物語はかく伝える。 今は昔、緑うましきアレフガルドの地を二つの災いがみまった。一つは善き精霊ルビスの城より、いま一つは古の都ラダトームより興った。一つは目にも恐ろしき魔物の姿をとり、名を竜王と名乗った。いま一つは目に見えず、美しくか弱き者のうちに隠れていた。 一つは、万民の忌むところとなったが、いま一つは王とそれを助ける賢者たちのみの知るところであった。予言によれば、アレフガルドの地より、二つの災いを払うのはただ一人、勇者ロトの血を引く若者であった。しかし、期待されたその人は中々現れなかった。 太陽と月の見守るなか、吟遊詩人の竪琴は滅びを歌い、おそるべき災いは育っていった。もはや、終わりを避けられぬと賢者たちが諦めかけたとき、約束の子は現れたのだった。 彼の肩には、アレフガルドを死の淵より救う、すべての役割が課されることになった。 アレフガルドの闇の長、竜王は不機嫌だった。 北はガライから南はメルキドまで、全土にひしめく魔物へ号令し、人間どもを恐怖に震え上がらせてきた世界の支配者にも、思いのままにならぬことがあるとは。 ”わたくし、トカゲはキライですの” 脳裏をかすめる、あの娘の言葉。今も耳から離れぬ、とげとげしい響きに、蒼褪めた美貌はかたくこわばっていた。 ”目がギョロギョロしてキモチワルい。ありえない。近付かないでくださる?” 魔物の統領は、おのが真の力をかくすかりそめの姿をまとい、じっと玉座に腰かけたまま、杖をきつく握りしめた。 「おのれ…おのれローラ姫。この予が慈悲深くも、ラダトームに共存の道を示してやっているというのに!我が愛を拒むとは…きゃつらの習いに従い、そろいの指輪までオリハルコンであつらえてやったというのに!」 竜王城の広大な地下庭園に、怒りの気が満ちる。城内を固める屈強の衛士たちは、彼らがただひとつ畏れる主君の苛立ちを感じとって、みな震えあがった。 「しかも…しかも予をさしおいて、あの…あの…身のほど知らずめの愛を受け入れたなどと!許さぬ!断じて許さぬぞ!ちょっと可愛いからと、いい気になりおって!滅ぼす!人間ども、かならずや、みなごろしにしてくれる!!」 まっすぐに突き出した手の先から、激しい閃光がほとばしる。強力な攻撃呪文、ベギラマの炎が虚空に孤を描いて、はるか頭上高くの丸天井を焦がすと、庭園を照らす”光の玉”の輝きをかすませた。 昂ぶりのおさまらぬ竜王は、いくたびも牙を咬み合わせ、よく丹精された花園を食いいるように見つめた。光の玉の力によって、季節を問わず咲きほこる、薬草や毒消し草、まんげつ草の花々。色とりどりの花とそこに舞う蝶を眺めているうち、だんだんと落ち着きが戻ってくる。 「…ふむ…まぁよい…蝶はちと増えすぎたな…かわいそうだが始末せねば。菜園の方を荒らされては困る…害虫ゆえ…」 鱗におおわれ淡く輝く緋色の輪で飾った長い指が、こつこつと黄金の肘かけをたたく。 「そう、害虫は始末せねばならぬのだ…勇者ロトとかほざく愚かものも!ヘルトス!居らぬか!やつめは今どうしている!報告せよ」 宮殿の片隅の影から、はやてのように一体のヘルゴーストが走り出てくる。 「はは!陛下におかれましては、どうぞ御心をお鎮めくださいますよう…」 「いいから答えよ!やつはどこにおる!」 侍従長をつとめるゴースト族の長は、自慢のとんがり帽子を胸に押し付け、顔を伏せたまま恐縮しきっていた。竜王は眉根にしわをよせると、じっと剣のように冷たい眼差しをそそぐ。 これ以上黙っていて、主君の不興をかっては命がないと、ヘルトスはあわてて口を開いた。 「勇者ロトは、ラダトームの城を出発し、まずやつの呪われし祖先の葬られた墓へ参り、ついで、人間どもの町、ガライを訪ねました。この間に、やつめの手にかかった魔物は数知れず。参謀の大魔道を始め諸将は切歯扼腕することしきり。しかし、手勢も連れずただ一人で暗躍するやつを、捕えることはかなわず…」 「そのあたりはもうよい!半年も前のことではないか!予とてよっく了解しておるわ。最近のことを聞いておる!」 ヘルトスはコメツキバッタのようにぺこぺこしながら先を続ける。 「ロトは我らの追っ手をかわし、あるいは卑劣な不意打ちにて切り抜け、マイラ、リムルダールを飛び石づたいに逃げまわり、ずるがしこくもこちらの目を盗んで、ローラ姫を奪い去り…」 竜王の頬がひくりとけいれんした。 「そのおり、ドラゴンのレックス様は、無残にもやつに毒を盛られて命を落とされました。調子にのったやつはそれにも飽きたらず、かの恐るべきゴーレムを巧みにだまし討ちにいたし、大陸第二の兵力を誇る城塞都市メルキドを再びラダトームの同盟に戻したのでございます。これはまことに手痛い事件にございました」 長広舌を振るう内に、気分がのってきたのか、老ヘルゴーストはおおぎょうな身ぶり手ぶりを交え、過去の敗北についてあれこれ脚色して語っていく。すっかりおのれの語り口のとりこになったらしく、主君の肩が小刻みにわななき始めているのにも、まるで気付かないようだった。 「さらには、どうやってかドムドーラに封印しておいた、あの忌まわしい鎧を盗みだすと、おそらくは寝こみを襲ったのでございましょう…悪魔の騎士パシバルさまを殺め…おかげで、人間どもの隊商や遊牧の民は再び砂漠を我が物顔でゆききするようになり…まったく許しがたき横暴にて…最後に王女の愛!王女の愛なる首飾りにて、沼地からまがまがしき紋章を…」 「ふ…ヘルトス…そちはまことによい侍従長だな…」 「という訳でやつめは今ここ…は?」 「…予によい教訓を与えてくれる」 大きな溜息を吐いた闇の長は、けげんそうにしている相手にむかい、もう下がれと合図した。 ヘルトスはあわてて礼をし、急ぎ脇に退こうとしたが、ふと動きを止めると、何か言いたそうにもじもじした。 主君は鋼の忍耐心でもって、罵倒の言葉をおさえると、古くからの家臣に、再び口を利くようにうながした。胸のうちでは、侍従長が存分にしゃべり終えたら、即座に焼き殺してしまう決意を固めていたが。 「陛下…その、やつめはちょうど、竜王城めがけて進んできております」 「…何?」 竜王はいっしゅん怒りを忘れて、まばたきした。 「面白い…どうやって、この島を囲む嵐と岩礁を越えるというのだ」 ヘルトスののっぺりした顔に、最前のおびえきった表情がよみがえる。 「その…橋を…わたりまして」 「橋だと!リムルダールの領主が海峡に工兵を出したというのか!即刻追い払って参れ!」 「いえ。その、やつ一人で、橋をかけたのでございます」 信じられぬという面持ちで、闇の長は首を振った。 「ばかな…あの断崖絶壁にどうやって…見張りは何をしていた!ヘルトス!まさかそちの怠慢で…」 「い、一瞬のできごとだったのでございます!やつめが、海にむかって何か小さくキラキラ光るものを投げると、逆巻く潮の流れの上に美しい虹がかかり、それがそのまま橋になったのでございます!」 竜王はしばし呆然としてから、低くひとりごちた。 「まさか…いや…あの賢者どもの魔法か…たしか虹のしずくという秘宝があったと聞く」 冷たい美貌に暗い影がよぎり、次いで凶悪な笑みが浮かぶ。 「ふ、そうか…しかし飛んで火にいる夏の虫とはこのことよ…この不壊の守りを誇る竜王城に一人で攻め入るとは…王女の愛を得たからといって舞いあがりおって…よし、ものどもに勇者を生かして捕えてくるように命じよ!どのような優男かその顔をおがんでくれよう…そのうえで…これまでの所業をたっぷり後悔させてくれようぞ!」 主君の声音に、血に飢えた喜びを聞き取って、ヘルトスはひそかに胸をなでおろした。 竜王は、己に何重もの屈辱を味あわせた宿敵に与えるべき、むごたらしい拷問についてあれこれ考えを巡らせながら、紫をした唇の端を吊り上げて、頬杖をついた。 侍従長は、今度こそ無事退散できると、そろそろと身をひきかけたが、ふいに遠くから魂切るような悲鳴を耳にして、再び凍りついた。 楽しい夢想を破られた竜王は、何ごとかと不審の眼差しをあげる。 その眼前を、巨大な石の像が飛びかすめていった。 地下庭園の蓮を浮かべた池に、衛士をつとめるストーンマンの巨体が落ち、はでなしぶきをあげる。ヘルトスが、何か叫ぼうとした瞬間、新たな影がまた一つ、二つ、三つと宙に舞い、まっすぐにこちらへ飛んでくる。 キースドラゴン、ダースドラゴン、死神の騎士。泣く子もだまる竜王親衛隊が、次々に放り投げられ、水中に没していく。あおりをくらってヘルゴーストのちっぽけな姿は吹き飛ばされ、美しかった庭も、津波のような水しぶきを受けてびしょぬれになった。 竜王が立ち上がり、身構えるなか、庭園を囲む内壁の向こうから、さかさまになったストーンマンがもう一体、ゆっくりと近付いてくる。水晶の瞳には光がなく、戦う力を失っていることを示していたが、まるで蟻に運ばれるかぶと虫のように、こちらへ近付いてくるのだ。 中庭の門をくぐって現れたのは、重さ三百貫はあろうかという石の巨人を片手で軽々と持ち上げた、青い鎧武者だった。勇者ロトは、すでに竜王城の最深部に到達していたのだ。 「りゅうおう!かくごしろ!」 アレフガルドを統べる魔物の統領は、まばたきすると、あらためて敵の姿を凝視した。 相手は、神鳥ラーミアの紋章をあしらったブルーメタルの甲胄をつけ、そしてこの城の奥深くに隠しておいたはずの名剣を佩いている。一騎当千の親衛隊をたやすく打ち破った実力も、うわさにたがわぬものだった。 だが…。 「すこし、小さい?」 はっと、ロトが面をあげ、目にかかった兜のまびさしを直して、竜王をにらみつけた。ドラゴンの炎の煤で汚れた丸顔が、怒りで真赤に染まっている。 「うるさいっ!勝負だ、りゅうおう!」 言うやいなや、ストーンマンを投げつける。あわれな衛士の石の巨体は、勢いあまって大きく竜王の頭上をこえると、はでな水音をたてて外堀にしずんだ。 なんとすさまじい怪力だろう。竜王は慄然としながら、しかし、この距離でどうして的を外したのかと、かすかにいぶかりつつ、勇者を見つめた。 恐るべき敵だ。そうは思うのだが、どうにもふにおちない点がある。何かが頭のすみにかかり、戦いに備えて意識を集中することができなかった。 鎧だ。たしか、ロトの鎧は全身をすきまなく覆う重厚なものだったはずだ。しかしいま、勇者は胸当てと肩当て、それにすね当てだけをつけているように見える。兜も気にかかる。勇者は鼻のあたりまですっぽり隠れるほど深くかぶっているが、いったいどういう意味があるのか。 「…何を企んでいる、勇者よ」 「たくらんでない!へんなこというな!」 声もややキンキンしすぎて雄々しさにかけ、こころもとなく響いた。竜王は必死に思考を巡らせ、破壊された庭の状況と、目前に立つ小柄な戦士を交互に見やった。 「…そちが、勇者ロトでまちがいないな」 ロトは顎をあげ、再び前にずりおちてきた兜を後ろに戻してから、毅然と言い放った。 「そうだ!」 銀の鈴を振ったような澄み通った声音を耳にして、ようやく決闘の実感が戻ってくる。闇の長は、蛇を思わせる瞳を細くせばめ、紫の唇からとがった牙をむき出すと、鱗におおわれた腕をおどすように大きく広げた。 「なるほどな…そちがメルキドの巨人を倒したのか!」 「そうだっ!」 「ローラ姫を守るドラゴンもだな!この身のほど知らずの、ちょこざいな殺し屋めが!」 「まもってたんじゃない!おまえが、ローラをとじこめてたんだ!」 叫び返した勇者は剣を抜きはらい、またちょっと兜のまびさしにふれて位置を整えてから、おおきく深呼吸した。 竜王はその仕草にいささかいらいらしながら、威厳をもって先をづづけた。 「ふ…姫の愛を得たとあっていい気なものだな…聞いておこう、ローラ姫はきさまのようなチビの、何を愛したというのだ?」 ロトの顔がまたかっと赤くなる。 「うるさい!いくぞ、りゅうおう!」 小柄な体は裂っぱくの気合をはなつと、青い稲妻と化して、襲いかかった。すきを突かれた竜王は、頭上から振り下ろされた刃をふせごうと杖をかかげたが、わずかに遅れる。 「むぅっ!」 あわや会心の一撃を受けるかと覚悟したが、剣風は頬をなでたのみだった。次いで横合いから、金属が金属を断ち切る、鋭くきしるような音がして、かすれたうめきがあがる。 振り向けば、ロトの剣は、竜王のすぐとなりにある黄金の玉座に、ふかぶかと食い込んで止まっていた。勇者は肘かけに足をかけ、刀身を抜こうと懸命に引っぱっている。 竜王はあっけにとられて、その醜態に眺めいった。 「…そち…なんのつもりだ…」 「う、うるさい!はなしかけるな…すぐ、すぐに…」 言い終えぬうちに剣がはずれ、勢いあまったロトは、玉座の前にある段差を転げ落ちて、床にしたたか背をぶつける。 「っ…く…ぅっ…」 千載一遇の好機なのか、それとも何かの巧妙な罠なのか。闇の長は判断を下せぬまま、杖を握りしめ、じっと立ち尽くしていた。 一寸して立ち上がった勇者は、赤い顔をさらに赤くすると、いきなり兜の緒をつまんでするするとほどき、そのまま脱ぎ捨てた。 「ダメだ!こんなの!」 聖なる兜は、むなしく草のあいだに消える。 黒く、太い髪が広がり、意志の強そうな太い眉、通った鼻梁、きっと引きむすばれた唇があらわになる。なるほど、ラダトームの王女が見初めるだけの器量はあるだろう。ただし、あと十年もすれば、の話ではあったが。 竜王はふいによろめいて、がくりと膝をついた。 ロトは、自分が何もせぬうちに、どうして相手に打撃を与えたのか合点がいかず、今度は逆にいぶかしそうにその樣子を観察する。 魔物の統領は、息を切らせた者のように肩を上下させていた。 「まさか…このような愚弄…耐えられぬ…」 「こい、りゅうおう!こんどこそほんとうの勝負だ!」 「うるさい!!」 どなりつけた竜王のけんまくに、ロトは思わずびくっと首をすくめて後ずさった。 「な、なんだと!勝負…」 「黙れと言っておるのが分らぬか!」 「あ、わっ」 勇者は、また首をすくめて、すぐに唇をかむ。気迫で負ければ、勝負にも負ける。幾多の戦いの経験がそう告げている。ここで視線をそらしてはなるまいと、勇気をかきたてて、鋭く竜王をにらみつける。 だが、竜王はさらに強い殺気のこもった眼差しで、それをうけとめた。 「そちが、予が手を焼いたゴーレムを仕留め、忠義なるレックスやパシバルを葬った。そこまでは認めよう…だが…くっ…姫よ。そういうことか!これだから人間は!怠惰をむさぼるうちに頽廃し、よじれた嗜好をはぐくみ…うぬぬ…勇者ロト!」 「なんだ!!」 「もう…ローラ姫とはふしどをともにしたのか?」 「?」 「姫とは寝たのか!」 ロトは耳までほおずきの色に染まって、うつむいた。 「…なんでそんなこときくんだ…」 竜王は歯がみしながら、一歩前へと踏み出した。どうせここで恥をかいたとて、ほかに聞くものはいない。いたとしても、みなごろしにしてしまえばよい。なんとしでも心のわだかまりを晴らさねばおさまらなかった。 「答えよ!答えねば刃を交えぬぞ」 「ぇっ…なんで…」 「疾く答えるのだ!そちが答えれば、光の玉をかけての一騎打ち、我が臣下に邪魔をさせずに、受けてたとう!さぁ!勇者ならば迷うな!」 「ぇえっ!?…っ…ねたけど…」 「ぐっ…」 竜王の杖が地を突き、そこから無数の地割れが走る。城の基盤は大きく震え、丸天井からはぱらぱらと欠片が落ちた。勇者は足をふんばってこらえ、剣を構え直した。 「なんで、そんなこときくんだ!?」 闇の長は、青ざめた相貌を憤怒にどす黒くしながら、一歩、また一歩とにじりよった。 「ふざけおって…まだ予を愚弄するか…」 「…っ、なんだよ!こい」 竜王は、ぴたりと止まると、額に手をあてて、黙りこくった。ゆっくりと深呼吸し、ぶつぶつと呟いてから、うってかわって穏やかな表情になって、再び尋ねかける。 「ときに勇者よ…」 「えっ?」 「ほかに 「なっ…なんで?」 「答えねば刃を交えぬ」 「なんでっ!!?」 すっかり混乱したロトが、裏がえった声で問い返すのを、闇の長はしずかに身振りで制し、手にした杖を差し出した。 「よいから答えよ。答えれば、この杖を手放そう。そちにとっては有利になるであろうが」 「…お、おまえほんとうに、りゅうおう…」 「我が言葉を疑うのか?」 竜王は、むぞうさに杖を池に投げ捨てると、丸腰のまますっくと背をそびやかした。長衣が黒い翼のごとく広がって、その身の丈は何倍にもなったかのようだった。 「予は約束を守ったぞ。そちはどうする」 「っ…っ…あの…母さんとねたことある…」 アレフガルドの闇の長は、酷薄な笑いを浮かべて腕を組んだ。 「そうか、やはりな。ふふ、勇者よ。そちのような者は、まだ母恋しかろうな。これまでの無礼は許そう。確かめるが、ローラ姫とは、いっしょに寝ただけなのだな?」 「…だけって…どういう…」 「よいよい。予は心が晴れた。特別に見逃してやるから、母のところへ戻っておとなしく暮らせ。予がラダトームを打ちこぼつまで、静かにすごさせてやろう」 ゆるむ竜王の顔立ちに対し、ロトの表情はけわしさを増した。 「ふざけるな!」 「何?」 「母さんは…おまえたち、まものに…もういい!おまえがかかってこないなら…」 子鹿のように敏捷な足で地を蹴り、勇者は再び宙に舞う。 二度おなじ手はくわぬと、竜王が左に飛びすさったせつな、小さな戦士の体は空中で向きを変え、刃の軌道をそらせて、敵の肩を襲った。 「がっ…!」 鋼の剣でも、傷ひとつつかぬはずの鱗が、紙きれのように裂けた。鎖骨のあたりから鮮血をしぶかせながら、竜王は驚きの叫びをもらす。その背に回りこんだ勇者が、剣を返しざまにもう一太刀、横なぎに切りつけた。 からくも身をひねってかわした竜王は、すばやく指印を結ぶと呪文を唱えた。 「ベギラマ!!」 業火が芝生を舐め、炎が壁となって竜王を取り囲む。さしものロトも、この燃えさかる盾を前には攻撃を躊躇せざるをえないだろう。闇の長は寸刻のゆとりを得たとみて、次の一手を打つべく四方に視線を巡らせた。 いきなり、正面の火柱の向こうに影が現れ、紅蓮を裂いて剣の切先が飛び出してくる。 「ぐぉぉっ!!」 ロトの剣は、まっすぐに竜王の胸板を貫いた。勇者は片腕に火をはじく水鏡の盾を持ち、もう片腕に刃を携え、逆巻く炎の渦のただ中で、あやまたず長虫の心臓をえぐっていた。 「おのれっ…人間ごときに…」 竜王はしわがれた声でうめくと、敵を力まかせに突き飛ばし、天井を仰いで吼える。まばゆい光が彼を包み込んだかとおもうと、黒煙がもうもうとたちのぼった。 「な、なんだ…」 あお向けに倒された姿勢から跳ね起き、しっかと剣の柄を掴み直したロトの頭上で、血も凍るような咆哮が響きわたる。やがて霧の奥から、二枚の翼が起こす烈風のごときはばたきと、巨大な足が地を踏み鳴らす地響きが聞こえ、ついに、まがまがしいドラゴンのあぎとが現れた。 ”人間ごときに本気を出さねばならんとはな!さあ覚悟せよ!” 「…負けるもんかっ!!」 勇者はいささかも臆せず、一気に大ドラゴンの足元へと走り込んでいく。 応えるように、しゃくねつの炎が地下庭園を焼き払った。竜王は猛り狂っていた。おのが手でながらく愛でいつくしみ、そだてあげた草花さえのこらず灰に帰して、ただ勇者一人をしとめんと、全力を傾けていた。 黒い霧のあいだに、剣の輝きと、炎のひらめきが踊り、鱗と血が飛び散っては、肉のこげる匂いが広がる。戦いはどれほど続いたろうか。溶け崩れた水鏡の盾が、乾いた炭と化した土に落ち、切り裂かれたドラゴンの翼が、うえにかぶさった。 ようやく霧が晴れると、ひとりと一匹はともに荒く息を吐きながら、なおも対峙していた。勝負は互角。いや、竜王の方が深手だった。勇者はわずかに余力を残したまま、大きさではるかにまさる相手を追いつめていた。 闇の司はあえぐように吠えた。 ”…ぉお…これがいにしえ、魔王ゾーマを倒したというロトの力か…” 「はぁっ…はぁっ…おわりだ、りゅうおうっ」 告げるや、ロトは仮借なく刃を振りかぶる。ブルーメタルの鎧をもってしてもふせぎきれぬ竜の炎で、そこかしこに火傷を負った姿は、しかしまだ凛々しさを失っていない。 大ドラゴンはまぶたを伏せ、つかれきったように頭をたれた。 ”勇者よ、いまいちど我が言葉を聞け” 「…命ごいならきかないぞ!」 ”違う。そちの強さを認め、真実を教えておきたくなったのだ。よいか、我らの頭上に輝く光の玉は、もともと竜の一族のもの。我が母が、かつてゾーマを倒し、アレフガルドに光をもたらすために、そちの祖先に渡したのだ” 「なにっ…」 ”しかしゾーマが倒れたあと、精霊ルビスはそれを勝手に我がものとし、人間のためだけに使った。ドラゴンや他の魔物は光の玉の力に追われた…予がルビスを封じ、光の玉を掌中に納めたのは、この不正をたださんがため…” 勇者は、剣を下ろし、頬をこわばらせて、瀕死の竜王を見つめた。 「…おまえたちは、町や村をおそった!母さんのふるさとのドムドーラも…」 ”予は滅ぼさんとすれば、他の町々もドムドーラのように滅ぼせたのだ。だが、あえてドムドーラの民が逃れ去るのを許し、恐怖を伝えさせることで、降服を迫った…しかしあの暗君は拒んだ。だからこそ予はローラ姫をさらい、再び交渉に臨んだのだ。おのが地位の安寧を第一とする王とて、血のつながった我が子のこととなれば考えるであろうとな…しかしそれもむなしかった。あやつは娘を見捨てたのだ” 「…うそだっ!信じないぞ…そんな…」 ”そこで予は、ローラ姫との婚姻によって、大義を成し遂げようとした。しかしそれは、諦めてもかまわぬ…そちが志を同じくするのであれば、予の想いはまこととなる” ドラゴンのまぶたが開き、黄金の双眸がロトをとらえる。虹彩は妖しく収縮し、魂を吸い寄せようとするかのように、じっと宿敵をのぞきこんだ。 勇者は剣を杖にして支えると、弱々しく首を振った。 「なにいってんだ…」 ”そちは強い。そして人間どもの信望も厚い…ラダトーム王に代わって、彼らを治められる。予は魔物を抑えよう。我らふたりで、世界を半分づつ統べ、争いを終わらせよう” 「なっ…」 ”ロトよ。この竜王が申し出ているのだ。他の誰にも、このように胸のうちを明かしたことはない。我が真心、拒むでない” 「うっ…やめろっ…」 ”ロト。魔物にも親はある。予とて母があった。戦えばいずれにせよどちらかが傷つくのだ。そちのような想いを他の子供らにさせるのか…勇者ならば民をおもんばからねばならぬ” 勇者は苦しげにうつむくと、浅く息を吸った。焼けた空気は思考を鈍らせた。何にも増して、長虫の舌が語る言葉が、若い精神を冒していた。むかつく胸をおさえた手が、何かにふれる。きゃしゃな首飾り。最後の旅立ちの前に、ラダトームで受け取った品だ。 ロトの頭があがる。 「だめだ!!ラダトームの王さまはローラのお父さんだ!おれ、ぜったいローラをかなしませない!!」 ”しょせんは…そこまでの器か…まぁよい…じゅうぶんに休めたぞ!” 冥想を終えた竜王は、鋭いかぎ爪で勇者をなぎはらった。ロトがその一撃をはっしとうけとめると、両足の下で大地が割れた。人間ばなれした怪力はドラゴンの筋肉ときっ抗し、それを押し戻す。 「うおおおおっ!!」 腕をはじかれた竜王が大きくのけぞる。勇者は最後の力をふりしぼって跳躍すると、長虫の喉もとめがけてまっすぐに剣を突き上げた。 切先が急所をとらえたせつな、ドラゴンの尻尾がくねり、むちのようにロトの胴を打ちすえた。軽い体は弾丸のようにすっ飛び、庭園の崩れた外壁にあたって、大地に伏せる。 竜王もまた、力尽きてぐったりと横たわると、重々しくむせたきり、動かなくなった。 あとはただ静寂だけが、焦土地獄と化した地下庭園を満たしていった。 ロトが目を覚ますと、景色はまたみずみずしい緑をとり戻していた。光の玉のあたたかい輝きが、あたりに命のいぶきをいれ、戦いのきずあとを癒しているようだ。 体が痛まないのに気付いて、ほっとした勇者は、すぐに起き上がろうとする、だが手足は、いつのまにか枷につながれていた。武器や防具も持ち去られている。身につけているのは鎧の下に着こむ肌着だけだ。 自分が敗れ、囚れたのだと悟り、背筋にぞっと冷たいものが走った。 「目が覚めたようだな」 はっとして視線をあげると、そこには竜王が立っていた。人間に似た姿に戻っているが、あちこちまだふさがっていない傷があるようで、痛みをこらえているのがありありとうかがえた。勇者は己のなした業にかすかな誇らしさを感じて、叫んだ。 「おれをどうするつもりだ!ころすならひとおもいにっ」 「そして復活の呪文とやらでラダトームに戻るのか。その手は喰わぬ。そちには、もっとふさわしい扱いをするとしよう」 竜王は、いかにも老獪な爬虫類ぜんとした笑いを作ると、指をのばして、勇者の顎をもたげさせた。ロトは首を振ってそれを払うと、枷をひきちぎろうとした。しかし思うように四肢に力が入らない。何か特別な魔法がかかっているらしい。 闇の長は気味の悪いくらい和やかに言葉をつむぐ。 「まぁそう恐い目をするな…この城にとどまる以上、そちは予の 視界のはずれで、水が沸きたち、無数の魔物がさざなみを分けて頭を出した。大きな一つ目に、のたうつ触手を備えた洞窟の住人たちだ。 竜王に命ぜられるまま、自由の利かぬ獲物に群がりより、手とも足ともつかぬ、ぬめった器官をからみつかせる。ロトはもがきながら、それらをふりほどこうとしたが、あまりにも数が多く、また逃げ場もない状況では、いかんともしがたかった。 普段の力の十分の一でも出せれば、このような下等な魔物など百匹いようとものの数ではないのに。ロトが悔しさで蒼白になっているあいだにも、メーダはかまわず触手を這わせ、肌着の下にもぐり込んでくる。 「なっ…やめろっ!」 「そやつらは元来、他の魔物や人間の老廃物をえじきとする害のない種族だ。そちのうす汚れたみなりが、なにぶんむさ苦しいのでな。すみずみまできれいにしてもらえ」 竜王は、どこからか持ってこさせた野戦用の床几に腰をおろすと、のんびりとメーダたちによる”掃除”の見物を始めた。 触手は勇者の肌をはい回り、じゃまな布地を破りはがし、粘液でアカや汚れを溶かすと、毛穴ひとつひとつまですすりつくすようにして、なめ清めていく。くすぐったさとおぞましさに震えながら、ロトがかたく身をちぢめていると、メーダたちは、わきの下や、ももの裏をくすぐるようにして、エサのある場所をさぐり始める。 「うっ…ぁっ…ふっ…ひゃ、ぅっ、ぁっ!あっ、あははあははっ!あはははははっ、く、くそっ!!うひゃはひゃひゃ、はひっ…くっそぉっ…あはははは、くすぐったぃっじゃひゃははははっ!」 勇者が、手足をばたつかせてもがくと、触手はさらに舐め回す範囲を広げる。ロトは、メーダたちの触手にほとんどおぼれそうになりながら、されるがままになるしかなかった。 しばらくするうちに、勇者の肌は、光沢をはなつほどつややかになった。 「ほう…磨けば珠だな。宮廷にあっては、さぞかしラダトームの貴族どもの目を引こうな」 「うひひひ、ふひゃっ、あははははっ!ちょっ…へっ?ふひゃはっ…なにいっ…」 竜王は聞くだけむだと察して、口をつぐんだ。 メーダたちは一通り外側の掃除を終えると、獲物をはがいじめにしたまま、今度は引きしまった尻のあたりを撫ぜ回し、ゆっくりと谷間に割って入った。 「なっ…やっ…おい、っやめろよっ!りゅうおう!こいつらをとめろっ!!さもないとっ」 「ふん」 触手の一本が、かたく閉ざされた菊座を突つき、粘液を塗りたくると、周りをやわやわともみほぐし始めた。 「よせったら!おぃっ、もぉっ!いうこときけよっ!」 メーダたちは手わけして、勇者の臀部やもも、肩、背、腕、ふくらはぎ、指のまたにいたるまでを、ていねいにもみ、緊張をほどかせようとする。 「ぁっ…ぁぅっ……ぁっ…」 かたくこった筋肉がゆるんで、血が勢いよく巡るにつれ、こころよさについ声が漏れた。怒りに燃えていた瞳がかすかにとろんとし始め、息が乱れ出した。体のこわばりがゆるむのを感じたメーダたちは、いよいよかさにかかって、触手をこまかに震わせ出した。 「ぅぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛っ…くそぉっ」 メーダたちの愛撫は勇者の体に、うまれてこのかた味わったことのないくつろぎを与えた。 「そのメーダどもは特別な訓練を受けておる。我が親衛隊の慰安のためにな。精強無比のドラゴン族さえ、温泉に浸かったあとにそれを使うと、みな赤子のようになるのだ」 「なっ、おんせっ…ぅぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛」 四肢にまったく力が入らない。全身の骨を抜かれたような感覚に、勇者はとまどい、おびえた。痛みに耐える訓練は積んできたのだが、この魔物たちの行為は、ここちよいばかりで、どうやってこらえればよいのか分らない。 竜王は自らの首に手を当てて、かるく顔をしかめ、勇者のあられもない格好を見やった。 「我が親衛隊にはむろん、そちほどぶざまな姿をさらすものはおらぬがな」 「なにっ!うぁっ!?」 ずるりと、細い触手の一本が菊座の中へと入りこむ。抵抗しようとするが、腰からしたがばかになったようで、どうしようもなかった。触手はぐねぐねと直腸をうごめき、内側から体をもみほぐし始める。 「ぅぅうっ!!ぐっ…」 なさけない悲鳴をもらすまいと、歯を喰いしばるロトに、メーダたちは無慈悲な愛撫を続けていく。触手のぬりたくった粘液がしだいに括約筋のすべりをよくすると、狙いすませていたかのようにもう一本がもぐりこんだ。 「ぅああっ!やめろぉっ!やめろったら!ふざっ…ぅああっ」 加勢を得た触手は、一気に体内の深くへと進み出した。はらわたを、めちゃくちゃにかき回される感触に、勇者はえずき、涙を浮かべてもがいた。だがメーダたちは、なさけようしゃなく、もう一本の触手をねじいれる。 「いたぁっ!!!ぎぃっ…こいっつらぁっ!!!」 炎をともした瞳が周囲をねめつけると、すごみにおされてか、メーダたちの動きがとまった。数匹は触手をちぢめ、石のように硬直して動けなくなる。 竜王は溜息とともに立ち上がると、宿敵のそばへかがみこんだ。長い指が、細いおとがいをおさえ、わめこうとする口に接吻を重ねる。ドラゴンの牙が少年の歯にぶつかって、かちんと音をたてた。 くぐもった抗議のうめきにかまわず、闇の長は、くねる舌で口腔をまさぐった。勇者は、始めそれをかみ切ろうとしたが、どうしても顎を閉じられず、だんだんと呼吸をふさがれた苦しさで意識がもうろうとし始める。 メーダたちは安心した樣子で、体内の掃除を再開した。 しばらくして、暗い紫をした唇は、銀の糸を引いて、幼げな口元からはなれる。竜王はぼんやりとみずからの唇にふれて唾液をぬぐうと、瞳孔をいっぱいに開いて宙をあおぐロトをながめやった。 「…予ともあろうものが…」 舌うちして指を鳴らすと、勇者の手足を封じていた枷がはずれる。メーダたちは存外軽い獲物の体を、水辺に運んだ。数匹が触手を池にたらすと、ポンプのように清水をくみあげ、粘液でてかる肌に浴びせかけた。それが気つけになったのか、ロトは漆黒の双眸に焦点をむすばせると、はだかの半身を起こした。 「くっ、よくもっ…!!このっ」 一匹のメーダをつかんで、遠くへ投げすてる。だが、そのあいだにも水辺からはべつのメーダが這いのぼり、勇者の腰のあたりにまとわりついた。まださきほどの愛撫の影響が抜けきらないとみえて、魔物をはらいおとす仕草も、やや勢いにかけた。 ようやく五匹ばかりを引きはがしおおせたところで、しつこく尻にはりついていた一匹が、水風船のようにふくらんだ。 「うあああっ!!やめろぉっ!」 菊座から腹の中に水をそそぎこまれ、ロトの背がのけぞる。動きが止まったとたん、メーダたちは再び獲物のもとにより集まり、今度は四方から水鉄砲をぶつけて、弱らせようとする。 「くぅぅっ、うがぁあっ!」 勇者は魔物を巻きつかせた格好のまま、むりやり立ち上がり、それらを操る首魁にむかって突き進もうとする。 竜王はといえば、いまだおとろえぬ百人力の膂力に感心した樣子でうなずくと、わずかに目を細めて、あざけるように呟いた。 「小さいのは、背だけではないようだな」 ロトは、きみょうな台詞に気勢をそがれ、すぐ相手の視線のさきにあるものを悟って、思わず手を広げて隠すと、その場にしゃがみこんだ。姿勢がくずれたのをさいわいに、尻にはりついたメーダは再び直腸へと水を注ぎいれる。 「ひっ…」 「そちはずいぶんと水遊びが好きとみえるな」 「とめ…とめろっ…ひきょうだぞ…正々…堂々っ!うっ」 「わめくばかりか」 竜王は、涙目になるロトに近づくと、飛んできた拳をかわして、両の手首をつかみ、身動きさせぬようにした。 前が空いたと知るや、別のメーダがそこへはりつき、ほっそりした秘具をからめとる。触手の先端から密かな繊毛がのびると、包皮をなぜて内側へと入り込む。 「ひぎぃっ!いたぁ゛っ!!うぐっ…ぎっ!!?」 繊毛は痴垢をこそぎとると、勇者の、誰にもふれられたことのない秘部をぬめらせ、ゆっくりと包皮をめくり出した。そのあいだも体内には、たえず冷たい水がそそがれる。ロトは痛いやら苦しいやらで、わけが分らなくなり、竜王の口付けをうけると、むさぼるように応じて、慰めをもとめた。 予想外の積極さに、いささか押され気味になった闇の長は、もぎはなすようにして接吻をといた。 「んっ…んふっ…ぅっ…ぷはっ…ぁっ…あ゛ーっ、あ゛ーっ」 意識の混濁したロトから、恨みがましげな上目づかいをされて、竜王はどぎまぎしながら身をはなした。恐れと焦りのいりまじる心持ちで、あらためて見やれば、勇者はもう魔物にあらがうすべを忘れ、ただ頬をほてらせてあえぐばかりだった。 「おのれ…油断ならぬやつ…」 呼吸をととのえつつ、眺めやるうちに、ロトの四肢が、わなないているのが認められた。よく観察すれば、白い腹はまるく盛りあがり、ぎゅるぎゅるとはしたない音をさせている。 「あ゛っ…あ゛っ…ぅ゛ぅ゛っ…」 「なるほど、そうか」 指を鳴らすと、触手がひきしまった両脚を左右に開かせ、体を宙へ持ち上げる。勇者はまるで風邪にでもかかったように激しく歯を打ち鳴らしながら、きれぎれの息をもらしていた。 「うっ…ぐっ」 竜王のてのひらが、ぴたりと、ふくらんだへそのあたりに重なると、ゆっくりと力をこめて押し始めた。ロトの、勝気そうな顔立ちがくしゃくしゃに崩れる。 「ふぐぁっ!!やぁっ…めぇろぉっぉおおお!!あ゛ーっ!!」 はでな水音とともに、汚濁が庭土にほとばしる。たちまち無数のメーダが争って触手をのばし、勇者の肌にはねたものまでぬぐいさっていく。ひとたび決壊した後孔はいくどとなく排泄をくりかえし、流しこまれた、すべてを出しつくすまでとまらなかった。 「みるなぁっ…みるなぁっ…」 「案ずるな。そなたの年頃で、そそうをするのはよくあること。すぐにきれいになる」 やさしさと、いたわりのこもった口振りは、かえってロトのはずかしさと悔しさをあおった。 「ふざけっ…おま…おまえがしたんだっ!卑怯ものっ!剣をかえせ!戦いなら負けなっ…」 竜王は、勝ち誇った表情を微笑の影にかくすと、また指を鳴らした。メーダたちは、再び池の清水をくみあげ、すっかりおとなしくなった獲物を、内側から洗浄し始めた。 「あ゛ーっ!?」 みるみるうちにやせた腹がふくらみ、衝撃で背の低い戦士の背は弓なりに反りかえる。だらしなく開き、よだれをたらす唇を、再びドラゴンのキスがうばい、鱗におおわれたてのひらが、またへその上をおさえつける。 「ぅ゛う゛う゛ぅぅう!!!!」 接吻と排泄とを同時に強いられて、ロトはいとわしさに目もくらむ思いだった。だが、ゆるみきった括約筋は本人の意思とは無関係に腸液まじりの水をあふれさせる。 竜王は子供が水風船であそぶように、飽かず浣腸をこころみた。十回を超えるころには、勇者の菊座はぽっかりとひらいて、体温のさがった手足は、ぬくもりを求めて冷たい爬虫類の身にしがみつくまでになっていた。 完全な主導権を得た長虫の化身は、あるいは乳頭をつまびき、あるいは幼茎をしごき、耳朶をねぶり、首すじをあまがみして、小さな虜囚から官能をひき出していた。消耗しきったロトにとっては、ひとつひとつの行為を、心の中でさえ拒むのがむずかしくなりつつあった。 青銅の鐘を響かすような、重々しくも甘やかな声が、勇者にうたいかける。 「ロトよ。我が騎士となれ。予の側近の多くは倒れ、もはやないが、そちひとりあれば、あれらを補ってあまりある。予とそちが力を合わせれば、アレフガルドはもちろん、外海のかなたの国々や、そちの祖先が生まれたという天の向こう側まで、我らがものとなろうぞ」 「うぁっ…りゅうおう…くっ…」 「そちが望むものはすべて与えよう ロトの武具を超える剣や甲胄をくれてやろう 不老不死をのぞむならばそれもかなえよう 大いなる宮殿を建てよう 尖塔のうえに尖塔を築き 月や星にとどくほど高くそびえ とびきりの名馬も与えよう 氷が山となって連なり 名の知れぬ雪の精霊と 不思議な鳥獣の支配する北の果て 舌がただれるほどに甘い南の果実を味わったことがあるか 衣服や言葉 肌の色や顔形まで異なる民の土地で 予はそちに世界を与える 詠唱は、痛めつけられた勇者の心に、砂にしみこむ水のように入っていった。 紫の鱗に覆われた大きな手がさしのべられると、剣だこやすり傷だらけになった小さな手が、そっとそれを握りかえす。 闇の長は、最大の宿敵を征服したよろこびに桔梗の双眸を煌めかせ、誓いの口付けを迫ろうとした。 いきなりごきりといやな音がして、竜王の手首の関節が外れる。勇者は、もはや何も映していない瞳を、まっすぐに誘惑者をにらみつけた。 「おまえに、このせかいもローラもわたすもんか!」 強い決意のこもるささやきを聞くや、ドラゴンの化身は、ロトの体をはなした。 「よかろう。二度までも予の申し出を拒むとは。もはや容赦はせぬ。いままでの責めに倍する苦しみをあたえてくれる!そちの傲慢なる魂が砕けちるまでな!」 「勇者よ、これが何か分るか?」 竜王がとり出してみせたのは、小さな首飾りだった。ロトはもちろん、それに見おぼえがあった。ローラ姫がわたしてくれた大切な宝物、王女の愛だ。 「かえせっ、おまえなんかが、それにさわるなっ」 「おお、かえしてやろうとも…そのついでだ。そちの姫への愛とやらをたしかめさせてもらう」 魔物の総領が指を鳴らすと、くさむらがゆれ、拳ほどの大きさの水の玉が現れた。アレフガルドの闇の軍勢のうちでも、最下等の存在、スライムだ。魚の死んだような目とまったく知性の感じられない笑みを、勇者に向けている。 主君は、このしずく型の魔物をやさしくてのひらにのせると、王女の愛を、間のぬけた口に入れた。かすかな泡とともに、首飾りはすんなりとスライムの体内におさまる。 「なっ、りゅうおうっ、なにすっ」 「やかましいことよ。そら、いまかえしてやる。ところでスライムはな、しめったところを好む。水といくらかの栄養があればあっというまに増える。繁殖のはやさでは他の魔物、たとえば百年に一度しか子をなさぬ我らドラゴンなどはるかにしのぐ。弱ければ弱いなりにとりえを持っているのだ。こやつは特別にそのとりえをのばしてあるが…」 竜王が、首飾りを呑んだスライムを虜囚の股のあいだに置いた。ロトは何が起るのか分らないまま、きっと相手をにらみつけた。 魔物はふよふよととがった頭をゆらすと、目の前にだらしなく開いた孔から、栄養と水の匂いをかぎとって、迷わずそこへ這いずりこんだ。 「うわああっ…やめろぉっ、やめろったらぁっ、うぐぅぅっ!?」 わめいても、ののしってもスライムは止まらず、勇者の腹に丸いふくらみができ、ゆっくりと胃の方へ移動していく。 「ぐぇえっ…ぁっ…ぐっ…ぁっ」 首尾はよしと、闇の長は脂汗をかく敵のそばへより、耳もとにささやきかけた。 「そちに王女への愛があるなら、ちぎりのあかしを、よもや汚物とともに、はらわたにとどめておくわけにはいくまい。ひり出してみせるがよい」 「ぐぅううっ!!!」 さしものロトも、消化器官の中を魔物がうごめく感覚にはこらえきれず、ぼうだの涙を流しながら、うめきをあげた。なんとかスライムをそとへだそうと、けんめいにいきむ姿は、以前の雄姿のよすがさえなく、ただただこっけいなばかりだった。 「いそがねばならぬぞ。もう分裂がはじまっておるゆえ、早く出してしまわねば腹がはぜるやもしれん。さすればここからは逃れられるが、まさか王女の愛をのみこんだまま、ラダトームに戻るわけにもいくまい?」 「うぅっ!?」 ぼこん、ぼこんと腹がいびつにゆがみ始める。文字通り体が内側からはじけるような圧迫。追いつめられた勇者は、脂汗と、涙と、鼻水と、よだれでぐしゃぐしゃにながら腰を振った。指は支えを欲して草をつかむが、つぎつぎちぎれてしまう。 「手を貸してやろう。もう無礼は働くでないぞ」 竜王がさしのべた手をはらうゆとりは、ロトにはなかった。出産に際して夫の手をとる妊婦のように指と指とを組み合わせる。 「息は浅く二度吸って、吐け」 いわれるがままに呼吸をととのえ、菊座をくつろげると、ようやく最初の一匹が頭を出した。しかしそのあいだにも分裂は進み、むき出しの腹は、果物をつめた布袋ように凸凹に変わっていた。 生まれたばかりのスライムは外の光を浴びると、うれしそうに跳びはねながらくさむらに消える。闇の長はそれを見送って、楽しげに目を細めた。 「そちに似て元気な子だ。さて、まだ産んでもらうぞ。すこしは魔物の母の心を知るがよい」 皮肉に応じるいとまもなく、勇者は二匹めを外へ出した。だが分裂の速度には追いついていない。内臓をおされ、嘔吐感を覚えながら、歯を食いしばり、足で草を蹴るしかない。 「はやくっ…はやぐぅっ…でっ…ぐあっ…ぅぅっ」 三匹め、四匹め、五匹め。だんだんと間隔が短くなっていく。ロトの努力が実をむすんだというより、スライムたちがこぞって外へでようとつめかけているのだった。 竜王は、盃にいれた妖酒を運んでこさせると、虜囚の唇にあてがった。 「干せ。水を吸い尽くされて死ぬぞ」 「っ…ふざっぅっ…ぐっ…」 めんどうになった竜王は、口移しで飲ませてやる。胃をすべりおちる冷たい酒。そのこころよさに、ロトは、自分がすさまじい渇きにさらされているのを悟った。 「さあ、もっとだ。これはスライムの腹ばなれをはやくする効用もある」 「う……ひっひ…ふぅっ…いやっだっぅっっぎいいい!!」 「わざと拒んで、接吻でもねだっているのか?」 残酷な軽口につきあいきれず、震えながら盃に口をつける。しかし、ほんのわずかでもいきむのをやめるあいだにも、スライムの分裂は続いて、また腹をふさぎ始めた。 「くっ…ぅっ…ぅうううっ…」 九匹、十匹、十一匹、十二匹、十三匹、十四匹。無限地獄にも思える試練のときがすぎ、小さな戦士は、超人的な気迫で、すべての魔物をそとへ出しおえる。血の気の失せた唇が、この場にはいないものの名をかたちづくる。 「ぅ…ローラ…」 「そちが産みおとしたスライムのなかには、王女の愛はないようだな」 「ぇっ…?」 「どうやら、分裂のときに、何かのはずみで体内に置き忘れてきたらしい」 「な…ぁっ…ぅっ…うわぁあああんっ、あああっ、うあああああ゛っ!!!!」 火のついたように泣きじゃくるロトに、竜王はかすかに眉をもたげた。 「落ち着け、そちの姫への愛はよく分った。予がかき出してやる。さぁ背を向けて這え。広げてみせよ」 ぐずつきながら、少年はうながされるがまま四つん這いになり、腰をあげると、指で尻孔を広げた。竜王はじっと、ひくつく肉ひだの奥をのぞきこむ。 「見えぬな。もうすこし広げよ」 「ぅっ…ぐすっ…これで、みえる…か?…」 「よかろう」 竜王の五本の指がすぼめられ、ずぶずぶと菊座にめり込んでいく。 「あ゛ぅっ!!」 「こらえよ。ふむ、これか?いやちと違うな…」 わざとらしく粘膜をひっかきながら、手首まですっぽりと肉穴にうずめると、しばらくそのやわらかな感触と、かわいらしい鳴き声を楽しむ。 「あぐぅっ…はぐっ…うぐううっ!」 「とれたぞ」 鱗に覆われた腕がようやく、腸液まみれの首飾りをひきずり出した。魔物の統領は、ロトのうなじに細い金鎖をかけてやると、安堵と疲労にぐったりした体を抱きしめる。かるくゆすり、少年らしい汗の匂いがする髪をなぜてやりながら、なぐさめの言葉をかけた。 「よいこだ。よくやりおおせた。そちは予の誇りだ」 「りゅうおう…おれ…おれ…ぅあっ」 口付けをかさね、牙と歯があたる小さな音をさせて、舌をからませる。はだかの尻をなぜあげると、みずからの服の前をくつろげ、いきりたった逸物を自由にする。魔法が作り出されたかりそめの器官とはいえ、太さ、長さとも尋常ではなかった。表面には疣と逆棘がびっしり生えそろっている。突かれれば、喉まで通りそうな剛直を菊座にあてがわれ、虜囚はぞっと震える。 「受けいれよ。予の騎士は勇敢でなくてはならぬ」 「うぅっ…ぎぅっ…んっ」 魔物の性器のうえにむりやり腰をおろさせられ、勇者はまたすこし泣いた。すぐに活火山のうえに座らされたかのような、めちゃくちゃな突き上げがはじまり、もうみじめさを噛みしめることさえできないまま、竜王の肉人形として踊るしかなかった。 かぎ爪に握られた幼茎が、薄い精をはなつ。長虫の化身は笑いながら、それをすくい、勇者のくちもとに流しいれた。 「早いな。初めてはこんなものか…この城に昼夜はない。予がことたりるまで、せいぜいはげんでもらうぞ」 張りのある臀部に爪を立ててえぐり、竜王の紋章、支配の印を刻む。肩口には牙をあて、血肉をちぎりとると、回復の呪文を唱えてから、すぐ別の場所へ噛みつき、食欲と性欲をともに満たしていく。 勇者はすすり泣きながら、宿敵の胸にしがみついた。竜王は獲物の肉をうすくそぎ、肌をかきむしり、血みどろにしながら、さかとげつきの肉棒で、柔らかな内臓を掻き回す。 一方で、絶えず失われた血肉を補う媚薬入りの妖酒をそそぎ、うちからそとからベホイミをかけ続けることで、すこしづつ相手の体を、快楽にひたし込んでいく。七つの酒だるが空になるころには、ロトは肉をくいちぎられるたび嬌声をあげるようになっていた。 闇の長は、勇者が備える無敵の膂力をぞんぶんにしぼりつくすため、眠りもいこいも与えぬまま、ひたすらに小さな四肢をゆすりあげた。祖先から受け継いだ不朽の魔力と、再生の奇跡がなくしてはかなわぬ芸当だった。 「ふひぃっ!!うぁああっ!ぅあんっ!ひゃぅんっ!ひぎぃっ…」 「よい声を…だすように…なったな…またなさけをくれてやろう…」 「ふぁぁあっ…♪」 しゃくねつのほとばしりが、ロトを内側から焼く。ドラゴンの性器の形に盛りあがった腹がまたひとまわりふくれる。すっかり使いこまれ、赤く腫れあがった肛孔と剛直のすきまから、白い液体があふれでる。こうこつと精を受ける勇者もまた、無毛の幼茎から薄い欲望のしるしをとばした。 竜王は、盃を干すと、さらに抽送の勢いをあげる。変化の魔法がはがれおち、目元に、顎に、徐々に人とは似ても似つかぬ魁偉な特長があらわれ出していた。 「まったく…そちが…一族の雌であれば…よい子を孕んだものを…予はいと強き百人の王子を持てたろう…」 「ぅ…ぁっ」 「よいわ。王子などなくとも…予が永遠に君臨するだけのこと」 「う゛ぁっ…ひゃぅうっ!」 「そのために…まずはそちを予のしもべとしてくれよう…ロト!」 竜王は、いまひとたび口付けを盗みとると、高らかに勝利の咆哮をはなった。 かくて剣の嵐はすぎさり、宮殿には漆黒にいろどられた平穏が戻ってきた。 しかし、竜王城の元侍従長、ヘルトスは不機嫌だった。理由は、失態から愛着ある役職を追われたからだけではない。よりにもよって、主君が新たに捕えた虜囚の世話という、やっかいな新しい仕事を押し付けられたのだ。 アレフガルドの魔物たちの悪夢の元凶、殺戮と破壊の具現たる大悪党、勇者ロトの面倒をみろというのだ。老ゴーストはおのが不幸に身震いをすると、重い荷物を手に、うすら寒い廊下を漂っていった。 人間ならば、おとな五、六人がならんで歩けそうな、幅のある通路は、燐の炎で、妖しい緑に照らしだされていた。そこかしこの壁には、いにしえの神と魔との阿鼻叫喚の争いをかたどった浮き彫りが施されいた。その上には、はるか百年もむかしに主を亡くした、ぶきみな影がはりついている。 もっとも四方をくまなく埋めつくす、おどろおどろしい内装は、魔物たちにとっては心安まるものばかりであったが。失意に沈む今のヘルトスは、そうした装飾さえ目に入らぬ風で、うつむき加減のままドラゴンやストーンマンの守る無数の扉を抜けた。やがてまがりくねった道は、石と鉄で造られた牢獄にたどりつく。 天井近くの壁龕では、レミーラの呪文を封じこめた燭台が、竜王の魔力によってとこしえの光を放っている。檻の前には銀の光を帯びたバリアの床が敷かれていた。 「おーい。食事だぞ」 呼ばわると、棒のさきに、パンと果物、チーズ、びん入りの薬草茶をのせた籠をかけて、そろそろと差し出す。中にうずくまっていた小さな影は、さっと手をのばして籠を受けとると、むしゃむしゃと威勢よく中味を食べ始めた。 ヘルゴーストは、うすきみ悪そうに、その樣子をうかがった。ゴースト族は汗をかかないが、かけるものなら、緊張のあまり全身びっしょりになっていただろう。 ロトは、まるで冬ごもりの仕度をするリスのように、口いっぱいにパンと果物とチーズをほおばり、ぐびぐびと薬草茶をあおって、それらを流し込んでいく。ドラゴンも顔負けの健啖ぶりだ。 「おまえ…よく食べるな」 「むぐ…んっ…おかわりっ」 「な、なんだと?めしゅうどの分際で…だいたい…三日前まで竜王さまからきびしく折檻をうけながら、なんでそんなに食欲があるのだ…」 檻のむこうの猛獣は、ぎらっと両目を光らせて叫んだ。 「うるさいっ!もんくあるなら、ここをだせ!かぎをあけろ!りゅうおうにあわせろ!」 ヘルトスはあとずさりしながら、早口で答えた。 「だだだ、だまれ。その檻には特別な魔法が、かかかかっているのだ…それに、たとえ鍵があいても、バリアの床で絶対にでられん。諦めろ」 勇者はいっこうに動じた樣子もなく、檻にしがみついて吠えた。 「りゅうおうにあわせろ!あいつはどこだ!」 「へ、陛下は、おまえの復活の呪文を解く方法をさがしに、おととい異国へ旅だたれた…今日の夕暮れには帰られる…ふ、ふん、そのときを見ておれ。またきついお仕置きをうけるのだぞ。どんなめにあわされているかは知らんが、いつも牢に戻るころにはめそめそ泣いておるではないか」 「なっ、ないてなんかいないっ!くっそぉっ!!こんどは負けない!」 怒りにまかせた蹴りが、絶対に壊れないはずの檻をわずかにゆがませた。ヘルトスはあんぐり口をあけると、その事実を見なかったことにして、いそいでうしろにさがる。 「おい…わ、わしはおまえの食事を用意しに、リムルダールに使いをだす。よいな。おとなしくしとれ。おとなしくしていれば、食事は多めにしてやる。最近あの町で人気のさくらんぼうの焼き菓子なんぞも付けてやるから、とにかくおとなしくしておれ」 元侍従長は、持ち前の俊足(ゴースト族に足はないが)を発揮して、はやてのように牢獄から逃げだすと、城の裏門にいそいだ。そうだ。食糧の買い出しにいこう。いつもは召使いのリカントマムルにまかせていたが、たまには自らおもむくのも悪くない。 リムルダールの樣子を偵察するついでに、あたりをうろつく不用心な人間をおどしつけるのもよい。うまくすれば、あのおぞましい勇者なんぞとはちがう、ぽちゃぽちゃした味のよい子供にありつけるかもしれない。 ヘルトスは、ささやかな計画でみずからを慰めながら、兵士のつめ所に入ると、部下をせかして裏門の錠を開かせた。門番をつとめる死神の騎士が、おごそかに話しかける。 「ヘルトスさま、どうかお気をつけて」 「なーに、心配無用だ。我らの最大の危険は、城の下に閉じこめてあるではないか。もはや人間どもには何もできんわい…ここがいちばん危険なくらいだわい…」 「いえ、それが、最近リムルダールの方が騒がしいのです。なんでも、何もない荒野に死んだ魔物が見つかるとか。焼かれたり、おぼれていたり、ただ耳から血を流してこときれていたりするそうで」 ヘルゴーストはぎょっとして振りかえった。 「どういうことだ?リムルダールの領主の手勢にそんなまねができるとは思えんが」 「うわさでは、勇者ロトが捕まったので、ほこらの賢者たちが動き出したとか、第二の勇者があらわれたとか、色々いわれております。なかには精霊ルビスがみずから地上におりたとかいうものも…いえ、ヘルトスさまであれば恐れる必要はないかもしれませんが」 「も、もちろんだ…うーっ…うーっ。うむ。わしはちょっといってくるが、半日たって戻らなかったら、迎えをだせ。ダースドラゴンか、そのたぐいの強いのをだぞ!」 「うけたまわりました」 こっそりと笑う死神の騎士をしりめに、ヘルトスは空元気をはって外へと飛び出した。 すぐにそよ風が帽子のつばの裏をかすめていき、沼地の匂いがする。竜王の島は、初夏の裏らかな天候にあって、じつに平和そのものだった。城から続く止水の広がりは、かすかな海風にさざなみだって、太陽の光をはねかえしていた。 おっかなびっくり街道をゆけど、どこにもおかしなところはない。あたりまえといえばあたりまえだ。ここは竜王のお膝もとなのだ。先へ先へ、真砂の織り成す、うねうねした起伏の丘には、死のさそりやメイジキメラの歩哨が、のんびりと動いている。 「まったく、脅かしおって…だいたい、たとえルビスだろうと、この万全の警備の中どうやって入り込めるというのだ。勇者のように一直線に魔物をなぎ倒してくるなら別だが…それならむこうを見つけしだい逃げればよい…そうとも」 ぶつぶつひとりごちながら飛んでいくと、とつぜん、横合いのしげみがゆれる。ぎくっとして向きなおると、乾いた潅木の枝を分けてでてきたのは、長衣にすっぽりと身をつつんだ魔道士だった。 「なんだ。おどかすな。あいさつぐらいせんか」 「もし…」 まぶかにかぶった頭巾の奥から聞こえたのは、若い娘の声だった。ヘルトスの脳裏を”ルビス”の単語がよぎり、おさまっていた恐怖がふくれあがる。 「竜王の城まで案内してくださる?道に迷ってしまいましたの」 たおやかな言葉づかいには、かすかにラダトームの都なまりがあった。魔物の本能を逆なでする、人間くさいしゃべりかただ。あるいは、やすやすと見張りをかわして、こんなところまで入り込んでくるとは、本当に精霊かもしれない。 「お、おまえ我が方の魔道士ではないな!何者だ!」 「精霊ルビス…」 やっぱり! ヘルゴーストは失神しそうになりながら、ふらふらと逃げ場をさぐった。だめだ。相手が精霊ルビスなら、どうやってもすぐ追いつかれる。そしてズタズタにされる。強力な攻撃呪文でぼろぞうきんのようにされ、そしてそして。 「…ちょっと聞いてますの?わたくし気の長い方ではなくてよ?」 「う、うわああ。こ、このヘルトス。いかにおちぶれようとも竜王陛下の元侍従長である!我ら魔物にあだなす精霊のおどしになど屈せぬ」 「あらまぁ…困りましたわ」 本気で不安そうな返事に、ふと疑念がもたげる。だいたい、精霊ルビスなら、なぜわざわざ魔道士に身をやつす必要があるのだ。こいつはかたりではないか。いやそうにちがいない。 ヘルゴーストはくるくる表情を変えると、急に威丈高になって言いはなった。 「ルビスだかへちまだか知らんが、命がおしければ、神妙にしろ!わしは竜王陛下の元侍従長ヘルトス…」 えせ魔道士は片手を頬とおぼしきあたりにあてると、ほうと溜息を吐いた。 「こうなったら実力行使しかありませんわね…でもこの方まで殺してしまったら、いったい誰に案内を頼めば…いいえ。迷っていてもしかたありません。えいっ」 自称ルビスが杖を振ると、空中に水蒸気が煌めき、小さな雲が生じる。ひょうし抜けの効果に、ヘルトスがせせら笑いを浮かべていると、雲はまっすぐ、とんがり帽子の真上に移動し、いきなりどしゃぶりの雨をふらせ出した。 「わっぷ!なんだこりゃ!ええいやめんか。あぶぶ。溺れ!溺れる!」 逃げまわるヘルゴーストに、雨雲はぴったりと追いついて、間断なく豪雨を浴びせ続ける。とうとう観念したヘルトスは、相手のもとへ戻って懇願した。 「待て、いうことをきく。あぶぶ…きくからやめてくれ」 「そうですの。ちょっと待ってくださいな。えいっ」 魔道士服がニ、三度杖を振ると、雨雲は不穏な雷鳴とともに消えうせた。 「よかった。今度はちゃんと止まりましたわ。これで殺さずに…ああそうそう。お城への案内。お願いしますね」 たったいま相手の命をとろうとしたとは思えないほど、のほほんとした口振りだった。 やばい。 こいつはやばい。 ながらく竜王のかんしゃくのもとで働いてきた侍従長の勘が告げていた。自称ルビスのたたずまいからは、うわべの穏やかさを透かして、独裁者、専制君主だけが持つ冷酷さがにじみでていた。 さからったら間違いなく消される。その感覚はヘルトスの骨身にしみていた。 「こ、こちらです奥方様」 「失礼ね。わたくしまだ…まぁいいでしょう」 ひとりと一匹は、城下の森を連れだって歩いていく。魔道士服の娘は、すぐにつまずいたり、何やら靴を直したり、いきなり”休憩です”と宣言して座り込んだりした。 ただ、あれこれ不平をならべるわりに、健脚ぶりは案外たいしたもので、運動不足な宮殿の魔道士たちよりは、はるかにきびきびと動いた。ようやっと沼地の岸につくと、竜王城の立地についてひどい侮辱を呟いたが、立ち止まろうとはせず、ざぶざぶと水を蹴ってわたり、ほどなくして城の裏門にたどりついた。 ヘルトスは不安な思いをいだきながら、おもてむきは、うやうやしく相手を導いていく。城内に連れ込んでさえしまえば、うまく衛士を呼びよせて始末できるだろう。先日の戦いのために主だった兵のほとんどが再起不能になっていたが、それでもまだ魔法使い一人ぐらいなんとか片付けられる。 「ヘルトス様、お早いお帰りで。そちらは?」 門を守る死神の騎士が尋ねかけるのに、ヘルゴーストはめくばせで推過せぬように命じた。魔導士服の娘は、無言で元侍従長のあとに続こうとする。 騎士は首をかしげながらも、だまってふたりを見送りかけたが、ふと相手の長衣のすそから、魔道士らしからぬ、はでな金糸の刺繍入りの狩猟靴がのぞいているのを認め、再び声をかけた。 「お待ちください。そちらの方はどなたです?ヘルトス様のお連れといえども、身分を明かさずに裏門から入られては…」 ヘルトスはあわてて口をはさんだ。 「これ、無礼だぞ。このお方をどなたとこころえる!恐れおおくも…」 「ですからどなたです?」 精霊ルビスだ、うかつに刺激するな。そう叫びたいのをこらえ、ヘルゴーストはけんめいに、控えておれという合図を送る。だが騎士はなっとくせず、腰の剣に手をかけさえした。 「ヘルトス様。もしやそやつ、うわさの」 「しかたありませんわね」 またしてもあの雨雲か、とヘルトスが身構えた瞬間、魔道士の長衣のすそから、まばゆい赤光がほとばしって、死神の騎士を襲った。じゅっという音がして、骨の焦げる匂いが漂う。職務熱心な門番のいた場所は、すでに何もなくなっており、背後の壁に黒い影だけがはりついていた。 「いけない。また加減を間違えましたわ。あらでも、この方があとくされがありませんわね」 太陽を思わせるような、真紅の宝珠を手に、自称ルビスはむじゃきそうにひとりごちた。眉ひとつ動かさず魔物を焼き殺すためらいのなさに、ヘルゴーストはあらためておぞけを振るった。この娘は、ひょっとすると勇者より危ないかもしれない。 「ええと。ところで、この城にはロトの剣がありまして?」 「は、はい。地下の宝物庫に厳重にしまい込んであります」 「それといっしょに鎧も?」 「それはもう」 「持ち主も囚れていますわね」 情報を訊きだそうとする声が緊張に震えているのに、ヘルトスはまるで気付かなかった。老ゴーストはもう、自分の恐怖だけで頭がいっぱいになっていたのだ。 「ええ。しかし凶暴な奴でして、奥方様にはあまりお近づきにならぬ方がよろしいかと…」 「まぁ!あの方が凶暴ですって!なんと無礼な」 自称ルビスは腹立たしそうに呟くと、魔物の案内役に宝珠を向けた。しまったと悟った元侍従長は、とくいのコメツキバッタのまねを始める。卑屈な態度には慣れているのか、娘はめんどうそうに頭を振って、宝珠をしまいこんだ。 「いいですか、あなた。勇者様は、やさしくて、強くて、それにほんとうにかわいらしく小さくて、抱きしめたくなるような、すてきな方ですわ。あのような方は、ほかにおりません。ちょっとおばかさんで、すぐむきになるところも、とてもいとおしい人…分りますわね?」 「は、まったくその通りです」 「ではまず…そうね。まずは装備をとり戻さなくては…宝物庫に案内して」 「こちらです!」 ヘルゴーストはあいそうよくうなずくと、招かれざる客を案内した。ゾーマの時代に造られたという複雑きわまる迷宮回廊を、長年の経験にしたがって、寸分のためらいもなく進んでいく。人間の身のたけをはるかに超える者たちのために構築された、太古の建造物。燐の火のとどかぬ暗がりのあたりから沁みだす、寒々しい瘴気に、あとに続く娘は長衣のすそをかきよせて、我知らず息を殺していた。 二度、三度と、階段をおりてはのぼり、十何回めかに角をまがったところで、とつじょ通路は尽き、鉄びょうをうったぶあつい扉にぶつかった。戸口の上には、世の宝をことごとくおさめるところ、という言葉がいにしえの文字で刻まれている。 娘がじっと扉に見いっていると、とどろくような大音声が響いた。 「ウガ?ヘルトスさま?ナンのヨウ?」 それまで壁の一部とばかり思っていた巨大な石像が、ゆれ動いたかとみえるや、ぐいと身を乗り出したのだ。 「おおユーガではないか」 宝物庫の番人は、運よくも老ゴーストの顔なじみのストーンマンだった。先日の戦いで水中に没し、すっかり自信を喪失して親衛隊を辞め、閑職を選んだのだ。 「うむ。倉庫の見回りだ。ちょっと扉を開けてくれんか」 「ダメ。陛下のお許しナイ」 「そう言わずにな。大切な用事なのだ。わしの顔に免じて」 「ダメ」 ユーガは、ヘルトスの顔をのぞきこみ、にべもなく答えた。うむをいわせぬ口ぶりである。らちがあかないと見た魔導士服の娘は、せきばらいをして進みでると、しずかに命じた。 「あけなさい」 「オマエ、ナンだ?ココ、関係者イガイ、立ち入りキンシ」 娘は長衣のすそをごそごそとやると、竜王の紋章が入った指輪をさし出した。 「これがなんだか分りますね?」 「ウガ!ソレ陛下の指輪!ドウしてオマエ持っテル?」 「そんなことはどうでもいいのです。あなたの仕事はなんですか。むだな質問をすることですか。まともに仕事ができないのなら、そっこくここからでてゆきなさい」 高圧的な言葉は、ユーガの心にふかく突きささった。角ばった石頭をうなだれると、腰の鍵たばをはずして、扉を開いた。娘がふところに指輪を戻し、いそいそと扉をくぐっていこうとするのへ、驚きに目を丸くしてヘルトスが追いすがった。 「なんと!竜王陛下の側近であられたとは!最初から言ってくさだれば何もこのような…」 「すこしだまっていて」 「いやしかし、何も門番の死神の騎士も殺さずとも済んだものを…」 「女ものの婚約指輪で、あの石巨人以外だませるとでもいうのですか?もうっ、あなたが侍従長をやめさせられたのは、その愚かしくおしゃべりな口が原因ですわね。うざいですわ」 「うざっ…!?」 なんとひどい言葉を使うのだろう。ヘルトスはユーガと同じく傷つきながら、しょんぼりと娘の背後にしりぞいた。 宝物庫のなかに、ありきたりな黄金、宝石などはなかった。輝く護符や霊気を帯びた武器、不可思議な呪文を編みこんだ続れ織りといったものが、ところせましと飾られている。片隅には、昆虫と鎧武者を組み合わせたような、魔物とも人形ともつかないものが置いてある。 自称ルビスは、いずれもただならぬ品々から、あやまたず鳥の紋章をあしらった鎧と剣を見つけると、それらを持ち上げようとし、すぐに重さにへきえきして、ヘルトスを呼んだ。 「ちょっと、手伝ってください」 「お言葉ですが、わしと奥方様ふたりがかりでもその武具を運びだすのは…」 「あら…勇者様は、小さいお体でこれをすべて身にまとっているというのに?…ええと、外のストーンマンを連れてきなさい。これを運ばせて」 ヘルゴーストは、いやおうもなくユーガを呼びよせ、にっくき勇者の武具をかつぎださせた。 「次は牢獄です。いそいで」 「はい、はい」 「ウガ、牢獄?イッタイ、ナニするンダ?」 ストーンマンは先ほどから露骨に警戒していた。ヘルトスがかしづいている相手は、どうにも人間くさいのだった。それに、自分をいためつけたロトの装備を運ばせるとは、いくら竜王の側近だとしても、やっていることがうさんくさすぎる。 「ユーガ。奥方様の計らいは、すべて竜王陛下の知るところ、でなければこの城内でだいたんなふるまいにおよべようか。わしの案内する通りについてまいれ。よいな。すべては陛下のおんため!」 そういいながら、ヘルトスは、なじみの道をたどり、地下への階段をくだっていく。魔導士服の娘は早足であとに続いた。ユーガは半信半疑の樣子でふたりを追いかける。 いったい、部外者にはどうやってこの城の中で目的地を見出すことができるのだろう。下へ下へとおりるごとに、壁の浮き彫りはいよいよ異様にねじれのたうち、争いあう神も魔も渾然一体となって、混沌としてくる。 魔導士服の娘は、しだいに息苦しくなってくるのを覚えながら、ふと壁にぽっかりと空いた穴に気付いた。さきほどから何度も目にしているような気がする。始めはあとからつけたされた通路かと思われたが、ところどころふさがれている樣子から、最近になって誰かが住人の意思に反してぶち抜いたものらしい。 おそらくは勇者のやったことだろう。ルビスを名乗る少女はかすかに胸をときめかせ、歩みをはやめた。 やがて、美しくもまがまがしい紋様の彫られたミスリルの大扉にいきつく。先ほどの宝物庫の入り口に勝るともおとらない、ごついこしらえだが、飾りはずっと優雅だった。左右には、煌めく鱗をしたダースドラゴンの雌が控えていた。 「ここが牢獄?ずいぶんと趣味がよろしいんですのね」 「虜囚とはもうせ、相手は、我が竜王陛下と唯一対等にわたりあった勇者。客人として大切にもてなしております」 「まぁ…竜王もあんがいよいところがりますこと。見直しましたわ」 ヘルトスは愛想笑いを返すと、二頭のダースドラゴンにうなずいてみせた。 「このさきは、牢番しか入ることを許されません。わしはここで…」 「あらそんな。ここまで来て困ります」 魔導士服の娘はどまどって答えた。二頭のダースドラゴンが、ゆっくりと進みでる。一頭が呪文をくちずさむと、すぐさま半竜半人の美しい女の姿に変わり、しずかに尋ねかけた。 「何か不都合でもおありかな?魔導士よ」 その、鋭い目つきにけおされているうちに、ヘルトスはすたこらと逃げ出した。娘はあわててそちらを見やったが、ダースドラゴンたちのすきのない樣子に、諦めて向きなおった。 「勇者ロトに面会を」 竜女は、千斤はあろうかという扉に片手で触れると、楽々と押し開いた。 「…お入りなさい。わたしではなく、中におられる方に頼むように。あなたの願いならお聞きどどけになるやもしれません」 娘は、はっとして、何かの罠にはまったと察したが、三体の魔物に囲まれてはうかつな行動はとれなかった。背を反らせ、落ち着きはらってうなずくと、身の丈の三倍あろうかという高さの戸口をくぐる。 たちまち眼前に、美しい庭園が広がった。かぐわしい花々の薫が漂い、地上よりもさらに明るく温かな光が満ちあふれている。庭の中央に、澄んだ水をたたえた池があり、みごとな白石をつんだ低い城壁が、青いじゅうたんのような芝生を取り巻いている。 彼女は、しばしその光景に見とれ、背後で扉が音もなく閉ざされるのにも気づかなかった。 「ようこそ、精霊ルビス…いや、正しくはラダトームのローラ姫と呼んだ方がよいかな」 中庭の奥、小さなあずまやにしつらえられた玉座から、重々しい言葉が投げかけられる。立ち上がったのは誰あろう、この闇の城塞の主、竜王であった。 「そちが自ら予の城を訪なったこと、驚くとともにうれしく思うぞ」 竜王は、長衣のすそをひるがえしながら歩みよってきた。全身を覆う紫の鱗は、鎖かたびらのごとく煌めいて、切れ長の眼は、ねずみを射すくめる蛇のように王女にそそがれる。 「頭巾をとるがよい。もはや、そなたの花のかんばせを隠す必要もなかろう。愛しき姫よ」 ローラは顔を隠していた布をはねのけると、山吹をしたつややかな長髪をあらわにした。四月の空のように、澄んだ青い瞳が、以前ロトがそうしたように、まっすぐ長虫をにらみかえす。 「あのかたは、勇者様はどこです?」 竜王は勝ち誇った表情を浮かべた。 「聞いてなんとする?あれの身はすでに予のものだ。いずれは心もな」 長虫の淫靡な笑いを耳にするや、ラダトームの姫は玲瓏の面差しをくもらせた。 「…何を…」 「ん?」 「勇者様に何をしたのです!この変態トカゲ!」 「へんたっ…」 またしても、手ひどい言葉を受けた魔物の統領は、ただでさえ血の気のない顔を紙のように白くすると、酸欠にかかった魚よろしく、唇をぱくぱくと動かした。 「…人の身にあっては最も高貴の生まれながら、なぜそちは、そのような汚い言葉を…」 「おだまりなさい!あなた、キモい…ぅっ…勇者様…」 「きもっ…!?」 ローラは、白桃の頬を薔薇のごとく紅潮させ、碧玉の瞳に真珠のような涙を浮かべ、激しく地団駄を踏んだ。 「だから、わたくしもいっしょに行くと申しましたのに…勇者様のばかっ…わたくしがラダトームの宮廷に集う浅ましい輩から、あの方のみさおを守るのにどれほど…若いメルキド公子だって狩の最中の落馬にみせかけて…あれから、少しは安心していましたのに…それを、それをこんなトカゲなどに…あんまりですわっ」 両のてのひらで顔を覆い、膝をつく王女。 竜王はその様を眺めつつ、ふぅっと魂が抜け出ていくような錯覚に襲われたが、世界の覇者としての矜持をもって、辛うじてもちこたえた。 「姫よ…予が望むのは、そちの献身。応じるならば、勇者の身は傷つけまい。そちは予の妃となり、ロトは予の騎士となる」 ふたりを、ともにふしどに並べ、代わる代わる楽しむもよい。竜王は、めくるめく未来の図に酔いしれながら、にんまりした。 ラダトームの姫はよろよろと立ち上がると、長衣のすそから燃える宝珠をとり出した。 闇の長はおうように首を振ると、幼な児に説き聞かせるように告げる。 「太陽の石に雨雲の杖か。そのようなおもちゃは通じぬぞ。ほこらの賢者どもにどんな入れ知恵をされたかは知らぬが、そちの細腕では、予の鱗にかすり傷ひとつ付けられぬ」 次の瞬間、竜王の顔面には、真赤な玉がめり込んでいた。太陽の石を投げつけた王女は、涙ぐんだまま、さらに杖を放る姿勢を見せる。白磁細工のようなきゃしゃな腕は、ヒステリーの発作もてつだって、あなどりがたい力を発揮していた。 「うぶっ!なっ…」 何をする、といいかけた闇の長は、飛んできた杖をかわすのにあわてて身をよじらねばならなかった。 「このようなまねをしても、なんの益もないぞ。そちはすでに予の掌中に…」 「うざい、死ね」 「なっ…く、くく、もうそちの言葉に動じたりはせぬぞ。予の恐ろしさをたっぷりと味あわせてやろう。いでよドロルども!」 庭土が盛りあがり、醜悪な姿をした魔物が次々と頭を出した。竜王はようやく平静をとり戻し、冷たい笑みを浮かべる。練りたての絹のようにけがれをしらぬ王女の体を、部下にけがさせねばならないのは、くちおしかったが、しかし、姫もロトのように心を砕かなくては、けっして意のままにならないのは分っていた。 ローラは、心底いやそうな眼でドロルの群を眺めると、おもむろに魔道士の長衣を脱ぎ捨てた。ひるがえるくすんだ布の向こうに、軽やかさと華やかさをかね備えた、瀟洒な狩衣があらわになる。ほっそりした腕には、いつのまにか銀の弦をはった竪琴がいだかれていた。 少女の薄紅をした唇が、乾いた言葉をつむぐ。 「…竜王。あなたには死すらなまぬるい」 首尾よく精霊ルビスを罠にはめたヘルトスは、ごまんえつの態で牢獄に戻っていた。バリアの床ごしにちらっと樣子をうかがうと、虜囚は言い付けを守っておとなしくしているようだった。 「よしよし。ちょっとやっがいごとがあって、リムルダールにはいけなかったが、明日にはちゃんとさくらんぼうの菓子をあがなってきてやるからな。何、わしもおまえの世話係は今日で最後かもしれんが、約束は守るぞ。ふふふ」 ひとりしゃべりまくる老ゴーストの帽子へ、いきなり、ぱらぱらと天井からかけらが落ちる。ふと口ごもれば、城全体にかすかに震動しているようだった。 「なんだ?」 ロトは、ぱっと鉄ごうしに跳びつくと、ぐいと顔を突き出した。 「ローラっ、ローラがきてる!」 「は?ローラ?ローラってもしかして、ラダトームのローラ姫のことか?ははは、そんなことあるわけないだろう。かよわい王女様が、わざわざ我ら魔物の本拠地に…そういえばさっき変な娘にあったな。精霊ルビスとかいっていたが、いや姫君などとは似ても似つかぬ野卑な…」 「ローラっ…だめだっ!りゅうおうのところへくるなんて…うっ…」 「おい、余計なことは考えるな。おまえは陛下のお気に入りなのだ。おとなしくておれば…」 いやな予感がしたヘルゴーストは、手をばたつかせて説得をこころみる。だが、その言葉もむなしく、少年の肩の筋肉が盛りあがると、鉄ごうしはみしみしと不吉な音を立て始めた。 「やめろ!それはダースドラゴンの火で鍛えた鋳鉄だぞ!おまけに大魔道がじきじきに呪文をかけて…あぁ、あーっ」 太い鉄棒が、あめ細工のようにねじれると、勇者はおそれげもなくバリアの床へ足をふみ出した。電流がはしって、髪の毛が逆だち、鼻から煙を吹きだす。だが少年の足はたちどまることなく、銀に輝きの上をわたりきる。剣だこのできた指が、むずと世話係を掴んだ。 「りゅうおうのいるのは、どっちだ!?」 「こ、このヘルトス。いかにおちぶれようとも竜王陛下の元侍従長である!我ら魔物にあだなす者のおどしになど屈せぬ」 「いわないとぉっ」 「ふん!この迷宮を、わしの案内なしで…」 ぎらっと光る眼つきに、元侍従長はくちごもると、そろそろと、左手をあげて、御座所の方角を指さした。 ロトは、ヘルゴーストを放り捨てると、まっすぐその方角にむかって突き進んでいく。すぐに壁の砕ける音がし、ついで魔物たちの狂乱の騒ぎが沸き起る。やがてそれは、地下庭園から伝わる震動と相あわさって、宮殿を激しく揺るがせ始めた。 振り返ればそれは、あるうららかな春の日のことだった。 静かなマイラの森の奥。少女は、暁の明星のごとく煌めく髪をたゆたわせ、膝にはガライの竪琴をのせて、おもむくままに恋の歌を奏でていた。鳥も、獣も、虫も、妙なる楽の音を邪魔すまいと姿を消し、あたりでは木々が青葉を落とすばかりだった。 ややあって曲が止むと、かたわらの立ち枯れたカシワの裏から、一人の翁が現れた。宵の藍に染めた長衣をまとい、節くれだった指には、同じほど節くれた杖をにぎっている。 娘は老人の姿を認めると、嬉しそうに立ち上がった。 「賢者様!わたくし、だいぶ上達しましたでしょう?」 「うむ…そうじゃなローラよ。その、なんというか、まことに以前にもまして冴えておる」 王女は、はなやいだ表情になって、ふくよかな胸に竪琴を引き寄せると、天を仰いだ。 「きっと恋をしたからです。わたくしの心の弦を、あの方の愛がつまびいているのですわ」 賢者は、まぶたを隠すほど厚く垂れ下がった眉毛のあいだから、鷹のような眼差しをねめあげた。 「勇者ロトか…私の占いによると、まもなくあの者を災いがみまう」 「なんですって!」 ローラは弾かれたように叫んだ。美しい額に、憂慮の暗雲が垂れ込める。 「まさかリムルダールの侯爵夫人が…それとも、あの稚児遊びでよくないうわさの絶えない参事会員が…許せません。すぐにお父様に頼んで死刑に…」 賢者は咳ばらいしてさえぎった。 「いやそうではない。ローラよ。お前が何を心配しているのかはよく分らぬが、とにかく人間には、ロトを害せはせぬ。災いは魔物、最も黒き瘴気をまといし者によってもたらされるであろう、と出た」 「黒き瘴気…もしや」 「そう、竜王に他なるまい。勇者はお前を残して最後の戦いに旅立ったが、何ぶんにも経験が浅い。私たちの望み通り、あの者がもう四年早く、せめてお前と同じ年に生まれておれば…しかし運命はままならぬ…」 王女は青ざめたまま、頬を両手でおさえる。 「そんな…まさか…でも、お母様や侍女たちの出している本にも、竜王のことはいろいろ書かれていたし…やっぱり…でも、わたくしは…わたくしは、そういうのいや…だって勇者様はわたくしの…」 「出している本?ローラ。私の言ったことはきちんと伝わっておような。お前を危地にむかわせるのは心苦しいかぎりじゃが、もはやほかにすべが残されておらぬ。賢者の祖先が初代勇者とともにゾーマと戦ってから、長い月日が流れた。私たちは年老い、後継者にも恵まれぬ。ラダトームの血筋として、魔力と…うむ…天賦の才に恵まれたお前にすべてを託すしかない」 「はい!賢者様」 翁はふところから、拳ほどの大きさの真紅の宝珠を取り出し、手にした杖と合わせて、ローラに差し出した。 「これらの道具は使い方しだいでは、よくお前を守るであろう。しかし、しょせんは道具にすぎぬ。竜王の真の力の前では、気休めにもなるまい。やつを倒せるのは、やはりロト…お前は、なんとしてでも勇者を助けるのじゃ」 「…やってみますっ!」 「それと…これは…できうる限り避けるべき事態じゃが、万が一、お前がロトとともになく、直接竜王とまみえるときは、そのガライの竪琴を使うがよい。ドラゴンは、財宝と同じほど楽の音に弱い。加えてガライの竪琴は、魔物の心を揺り動かす力を持つ。そこにお前の歌があわされば、ある意味…ロトの剣を超える武器になるじゃろう」 ローラは神妙な面持ちで、忠告を一言一句、頭に刻み込む風だった。賢者はおごそかに口をつぐむと、ふいに思い出したように語を継いだ。 「じゃがよいか。お前の歌は、魔物の前以外では決して吟じてはならぬ。このことは固く禁ずる。町中や人の行き交う街道などで、ゆめゆめ歌ってはならぬぞ」 「え?でも、どうしてですの?」 「どうしてもじゃ。この賢者の言葉、守れぬのであれば、お前をいかせるわけにはいかぬ」 王女はけげんそうにしながらも、素直にうなずいた。賢者は淡くほほえむと、孫にも等しき少女のそばをはなれた。 「…では、旅支度をすませ、すこやかにいけ。私はしばらく休む」 「賢者様…」 ローラが呼びとめても、翁はただ手を振るのみで、やがて木々の影に消えていった。 王女は己が手にゆだねられた三つの品を見つめると、まぶたを閉ざし、竪琴を抱きしめた。 いまローラは、闇の要塞の地下庭園で、高らかに歌っていた。王女の声の届くところ、草木はしおれ、鳥は落ち、魚は腹をみせて浮かびあがった。扉の向こうでは、ストーンマンのユーガと二頭のダースドラゴンがもがき苦しんでいた。 竜王もまた、例外ではなかった。すでに変化の術は解け、巨大な本性を現して、両手でこめかみをおさえながら、目を血走らせ、口から泡を吹き、地響きとともにのたうちまわっている。 「うおおお!やめてくれ姫!頼む!まさか、これほどとは!ううっ」 だが、ラダトームの姫は、自らの喉に聴き惚れるかのように陶然とし、思うがままに詩句をつむいでは、八弦に指を走らせた。 「ぐああああっ!」 大ドラゴンは、青空と同じ色に塗られた外壁に、頭蓋を打ち付け、なんとか見えざる拷問から逃れようとする。生えかわったばかりの翼は、乱暴にはばたいたためか、あわれ破れ傘のようになって、しなやかな尾も、まるで藁ひものようにちぢれてしまっている。 ローラはもう、歌が周りにおよぼす影響には、まるでとんちゃくしないようで、気持ちよさそうに次から次へと、外では禁じられていた十八番の曲を連ねていく。 「ララララ〜!んーっ、思いきり歌うのって何て楽しいのでしょう。お父様も賢者様も、どうしても人前では歌わせてくれないのですもの。そうだ、今度はマイラの吟遊詩人がこの春に出した新曲にしましょう!確か歌い出しは…ふんふんふんっ♪」 「後生だ!姫よ!婚姻の話は取り消す!ラダトームを攻める兵も引こう!だから…」 「なみだでわたるー、しのこーやー♪」 「ぐぁあああっ!!!」 竜王が断末魔の悲鳴をほとばしらせた、ちょうどその時、ミスリルの扉が大きく軋んだ。破城槌でも打ち込まれたように、たてつけがずれ、二枚戸の合わせ目がひしゃげて穴が空くと、そこから黒い影が飛び込んでくる。 「ローラぁっ!」 響き渡る声は、まぎれもなくロトのもの。王女は驚いて目を見開くと、小さな恋人の方へ向きなおった。男女はすぐさましっかと抱き合う。勇者はすぐに己より頭一つは背の高い姫君を、軽々と横抱きにした。 何ゆえ不壊の牢獄に捕えていたはずの虜囚が、自由になったのか。今の竜王には、仔細に意をこらすゆとりはなかった。ただただ宿敵の到来が、脳を引っかき回す歌を止めてくれたのがありがたいだけだった。 「きゃっ、勇者様!おろしてください…恥ずかしいですわ」 「だって、こうしていたいんだ。ローラのかお、よくみえるし」 「もう、勇者様ったら…」 「ろうやにいたら、ローラのうたがきこえた。それで、げんきがでて、でも、しんぱいになって、えっと…なんか、すっごいうれしかった」 「勇者様…わたくしも、お会いできてうれしゅうございます…」 はためもはばからずいちゃいちゃする二人に、ようやく頭痛の治まってきた竜王がうつろな眼差しを向ける。 「勇者よ…そち、いま、なんと言った?姫の歌が、元気が出る…?」 「うざいから黙ってて」 王女が、振り向こうともせず言い捨てる。しかし勇者は頭をもたげ、闇の長の巨躯をにらむと、きっぱりと答えた。 「ああいったさ!ローラのうたはげんきがでるんだ。こえ、きれいだし、いろんなうたしってるし。それに、ローラのうただから」 「まぁ…勇者様、そのような変態トカゲ、いちいち相手になさってはいけません」 竜王はとぐろを巻くと、穴だらけの翼で我と我が身を覆った。考えをまとめようとしても、二人が視界に入っていると、混乱が増すばかりだった。 「あのときも、うたってたよねっ」 「ええ、あそこに閉じこめられていたとき、とても不安でしたの。自分を元気づけようと思って。お父様には人前で歌ってはいけないときつくしつけられていましたけど…ほかに誰もいなかったし…そうしたら、勇者様が来てくださった…」 「すっごくきれいなこえだった。なんかどきどきした…いまもちょっとしてる…」 ローラはロトの胸に耳をあてて、くすっと笑った。 「まぁ本当…」 「でもローラはもう、あぶないことしちゃだめだ…」 竜王は思い出した。侍従長の報告によれば、姫を守っていたドラゴン、レックスの屍には刀傷がなく、ただ耳と口から血を吐いて、毒を盛り殺されたという。魔物の統領は、つねづね心にかかっていた謎が、ことごとく絵解きされていくのをまのあたりにする思いだった。 「そうか…何ゆえ、姫をさらわれたラダトーム王は、すぐに取り戻そうとしなかったのか…そして、出自の定かならぬ戦士に、姫を与えたのか…これが…答えか」 茫然とたたずむ闇の長をしりめに、勇者と王女はえんえんと言葉を交わしあっている。 やがてこぼたれた地下庭園の扉が揺らぐと、どうと内側に倒れた。外の回廊から、青い鎧兜と一振りの剣を背負ったストーンマンが踏み入って来る。 「陛下ァっ!アイツがココにィっ!オッ、イたナァッ!!!」 神殿の石柱のような腕を振り回し、小さな戦士に挑みかかる巨人。ロトは、けわしい面持ちになると、ローラの耳もとに短くささやいた。 「ちょっとまってて!」 言いざま、振り下ろされた拳を間一髪でかわすと、一気に相手の股の下を走り抜けて背後に回り込む。敵を見失ってきょろきょろするストーンマンを捨て置いて、勇者は王女をおろした。 「すぐにやっつける!いくぞりゅうおう!」 「ソコかぁっ!」 てのひらを開いて、振り向きざまに張り手をなぎはらうストーンマン。掌圧で巻き起こる風に乗って、戦士はふわりと石巨人の手首に飛び乗ると、ましらのごとく肩まで駆け登り、四角い顔の横へたどりつく。 「ウググ!!オリろぉっ!」 「おまえは、じゃまだっ!!」 勇者は、にぎり拳をかためると、そのまま素手で石造りの頬を殴りつけた。べきっという音がして、ストーンマンの巨体がよろめき、地響きとともにあお向けに倒れる。 ふぬけのようになっていた竜王は、忠実な兵士が打ち負かされるのをみて、ようやく我に返った。深々と息を吸い込むと、臓腑の炎をかき起こし、双眸に憎々しげな光をともす。 「我が腕に抱かれ、愛撫を受けたそちが、再び戦いを挑もうとは笑止、思い出すがよい。この庭園で自ら腰を振り、泣きながら情けを乞うたことを」 誘惑と嘲弄のまじりあった言葉が響き渡る。ローラが鼻白み、なにか言いかけるのを、ロトは身振りで制した。小さな手で、石巨人から取り戻した愛剣をしっかりと握り締める。 「…そんなの、かんけいないっ。りゅうおう!おまえは、たおす!!」 竜王の、紫水晶の瞳が屈辱にけぶる。 「おのれ、おのれぇっ!かわいくない!かわいくないぞロト!そちは予のものだ!なぜ逆らう!なぜそのような姫にまことをつくす!あのようなどオンチの歌を聴かされれば、百年の恋も醒めようというものではないか!」 ひくっと、ラダトームの姫が肩を揺らした。白金のかんばせが、何を言われたのか領解できぬままこわばる。やがて海よりも深い青の瞳に涙の珠が浮かぶと、乾いたばかりの頬のうえを、いくつもの銀の筋が濡らし始めた。 勇者は王女の泣き顔を一瞥するや、たちまち烈火のごとく怒り狂った。 「…りゅうおう!…よくも…よくもローラをなかせたな!!」 「いや…その…」 「もう、ぜったいにゆるさない!」 「うっ…何を…」 「うぉおおおおおおおっ!!!」 ロトのテンションがみるみるうちに上がっていく。闘志が緋色の霊気となって目に見えるかのようだった。 「くっ…ぐおおおおおっ!!」 闇の長は、未だかつて覚えたためしのない恐怖にたじろぎ、それを受けいれまいとするかのように吠え猛ると、しゃくねつの炎を吐いた。 オリハルコンの刃が閃いて、燃えさかる業火をまっぷたつに割る。勇者は飛鳥のように高く跳躍し、会心の一撃を放った。ロトの剣が鱗に覆われた眉間に柄元まで突き刺さる。 「ぐぎゃああああああっ!!!」 最期の咆哮が、光の玉の輝く天井にこだまし、長虫の巨躯が焦げた地面に崩れ落ちる。真赤なしぶきが残り火を消し去り、焼けた血の匂いが地下庭園に満ち満ちる。 かくて、ついに竜王は絶命したのだった。 アレフガルドの闇は払われ、光の玉は再び地上に戻った。魔物たちは洞窟や深い森、荒野のいや果てに逃れ、ルビスの加護があまねく全土を包み込んだ。 勇者は、王女をともなってラダトームに凱旋し、人々の心からの祝福を受けた。王は、この選ばれし若者に、いかなる褒美も与えようと約束した。欲するなら、宝冠と玉座さえ譲り渡そうと。 しかしロトが求めたのはローラ姫と、海のかなたに新しい国を建てる許しだった。 王はいさぎよくこの願いを聞き入れた。いかに救国の英雄の望みとはいえ、最愛の娘を、二度と声も聞けぬほどの遠方にさらせるのは、いかばかりの悲しみであったか。だが不思議にも別れのきわ、王はたいへん晴れ晴れとした顔をしていたという。 それは肉親の情を超えて、若い恋人たちの洋々たる前途を思っての笑みだったか、あるいは、君主としての先見の明が、いずれアレフガルドのよき同盟者となる新たな国々の誕生を感じとってのことだったのか。ともかく王はこころよく二人を見送ったが、おのが娘が銀の竪琴を国外に持ち出そうとするのだけは、断固として阻止した。 王は部下に命じて、ガライの墓の地下深くに竪琴を奉じると、魔法の鍵でも開けられぬほど厳重に墓の入り口を閉ざした。さらには宮廷の書記に命じて、この竪琴に関する文献の一切を削らせた。以後、勇者ロトとローラ姫の子孫がアレフガルドを訪れても、ニ度と竪琴のうわさを聞くことはなかった。 ところで、新天地へ旅立った二人はつつがなく暮らした。勇者は生涯変わらず姫を愛し敬ったという。また姫も年下の伴侶をよく導き、いつくしんだ。ただ、どちらかといえば妃のほうが、ものを論ずるにもまつりごとを決めるにも秀でていたと言われている。 勇者ロトとローラ姫のあいだには、三人の子が生まれたが、最初の王子が建てた国は、その母の名をとってローレシアと呼ばれた。ほかの二人が建てた国もそれぞれ繁栄し、三つの国は、王の代が移っても仲のよい兄弟のような付き合いを続けた。 やがてとこしえに続くとみえた平和にも、新たな災いの影が差し、ローレシアから再びロトとローラの血を引く者が立つことになるのだが、それはまた別の物語である。 |
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