Dragon Mother in Law

勇者の奥方、ローラ姫が名を戴いた剣の国。伝説の時代を遥かに下って、数え切れないほどの聖王や暗君が温めた玉座に今ついているのは、歳月に打ち拉がれた男だった。

謁見の間からは常ひしめく廷臣の影が消えて、ただ緋毛氈の上に、帯剣を許された青い戦装束の若者が独り、跪いているだけだ。

王と騎士。二人は良く似ていた。ただ幼い方には、年取った方と違って苦悩の刻んだ皺がなく、代わりに凪いだ湖面のような平静さがあった。

「…かの地との和睦はなったか」

「食べ物を送れば、宝石と金銀銅が来ます。うちからは職人もやった方がいいな。精錬はあまりうまくないみたいだった。洞窟を通って沢山は搬べないから、早く純度の高いものを作ってもらわないと」

淡々とした進言に、まだ壮年の盛りにある王は、急に老いを覚えたかの如く肘をつき、重い冠を被った頭をもたせた。

「ローレシアの技術を漏らせと」

騎士は瞬きして肩を竦めた。

「代わりにロンダルキアの業を学べますよ」

ローレシアの君主は唸って相槌を打った。

「ふ…アレフ。お前はあの兄、竜王がまるで恐ろしくないようだな」

「父上も会って話してくればいいのに」

「…お前があれを恐れぬのは、いつでも斃せる自信があるからだ…まことルビスに祝福されておる故…」

アレフは面倒くさそうに頭を下げると、絨毯の刺繍を観察し始めた。沈黙から返事を読み取った父は、かさついた唇の端を釣り上げる。

「…アレフ。賢くなりすぎるな。ズィータは愚直なところがあった。だから愛されもしたのだ」

勇者は、探るように主君を見つめた。

「いい加減、気持ちは直接伝えて下さい。もう面倒だから仲介したくない」

「……どうせよというのだ」

「兄上を怖がっている理由は何?」

「…あやつは竜王だ。勇者でなければ、人間が怖れずにいられようか」

「ドラゴンは人間に無関心だよ。腹が減るか、怒らせなければ襲ってこない」

「あやつは飢えている」

「そうは見えなかったな」

「…あやつは…」

「ドラゴンを怒らせたの?」

「…っ…ああ…そうだ…」

「兄上のお母様の事だね」

世継ぎがうしびれを切らして指摘すると、王は拳を挙げて両目の上を覆った。臣下の前では決して見せぬ弱々しい姿だった。謁見の間の影が急に濃さを増すように思われた。

「ならぬ!あれは予のものだ」

「まだ生きてるんだね」

あっさりとした、しかし揺るぎのない宣告。玉座の男は裁きを受けた罪人のようにおののいたが、やがて拳を握り締めて身を乗り出した。

「あれは予のものなのだ…どこにもやらぬ!アレフ!太子といえど関ってはならぬ事柄もあるのだぞ!」

「前にね。ムーンブルクでも魔族に閉じ込められた人を見たよ。外に出られたら嬉しそうにしていたな」

「…ルビスよ守り給え…よしてくれ…頼む。アレフ、お前は残酷すぎるぞ…」

「奥方の里帰りくらい、どこでもしてる。家庭円満のために」

安易な提案に、ローレシアの王は肘掛けに爪を立ててこらえた。

「お前には…愛が分からぬのか…お前とて…愛する女が逃げていこうとすれば…」

「無理に抑え付けたら嫌われるよ。そんなの犬や猫でも同じだ」

「ぐっ…」

父は唇を咬んだ。答えは分かりきっていた。どうしても口にせねばならぬところに追い詰められていた。最良の選択。成すべき償い。しかし長く目を逸らせていた過ちを、鼻先に容赦なく突きつける息子を疎まずにいられなかった。

竜の血を引かぬ、生粋のロト。だが世継ぎとして果して兄より優れていただろうか。武勇を賛える兵はともかく、民は愛すまい。正しすぎる。余りにも正しすぎる。

「分かった…ヴィルタをロンダルキアへやろう」

アレフはまた肩を竦めた。


黒塗りの輿が空を飛んでいた。はるかな高みを、四角い箱が、まるで鳥か雲のごとくに過っていく。天を征くよりは、地を進むのがふわさしかろう、無骨な鋼と樫の骨組み。随所に打ち込んだ鉄の楔からは無数の鎖が上方へと伸び、ガーゴイルやメイジパピルスがそれぞれを掴んで羽搏いている。

奇妙な乗り物は風巻く銀嶺を越え、竜の牙の如くに並んだ峰々を過ぎると、広い雪原に達する。遥かに氷柱と霜に覆われた石造りの宮殿が見えた。有翼の魔族の群は嗄れた声で鳴き交わすと、かさばる荷を広い中庭へ吊り下ろしながら、ゆっくり舞い降りていった。

重い響きをさせて、どこか棺桶を思わせる闇色の方形が着地する。鳥人がうやうやしく扉を開くと、内部の暗がりに光が差し込む。奥でかすかに影が身じろぎする気配があった。

果実と野菜で菜園のようになった、出迎えたのは黒髪の王と金髪の妃。夫は緊張した表情、妻は期待と不安の入り混じった面持ちで、遠来の客を待つ。

やがて。

輿から現れたのは、幽鬼の如く痩せ衰えた女だった。枷のあとの残る両手、両足首、日に当たらずに蒼褪めた肌は、奴隷の主人が最後まで解放を渋ったのを示していた。骨と皮ばかりの体は、二、三歩進んでから、ふらりと倒れかけた。

「お義母様…!」

金髪の貴婦人が駆け寄って、抱き留める。

「ぅ…ぁっ…」

「ひどい…こんな…」

ロンダルキアの竜母は、虚ろな眼差しに微かな光を灯して、そうとは知らず嫁を見つめた。

「ああ…あなたは…生きていたのね…私…救えなかったと…」

「え?」

「塔から落ちて…でも無事だったのでしょう…綺麗な瞳…そんな色をしていたのね」

金縛りにあったように動かないでいた息子は、ややあって伴侶と親のもとへ歩み寄った。

「母上は今と昔の区別がつかなくなってるだけだ。昔、お前に似た召し使いを側に置いて…」

雄々しく響く台詞に、亡霊のような女はびくりと身を竦め、のろのろと声のした方に視線を移し、かっと目を見開いた。

「ひっ…いやああああああああああ!!」

嗄れた悲鳴を上げて、支えを振り払うと、その場に踞る。

「お許しください…お許しを…返して…坊やを…ズィータを返して…」

「…っ母上…俺はあいつじゃない!!俺は…」

「もう…逆らいません…だから…やめて…あんな事させないで…坊やに会わせて…」

ズィータは一歩後退ると、視線だけを妻に移す。トンヌラは何ができるか分からないままに、姑の頭を抱き締めて、さすってやった。しばらくするうちに狂った独白はやがて囁きに変わり、か細くなる。ついに寝息を聞いて、双生の妃は安堵の息を吐く。だが首をもたげると、連れ合いたる竜王の貌に、かつてない悲痛が浮かんでいるのを見ない訳にはいかなかった。


竜母ヴィルタの体の回復は早かった。側付きとして選ばれた妖猿の姉妹による手厚い介抱のもと、昔の居室に住まわされ、幼い頃に慣れ親しんだ故郷の食事を宛がわれるうち、若返りを始めた。ロンダルキア王の求めで、日々運ばれる羹や薬湯に王自身の竜血が混ぜられた。枯木のようだった肌は次第に潤いを取り戻し、ふくよかさを増し、ローレシア王の高級肉便器として使われていた頃の妖艶さを蘇らせていった。恐らくはズィータに次いで、いや純粋なドラゴンの裔としてはより強い素質を持っていたのだろう。不老の特徴は急速に顕れつつあった。

だが心は癒えるようすがなかった。息子は気配の察せられる範囲まで近付けさえしなかったのだ。嫁の方は問題なかったが、決してサマルトリアの王子だと認識はされなかった。

「トンヌラ…今はトンヌラという名前なのね…可愛い名前…ところで坊やはどこかしら…」

「ズィータ様はお外に出ていらっしゃいます」

ラーミアの顕現たる双生は戸惑いつつそう答えるしかなかった。

「そう?風邪を引かせないようにね。お願い」

「何かお飲みになりますか」

「ええ…あの…申し訳ないのだけれど…あの二人を呼んで…くれる…かし…ら…」

語尾を消え入らせながら頼む姑に、トンヌラは頬を染めつつ慌てて立ち上がった。早足に立ち去りながら、控えていた二人の女官に頷く。

デビルロードの化けた内侍が滑り出ると、蠱惑の笑みを浮かべてヴィルタに擦り寄る。

「お呼びですか竜母様」

「どんな御用でしょう」

ロンダルキアの太后は、睫を伏せながら、震える指で、胸を覆っていた薄絹を外す。いつでも授乳できる若い母親向けの衣装だ。必要から身に着けている。

「また…お世話になります…」

妖猿の姉妹は顔を見合わせて、わざとらしくも怪訝な素振りをする。

「何でしょう。はっきり仰って下さらないと」

「こんな大きなものをただ差し出されても困りますわ」

「あ…あ…わ…私の…竜便器のヴィルタの!いやらしい胸を、絞って下さい…」

にっこりした女官たちは、しなやかな指で乳肉を揉み解していく。竜母は被虐の悦びに下品な逝き顔をさらしながら、荒い息を吐いた。

「あらあら、最低の駄雌面ですね」

「ほら、家畜らしく四つん這いになって下さい」

「ふぁいっ♪」

ローレシアとムーンブルクの闇の諸侯に、徹底して仕込まれきた奴隷は、寝床に両腕と膝をつく。薬と呪文によって止まらなくなった母乳を迸らせる。人間であればとうに腎を病んでいるだろう。だが竜母の頑丈さを承知しているデビルロード達は遠慮などせず、それぞれ十本の指をすべて使って張りのある果実を掴み、螺旋状に捻り潰して大量の汁を搾り取っていく。

「ぃだぁああっ!」

「竜便器様は痛いのがよろしいのでしょう?」

「塵屑のように扱われるほど喜ぶ色狂いでいらっしゃるから。ほら」

再び丸みを帯びてきた太后の双臀を、女魔族が平手打ちをすると、以前とは見違えるようにふっくらした唇が、幸せそうに啼いた。双子の内侍は、デビル族が交尾する時の如くに瑞々しい獲物に咬みつき、引っ掻いて姉妹がかりで玩具にし、またあるいは赤児のように乳首に吸い付いて尽きせぬ白露を啜り、戯れた。二組の手と足、合わせて四十の指が熟れた肢体をまさぐり、勃起した雌芯を抓り続け、花弁の奥を掻き乱す。

ドラゴンの雌は疾しさと愉悦に咽んでは、妖猿の変化に身を委ねる。

「いつまでも可愛がってさしあげますわ」

「ええ。誰も傷つけないように。私どもが愛して差し上げます」

「ひぁっ…あぁ…あぁぁぁっ!!!」

歓喜の涙を、血色を取り戻した頬に伝わせて、ヴィルタは求められるままに同性と唇を重ねて、双子が交互に流し込む唾液を嚥下していた。

「優しい…優しい…お姫様…」

「罪の疼きを忘れるほどに狂っておしまいなさいね」

「私どもの胸で…」

「いつまでも…」


太后が立って歩けるようになると、側仕えの双子はどこへでもついていった。ほとんど二つの影のようにぴたりと寄り添い、ほかの者の取り次ぎを厳しく制限した。ほとんどデビル族だけが玉体を独占していると影では不満があがったが、姉妹でかかれば亡き不敗将軍さえ打ち拉ぐ噂のあった女戦士に、誰も面と向かって窘められはしなかった。

唯一叱責できるとすれば竜王だが、母后との再会を喜ぶはずが、どうしてか家族を連れて温泉のある離宮に出向き、本城に還ろうとしなかった。さらに帰郷の祝賀にも欠席するため、デビル族の侍従と人間の儀典官のみで取り仕切れとの詔を下した。普段からしきたりには頓着せぬ若き支配者の命とても、、さすがに異様な行いで、さまざまな憶測を巻き起こし、山間の宮廷には、喜びの最中にも不安が漂うようになった。

特に疑惑を集めたのは妖猿の首魁たるバズズだった。しかし兵馬の帥として最高位にある赤髪の青年にしてからが、遠くからわずかに麗しい横顔を望む機会しか得られず、非難は門違いと腹立ちを募らせているようだった。

しまいには間近に迫った慶事の準備に奔走する慌しさを縫って、しつこく竜母を付け回すようになった。内侍はそろって巧みに避けたが、とうとう式の当日になって長姉が捕まった。

「何故お目通り叶わぬ。我が輩は一族の長、将軍だ。姉上がたより権利があろう。そもそも太后の帰還をかくも長く諸部族に伏せておくなど…敢えて不信の種を撒くも同じだ」

「ですから今日はお目見えを許されます」

「我が輩は、統領として命じねばならんのか!竜王の母君に謁見させるようにと」

「バズズ」

デビルロードは氷の笑みを浮かべた。たちまち弟はしゃちこばる。

「私どもが跡目を譲った際、話しておいたはずです。覚えていますか」

「姉上がたのお考えに…いかなる疑いも抱いてはならぬ…承知している…しかし」

「あちらへ行って式典の準備に抜かりがないか確かめてらっしゃい。陛下がいらっしゃらないのですから、いつもよりさらに励まねばね」

まだ納得いかぬげな騎士を手振りで追い払うと、内侍はやや足を早めた。

控えの間に着くと、妹が主役の飾り付けを終わるところだった。古いロンダルキアの裳裾。竜鱗を模して織った桔梗色の布地は、デビルロードの好みで肌に張り付くように仕立て直され、成熟した、柔らかみのある輪郭を上品に際立たせている。梳られた射干玉の髪には輝く紫水晶と金剛石の額冠。薄らと化粧したヴィルタの様相は、翳りを残しながらも穏やかだった。

「どうぞ。皆が待ち詫びています」

「私どもが案内いたします。さあ」

三たりの影が静々と廊下を渡る。衛兵や侍従の姿はない。妖猿の双姫が、能う限り誰も側へ近づけないように差配していたのだ。やがて帷で覆った通路の奥へ突き当たると、姉妹は並んで重い緞子を開き、主を屋外へと誘った。

踏み出すとそこは眩い日差しに照らされた縁台。ロンダルキアの太后は喘ぎ、帷に半ば背を預けながら、下方を俯瞰した。人間と魔族。地上にひしめき、あるいは宙に浮かび、壁に張り付き、一斉に眼や触角を向けてくる。

”ヴィルタ様!”

「ヴィルタ様だ!」

「姫様がお戻りになられた!」

”おお。ロンダルキアには喜びばかりが続く”

”神鳥に栄えあれ!竜王に栄えあれ!”

「万歳!ロンダルキア万歳!」

喜びに渦巻く群集。だが竜母は震え、後退りかける。紅を差した頬は、化粧の下でひどく青褪めていたろう。女官二人は、帷ごしにそっと背を支えた。

ヴィルタは深呼吸すると、苦難の末に故郷へ戻った王の娘に相応しい笑みを作る。

「皆…こんなに長く私を待ってくれて…感謝に堪えません…私が再びこの地に帰れたのもひとえに皆が心寄せ、辛抱強く待ちつづけてくれたからこそ…私はロンダルキア王女として…」

そつなく祝辞を述べる太后に、デビルロードの双姫は嫣然として、いきなり後ろから主の裳裾を捲り上げた。垂れ幕が盾になるために、外に詰め寄せた民からは、決して窺い知れない悪戯だ。

淑やかな衣装の下は、淫らに仕上がっていた。下半身には紐で吊った靴下のほか、何も着けておらず、ただ消せぬローレシアの家畜の烙印が、ししおきのよい白臀にくっきりと浮かんでいた。僅かに空気の冷たさを感じてか、腿は震えていた。秘裂と菊座には、一本ずつ悪魔の尻尾が無造作に栓をしてある。姉妹はくすくす忍び笑いして、魁偉な玩具を掴むと、大胆に肉穴へ出入りさせ始めた。かつてのロトの雌奴隷は裏でだらしなく愛液を零しながら、表では己を慕う老若、貴賎の諸衆へ話しかける。

「幾多の災いを…陵いでぇっ…くっ…地の下で雪に堪える草の根の如くっ…っ…」

「竜便器様。ご挨拶を」

「どうぞ手を振って。にこやかに」

責め手の囁きに、竜母は語句を詰まらせ、涙を零す。感極まったのだろうと、平民、神官、武人、魔族の各部族は貰い泣きする。背を反り返らせ、歯を食い縛って嗚咽を抑える凛々しい太后のようすに、縁台の下方に居並ぶ誰しもが心打たれたのだった。

だが帷の影では、妖猿の化身がひくつく前後の穴を弄び、泉の如く湧き出る欲望のつゆを飽かずに掬い呑んでいたのだった。


「お上手でしたわ。むごい暮らしにも心折れず、慈悲深さを湛えた竜母の御姿に、涙せぬものはおりませんでした」

「私どもがお止めしたのに、皆のあいだに降りられて、親しく握手や抱擁まで交わされて、はらはらいたしました…でも何もなくてよかった…」

大きな寝台。いつものように搾乳を終え、性戯の嵐が過ぎたあとで、デビルロードたちは仕えるべきドラゴンに睦ましく呟いた。姉妹の指は愛しげに獲物の股間に潜り込み、名残惜しげに柔らかな陰毛を引っ張ったり、肉豆を抓ったりして弄っている。ラダトームのローラの面影を伝えるという幽玄の縹緻は、恥らいのためか、昂ぶりのためか熟した林檎のように染まって、唇からあえかな喘ぎを漏らした。

「ぁくぅっ…ひんっ!…ぁ…ぁ…」

また軽く達してから、ヴィルタは侍女の促しに従順に応じて、交互に接吻をする。

「あ…ありがとう…二人とも」

「いいえ。私どもこそ。望外の喜びですの」

「こうして頼っていただけるのは」

左右から妖猿がしっかりと抱きつくと、竜母はわななきつつも、それぞれの肩へ腕を回す。責められていたはずなのに、いつのまにか親が幼な児をあやすような格好になる。

「…ヴィルタ様…温かくて柔らかい」

「乳の香りがして落ち着きます…」

「ふふ…どうしたのですか…」

太后が尋ねると、双子の姉が珍しく気兼ねした風に訊き返した。

「ヴィルタ様、まだ思い出されませんか…ズィータ様を」

「ズィータ?…そういえばあの子はどこかしら」

ぼんやりした答えに、双子の妹がやや沈んだ調子で語句を継ぐ。

「本当は…もう思い出されているのでしょう…私どもには分かります…」

沈黙が降りる。

「…あの子はよい家臣に恵まれましたね」

ドラゴンは身を起こすと、寝台にきちんと膝をそろえて座る。二匹のデビルロードも素早く倣った。女三人が裸のままじっと顔を見合わせる。

「ハーゴンについて教えて下さい」

「…あの方が亡くなられたのは…不幸な運命と申せましょう…」

「死はむしろ憩いかと…」

内侍のはぐらかすような言葉に、ヴィルタは首を振った。

「ズィータがハーゴンを殺めたのは知っています。あの人…ローレシア王が私のもとへ話しに来たのですから…やはりあの子はローレシアの騎士だったと…」

大業を遂げた長男が帰還次第、すぐにも正式に国の内外に世継ぎとして披露するのだと息巻いていた。もはや誰にも異議は唱えさせないと。そう告げる男の目には、生ける幽鬼と化していた内縁の妻が、幾らかでも愛を蘇らせてくれればという、切ない願いが篭もっていた。

哀れな人だった。ヴィルタはあらためて溜息を吐く。一人息子が、旧友の命を奪ったのを喜べと、無邪気に求めていたのだ。憎めなかった。しかし許せもしなかった。

「ハーゴンは魔法、ズィータは剣。どちらが勝るか、作り上げたもの同士を競わせる…傀儡の舞いを見抜く洞察も失ってしまったのね…」

「傀儡とは何でしょう…」

「誰やらの企みがあったというのですか」

内侍が尋ねるのへ、女主は疲れたように頷いた。

「死んだ男です…いいえ…あの男を動かしていたものは…まだ死んでいない…私が知りたいのは、ロンダルキアでのハーゴンです。あの子は…初めから冷酷残忍でしたか?」

姉妹は顔を見合わせて、考え込むようすだった。

「分かりませんわ…デビル族には生贄を捧げました。私どもが山を駆けて流行り病の薬になる白蓮の花をとってくるのと引き換えに。残忍なのでしょうか?人間の基準はどうしても分からない。妹も私も捧げられた血肉を味わいました」

「教団の神官には始終優しかったように思われます。特にハーゴンを狂信する若者…皆、やって来た時は子供に近かったのですが…に対しては愛情さえ注いでいたかと…中でも腕の立つ悪魔神官と地獄の使いの姉弟を信頼し、大事を任せていた…そう、あの二人が生きているあいだは狂気もさほどではなかった」

どちらがどちらとも聞き分け難い輪唱に、長虫の裔たる女はじっと耳を済澄ませる。

「でもあの二人は無茶をした。いつも大神官に賞めてもらいたがって。まるで親に拾った綺麗な小石を次々と見せにくる仔猿のように、幾ら制しても危地に飛び込んでは貴重な情報や戦果を得ようとし、結局死にました」

「あのあとハーゴンは荒れました。慇懃な態度は同じだったけれど、バズズを呼びつけたり、私どもに犠牲を差し出す際の表情が変わった」

「楽しげでした。とても。楽しげなのに、いつも泣いているように見える。でも…もっとはっきり変わったのはムーンブルクとの戦のあとです」

ヴィルタは膝に指を食い込ませて、無言で続きを待った。よほど辛いのだろうと、妖猿の化身はどちらもは話しにくそうにしていたが、やがて目下の方が口を開いた。

「古い羊皮紙の書物を携えてきました。すっかり耽溺したようで、片時も離さなくなりました。従軍したシルバーデビルの伝えるところ、月の都との決戦に臨む前、先王の墳を暴いて骸を辱めた際、手に入れたのだとか」

「側近の姉弟を亡くしてからずっと陰鬱だったのに、一晩、打ち毀ちた墓所に篭もって、出てきた時は別人のように快活になっていたとか。しかしムーンブルク攻めではかつてないほど残虐だったそうです。敬意を持って扱っていたベリアル様を軍から逐い、マリア内親王を凌辱したと」

「ハーゴン…ああ…ハーゴン…ごめんなさい…私が…私があの時ロンダルキアに戻っていれば…」

耐え切れず慨歎する竜母を、内侍はそろって切なげに見守った。人間の運命など毫も構いつけず、国が滅ぼうと民が呻吟しようと嗤っていられる魔族の領袖であったが、ひとたび愛した相手には強い憐憫を抱くのだった。

「もうお止めになっては?」

「あまり悲しまれては、お体に障ります」

「…いいえ。それからどうしました」

ヴィルタが平静に返って尋ねたので、デビルロードは気圧されるようにして話の穂を継いだ。

「ええ…ロンダルキアはもはや計略も展望もない全方位戦争を始めました…お陰であとになってズィータ様が王位に就かれてからも、和睦しようという国はなく、わずかでも弱みをみせれば包囲攻撃に押し潰される危うい状況に置かれました」

「急先鋒はローレシアで、中立を保っていたサマルトリアを引き込み、さらに遠くラダトームとさえ結んで、砂漠の国に兵を集め、一気に攻め寄せる構えをみせていました。恐らくサマルトリアも、ムーンブルクの落城で考えを改めていたのでしょう」

「トンヌラ様の、各国に食糧の支援を求めるお手紙が撥ね付けられてからは、一刻の猶予もならず、退くにしても進むにしても、敵の戦意を打ち砕く鉄鎚が必要でした。どのような状況でも勝利を拾うベリアル様なら、間違いはないと、ズィータ様は大軍を預けられましたが」

太后は瞼を閉ざした。もう遥か昔に過ぎ去ったような囚れの暮らし。時折訪れる夫が、ある日緊迫した顔付きで、ローレシアは滅びるかもしれないと漏らしたのを思い出す。だがすぐに打ち消して、決して負けはしないと宣べ、ズィータが先手を打ってこちらの出鼻をくじいたのは見事だが、すでに大同盟は完成していると続けた。しかし万が一、魔軍が門の前まで寄せた際は、地獄からだろうと牢ま辿り着き、妻の命を奪って、決してロンダルキアには還さないと。

「ズィータは途中まで、ハーゴンの業を引き継いだのですね。なぜ続けようとしなかったの。二将軍が残っていたのだから、攻め続けていれば、勝てたはずです」

「どうでしょう。敵将…ズィータ様の弟君の強さは神憑っていました。逃げ延びた魔族は勇者ロトの再来に狂わんばかりに怯えていました」

「サマルトリア騎士団も壊滅し、敵もまた不敗将軍の猛威に慄いたと聞きますが…そう…トンヌラ様の妹君から手紙が届いたのです。親衛隊長の死を責める内容だった…かと思います」

詳しく知りすぎているのを咎められるのではと、内侍はやや語尾を濁す。竜母は気付かぬ態で、もの想いに耽りながら独りごちた。

「そう。トンヌラが止めたのですね」

「いえ。違います。トンヌラ様はズィータ様に仰られました。これは戦争なのだから、親や妹であろうと、嫁いだうえは敵同士になる。王族の務めは知っている。容赦をしてはならない。負ければ滅ぶのはロンダルキアなのだからと」

「頭をもたげて、夫を励ますように笑いながら、涙を流しておられました。ズィータ様はでも、あの涙を見て、兵を退かせる決断をなさったのだと思います。撤収を命じられる前夜、シドー様とフォル様のお部屋に篭もられて、ずっと出てこられませんでした」

では息子は、ムーンブルクの大御所が敷いた道から逸れたのだ。胸が締め付けられて、呼吸ができなくなり、ヴィルタは拳で肋のあいだを叩いた。妖猿の掌が、背をさすってくるのへ、感謝の頷きを返す。

「あの退却では、バズズも少しは役に立ちましたわ」

「ヴィルタ様の仰る通り、あと二将軍が残っており、いつでも第三陣、第四陣を送り込めるという姿勢を示したあとでは、追撃も鈍りがちでした」

僅かに誇らしげなデビルロードの姉妹に、太后は淡く微笑んでから、また真面目な顔付きになる。

「そうですか…でも話が逸れました。ハーゴンについて聞くつもりだったのに…あの子に何かおかしなところはありませんでしたか?…ムーンブルクより戻ってから」

「おかしいといえば、いつも、おかしなところがありましたが。そういえばある時、大きな姿見を前に、私どもを呼びつけて問うた事がありました。この男に見覚えがないかと」

「あれは確かにおかしゅうございました。この男、というのはハーゴンが鏡に映った影を指して言うのでした。私どもが知らぬと答えると、大神官は笑って続けました。ずっと探していた。殺してやるつもりで。こんな所にいたとは知らなかったと」

「あとにも、やはり姿見を前に独り芝居をしている事がありました。私はお前にはならないとか。お前の思い通りにはならないとか。お前の国を滅ぼし、お前の孫を死よりもひどい苦しみに突き落としてやったとか」

「でも最後に、打って変わったように明るくなると、よくやった、それでこそ悪霊の神々の祭司だと、シドーの大神官だと己を褒めるのです。完璧に期待に応えてくれたと」

ヴィルタは吐き気を覚えて、拳を握り締めた。ムーンブルクの荘園。脳裏を、忌まわしい光景が閃光の如くに過る。泣きじゃくる少年を組み敷いて、身重の体を踊らせた日。救うべき友を覚めぬ悪夢に引きずり込んだまま、捨て置いた。寒けが襲ってくる。騎士と僧侶と、かけがえのない同朋を凶々しい運命の中で惨死するに任せて、愚かな王の娘ばかりが、のうのうと永らえてきた。

「…ハーゴンは…ほかに何をしていましたか…世界に戦を振り撒く時以外は…」

「人間と魔族を癒す薬の調合を」

「歴代の王が手を出せずにいた難しい開墾や治水を」

「部族同士の交易の決まりを統一し、盛んにしました」

「下界にあったシドーの民の隠れ里を公に認めさせたようです」

「孤児や病み人、行き場のない老人、貧民を引き取る教団の拠点をあちらこちらに築いていました。中から優秀な人材を選んで、新たな神官や祈祷師を育てたのでしょう」

ムーンブルクの大御所も英邁な君主だったと聞く。民草には慕われていた。国を豊かにし、軍を強くし、剣の国の風下にあった魔法の国を、北方世界の雄とした。ハーゴンはロンダルキアで同じ業を為したのだ。

「ほかに…ハーゴン…大神官として以外に…あの子は何を…詩…詩などは作っていませんでしたか?」

「いいえ。そこまでは」

首を傾げる妹に、姉がはたと手を拍いて口を挟む。

「たまに幻遊びをしていました。ロンダルキアでも、あちこちで口減らしに捨てられた子供を集めて、神殿で育てていたから」

「ああ。あの時は大神官も和らいだ顔をしていましたね」

「演目はいつも同じ。おてんばな竜の姫君と、お供のとんまな悪魔の騎士が、ろくでなしの勇者たちをこてんぱんにやっつける話」

「ちらっと眺めたけれど、面白かった。デビル族の仔猿までがこっそり紛れて見物していました。バズズは人間の弱さが感染るといって嫌がっていましたが」

ヴィルタはとうとう声を上げて笑った。笑ってから、顔を覆って泣き出した。慌てたデビルロードたちが慰めても、嗚咽は止まなかった。


息子が帰還する前にと、ヴィルタは居室に件の写本を取り寄せた。ハーゴンが持ち帰ったそれは、すでに大部分が、新王に仕えるのを拒んだハーゴンの狂信者に持ち去られ、断片しか残っていなかったが十分に凶々しい気配が感じられた。

滑らかな手触りのする紙を卓に置いて、掌をかざすと、瞼を閉じて意識を凝らす。

「書よ…お前に…宿るのは何か…お前の奥に潜むのは何か…答えよ」

呼びかけに応じて、くねる文字がそれぞれ細い煙を昇らせる。霧というべきか、霞というべきか、いや闇というべきかもしれない。無明の蟠りが卓上に満ちると、幽かに空気が震えて、鼓膜をくすぐる。

”我が愛しき奴隷よ”

竜母が黄金の双眸をかっと開くと、あたりは完全な暗黒となり、卓も、椅子も、壁も、天井も、すべてが消え失せていた。

眼前には長身の男が立っていた。顔立ちは若いが瞳は老いて、ただ眺めているだけで震えが来るほどの冷たい美貌をしていた。目鼻立ちに覚えがあった。ムーンブルクの大御所。在りし日の、瀟洒で流麗な魔法使いの王子の姿なのだ。

青年は歩み寄ると、身構えるヴィルタの胸に指を伸ばした。打ち払おうとして振るった腕は空を切り、相手の指はまっすぐ乳房を掴み、さらにすり抜けて肋の奥へめりこんだ。凍えるほどに冷たい鉤爪が心臓を握り締めるのが分かる。

”ローレシアの若造などに、調教を任せねばよかったな。最も強いロトの血が必要と考えてあちらに回したが…あのひよっこにそなたは釣り合わなかった”

”離しなさい!!うぐ…離せっ…”

”我が妻、我が妃、我が母、我が娘、我が姉、我が妹、我が愛しき玩具よ”

命の要、血流の核を乱暴に揉まれて、竜母は涙を零し、立ったまま尿と愛液をしぶいて仰け反った。ムーンブルクの大御所は伴侶の腰を抱くと、たっぷりと悪意の篭もった接吻をする。

”そなたがローレシアにいるあいだは、近づけずに淋しい思いをしたぞ。お前の狂気と、あの小僧の妄執が壁になってな。奴が塔に施した防備を知っているか?凄まじいぞ。ラダトームから招いた古流の術士を使ってな。死してもなおムーンブルクの翁がお前を略いに来ると思い込んでいたらしい”

まるで他人事のように謳う魔法使いに、太后は喘ぎながらも剣の眼差しを投げた。

”…お前…大御所じゃない…何なの”

”僕かい?ヴィルタ様?”

ハーゴンの顔がにっこり笑う。いつの間にか、丈の低い少年がヴィルタの胸に尖った顎を埋めていた。小さな両の掌が、ひどく猥褻に動いて、手に余る大きさの尻を揉んでいる。

”分からない?僕はね。君らの飼い主だよ”

”ふざけ…るな!その姿をとるのは許さない!私の友だち…あぐっ…ぅっ…”

子供の指が菊座にねじ入れられる。振りほどこうとすれば容易いはずなのに、竜母はただ立ち尽くし、されるがままに屈辱に震えた。

”くく。生意気なところも可愛いよヴィルタ…だけどさ…人の話は最後まで聞くものだよ…僕はね…配合させているんだ。君らを…ね?もう竜王とシドーは蘇ったよね?竜王とシドーを配合したら何が生まれるかは…賢いヴィルタにも分からないかなぁ?”

”配合…ぁっ…”

”そう、配合さ。?系はめんどうくさいんだ。順番を追っていかないと目的に到達できない。でもあとちょっとだ。あとちょっとでうまく行く。僕の体は元に戻るんだ…”

”から…だ…”

瞬きすると、ハーゴンの姿はそこになく、闇の衣をまとった何かとてつもなく大きな影が、すっぽりとヴィルタに覆い被さっていた。

”そうとも。体だ。我を打ち滅ぼした憎き…ロトの血筋を以て、再び地上に顕現する…”

”…誰…なの…お前…”

”分からぬのか?竜王、シドーと相次いで地上に蘇ったのだ。双つの血を混ぜたあとに生ずるのは、最古にして最強の闇の司…”

”お前など…知らない…”

”では教えよう。我が名は…ーマ…”

”知らない…知らない…”

半竜の娘が首を振るのへ、魔王は静かに身を離した。

”だが此度は竜王もシドーもともに男…次代に期待せねばならぬ…汝には濃い竜の血を残して貰わねばな…汝が息子を避ける真の理由…あれは下らぬ拘りだ…太古…竜はさような禁忌など持たなかった…”

”い、いや…”

影は消え去った。

居室にはヴィルタだけが、びっしょり汗を掻いて立っていた。床の敷物は失禁と絶頂のせいですっかり濡れている。歯を食い縛って卓をにらむと、書物は焦げ痕を残して消えていた。

「母上」

戸口の方から声がする。懐かしい呼び方。聞きたいけれど、聞きたくなかった。振り返って、出て行きなさいと叫ぼうとした矢先、逞しい腕が抱きすくめてくる。愛しい息子の唇が、母のそれを奪う。舌からからむ。父に似ているが、ずっと巧妙で、さらに強引で、優しい。

「…会いたかった。母上」

同じ山吹の瞳。父に似た、剣で削いだような美貌。漆黒の髪。意志の強そうな顎。太くはないが力強い首。微笑みを浮かべた口元。ロンダルキアの王女がローレシアの王子に求めたもの。裏切られた理想。すべてがそのままに、そこにあった。

「ズィー…タ」

「やりなおそう…二人で…ロンダルキアとローレシアの婚姻を…過去をやりなおそう…」

「止めて!止めて止めて止めて止めて止めて…私の思い出を穢さないで!消えて!お前など知らない!お前の言いなりにはならない!」

絶叫するヴィルタの肘を、しかしズィータは離さず、心細げに見つめる。

「母上…また俺を…捨てるの…?」

「ひっ…違うの…違うの坊や…ズィータ…あなたはトンヌラと一緒にいなくてはいけないの。あなたが側にいないとあの子は必ず死ぬ…あの子がそばにいないと…あなたは怪物になってしまうの!」

「…俺は母上だけいればいい…怪物になってもいい…母上…どうして俺を嫌うの…俺、一人一人ぼっちで…ずっと戦ってきたんだ…だから」

「駄目よ…駄目なの…あなたに怪物になって欲しくない…」

「やっぱり俺を捨てるんだ…ハーゴンやアクデンを捨てたみたいに…」

うつむく息子に、母はうわごとのように訴えかける。

「違う…違うわ…私は捨てない。坊やを捨てない…捨てないもの…嘘よ…あれは皆嘘…あんな…あんなひどい事起きるはずないわ…坊やはずっと側にいたわ…鷲にさらわれたりしていない…私は…私は…坊やを…捨て…いやあああああああ!!!!」

竜の御子は、慟哭する血族をかたく抱き締める。

「大丈夫だよ母上。やりなおそう。ね?俺と母上の子は幸せに育つんだ。血の濃い、竜王になれる娘を作ろう。そしてシドーと結ばせる。トンヌラの子だ。これで皆幸せになれるんだ」

「子…ども…ズィータと…私の…?…え…それで…幸せに…なれるの?」

「なれるよ?」

「でもトンヌラは…死ぬわ…」

「トンヌラは…死んでもいいんだ…もうシドーを産んだんだから…」

「そうなの?あなたにとってトンヌラは…シドーを産ませるための存在だったの…いいえ…そんなはずないわ…だって…それならもうとっくに…あなたは怪物に…」

「母上、俺の目を見て」

ヴィルタは素直にズィータの瞳を覗いた。美しい。愛しい。かけがえのない生きた宝石。

「母上は俺の妃だ。それが母上の望みだ」

「違うわ…私の望みは…息子の幸せ…」

「母上に俺の子を生ませるのが、俺の幸せだ」

「違うわ…それは…ほかのものの…望み…配合…したい…だけ…」

「母上、俺を疑うの?俺を信じないの?」

「信じる…でも…」

「でも、はなしだ。俺の子を生め。ヴィルタ」

「あ…はい…あなた…」

また接吻。息子の口付けは母の顎から喉を下って、服の上から勃った乳首をくすぐると、腹へ下りて臍を一舐めする。

「どうなってるか見せてよ」

命じられると竜母は生娘のように恥らいながら、裾をたくしあげた。しとどに濡れた艶やかな茂みを竜王はじっと鑑賞し、かすかに鼻を寄せて呟いた。

「小便くせぇ」

「…いけません!…そんな汚い言葉」

「汚いのはヴィルタだろ…小便漏らしてさ…なぁ。何で下着穿いてないの…?」

「そ…それは…あの二人が」

「ああ。侍女に慰めてもらってたんだっけ。どうして男にしなかったんだ?」

「できるはずないでしょう!私は夫がいるのですよ!」

「ああ。そういう…でもまあいいか。俺の便器がほかの奴に使われるのは嫌だしな」

「べ…ズィータ!二度とそんなひどい言葉を…」

ズィータは服をくつろげて陽根を出すと、小言を続けようとするヴィルタの両脚を開いて、過たず貫く。物慣れた主人らしい無造作な動作で年増奴隷の腟を抉ると、激しく突き上げながら、顎を掴んでまっすぐ前を向かせる。

「ヴィルタは何て呼ばれてたんだっけ?」

「あ…かっ…りゅ…竜便器…竜便器ですっ…ひぐぅうっ!!!」

「なぁ。父上のと俺のとどっちがいい?」

産道の奥へ剛直をねじ入れ、子宮にしっかりと血のつながった雄の味を覚えこませる。ロトの末裔が強引に犯した時は、決して抗わぬよう長年教え込まれてきたドラゴンの雌は、微かな葛藤のあとで、伴侶にすがりついた。

「あなたですぅ!あなたぁっ!!!」

「息子のがいいのか?」

「はひぃっ!!!息子のがいいです!!あの人なんか比べ物になりませんっ!!!」

「…ふぅん…じゃぁ…生むよな。俺の仔」

「生みますぅっ!何人でもぉっ!何匹でもぉっ!あなたの胤ぇっ!!使い古しの汚まんごでよければぁっ!好きなだけ孕ませてくださぃっ」

竜王は持ち前の怪力で、つながったまま竜母を抱え上げる。ほかに支えをなくした女は男の体にしがみつき、さらに胎内深くへ太幹を受け容れてしまう。

「あぎゅぅっ!!ぁっ…ぁっ…」

「ヴィルタってトンヌラより泣き虫だな」

「トン…ヌラ…」

母の双眸に理性の光が戻り、好色に嘲笑う息子を凝視した。

「だめ…だめぇええええええ!!!」

閃光とともにたおやな肢体は霞んで、純白の竜が現れる。だが同時に青年の長身も薄らいで、漆黒の竜に変わった。二頭は居室を突き破って、月の輝く雪原に落ちると、巨躯をのたうたせ、組み打ちながら、寒風の吹き荒れる野を転がった。象牙と黒檀の尾を絡ませ、互い牙と爪で争いながら、雌は雄から逃れようと、雄は雌を屈伏せしめようと、烈しい格闘を繰り広げる。

やがて息子は勝利の咆哮を発して、母なる巨躯を抑え付け、太古の種属だけが持つ火山や嵐にも似た欲望を叩きつける。次いで禁断の契りを証するように、闇の鱗に覆った喉から業火を放つと、己の生まれた場所へ罪の種を注いだ。


真昼の日差しを取り入れた御座所で、裸身の孕み女がうずくまっていた。がに股になった脚で、かかとから土踏まずまでを上げて踏ん張り、両手の指は膝小僧を掴んで白くなっている。王家の血を示す美しい顔立ちには、智慧のよすがもなく、ただ苦悶と官能のないまぜになった呆け面をさらしている。西瓜のような乳房はいきむたび、生まれ来る子に呑ますべき滋養を噴いた。

「早くしろよヴィルタ。もう蝋燭半分も唸ってるじゃねぇか」

「ひゃぃっあなたぁっ…産みましゅぅっ…産みましゅからぁっ」

秘裂を押し広げ、血と粘液にまみれた硬い殻が頭を出す。卵だ。巨大な竜の幼生の揺籃。母は白目を剥きながら、息子に不様な産卵の光景を供していた。限界まで広がった腟をさらに膨らませて、親子の愛の結晶が分厚い絨毯に置かれる。

竜母は苦行を終えたあと、床へ尻餅をついて、虚脱していたが、ややあって起き上がると、卵の殻に手で触れて愛しげに撫で、舌で汚穢を拭い落としていく。表面がくまなく磨き上げられたようになると、緩んだ花芯から血を流しながら、まだ形にならぬ我が児を抱き締める。

「…嬉しいか…」

「はい…あなたと…私の子供だもの…名前はね…ズィータにするわ…」

「ズィータは俺だ」

「違うわ…ズィータはこの子…あなたはローレシアの王子…」

「母上は俺とのあいだに子を為した。認めろよ」

「いや…いや…違う…私は…ああ…私は」

竜王が肩に手を置いて、厳しい表情で眺め下ろす。ヴィルタは少しぐずついて、項垂れた。

「…ヴィルタは何だ」

「便器です…」

「誰の便器だ」

「あなたの…」

「誰の?」

「うう…息子の便器です!息子だけの!母穴です!血の繋がった主人に抱かれてよがるどうしようもない駄雌です!!うわぁぁぁぁぁあっ!!!」

ズィータは母と、子なる卵をともに抱き締めた。

「大丈夫だ。何も間違っていない。ヴィルタは俺の母で妻だ。もっと卵を産んでくれ。百個でも二百個でも。竜王が育ちさえすればいいんだ。シドーと結ばれてくれれば」

ロンダルキアの太后は怯えた童女のように、夫にして息子である男に身を寄せる。

「産みます…あなたの卵…何個でも…」

「頼みがあるんだ…夢から覚めたら…俺はヴィルタが妃だというのを忘れているかもしれない…だから思い出させてくれ。発情した雌の臭いを振り撒いて、拒まれたら泣いてかき口説いて…一度だけでいいから抱いてくれと…忘れるからと…奴は応じる…」

「…奴…夢?」

「股を開いて誘うんだ。尻を突き出してな。ローレシアの所有の烙印を見せ付け、消してくれと頼むがいい。竜王の胤で、前夫への未練を断ち切ってくれと」

「あなたが…そうしろと言うなら…」

「ヴィルタは…母上はいい便器だな。初めロンダルキアを駆け回っていた小娘のころは、とても折れぬと思っていたが…半生をただの肉孔として過ごせば、かくも堕ちるか」

「…はい…」

「トンヌラが邪魔なら食い殺せ…あれは却って障害になる」

「だめよ…」

「だがもう遅い、見ろ」

竜王が指し示した柱の影に、金髪の妃が立っていた。義理の娘でもあり息子でもある、ラーミアの化身。瞳をいっぱいに開き、唇をわななかせ、顔を覆って駆け去っていく。

「だめぇ!!!」

ヴィルタが立ち上がると、卵は落ちて砕け、破れた殻の奥から黒い霧が噴いた。ズィータは、いやズィータの姿をしていた妖しい影は揺らめき、嘲り笑いながら、遠ざかっていく。

太后は走った。息子の大切な花嫁を追って。いつしか周りは見慣れた景色。あの懐かしくも厭わしい監獄の塔に変わる。トンヌラは神鳥の生まれ変わりに相応しい軽やかさで螺旋階段を駆け登っていく。年経たドラゴンは少し遅れた。

屋上につくと、嫁は塁壁に攀じ登り、首を振って姑を拒んだ。

「来ないで!!」

「待って。トンヌラ…待って…」

「許せない…ズィータ様も…義母様も…僕を裏切った…僕はいない方がいいんだ…ロンダルキアに…竜の血以外は居てはいけない…」

「違う…違う…ズィータにはあなたが必要なの…あなたがどうしても」

「じゃぁ…じゃぁどうして僕からズィータ様を奪うの?」

「そうじゃないわ…すべて間違いよ…間違い」

二歩、三歩と、歩み寄る。双生の子は、微笑むとゆっくりと仰向けに倒れ、虚空へ身を投げ出した。竜母は跳躍してあとに続き、雪の如き翼持つ巨躯へ変わる。

世界の景色が上方へ向かって流れ昇っていく。一人と一頭は逆向きに落ちていく。トンヌラの唇が名前を形作る。ズィータ様と。

牙が服の襟に届くせつな、サマルトリアの王子は石畳に赤い華を咲かせた。

白竜は絶叫しながら滑空し、翼をうちおり、もんどりを打って大地にぶつかった。

まただ。また。今度も救えなかった。誰も救えない。弱すぎる。いつも弱すぎる。


ヴィルタが悪夢から覚めると、デビルロードたちが写本を引き裂いているところだった。

「ヴィルタ様!」

「なぜこんな真似を!」

「あなたは病み上がりなのですよ!」

「暗黒の魔法と戦うにはあと十年は体力を付けて頂かないと」

太后は溜息を吐くと、内侍の肩に凭れた。

「ごめんなさい」

「謝っても許しません」

「まったく…困った方です…どうしてロンダルキアの一族は皆意地っ張りなのですか」

妖猿の双姫は左右から押し潰さんばかりの勢いで主を抱き締め、怒ったようすで椅子に座らせる。どこか異常はないかと、あちこちに視線を配りながら、髪を梳り、背をさすり、狒々の親が子にするような愛撫をする。

竜母は温かい掌や指の感触に、今度こそ確かな現実を感じて、息を吐いた。

「ハーゴンの幻遊びに出てきた、竜の姫みたいには行かないのね」

「当り前です」

「お供も私どもですし」

「…そうね…ふふ。おまけに私もう、お祖母ちゃんだもの…活躍しようとしたのが間違ってたわ…」

「私どもは嫁き遅れですしね」

「まったくひどい取り合わせですわ」

三人は顔を合わせて笑った。段々と主のわななきが収まってくると、女官はどちらも安堵したようすで腕をゆるめる。

ヴィルタはにこやかに、忠実な侍女を眺めやった。

「…思い出したわ…アクデンの尻尾を引っ張ったり、咬みついたりしてた二匹の仔猿」

「あら」

「忘れていただければよかったのに」

ヴィルタは立ち上がって、引き止めようとするデビルロードたちの手を優しく振り払うと、壁に背を凭れさせ、腕を組んだ。

「忘れられません。私のおやつの焼き菓子を全部平らげてしまって、次もまた来てやるといって…男の子だと思ってましたよ…」

「…あの頃は」

「まだ生まれて間もなくて…ほほ…」

面映そうにする二匹を、太后は穏やかに見つめる。

「…ハーゴンを見守っていてくれて…ありがとう…いいえ…この城で起きたすべてを…」

「私どもは女官」

「それが務めにございます」

「あなた方がいれば…きっと大丈夫ね。長寿のデビル族にしてみれば、人間は忙しく生きるけれど…よろしくね…」

ヴィルタの台詞に、妖猿の双姫はぎくりとする。

「もしやヴィルタ様…」

「…ローレシアに?」

「いいえ。だめなの。あの人のもとにはどうしても戻れない…私、ロンダルキアの大洞窟のどこかで暮らすわ…」

ドラゴンの呟きに、デビルロードたちはにじり寄りながら、口をそろえて反対する。

「いけません!」

「せっかく…せっかくズィータ様と…また暮らせるのに」

「トンヌラ様は素晴らしい方です!」

「きっとヴィルタ様とはとても仲良くなれるはずです」

太后は相好を崩すと、内侍それぞれの肩に掌を置いて、語りかけた。

「トンヌラはね…とてもいい子よ…でも抱え込む方みたいだから、あなた方がよろしくね。ズィータには相談できない事もあるでしょう。夫だけじゃなくて友だちがいるのよ。人間には」

「勿論ですわ!」

「デビル族だって同じですもの」

竜母はぺこりと頭を下げると、また独りごちた。

「ズィータに友だちは居るのかしら…あの子なら…デーモン族の戦士あたりとは気が合いそうだけれど…」

デビルロードたちは秘かに目まぜを交わす。竜王の友だなんて、堪えられるほど頑丈な男はすぐには思いつかなかった。いや、かつて居たが、もういないのだ。

「…うちのバズズでよろしければ」

「…あとアトラス様も…」

何やか犠牲を捧げる風に呟く女官に、主はぷっと吹き出す。

「アクデンが生きていればよかっわね…」

しかし蘇った記憶に幽かに眉を潜めて、ふらりと戸口へ向かう。側仕えは引き止めようと急いだが、孤高の気配に、もう手は触れかねた。

ヴィルタは扉の前まで行ってから、省みて、微笑みながら告げた。

「ズィータによろしく。嫁を泣かせたらいつでも叱りに来るから覚悟しておけと、伝えて下さい」


雪原を二人の少年が滑走していた。一緒に橇に乗って、下り坂をびゅんびゅんと飛ばして。いずれも黒髪で、整った造作、というにはまだ幼すぎる。傾斜がなくなって橇が止まると、どちらともなく降りて、引っ張り始める。しばらくは活発な足取りで進んでいたが、やがて急に先頭に立っていた方が止まり、後続が頭をぶつけた。

「わぷっ…何だよシドー。ぼんやりしてると父様たちが追いついてきちゃうぞ」

「うん…」

「せっかく抜け駆けした意味が…どうした」

「あれ…」

双子の片割れが指さしたのは、まばらな樅の木立ちの向こうをゆっくりと進んでいく純白のドラゴンだった。翼の退化していない古代種。智慧深き竜の王族だ。

「きれい…」

「かっこいい…」

声が聞こえたように、白竜は振り返ると、静かに話し掛けた。

”フォルに…シドーね”

二人は年長の女性を前にした小さな紳士らしく、きちんと会釈をして答えた。

「フォルトゥナートです」

「シドーです」

”私はヴィルタ。あなた方の祖母です”

双子は瞳を煌めかせて橇を放って駆け寄った。

「すごいや!」

「おっきいんだ!ねぇ飛べますか?」

「大きな翼だもん。飛べるよ!」

”ええ飛べますよ”

「シドーがこの姿になっちゃってから、僕たち随分飛んでないんだ」

「僕のせいじゃないよ…」

「分かってるよ。でもまた飛びたいんだ。母様が言ってたんだ。お祖母様は美しい竜だって。だからさ。僕とシドーは背中に乗っけてくれるかなって思ってたんだけど」

「僕はそんなの…」

快活に喋るフォルの横で、シドーはちょっともじもじする。

大きな祖母は竜の笑いを高らかに響かせて、翼を太陽に広げた。被膜を通して日差しが虹に煌めく。舞い上がった雪と風に、子供らは目を瞬かせた。

”ごめんなさいね…またいつか…会った時に乗せて上げましょう…お母様とお父様を大事にするのですよ…それとシドー”

「はい?」

”竜の娘はやめておきなさいね”

言い置くと、ロンダルキアの守護の象徴は、天への矢になって去っていった。双子はぼんやりしていたが、ややあって元気な方がとぼけた方を小突いた。

「何で皆、僕よりお前の話をするんだよ」

「知らないよ…でもきれいだったなぁ…」

「かっこよかった…そうだ。カリーンに話してやろう。あいつ悔しがるぞ…にひひ」

「そうだね…カリーンにも会わせたかったな…」

「よし!行こうぜ。とろとろしてたら、本当に父様たちが先に城に着いちゃうよ」

「うん…そうだね…行こう」

二人は橇に戻ってまた引いていく。竜が翔んでいった空はどこまでも蒼く澄み渡り、午後の光は雪解けを誘うように温かく、子供等を照らしていた。

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