Ogre Eater

マツは兄々が鬼になった日をよく覚えていた。本島から武士がやってきて、隠れていた前の王様の親戚を捕まえた。匿った一族は見せしめに斬られて、あとは掠奪と強姦だった。でも、打突の技に長けていた兄々は、マツを襲ってきた三人のうち二人を殴り殺し、一人の片目を抉って、どうにか逃げた。

返り血で真赤に染まった兄の顔は確かに鬼だった。一緒に森の隠れ処へ向かう途中、怖くて手を離したから、はぐれてしまった。

本島の武士は初め仕返しのために仇を探し回った。でも鬼は島の奥に隠れて、追手を一人ずつ殺していった。捕えようがないと分かると、討手は、居場所とおぼしき辺りを囲んで出さないようにした。

しばらく経つと、鬼は飢えた。夜には鬱蒼と茂る木々の奥からひもじさに泣く声が聞こえる気がして、マツはこっそり食べ物を運ぼうと想ったけれど、ぎらぎら光る刀と鉄砲が怖くてとても近寄れずにいるうちに見つかって、捕まってしまった。

それから鬼は見張りが独りになるたびに殺し、樹陰に引きずり込むようになった。本島の武士は相変わらず標的の所在を突き止められないまま、代わりに食い散らかされた仲間の屍を目にするようになった。

最初は、でたらめな暴れぶりを喜んでいた村の者も、次第に恐れるようになった。見張りに駆り出された男衆が犠牲になったからだ。とうとう武士が音を上げ、留守役の一人を残して引き上げても、鬼は人を喰うのを止めようとはしなかった。

大きくなっていたマツは、囲みが解けてからしばらくして、鬼の元を訪れた。兄々が好物だった餅を籠に山積みにして。

人喰いと出遇うのは意外なくらい簡単だった。背後から頭を割られて、顔も会わせず死ぬかもしれないと想っていたけれど。ひょろ長い手足に丹塗りの肌をした姿は、森を越えた所にある見晴らしの良い崖に座って、のんびり月を眺めていたのだ。

「お前誰だ?」

近付くと、鬼は振り向き、牙を剥き出して尋ねた。マツは餅を差し出して言った。

「餅を持ってきたよ。あんたの好きな餅」

「餅か。もう随分食ってない。いつ食ったのか忘れちまった。もらおう」

尖った爪を生やした指が伸びて、餅をつまむ。そのまま大口を開けてかじると、中に入った石が歯に当たって、がりがりと音を立てた。

「何だこれ固い」

「そう?」

マツも餅を一つとって平らげる。かちりとも音はしなかった。鬼はマツの歯の強さに目を丸くしながら、もう一つ餅をとってがりがりと石ごと噛み砕いた。マツもまた一つとって頬張り、楽々と飲み込む。実のところ、山に積んだ餅の上の方は石入りが、下は石なしだった。

無心に石入りの餅を片づけていく人喰いの横で、マツはするすると帯を解いて、着物の裾をたくし上げた。まだ毛の薄い秘所をさらして、指で広げる。

鬼はびっくりして見慣れない光景に魅入った。

「何だそれ」

「女の口」

「男の口と違うのか」

「女には餅を食べる口と、鬼を食べる二つの口があるの」

度肝を抜かれた人喰いは、立ち上がって後退ろうとし、ぐらりとよろめいて倒れた。

「何だこれ」

餅に入った石は唐渡りの顔料で、雄黄といった。餅も石も、本島の武士で、医者でもある養父が渡してくれたのだ。

「さよなら、兄々」

馬乗りになって、籠の裏に隠してあった短刀を振りかぶる。見つめる鬼の瞳に恐怖はなかった。

「マツか」

「…覚えてるの兄々」

「昔、誰かにそんな風に呼ばれてたのを思い出した」

マツは顔を歪めて、泣いているとも笑っているとも分からない表情を浮かべた。

「遅いよ兄々」

「ごめん」

「私もう朝仁様のものなの。ほら」

両手首と両足首を順番に月明かりにかざす。本島の武士の家紋が烙されていた。

「兄々が助けてくれた日。一人だけ死ななかった人がいるでしょ。私、結局あの人の養い仔にされちゃった。兄々に餅を持っていこうとして捕まったの。最初は嫌で逆らったけど。下の口と後ろの穴をいじられたら、すぐだめになった。薬もいっぱい飲まされたし、色んな芸も覚えたよ。本島に戻ったら、妾にしてくれるって」

「よく分かんねぇ」

「その前に兄々の首を持って帰るの。そしたら朝仁様は王様に賞めてもらって、奥さんも子供も喜んで…私も喜ぶの」

「喜ぶと泣くのか?」

鬼が尋ねると、マツはきょとんとしてから、片手を小柄から外して、頬を伝う雫を拭い、不思議そうに眺めた。

「あれ?変なの…」

「腹減った」

「もう?」

マツはしょうがないな、と笑って辺りを見回す。何もなかった。兄々の飢えを満たものはもう何も。ごろごろと雷のように腹を鳴らして、人喰いは頭上の月を仰いだ。

「あれ喰えるかな」

「食べられないよ。最後に何が食べたい?」

「固くない餅」

「そう」

短刀の向きを変えて、自分の胸に突きつける。

「私でいい?あんまり沢山ないし。薬で変な味するかもしれないけど」

「おう」

赤くてごつい指が小柄を握る細い手首を掴む。人食いは牙を剥き出して笑った。マツは嬉しくなって一緒に笑いながら、問い掛ける。

「あんなに食べたのにどうして?」

「分かんねぇ。前ににょろにょろした奴に咬まれた時も、痺れたけどすぐ直った。なあもう食っていい?」

涎を垂らす兄々に、マツは小さく頷いた。

「いいよ」

すると牙がゆっくり右手に食い込んだ。


南山朝仁は明け方の森を足取りも軽く散策していた。無論、毒矢と弓を携えた村人の護衛を十分に連れて。本島の名家の出らしい白皙の面には、身分に相応しく柔和な表情が浮かんでいる。穏やかな顔立ちの中で、盲いた片目を掩う紗の眼帯だけが、異様に浮き立っていたが、それすらも美貌を損ってはいなかった。

「そろそろ戻りましょう。ここらは鬼の住処です」

「何もう少し行ってみよう」

「朝仁様。いけません。幾らあの小娘が気に入ったからといって、人食いの巣穴まで取り戻しにいくなど…村にはほかに見た目のよい女も居ります」

「私はマツが好きなのだ。代わりは要らない。あれは仕込むのに手間をかけた」

どこかで早起きの(ヒタキ)が哭く。海辺が近いのか、木々のあいだを抜けて潮っぽい朝風が吹き付けてきた。朝仁は気持ちよさそうに伸びをして、進みを早めた。やがて見晴らしの良い崖に出る。遠くを望むと、青黒い天の涯と無尽の水面の接するところは、暁に照らされて煖かな橙に染まっていた。

「おい」

背後の梢から誰かが声をかける。射手が一斉にそちらへ矢を向けた。武士はのんびりと踵を返し、視線を上げて、鷹揚に挨拶をする。手は懐の短筒を握り締めていた。

「やあ人喰い殿。達者なようで何より」

「うん。昨夜は生まれてから一番うまいものを食った」

「結構。で、何用かな」

「朝飯を探してる」

「ほう」

こらえきれず、村人の幾足りかが矢を放った。当たれば猪をも斃す鳥兜を塗った鏃は、しかし虚しく樹皮に食い込んだ。影は幹を走り降り、瞬きする内に距離を詰める。続いて悲鳴が上がった。

朝仁は狙いを定められないままに視線をさ迷わせるうち、射手の首が次々にありえない角度に曲がっていた。鬼は一人を盾代わりに掲げながら、牙を剥き出してにじり寄って来る。

「くせぇな。お前、くせぇぞ」

「そうか…では近付くな」

「やってみな。そいつと遊ぶのも久しぶりだ」

「良いだろう。では近付け。もっと近付け」

「いやこれくらいで丁度いんだ。そら」

村人の屍が唸りを立てて飛んでくる。武士は躱すと同時に得物を抜き、辺りを付けて盲撃ちした。刹那、鉤爪が銃を持つ腕を掴んでへし折る。

「ぐぁっ…!!」

「くせぇなぁ…お前は食う気がしねぇ」

鬼は朝仁を持ち上げると、つかつかと崖の端まで運んだ。本島の貴人は片方だけ残った瞳に炎を点しながら、軋るような呻きを漏らした。

「…妹まで食ったか。鬼よ」

「おう。あいつは美味かった」

「…教えてやろう。あれには毒をなじませておいた。少しづつなら死には至らぬが…うぬは死ぬぞ」

「そうか?」

「解毒剤は私だけが持っている。欲しければ…」

「いらねぇな」

「嘘ではないぞ。あれの肉を味わった時、舌先に痺れを感じたはずだ…あれは…」

「少しずつなら死なねぇんだろ」

鬼はにやりと笑った。もしかすると、こいつは見かけほど愚鈍ではいのかもしれないと、武士は寒けを覚えながら考えを改めた。

「だがうぬは人一人を丸ごと…」

「お前医者だろ。胃袋の大きさ知ってんだろ」

「…なに…」

「俺が食ったのはとりあえず右腕だけだ。もったいねぇからな」

「なんだと…」

朝仁は背中に吹き上げる浜風を感じて首をよじった。眼下では黒々とした岩礁に波が砕けて白い泡を立てている。すべてがひどく小さく見えた。恐ろしく高い。人喰いは楽しげに先を続けた。

「明日は左腕を食う」

「やめろ…離せ…いや離すな」

「明後日は右足だ」

「頼む…私が本島へ戻ったら、若い女を何人でも送ってやる。生きのいい肉を」

「明々後日は左足。あとはまた考える」

「聞け!うぬの味わった事のない異国の女もやろう。血まで蒼い南蛮の娘はどうだ?唐の骨のない乙女もいるぞ」

「なぁ…」

鬼は退屈そうな表情になって獲物を見つめた。

「気が向いたら、お前の船に乗って遊びに行くよ。お前の女房と子供も、くさくなければ食う」

「ふざけるな!うぬごとき小者が、王家を敵に回して永らえると想うか!今ならまだ許してやる!私を離せば慈悲でこの森をそっとしておいてやってもいい。私は…」

「…ふぅん」

子供が飽きた玩具を投げ捨てるように、鬼は武士を海へ放った。尾を引いて急速に小さくなっていく悲鳴を後に残し、そのまま森へ帰る。手には村人のうち、幾らか肉の柔らかそうなのを見繕って引き摺っていった。


マツが目覚めると、いつものように兄々が笑っていた。またこうして顔を見られただけで、嬉しさで胸が締め付けられた。手も足も食べられてしまったから、抱いたりはできなかったけど、下の口でしっかり兄の一部を食い締めて気持ちを伝える。

「うまそうだなぁ」

満月のように、餅のように膨らんだマツの腹を、兄々は鉤爪の生えた手で撫でる。時々間違えて引っ掻くので、腹は縦横に薄い傷が走っている。

「やや子も食べるの。兄々?」

「食わねぇ。大きくしてからだ」

「どの位」

「うんとだ」

「そうしたら、その子は兄々を食べるかもしれない」

「しょうがねぇな。俺は固くてまずいけど」

「ふふ。食べたことあるの?」

「おう。腹が減ったとき手だけ食ってみようと思った。だけど駄目だな。痛いしまずいし」

「私の口はおいしいって言ってる」

できる限り腰をひねって、兄々からあえぎを引き出すと、マツは得意げに笑う。養父に仕込まれた芸が意外なところで役に立つと知って嬉しかった。

「先にお前に食われちまいそうだな。ほれ」

優しい人喰いは、瓢箪から水を含んで、口移しで飲ませてくれる。肉や果実もよく咬み解してから同じようにして食べさせてくれるし、指と舌で歯を磨いてくれる。水浴びは最初、何故するのか分かってくれなかったけれど、マツから出る色々な汚れを見てから、させてくれるようになった。その手つきも優しい。時々間違えて引っかくけれど。

「んっ…ねぇ兄々…また後ろでしてもいいよ…」

「そうか。じゃぁする」

下の口から引き抜いた太い棒を後ろの穴に入れる。養父の屋敷でもっとひどい遊びに耐えてきた穴はすんなり受け入れた。

「はぁっ…くっ…」

「マツはそうやってると、余計うまそうだ。乳飲んでもいいか?」

「うん…」

裏返った声で告げると、兄々は大切な乳袋を噛み千切らないよう、おっかなびっくり先端を咥えた。張った胸を吸われて、マツははぁっと息を吐く。

鬼は白く汚れた口元をぺろりと舐めてから、下の口と同じ程よく締まる後ろの穴を五、六度立て続けに突き上げて、じっとマツをうかがった。とろとろにとろけた顔を確かめてから、またにっこりする。

「うまいか。マツ」

「うん…兄々…おいしい…よ」

兄々はそのままさらに腰を振ってから、ふと気付いたように止まった。

「なぁんだ」

「なぁ…に?」

「マツの手は食わなきゃよかった」

「どうして?」

「もうお前の作った餅、食ぇねぇもの」

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