方、早く終わったから、買い物先に済ませちゃったんだ」

「はい」

ヒロのアルバイト先は、総合分析研究所というあいまいな名前の施設。でもれっきとした大学発ベンチャーで、炭素年代測定とかDNA鑑定の装置などを沢山置き、そういう設備を入れられない研究室などに使わせている。うりは手頃な料金で、各機器の操作に詳しい人員が細かく補助してくれるところ、らしい。県外の大学や企業、公共機関からも結構依頼が来るらしい。海の向こうとも結構取引があるとか。ただ詳しく聞いてもよく分からない。

才色兼備なルームメイトは、外部とのメッセージの処理にはじまり、翻訳アプリや辞書を片手に英語、中国語での対応、機械の手入れからスケジュールの管理までほとんどひとりでこなし、どんな新製品でも使い方を覚えてしまうので、欠かすべからざる要(かなめ)として、わがままも通じるもようだ。

「なんか、申し訳ないですね…ヒロのバイト先の人に」

「いいの。こっちがいなくても回るようにしてあるのに、なかなかそうしないから」

「なるほど」

「それに、あたしも、あんまり手つかないしさ、連休前で」

ぎくっとして振り返ると、ルームメイトはハンドルに手を置いてまっすぐ前を見ながら、口の端に笑いを浮かべている。

「わ、私も…すごい楽しみです…」

「うひひ。やった」


二人は大学の近くに一軒家を借りていた。空き家対策とかで自治体がかなり安く貸しているのだ。築何十年か知らないが、がたが来ているところは原状回復できる程度に修繕し、まずまず居心地よく使っている。

もっともひとりではとても借りる気持ちにならなかったろう。ヒロの資産があればこそだ。

「あのお金は、あたし達二人のものだよ」

ルームメイトがいくら主張しても、ハナは納得しがたかった。一緒に失踪して迷い込んだ場所から、金地金をずいぶん持ち帰ったのだ。ほかにも珍しい、貴重なものはあったが、あれこれ波風を立てず済むのは、金が一番だという結論からだ。

公務員の年収の十年分ぐらいにはなったろうか。少しずつ目立たないよう売って、二人それぞれの名義でいくつかの口座に分けてある。ちなみにヒロはもう一部を株式とか債券とか、外国の通貨とかに変えていて、数か月ですでに利潤をもたらしているとか。

「なんかそこそこ増えたよ」

平然と言う友達に、なんと答えてよいか分からない。けれども一致した考えとして、蓄えはいざという時のためにとっておき、普段はないものとして暮らそうということだった。家を借りる際はともかく、ドイツ製コンパクトカーについても、ヒロがどういう経路でかかなり破格の値でもぎとってきた。

「やっぱりヒロは…どこにいてもヒロですよね」

「うん?そう、だけど?」

ならんで夕食の準備をしながらひとりごちると、怪訝そうにルームメイトが見てくる。

「どんな迷宮にいても、ヒロと一緒なら、安心だなって」

「それはこっちのせりふ。はいできた」

サラダが完成。輪切りの卵、直売所で買ったトマト、奮発したレタス、ワゴンに入っていて珍しくて買った輸入品の缶詰ホワイトアスパラ。オリーブオイルと胡椒と塩とビネガーだけの自家製ドレッシング。クロスを引いたテーブルの真ん中に置く。

主菜はパスタ。フェデリーニという細めの麺に、トマトとタマネギと鮭フレークのソース。青いバジルと白い粉チーズをかける。大学の農学部謹製、発砲白ワインもつける。それなりのごちそう。

「連休に乾杯!」

「乾杯」

味はよし。ヒロは料理がうまい。本ですべて覚えたとか。ハナもそこそこ。基本は母に教わった。

家事の分担はきちんと決めてあるが、食事は都度作りたい方がやる。どちらも作りたくなければ二人で生協の食堂かコンビニエンスストアか、ラーメン屋かパキスタンカレーの店へ。でも今日は二人で一緒に用意した。

「んー…おいしい。ハナの料理」

「うれしいです」

「デザートは!?あるよね?」

「ゴディバのチョコレートケーキ。買ってあります」

「やった!むこうはチョコないんだもんなあ…」

「チョコ、好きなんですか」

「そんなに大好物じゃないけど…いや大好物かも。バレンタインデーになると、あたしがうるさいからお兄ちゃんがいつも…」

フォークが音を立てて皿に落ちる。ヒロが涙ぐんでいる。以前よりわずかに弱くなっただろうか。ハナは立ち上がって、そっと手を握る。

「ごめんね…あたし…なんか…せっかく楽しくやってんのに」

「がまんしないで」

「うん…」

ルームメイトがひとしきり泣くのをしばらく指を絡めたまま見守る。収まったら、やっぱりデザートは食べる。繊細な甘味。強いカカオの匂い。歯にもろく舌にとろけるような味。高級品の洋菓子は夢のようにすばらしい。悲しみや辛さを和らげてくれる。

「お皿、洗っておきますから。先にお風呂どうぞ」

「一緒でいいよ」

「ほら、入ってきてください」

ちょっとふてくされた顔を作って、ヒロが浴室に向かう。ハナは背を一瞥してから片付けを始める。多分、出てくるまでにいつもより長くかかるだろうと分かってはいた。


髪の先から足指の先まで全身を入念にきれいにして、歯をきちんと磨いて、色の異なるネットにおさめた二人分の衣類が洗濯乾燥機で回るのを確かめてから、パジャマを着て寝室へむかう。

入ると空調が効いている。ルームメイトはダブルベッドの端に座って携帯電話をいじっていた。

「お帰り」

「いいお風呂でした」

「うん…」

小さな機械をスタンドデスクに置くと、ヒロが両腕を広げる。ハナはそこに飛び込む。抱き合って口づけする。

「ハナ。大好き」

「ヒロ。私もです」

着替えたばかりだけれど、互いの寝間着を脱がせていく。下着も。裸になってから、ハナが、衣類をたたみはじめるのをヒロがくすっと笑って眺める。

「え?お、おかしいですか?」

「ううん。おかしくない」

もう一度接吻をする。今度は長く。友達同士ではない意味を込めて。長躯の乙女の舌が、豊満な恋人の唇を割って入り込み、歯列をなぞり、頬の裏をねぶり、唾液をすする。

「ぷはっ…はぁっ…はぁっ…」

「ハナ…おいしい…チョコより」

「えと…あの…はい…」

口づけの雨がゆっくり素肌に散っていく。ところどころ吸い痕をつけて。神経がむきだしになったようにひとつひとつの接触に反応してしまう。

「ぁっ…やっ…んっ…ぅっ…ひぅっ…そ、そこはっ…まっ」

いたずらっぽい笑いとともに、ヒロの唇がハナの秘裂をかすめる。吐息がかかる。薄い茂みがそよいで、蜜を滲ませる。舌が縁をなぞり、じらすようにくすぐってから、やがて中心にたどりつく。

「ひぁああ!!?」

ハナは達してしまう。あっさりと。たわわな胸毬をゆすらせ、おおげさなほど身をねじらせて。恍惚の印がしぶきとなって恋人の頬をよごす。

「ごめ…なひゃぁ…」

「ふふ。びっくりした」

つぶやきながら、かつて勇者と呼ばれた女は、また愛撫を再開する。賢者と呼ばれた伴侶の、無抵抗な柔肉を楽しみ、陰唇を指で広げ、形のよい鼻をうずめて、粘膜の奥までねぶり、愛液をすする。

「ひっ…んひっ…ぁっ…ぁああ!」

また絶頂。なぜなの分からない。まれに自らを慰める時とはまるで違ったこらえしょうのなさに、豊満な乙女は恐れ惑いながらも、狂おおしい快楽の奔流に呑まれてゆく。

「ふぁああっ…ぁあっ!!!」

「ハナ?つらい?」

やや玩弄の勢いが収まる。優しい雌獅子に貪られ、早くも息も絶え絶えの雌牛は、しかしいやいやをするように首を振った。

「ちが…ちがぁっ…んっ…でもっ…わた、しも…ヒロを…ちゃんと…」

「うん…うれしい」

かつて迷宮を踏破した冒険者の、引き締まった両脚が開いて、しなやかな腰が誘うように恋人の頭上に降りてゆく。濃い茂みに、しかしおずおずとした舌が触れる。

「んっ…ぁっ…ハナ…そこ…ふっ…ぅ…ぅっぁっ…きもぢ…きもぢぃよ…ハナの唇も…舌も…あたし…こんな…んっ」

こらえきれず可愛らしい嬌声をこぼしながら、勇者は思わず下半身を逃がそうとするのを、賢者のふっくらした腕が抱き留めて、引き寄せる。

「ぁあぁ!!?ハナ…ちょっ…ひっ…やっ…んっ…ぁあ!!このぉ…」

随喜の涙を浮かべつつ、獰猛な笑みをほころばせると、ヒロはまた貪るようにハナのくさむらに顔を近づける。しばし無言の粘音と衣擦れだけがあってから、くぐもった喘ぎの二重唱がきれぎれに起こる。

「ぷはっ…ハナ…ハナぁ…好き…好き…あたしの…賢者様…」

「わたしも…ヒロのこと…いっぱい好き…いっぱいいっぱい好きです…」

気の利いた愛の言葉をささやく語彙など失ってしまって、二人は飽かず相手の体から悦びと苦しみにもにた恍惚とを汲みだし続けた。


「ハナってほんと、おっぱいおおきいよね」

「ふぁっ…ぅっ…ふぅっ…」

「だいじょうぶ?痛くない?」

「いたくはぁ…な…ですけどぉ…んっ…あんまり…っ…ぁっ…さきっぽだめ!?つねっちゃやだぁ!?」

「そっか」

あまり広くはない浴室、ハナはヒロを後ろ抱きにして乳房をもてあそんでいた。片手で左右の重さを比べるように図り、指が深く沈む柔らかさに驚嘆し、ゆるやかに按摩し、絞り込み、硬くなった先端を指で挟む。一つ一つに過剰なほど恋人は背を逸らせたり、逆に屈めたりする。

もう一方の腕は股間をまさぐり、濡れそぼった陰毛のあいだを描き分けて、蜜壺の口を攪拌してはいっそう甘露をあふれさせる。

「ひきぃっ!?」

「あ。またいっちゃった?何回目だっけ…」

「ぁっ…ぁっ…」

「もうつらいかな…」

「ちゅらく…ないれしゅけろぉ…んっ」

口づけを交わす。長く、肉食獣が草食獣を生きたまま咀嚼するかのごとき。また長躯の乙女の腕のあいだで豊満な乙女が説投げにわななく。

「ぁっ…はぁっ…ぁぐ…」

「ぇっ…キス…だけで?…あの、ハナ…まさか、色町の薬とか…使ってないよね?男どもの誰かが渡したとか…あれ、すっごい危ない…」

「ちがひましゅ…ぅ…ヒロが…ヒロがすりゅからぁ…ヒロだから…わたしぃ…」

「そっか…えへ…じゃあ安心した」

また雌獅子は雌牛の肉を味わい始める。唇で、舌で、指で、目で耳で鼻で、触れ合う肌で恋人のすべてを愉しむ。

寝室ではどうにか連れ合いを心地よくしようと努めたハナだが、体力の差はいかんともしがたく、一時間も経つころには受け身ばかりになっていた。ヒロはまったく疲れをうかがわせず、ずっと欲しかった玩具をもらって夢中になった子供のように恋人の弱点を探り続けている。

「ここは?ここも気持ちいい?」

「ぎもぢぃ…ぎもぢぃがらあ…やっ…いぎ…またいっじゃ…」

「あは♥」

外敵に驚いた貝のように潮を噴きながらのけぞる賢者の横顔を、勇者はうっとり観察する。

「ハナ。ハナのその顔とっても可愛い。ずっと見てたい」

「ふえぁ…はずかしい…ぐちゃぐちゃで…もぉ…なんだか分かん…なくて…」

「ハナが、あたしにだけ見せてくれる顔だね」

「…はぃ…」

顎を上向けさせ、また口づけする。何度しても唇が触れた瞬間、背筋を寒けにも似た快さが走り抜ける。それぞれの熱い吐息を頬に受けたあと、銀の糸を引いて離れる。

長躯の乙女は、豊満な乙女を捕えて離さないまま、右の指で乳房を、左の指で秘裂をもてあそび、弾きなれた竪琴を扱うようにして、ひときわ高い官能の極みへ昇りつめさせていく。

「ぁっ…ぁ!!!」

無意識の期待に、肉置き豊かな肢体が緊張する。だが寸前で“演奏”が止まる。

「ねえハナ…あのことだけど」

「やっ…やら…いぎだ…」

「考えてくれたかな」

「ひぅっ…」

「あたしとの結婚なんだけど」

「ぃ…いまぁ!?」

達したいのに達せないもどかしさで、くの字になって泣きそうなハナのうなじをヒロは軽く噛んでから語句をつむぐ。

「長い付き合いじゃないし、学生同士だし、もっとゆっくり考えたいって、そういうの分かるけど」

「ひぅ…なんれぇ…」

「ハナ、すぐ逃げちゃうんだもん…ねえ、結婚するって言って?言ってくれたら最後までしてあげる」

「ばかあ…ヒロのばか…っぁあ!!」

「ね?言ってよ…」

「ふぅ…ふぅ…しゅるぅ…結婚しゅるぅ!ヒロとぉ!しゅるからぁ!」

「よかったぁ」

かつて旋律によって龍さえ眠らせた竪琴弾きの指が、恋人の急所を爪弾く。

「ひにゃあああ!!!!?」

また盛大に潮を噴きながら、痙攣する賢者を、勇者はなお追い打ちのように掻き鳴らしながら、心底嬉しそうに笑った。


せっかくの連休だというのに二人はどこへも出かけなかった。出かけられなかったという方が正確かもしれなかった。ヒロはハナを離さなかった。

パートナーシップ証明の申請書類に署名を済ませたあと、たがが外れたのか、まるで仔猫がもらったねずみのぬいぐるみにしがみついたっきり誰にも渡すまいとするように恋人にひっつき、じゃれついた。

あるいは迷宮に挑むために鍛え抜いた冒険者なら、なんということもない戯れであったのかもしれないが、並以下の身体能力しかない文系女子大生にとっては試練だった。

「やりすぎた?つらくない?」

細やかに気遣いを見せても、双眸に宿る光はもっともっと食べさせておくれ飲ませておくれと、飢え渇く孤児のようだった。直面すると、どうしても拒めない。

ハナが消耗しつくして眠りこんだあとも、ヒロは愛撫を止めず、目を覚ましたときも寄り添っている。入浴も一緒なら、食事も隣り合って座る。ミニトマトを口移しで食べると、豊満な乙女は赤面してしまうが、長躯の乙女は楽しくてたまらないという表情だった。

だんだん服を着るのもおっくうになって、ほとんど裸で過ごした。さすがにハナが料理をする際は、エプロンだけはつけたが、すぐにヒロが後ろから隙間に腕を入れて、乳房をもんでくる。

「こら…あぶないですよ」

「そっとするから」

「そっとでも…っだめ…立ってられなっ…」

一軒家を借りたおかげで、傍目をはばからずに済むのにはほっとしていたが、連れ合いはさらに悪のりして、一糸もまとわぬままに洗濯物を干しに出るよううながした。

「だだだだめです!つかまります!」

「だいじょうぶだよ。ここ朝早いうちは、めったに人は通らないし」

「だめ、絶対だめ…」

抵抗むなしく、たわわな胸を放り出したまま、白いシーツを庭の物干しざおにかけるはめになる。いちおう虫除けをスプレーしてくれる。

「ヒロ。だれも見てないですよね?外誰もいませんよね」

「うん…ハナって、お日様の下だと人間じゃないみたいにきれい…迷宮にいるときに、中層の湖とかで服なんか脱いで、遊んどけばよかったな」

「ねえ…ほんとに…ひっ」

あとから庭に出てきたヒロが抱きすくめる。青い空と明るい太陽の下、草木の匂いがただよい、小鳥のさえずりが聞こえ、白いシーツがはためくあいだで、深々と口づけをする。

すぐそばを配達の車が一台通り抜けていく。

「ん…ぁああ!!?おわっ…たっ…」

接吻をふりほどき、青ざめるハナを、ヒロが顎を指でつつく。

「あのさ。ごめん。これ」

虫除けスプレーをとって掌にふきかける。かすかなきらめき。

「そ、それ!妖精の粉!迷宮の財宝は持ち込まないって!」

「でも姿を消せると、やっぱり便利だしさ」

「ヒロ!あんまりですよ!もぉ!もお!!」

涙目になり、胸をゆすらせながら拳で打ちかかるハナに、ヒロは縁側であぐらをかいたままけたけた笑う。

「ほら、中入ろう。粉の効果が切れちゃうしさ」

「ううー!」

「もうしない」

「…また…してもいいですけど…ちゃんと先に言ってください」

窓を閉めてカーテンを引くと、二人はまたソファーにもつれこむ。賢者と勇者、女子大生達の睦み合いは、いつ果てるともなく続いた。


「うう…ヒロ…ヒロぉ…」

どこか遠い異世界。迷宮のある街の、仮ごしらえの酒場で、青年が酔いつぶれていた。向かいには年のそう変わらぬ巨漢が二人座って眠そうに素焼きの椀に入った安酒、剛零をすすっている。

「視目のやつまただよ」

「未練たらしいよなあ」

「まあ俺だってヒロには会いたいけど」

「牛頭は傭兵衆の棟梁の姪とはどうなったんだよ」

「向こうはなんかそれどころじゃないっしょ。汗が死んだとかで跡目争いで忙しいんだよ。なんだっけ、天馬を生け捕りにする?とかよく分からないよね」

「天馬ねえ…迷宮にもそんな魔物いないよなぁ?…ま、それより、あのヤマダサンてかわいかったよなあ」

「うん。こっちに残ってくれたらよかったのになあ…胸が大きくてさ、やわらかそうでさ。それにすっごい優しそう!」

「でもさあ、半径十歩以内に近づいたらヒロの目がすごいんだよね」

「そうそう。殺意が伝わって来る」

また酔いつぶれた若者がうめく。

「タイ…タイィ…」

「おいおい別の女の名前だよ」

「こいつ案外浮気性だよなあ。女っていうか魔物だけど」

「まあ分かるよ。すごい美人だったしね。ヒロにも似てたし」

巨漢二人は目混ぜをかわして、ちらりと酒場の別の隅をうかがう。若くはつらつとした娘を、囲んで小柄だが妖艶な女と、少女と紛うような童児が話し合っている。和気あいあいとした雰囲気だ。

「どう?嗅鼻に相手してもらったら?あいつ今は女だぜ」

「いやーさすがに身内はなあ」

「まあな…それになんか、最近あの見習い絵師の娘と仲良いじゃんあいつ」

「女になっても男の頃みたいに女にちょっかいかけるのやめないなんて、いい根性してるよ」

「ほんとになあ」

二人はまた黙って剛零を呷ってから、どちらともなくつぶやく。

「あーあ、ヒロとヤマダサン戻ってきてくんねーかなー!」

「なー…」

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