カフェは空調が利きすぎていて、あまり長居したい雰囲気ではなかった。だから
「結局何で義兄さんと別れたの」
口の端にはパフェのクリームがついていたし、努めてどうでもよさそうな聞き方を装ってはいたが、実のところは結構真剣だった。
けれど姉の
「色々」
沈黙の降りた二人のあいだを美しいとんぼの羽を持った妖精が幾つか、光の軌跡を描いて飛んでいたが、どちらも邪魔にしてどけようとはしなかった。
「何それ。この前義兄さん家ちらっと見にいったら抜け殻みたいだったよ。あの人。病気っていうか。妖精ばっかいっぱい飛ばして」
責めるような響きが混じるのを抑えきれずに、妹は言い立てる。つい身を乗り出したが、Tシャツとジーンズという休暇中の学生らしい格好ではあまり迫力がない。薄手のスーツをまとっていかにも落ち着いた雰囲気の姉に対しては、まるで波が岩にぶつかって砕けるような趣だった。
「もう他人なんだから。気軽に上がるんじゃないの」
たしなめながら、神流はまた褐色の液体をストローで一口飲むと、宙を舞う妖精に合図をする。たちまち鏡があらわれて、時刻と天気予報を示した。七月十日十四時二十分、降水確率零パーセント、降星確率二パーセント。
「山口さんとのことはもう終わったんだから。若菜、口、ついてる」
「何それ」
妹は空になったグラスとスプーンを脇にどけ、あわててペーパーティッシュをとって口元をぬぐうとさらに告げた。
「ヤマグチサンなんて呼び方初めて聞いた。てかおかしくない。離婚て普通もっと色々あるよ。普通じゃないよ。そりゃうちも義兄さんとこも親類いないけど、仕事先とかは」
「私、仕事辞めたから」
働き者然としたいでたちの相手が、あっさりそう返事をすると、学生はあんぐりと顎を落とした。
「うっそ。え?コンペは?」
姉は眉間に皺を寄せ、ほんのわずかに苛立ちを含ませた言葉をつむぐ。
「疲れたの。色々と。学費と仕送りは心配しないで。あなたが卒業するまでの分はちゃんとするから」
「え、でも」
「ちゃんと勉強しなさい。時間だから私行くね」
神流が手提げ鞄を引き寄せて席を立つと、妖精が煌く尾を引きながら追っていく。若菜も急いで後に続く。
「何で。お姉ちゃんこれからどうすんの」
早足で会計所へ向かっていた姉が足を止め、振り返って妹に告げる。
「私にも自分の人生があるし、あれこれ口を挟まれたくないの。そろそろ独り立ちしたら」
向かい合う二人をよそに、妖精が、会計所の前の台座に軽くつま先で触れると、ありがとうございました、という機械の声が支払い完了を告げる。
「それじゃあ」
妖精を連れた姉が足早に立ち去るのを、妹は途方にくれた面持ちで見送った。
「本当のこと言えばよかったのに」
横たわった男が、楽しげにつぶやいた。頭上で妖精が鏡に映し出す記録を鑑賞しながら、下手な鼻歌交じりに漏らした台詞だった。大の字になってくつろぐ逞しい裸身は、偏光ガラスの窓から差し込む淡い日差しに照り映え、引き締まった筋肉をおおう蔓草模様の刺青を、うっすらと浮かび上がらせている。
左右に開いて投げ出した足のそばには、それぞれ肉付きのよい女と、華奢な少女とがうずくまって、よくなついた犬の如く指先をねぶっている。どちらも艶やかな褐色の素肌を主人と同じ蔓草の刺青で覆って、首輪や鼻輪をはめ、乳首や臍や秘裂や陰核には銀のピアスを通している。血のつながった母娘で、ともに男のペットだった。多頭飼いの趣味を満たすため囲われているのだ。
午後の光に満ちた、温室のように明るい部屋には、むせるような花の香りが汗の匂いに入り混じっている。それらをかき混ぜるように、無数の妖精が飛び回っては、主人に奉仕する二人にも近づき、愛らしい顔を寄せて、いたずらにピアスに歌い掛けると、涼やかな音を鳴らす。するとたちまち喘ぎと嬌声の重唱が起こった。
微かな高周波振動。どれほどの快楽や苦痛を与えてくれるかは、同じく奴隷である橋本神流も身に沁みて知っていた。
カフェにいた時の堅苦しい服装とうって変わり、刺青とピアスまみれの姿態をあらわにした女は、男の股間に屈みこみ、剛直を喉奥まで咥え込みながら、睫に涙を含んで上目遣いをした。肌は火照り、じっとりと汗ばんで、雌芯からは愛液がこぼれている。
「お姉ちゃんは浮気セックスにはまって人間やめて、奴隷に永久就職したってさ」
男はぽんぽんと、お気に入りの愛玩動物にする仕草で滑らかな黒髪を手櫛にする。女はぞくりと震えて、口腔に収めた逸物がいっそう堅くなるのを舌に感じると、唇をすぼめ、首を勢いよく前後に振り立てた。喉の粘膜を使った奉仕に、主人が低くうめく。とたん四方から妖精が寄り集まって、懸命に尽くす奴隷のそこかしこに歌いかけては、官能の疼きをもたらした。
男の両足先にしゃぶりついていた褐色の母娘は、輝く羽の群に囲まれた神流を見やり、半ば恍惚と半ば羨望に満ちた表情で魅入っていた。
ややあって雄のうなりが上がると、巨根がたっぷりした迸りを放つ。這いつくばる雌は全身から伝わる痛みにも似た快さに目を晦ませつつ、すべてを受け止めた。少しして噴出するような射精が終わると、固さを失った性器がゆっくりと抜け、唇とのあいだに銀の糸を引いてから離れる。
神流はいつものように、大きくおとがいを開いて、舌にたまった白濁をさらしてから、許しを得て、よく味わい嚥下する。よくやったと誉めるように、ごつい指のひらがまた髪をくしけずった。
「しかし三号はいい奴隷になったな。もの覚えがいい」
「ふぁ…ありがとうございます、ご主人様♥」
教え込まれた台詞が自然に滑り出る。言葉には、口にするまで思ってもみなかったほど真心がこもっていた。
「三号がこれだけいいなら、四号は妹にするか」
うっとりしていた女の笑顔が凍りつき、剥がれ落ちる。撫で肩がわななき、呼吸が乱れるとともに、大きく膨らんだ刺青入りの乳房が上下する。
「妹は…妹だけは…」
「はあ?」
「お願いします。妹は関係ないんです…」
震え声での懇願に、男の整った顔立ちが陰りを帯びる。
「逆らう気かよ?前言撤回。三号はまだ奴隷の自覚が足りてねえな」
噛み付くような言葉を反応したかの如く、妖精の一つが何もない場所に鏡を浮かべる。薄暗い部屋が映っていた。
無精髭を生やした、痩せぎすの青年がひとり、椅子に腰掛けている。少し線が細いが優れた造作だ。ただこけた頬のあたりにはゆるみがあり、目つきも焦点が合わず、何もない卓上に視線をさ迷わせているだけだった。周囲には画面のこちら側と同じように、いくつもの妖精が飛び交っていた。
神流は凍りつき、次いで目をそらす。
「ちゃんと見ろ。俺に逆らった馬鹿がどうなったかな」
主人が無慈悲に命じると、神流の顎を掴んで無理矢理、妖精の鏡へ向けさせた。
「三号の妹をああいう風にしてやるか?それとも一号や二号みたいに物分りのいい人形にしてやろうか」
女は、欲情しながらもどこかおっとりしたようすを崩さない母娘をちらりと一瞥して、鏡の向こうの景色に視線を戻す。よく知っている場所だった。三ヶ月前まで暮らしていた住居兼アトリエだ。人間として、妻として、駆け出しの工業デザイナーとして。
「申し訳ありませんご主人様。三号が間違っておりました。どうかお許し下さい」
「じゃあ三号の妹を四号にする。いいな」
「それは…」
「どうなんだ」
神流はゆっくり呼吸すると、精一杯の媚を含んだ笑みを浮かべ、男の彫像のような長躯に這い登った。
「ご主人様。三号をもっと可愛がって下さい。ほかの女に心を移したりしないで。もっと三号をかまってください…三号が一番上手にご主人様を喜ばせますから」
「へえ。嫉妬か。面白いな。いいぜ、ほら、踊れよ。楽しませてみせろ」
いつの間にか太幹はまた強さを取り戻していた。銀の玉をいくつも埋め込んだ赤子の腕ほどもある器官は、ほとんど、凶器のように見える。
女はしかし、演じる必要もなく熱い息をこぼすと、がに股になって屹立の上にまたがり、ゆっくり腰を沈めていく。数え切れないほど受け入れてきたはずだというのに、膣を押し広げる質量の大きさについ歯を鳴らしてしまう。
「はぐ…ごしゅひんしゃまぁ…はぃりましたぁ…」
「おら。休んでないで、さっさと動け」
小気味よい音とともに、刺青のからみつく双臀を、主人の掌が打ち据える。ほどよく脂肪が乗って丸々とした白い肉に、くっきりともみじの痣がかさなっていく。
「ひぎぃ!ひゃい!うごきましゅう!!」
神流は髪を振り乱し、乳房をゆすらせ、胴をねじりくねらせ、淫らに舞った。乱れた息と随喜の囀りとをないまぜにしつつ、腰を深々と沈め、子宮を叩くほど深く剛直をめり込ませ、粘膜を削るような感触にひしり泣くようにしながら、蜜壷をきつく締め付けさせ、全身全霊で男に快楽を捧げる。
妖しくゆらめく裸身に、虹に似たきらめきを放つ妖精の羽が渦巻くようにまとわりつき、あたかも光のドレスのように飾り立て、共鳴し合いながら一斉に歌い掛ける。胸先や花芯を貫くピアスが蠕動し、蔓草の刺青が皮膚の上でざわめいては輝き、脳裏を白く焼くほどの絶頂が訪れて、奴隷の意識を飛ばす。
だが女は白目を剥き、舌を突き出し、涙と涎と洟を垂らし、失禁さえしながら、なおも腰を振り、のたうつような踊りを続ける。まるで周囲にささめくものどもに導かれ、糸を引かれる傀儡のように。傍目には、妖精の女王が配下を侍らせるさまにも思える光景だった。
下に寝そべる男は満悦した面持ちで、優雅にもがきもだえる奴隷に眺め入る。かたわらでは、狂熱にあてられた母娘は、いつのまにか主人の足先をねぶるのも忘れ、互いに抱き合い、秘裂を指で弄りながら、貪るような接吻を交し合っている。
虚空にはなお鏡が浮かび、やつれた青年が、暗い部屋の中で輝く羽にとりまかれ、闇を見つめていた。
すべての終わりが始まったのはとある金曜の晩。
橋本神流が、男に出会ったのは、投資家なども顔を出す業界のちょっとした集まりだった。人前に出るのはあまり得意ではなかったが、独立して間もない工業デザイナーとしては、顔と名を売っておく必要があった。招待状は神流一人だけに届き、人あしらいのうまい夫は呼ばれていなかった。どの道外せない業務があって出席できなかったのだが。
「面倒だったら辞退したら」
猫背ぎみに座った夫が、鏡をにらみながら提案した。行政機関向けの面倒な文書を作成している途中で、顔も上げようとはしない。もちろん、いつもの甘やかしだった。本当は、ひよっこがせっかくの誘いを辞退するのはあまりよくない。けれどデザインいっぺんとうでほかに何もできない妻に荷が重いから、という判断なのだ。
「いや行くから」
多少むきになって神流が宣言すると、夫は振り返らずに苦笑して、短く忠告する。
「じゃあそのスーツはやめなさいよ」
「え、何で」
「デザイナーがそのスーツっておかしいから」
「会社では怒られなかったけど」
「でももう独立したんだから」
夫が作業の手を止めて、家にある中でそれなりの服を見繕ってくれたので、神流は出かけた。行きがけに義務としてキスをしようとしたが、ルージュが崩れると手間だからと夫は断った。
妻としてはせめて代わりにと丁寧に頭を下げてからアトリエを後にした。妖精を飛ばして車の鍵を外し、乗り込みながら、ありがたいと独りごちる。夫とは長い付き合いだったが、時折拝みたくなるのだった。子供時代、被災後の避難所で妹と二人途方にくれていた頃に出会った。職業訓練校も同じ。勤め先は違ったが、神流が独立したいと言ったら仕事を辞めて手伝いに来たうえ、事務に経理に営業に、要するにほとんどすべてを受け持ってくれた。
目の回るほど忙しく、かつ儲けもたいしてない業務を負担する理由は、神流が作り出す妖精のデザインが好きだからだと、伴侶は屈託なく言ったものだ。
座席に背をもたせ、集まりの会場へと向かう車の運転を見守りながら、ついにやける口元を手でおおう。集まりで飲む酒はほどほどにして、帰りに何かおいしいものでも買っていこう。そう妖精に備忘録を言いつける。
だがついてみると、集まりは長引いた。始まってすぐ近寄ってきた投資家だという身なりのよい男は、神流をよく知っているらしく、デザインを褒めちぎったうえ金を出している大手通信社の事業に協力して欲しいと話を振ってきた。適当にあしらうつもりだったが、連れている妖精が随分変わっていたために、つい気を惹かれた。
二次会のバーで、二人で並んで飲んでいたとき、男は幾つかの妖精に、空のグラスを震わせ、聖歌を唱和させてみせた。
「うちの抑えてる特許。妖精ってあんま出力大きな仕事できなかったけど、これ色々応用できると思う」
「…グラス」
神流はとっさに指差した。グラスの中にうっすらと銀の蔓草模様が見える。
「グラスの方に何かありますね」
「お、正解。これお店のグラスじゃない。まいったな橋本さんすげえ。すぐ種がばれちゃうとはね」
「ええ。でもこれいいですね」
後頭部に刺すような痛みを感じて、神流は手をやった。すると近くに浮いていた妖精が逃げるように離れる。避難所の近くの山にいた虻か蜂のように、こいつが刺したのではないか。愛らしい顔で見返してくる小さな機械をちょっと睨んでから、馬鹿な空想をしたと反省する。飲みすぎたつもりはなかったが、念のため、失礼と言って手洗いに立った。
自分の妖精に鏡を出させ、化粧を直しながら、念のため後頭部を調べてみようと角度を変えさせたところで、すぐそばに知らない妖精が幾つか飛んでいるのを鏡ごしに認め、身構える。
だが記憶はそこでいきなり途切れた。
薄闇の中で目を開ける。どこか見知らぬ寝室のベッドに寝ている。夫が着せてくれた服を、鋏を持った妖精が切り刻んでいるのが見えた。悪い夢だった。蜂のように刺す妖精、服を切り刻む妖精。どれも懲役刑を免れない違法改造だ。まぶたを閉じる。
だが全身に刺すような痛みを覚えて、また起きる。妖精が素肌に食いついている。何かを刺している。まるで芋虫に卵を植えつける蜂のように。絶叫しようとして、また意識が遠のく。
三度目の覚醒は、痺れるような性感の昂ぶりとともにやって来た。逞しい男と抱き合い、口付けを交わし、すすり泣きながらもっともっととねだる。
初めは相手を伴侶だと思ったが、徐々に違和感が高まってきた。いつもと異なる乱暴で、独り善がりで、女の肉から快楽を毟り取るようなやり方が妙だった。指の触れ方、唇の触れ方も、どこか粗雑で、はっきり言えば、夫よりやや下手だった。おまけに押し込んでくる陰茎は大きすぎ、内臓を圧迫して苦しい。
「な…なに…」
おぞましさが首筋を冷やし、手足をこわばらせる。
「おはよう。三号」
男の楽しげな囁きとともに、耳元で妖精が歌いかけると、すべてが反転し、信じられないほど甘やかな疼きが全身を走り抜けた。神流はまた悦びにむせびながら、心の奥で恐怖の悲鳴を上げた。だがどこにも逃げ場はなかった。
一体何日のあいだ、妖精だらけの屋敷で凌辱に遭ったのか、はっきりは覚えていなかった。ただ食事のあいだも、入浴のあいだも、排泄のあいだも、睡眠のあいだすら男と番い、まぐわい、蕩けていった。七色に光を反射する半透明な羽の群が絶えず周りにあって、正気に戻ろうとするたび、歌いかけ、抗いがたい恍惚をもたらすのだった。
屋敷には大きな家事妖精や事務妖精がいて、すべての仕事をこなしていて、人間がやるべきは、ただ主人である男のために淫らに振る舞い、屈従と愛戯で心を満たすことだった。
男が疲れて休んでいるあいだは、一号、二号と呼ばれる母娘がやって来て、二人がかりで神流を調教した。二号にあたる少女の方はまるで小さいころの妹のように甘えながら、ようしゃなく乳房や脇腹に歯型をつけ、痛みと快さを交互にそそぎこみ、年上の神流が泣いて懇願しても失神するまで止めなかった。あるいは気を失ってからも弄び続けたかもしれない。
一号はおっとりした成熟した女のようだが、子供と同じくどこか狂気じみた無邪気さで、色々な道具を器用に操って遊ぶのが好きだった。神流の肛孔に樹脂の送水管を入れ、妊婦のように腹が膨らむまで浣腸してから、何度も排泄させた。最後は首輪に紐をつけて中庭に連れ出し、勢いよく透明な水を噴出させて、どれだけ遠くへ飛ぶかとふざけるのだった。
ぽっかりと括約筋を拡げて痙攣する生贄に、二号が近づき、弛緩しきった菊座に指を、ついで手首をねじ入れて笑う。二人はすっかり三号、と呼ばれる新しい玩具が気に入ったらしく、主人の許しがある限りは、片時も離れずじゃれ付き続けた。
神流は切れ目なく続く狂宴のあいだに、自分の妖精を屋敷の妖精がよってたかって組み伏せ、おかしな糸や管をつないでいるのを視界の隅にとらえた。何度もかかってきただろう夫や妹からの連絡につじつまのあった返事をしているのだろうと、ひっきりなしの喜悦に爛れた頭脳で辛うじて想像する。
男は一号、二号による新参虐めのすべてを妖精の目の記録から確認すると、穏やかに尋ねた。
「俺の奴隷になる覚悟はできたか」
「何で…?」
何で私を、と神流は尋ねた。すると相手はにっこりして答えた。
「きれいな妖精を作る、きれいな女。新しい妖精を試すのに丁度いい的だろ。ほかも漁ったが、被災孤児あがりが一番後腐れないしな」
「それ…だけ?」
地位も金もある人間が、あまりにも下らない理由で犯罪を行っている事態が把握できず、神流は裸身を腕で抱えてつい笑ってしまった。くすくすと、次いで、けたけたと、最後には喉にひっかかるようなしゃっくりまじりの大声で。
男は朗らかな顔つきのまま、生贄の頬を張って黙らせ、押し倒すと、秘裂と直腸を逸物で順番に抉っった。それから三号、つまり神流は生まれつき奴隷になる運命だったと、しつこく説き聞かせた。
初めは抗い、罵り、懇願し、取引しようとした。けれど都度、妖精の歌が心と体を打ち据え、這い蹲らせた。罰としてピアスを空けられ、刺青を施されて、死ぬのではないかと錯覚するほどの絶頂を味わい続け、仕舞には許しを乞い、奴隷になると誓ったのだった。
「一応けじめはつけるぞ」
神流は裸にバスローブという格好で男に腰を抱かれ、車に乗り込むと、途中何度も気をやりながら、帰宅した。玄関を開けると、夫が待っていた。普段と同じく、きちんとした服装で、憔悴して。
「十日もどうしたんだ。留守番メッセージばっかりで。迷惑かと思ったけど、少し、探したよ」
「少しだ?てめえ山口。俺の留守のあいだにオフィスまで押しかけたらしいな。どう嗅ぎつけたか知らんがたいがいにしろ」
妻の後ろから、不機嫌そうにあらわれた見知らぬ男に、夫は目を細める。
いつも温厚な伴侶から憂慮が伝わってくると、神流はすぐ手をとって握りたくてたまらなかったが、周囲を飛び回る妖精の羽音を聞くだけでまた恍惚の渦に巻き込まれてしまう。
「…様ですね。うちの橋本と何か」
夫の抑えた口調からはどんな感情も聞き取れなかったが、男はにやりとして返事をした。
「ああ。話があるから上げろよ」
夫は神流と男を導き入れると、扉を閉めた。居間に案内すると、妻に向かって話しかける。
「とにかく着替えを」
「必要ねえよ」
男が遮ると、いきなりバスローブをはぎとった。すっかり作り変えられた裸身に、伴侶が息を呑むのを、神流は朦朧としながら聞いた。
「ごめ…なさ…」
バスローブを拾って着せ掛けようとする夫を、男がせせら笑う。
「三号はな。その格好が一番気に入ってるんだ。ほっとけ。それより見ろよ」
室内に入りこんだ妖精の群は、一斉に鏡を浮かべると、神流が捕まってから現在にいたるまでの痴態を切り取り、繋ぎ合わせて映していった。男にしがみつき、永久に添い遂げると述べながら、種付けをねだり、叶えられるとうれしげに嬌声を上げるようす。朝の目覚めを促すため主人のベッドに登り、競争相手の母娘と押しのけて剛直にしゃぶりつき、喜々として小水を啜り飲むありさま。
「なっ…」
「三号はな。お前と別れて俺と一緒になるってよ。離婚しろ」
「ふざけるな」
警察を呼ぼうとしたのか、夫は自分の妖精を手招きしてから、急に頭を抱えてうずくまった。幾つかの妖精が虻か蜂のように頭を刺したのだ。刺青やピアスと同じ銀色の素材でできた細い針状の媒体を打ち込んだに違いなかった。以前にバーで起きたのと同じ流れだ。今なら神流はそう推測できた。なのに止められない。
「お前、しつっこそうだからな。早めに片付けとく」
「や…め…」
間断なく絶頂に達しながらも、神流のわずかに残った意思をふりしぼって言葉をつむぐ。
「おねが…やめ…」
「ちょっと脳の血管を破るだけだからよ。まあ遅かれ早かれ誰でもなる病気だ」
刹那、夫が立ち上がって、得意げに喋っている男の顔面を掌底で打ち、壁まで突き飛ばした。無駄のない一撃だった。職業訓練校のころやっていた格闘技か、兵役で習った動きだったかもしれない。
痩せぎすの伴侶はそのまま、神流の方を振り返って、よろめきながら一歩進み、微笑みかけた。そうしてそのまま崩れ落ちた。
「いってえな。まじふざけんな」
起き上がった男はふらつきつつ、倒れた夫に歩み寄ると、肋骨のあたりを狙って何度も何度も蹴った。神流は裸のまま男にしがみついて言った。
「やめて、やめて…許して下さい」
「は?許す?こいつ俺に暴力ふるったんだぞ?」
「許し…て…」
泣きながら掻き口説く神流に、男は気おされたようすで舌打ちすると、足を止めた。
「まあいいや。三号。聞いとけよ。こいつは脳の血管がちょっと切れちまったけど、妖精の助けがあれば普通に暮らせる程度だ。うちの妖精を整備保証つきでつけてやる。適当に生活費も出してやるよ」
「血管…切れ…うそ…」
三号と呼ばれた女はわななきながら、うつぶせになった夫と、轟然と立つ男の背とを見比べる。
「あのな。こいつが、まあもう一人じゃ何もできねえと思うが、どっかのめんどくさい専門病院に行って検査受けたり、警察に余計な話をしたりしようとしなきゃあと何十年でも生きられるって話だよ」
「ぁっ…ぅっ…」
「だけどな三号とかがつまんねえ真似したら、こいつの周りにいる妖精がきっちり脳ぶっ壊すからな」
「分かったか。分かったらちゃんと奴隷らしくしろよ」
三号はしばらく固まっていたが、やがて理解した印に頷くと、滂沱の涙を流しながら引きつった笑みを浮かべ、壁に背をつけると股を開いてみせた。
「はいご主人様。三号はこれからずっとご主人様の奴隷です ♥」
三号は痙攣しながら尿をこぼした。肛孔にこぶしをねじ入れた二号が、楽しげにねじったのだ。あふれる小水を一号がおいしそうにすすりながら、ふざけて陰核にはまったピアスをかじって引っ張る。
また裏返った悲鳴を上げて三号は絶頂に達した。
のけぞって震える女の目の前に、一枚の鏡があらわれる。
暗がりの中に、やつれた青年が映っていた。のろのろとした動きはまるでスローモーションだが、周囲を舞う煌く羽の素早さと見比べれば、そうではないと分かる。妖精の勧めに従って、食事をしようとしているのだろうか。以前は料理がうまい人だった。よく修羅場の神奈を驚かして、気分転換させるような、風変わりな一皿を作ってくれた。けれど今はもう、複雑な手順は踏めず、簡易食品をかじるだけかもしれない。
「ごめ…なさ…たすけられ…」
何故謝るのか、誰に謝るのかもはっきりしないまま、つぶやく。
すると別の鏡があらわれる。妹の若菜が映っていた。山盛りのパフェを前に警戒し、張り詰めた顔。向かい側に男が座っている。隠微に嗤いながら。あたりを、たくさんの光が飛び交っている。
「…わか…な…ごめ…」
つぶやきかけたところで、一号がまたいたずらっぽく紅芽を貫くピアスをねじり、二号の指が直腸をひっかく。三号は裏返った声で啼くと、絶望に塗りつぶされ、甘やかな泥沼に溺れていった。
頭上では、三人の奴隷を守り、捕え、弄ぶように、あまたの妖精が倦むことなく円舞していた。