The Daughter of Moonburg

「まことに宜しかったのですか。あの毒には半ば人である竜を屠る力はない…せいぜいが狂わせるだけ…姫君は却って命を落とされるでしょう」

古くからの腹心が問いかけるのへ、ムーンブルクの大御所は音をさせて扇を畳んだ。

「致し方ないだろう。あれはもはや…私の計画の躓きの石となるだけだ」

隣国ローレシアの王子を惑わすドラゴンを退治するため、必殺の秘薬を求めたムーンブルクの王妹に、父が与えたのは似て非なる品だった。生粋の魔物にとっては致死の効果を発揮するが、ロンダルキアの王妹はしばし理性を奪って暴れさせるのみ。供に人外の輩がいればそちらは始末できようが、貴重な実験の母体となる標的は無事生き残るはずだった。これは陰謀の片棒を担ぐローレシアの太后、大御所の妹とて知らぬ秘密だ。

致し方ない。毒を用いた我が児を、罠に嵌めて死なせるのも。

正室とのあいだに設けた二人の子のうち、温厚だが優しすぎるところのある兄シメオンに比べ、下の娘は果敢で苛烈。ロトの大義を頑に信じ、いかなる邪悪も許さなかった。穢れた仕事に手を染めながら、潔癖な考えを貫き、異端を認めない。優秀ではあったが融通が利かず、最近では道具としては持て余し気味だった。いずれ正道とかけ離れた父の企図の全貌を把握すれば、兄を押し立てて敵に回りかねなかった。何より好ましくないのは騎士団の中に崇拝者を増やしている点だった。この頃は大御所その人より月の都の戦姫への忠誠を声高にする将兵も多かった。特に腕の立ち、頭の切れるものほど。

「あやつらも、こたびでまとめて片づく」

「しかしローレシアの王子の身にもしもの事があれば…」

「その時は私がロンダルキアの娘に種つけるまで…だがあの首輪が王子を守るだろう」

「ロンダルキアの脅威を白日の下にさらし、客人たる王妹殿下を守れなかったローレシアには負い目を持たせる。分かっております…しかし…」

晩年の子。貴重な血筋の一方を絶やしてよいのか。言外に尋ねる部下へ、翁は首を振ってまた扇を開いた。

「君にはハーゴンの監督を任せるぞ…シドーの民とともにな…奴に邪教を馴染ませよ…」

「は…この老骨に能う限りは」

「ふ…君の好みは承知している。昔から邪教徒狩りの獲物を甚振るのは得意ではないか。まだ盛んと聞いているぞ」

「…はは…お恥ずかしい限り…」

急所を突かれて受け身になる古くからの戦友に、月の都の影の統主は静かに微笑みを返した。いずれ用が済んだら秘密を分かち持つこの男も始末せねばならない。いずれハーゴンにやらせるか、あるいは自ら手を下すか。焦って決める必要はないが。

視線を宙に遊ばせてから、ふと窓から差し込む青白い夜の光に気付く。思いは過去へ遡り、我が子の幼い頃へと馳せる。魔法の国の王妹を、無慈悲な戦士に変えた事件へと。

「父上おそいー」

荘園での夏の日。学問と習事でぎっしりの予定をどうにか詰め、二週間の休暇をとった王妹は、王位を退いて隠居した父のもとへ遊びに来たのだった。ところが親は、一緒に遊んでくれる約束を反故にして、わずかな従臣ともども留守にしていた。

勝気な子供は、どうせ大人がいないならと、不思議な品や仕掛けでいっぱいの小邸を冒険しようと意気込んでいる。いつもの頭巾を被り、練習用の杖を抱いて、弾む足取りで迷路のような廊下を散策する。鼻歌を歌いながら歩いているうちに、床に虹色の帯が続いているのを見つける。面白そうなものを見つけたと、にまっとして追いかけていくと、大なめくじが床を這っているのに出くわした。

「わ、魔物だ」

瞳がますます煌めく。いずれ温厚な兄を補い、魔物と邪教徒を滅ぼす剣となるようにと、教え込まれていたが、娘は余り真面目に受け取っていなかった。邪教徒は目にした経験がないし、魔物もごくたまに、野外を馬車で移動している際に遠くから見かけるだけ。変てこで愉快な生き物という印象しかない。

いくら郊外とはいえ、屋敷に魔物が入り込むなど普通はありえない。将来の魔法騎士としては是非追及せねばと駆けて行くと、軟体動物は意外な素早さで角を曲がり、奥の部屋へ消えた。

「まて！まてまて！」

幼い姫君は呼ばわりながら追いすがり、半開きになった扉の向こうへ身を窄めて入っていく大なめくじに、飛び掛るようにして一緒に室内へ転げ込んだ。柔らかな腹へ爪先がめりこみ、均衡を崩して魔物の上に突っ伏す。

哀れな犠牲者は触眼を飛び出させてぐったりと潰れた。

「うわーべとべとー」

小さな魔法使いが顔をしかめて立ち上がると、辺りのそこかしこでがさごそと何かが動き回る気配がした。薄暗くてはっきりとは見えないが、どうやらほかにも魔物がいるようだ。

「わわ…」

ぴくりともしなくなった大なめくじから離れ、杖を構えて四方を窺う。すると帷を締め切った窓の側から、かすかな含み笑いがした。

「これはこれは…思わぬお客がいらした…」

かすかに老いを感じさせるが、なお力強さを残す声。どこか父に似ているが、ずっと野卑な響きがする。ぎょっとして王妹が杖を向けると、相手は指を鳴らした。たちまち背後で扉が音を立てて閉まり、触れてもいない部屋の蝋燭に灯が点る。

魔法だ。しかも高度な。揺らめく炎の明かりが照らし出したのは、仮面を被った長衣の男。本の挿絵でみたシドーに仕える祈祷師の格好をしている。

「じゃ、邪教徒！」

「ほほう。よくご存知だ。あなたはムーンブルクの王妹殿下ですな？」

「…そ、そうよ！こんなところでなにをしてるの！ここは父上の、ムーンブルクの先王の住まいよ！邪教徒なんかはいっちゃいけないんだわ！」

「…よく存じておりますよ。しかし灯台もと暗し、ということわざをご存知ですかな？ああもう勉強してらっしゃる。私は、幼きシメオン王の命を受けた騎士団から追われていましてね。唯一、彼等が踏み込まぬこの場所に隠れ潜ませていただいているのです」

「ち、父上がきたらつかまっちゃうわ！出ていきなさい」

「おや、心配してくださっているのですか？ですが大丈夫ですよ。私がここへ来たのはもう一つ目的があるのです。仲間が先王を弑し…少なくとも足止めしているあいだ…この館に隠された古代の魔道書を探し出し、我がシドーの民の力とする、というね」

「父上を！！？」

気色ばむ少女に、男は悠然と続ける。

「ところが当てが外れましてね。せいぜいがラダトーム全盛の頃に遡る錬金の写本程度だ。そこで予定を変えて、先王が襲撃を振り切って、この館に辿り着いた時に確実な死を迎えるよう仕掛けを施すと決めたのです。こうして魔物を招き入れてね…しかしそれも準備は完了…いささか退屈していたのですが…あなたに出会えたのは嬉しい驚きです」

「…くっ！父上をきずつけさせたりなんてしない！風よ！我が命に従い…」

「マホトーン」

封魔の呪文がムーンブルクの姫君の詠唱を遮る。実戦経験のない少女は困惑し、なおもぱくぱくと口を動かしてから、悔しそうに顔を歪めた。

「ひきょうもの！！」

「まったく過激な方だ。私と遊ぶにはもうちょっと大人しくしていただかないとね。魔物ども。最初の生贄だ！存分に味わえ！」

たちまち大なめくじやスライムが押し寄せる。娘は杖を振るって闘ったが、非力な細腕で叶うはずもなく、たちまち押し倒された。軟体動物の群は、かつて遠望した野生の姿からは想像もつかぬ獰猛さで衣服を引き裂き、繊維を消化していく。

まもなく頭巾も溶け、美しい巻き毛が床に広がる。幼い肢体は粘液に濡れ、魔物に執拗に舐られながら、虚しくもがいていた。

「はぐっ！はなれなさい！けがらわしぃっ！！はなれて…ひっ」

少女の気丈な喚きに、徐々に戸惑ったような、かすかに甘い響きが混じり始める。祈祷師は含み笑いしながら、仰向けに抑え付けられた獲物の周囲を巡り歩いた。

「そうそう包皮を剥いて、小さな蕾をよく浄めて差し上げなさい。おやもう毛が？残念ですな。無垢なあなたには相応しくない。取り除いて差し上げなさい。根元からね」

「ひぎ…ひいいいいいいいいい！！！！」

華奢な肢体が反り返り、目茶苦茶に暴れる。だが魔物の群は頓着せずに、術士に従って責めを続けた。やがてまだ筋ばかりの恥丘が赤ん坊のようにつるりとすると、男は楽しげに語りかけた。

「さて姫君。早速ですが、この魔物どもを夫に迎えて頂けますかな」

「いや…いや…いや…」

「そうですか。いやそうでしょうな。乙女なら誰しも初めては愛する男に捧げたいと思うもの。ではこうしましょう。姫君は”それ以外”を使って此奴等を楽しませるのです」

「な…なにを…あぎぃぃぃっ！！！」

陰唇を広げてスライムが尿道に侵入し、失禁を強制する。菊座にも大なめくじが頭を埋め、舌できつく閉じた皺をくすぐって寛げようとする。まだ膨らみの徴しかない胸にも、脇にも、足や手の指の股にもそれぞれ軟体動物が張り付き、蠢きながら揉みしだいていく。

「まずは半日ほどお楽しみ下さい。幾らか淑やかになったところでまたお会いしましょう」

祈祷師は告げ置いて、魔物に捧げられた王妹を捨て去っていった。

やがて嬌声とすすり泣きが部屋に満ちた。

男が夜更けに戻ると、料理はすっかりできあがっていた。暗く湿ったところを好むスライムが入り込んだ腹は妊婦の如くに膨らみ、片時も休まず舐られた肌は、扉が開いて吹き込む風を受けただけで、震えるほどに敏感になっていた。

眠りを許されず絶頂を続けた王妹の瞳は、昼間まであった明るい色はどこにもなく、暗く沈んで重たげだった。水の代わりに粘液を啜って喉を潤してきた唇は、わななきながら同じ言葉を繰り返している。

「殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる」

祈祷師は優しげに声をかけた。

「ご機嫌いかがですか殿下」

「殺してやる…お前たち…あぐ…邪教徒と…魔物を…一匹残らず…」

「ほう。勇ましいですな…さすがはあの方の娘だ…しかし、この腹ではね」

靴を上げて、風船のように膨らんだ胴を踏みつける。

「お゛ごぉ゛ぉ゛ぉ゛お゛お゛！！！！」

幼い魔法使いは白眼を剥きながら痙攣し、すでに制御を失った括約筋を一杯に広げて、水玉を産み落とす。同時に噴いた尿に濡れて、スライムたちはしょっぱそうに目をぎゅっと閉じながら逃げていく。ようやくと腹がへこむと、祈祷師は爪先を軽く捻ってから足を外した。

「その年で出産をされるのも、貴重な経験になりますよ」

「あ…かっ…」

「さて…次は…」

邪教徒が腕をあげて差し招くと、ホイミスライムが漂ってくる。

「姫君に口でする良さを教えてさしあげましょう。ただし接吻の初めては残しておきますよ。あなたがいずれ素晴らしい殿方に出会う日のためのね」

回復を司る水母のような魔物は、触手を伸ばして、少女の顔を包み込んだ。

「むぐぅぅっ！！」

「窒息させるなよ」

しなやかな蔓が口腔に潜り込み、舌を捕え、歯茎を擦り、口蓋や頬の裏までを刺激する。人間の舌では在り得ない戯れ。娘がえずいて嘔吐すると、すべて吸収し、汚れを残さずおぞましい愛撫を続ける。あまった触手は左右の耳穴にも潜り込んで内側を摩り、髪を掻き乱す。

「下を淋しがらせてはいけませんね。ほらお前たち」

さらなるホイミスライムが取り付き、菊座をまさぐって、使い込まれた粘膜に癒しの呪文をかける。やがて水母はびっしりと、粘液にぬめる皮膚を覆って、もはや人間とも魔物とも分からぬ姿に飾り立てた。

「すこし出ましょうか。同じ場所ばかりでは味気がない」

妖魅の群が持つ浮遊の力によって、軽い体躯が宙に持ち上げられると、虚空を過って室外へ向かう。妖術師は付き添うように歩きながら、廊下を進んでいった。広間を通って、食堂を抜けて、厨房に達する。屋敷の使用人の姿は見えない。主の娘が行方不明になったのを探しもせず、眠りを貪っているのだろうか。

真夜中の調理場。常には料理人が腕を奮うその場所で、やはり魔物が遊び戯れていた。

「さて、姫君のお食事を用意しませんとな」

指を鳴らすと、ホイミスライムが搗いた乾酪の椀と、サマルトリアから取り寄せたのだろう甘い苺の煮詰め、さらには炙った穀類、葡萄酒を運んでくる。

「始めろ」

水母が王妹を逆さ吊りにし、細い足を開いて真丸な尻朶を広げると、肛門から触手の栓を引き抜いて、替わりに食材を流し入れていく。

「むぅうう！！！」

軟体動物の一部とは異なる、冷たさが刺激となったのか、声もなく嬲られていた娘は再び呻いた。

「自由にしてあげなさい」

ぬらつく猿轡と枷が外れると、押さえ込まれていた悲鳴が溢れる。幼い魔法使いは床ぎりぎりにぶら下げられ、肘と腕で身を支えながら、直腸を落ちていく異物感に泣き喚いた。

「やぁ…もういやぁぁぁああ！！！」

だが訴えも虚しく、ホイミスライムの触手が再び菊座に潜って、攪拌を始める。完全に混ざるまでしつこく掻き回したあと、ようやくと引き抜く。

祈祷師がまた合図すると、大きな皿が運ばれてきた。夏の宴に使われる冷たいスープのための骨董で、先王が取り分け大事にし、王妹も好物が盛られる食器の象徴として覚えていた。

「ひ…」

「さあここに」

魔物は姫君を皿の真上に置く。

「いや…だめ…だめ…だめ…ぁ…ぁ…ああああああ」

少女は果実と乾酪、焙り麦、真紅の酒の混ざりものを排泄した。すでに腸内にあった汚れは魔物に取り除かれている。ただかすかに腸液が混じっていた。

「どうぞお召し上がり下さい」

男が慇懃に勧めると、水母の群が涙に濡れたあどけない顔を器に押し付けた。

「やめて…やめて」

「食べて頂かないようなら…また別の料理をお作りせねばなりませんな」

「あぐ…ぅうう」

「どうぞご遠慮なさらず。犬のように口だけで。姫君の出したものにわざわざ匙など不要でしょう」

「ぁ…ぁ…」

しばらくすると邪教徒の見守る中で、虜囚は惨めな食事を啜り、咀嚼していった、

一夜が明けて、祈祷師は姫君を屋敷から連れ出した。芝生も目に青い庭先で素裸のまま魔物とからみ合せながら、誰かを待つように腕を組んで、風防ぎの木立ちへと周り込む馬車道を眺めている。背後の建物は森閑としている。住人はすべてラリホーによる深い睡みに落ちているのだった。

朝の鳥の鳴き声が方々でする中、はるかに蹄鉄が地を蹴る響きが近付いてくる。

少女が虚ろな眼差しを上げる。騎馬の孤影が現れ、見慣れた肉親の厳しい顔立ちが窺える。ムーンブルクの先王は、戦いに汚れたとみえる装束のままに館へと急ぎ、ようやくと娘のもとへ辿り着いたのだ。

「おのれ！邪教徒ども！バギ！！」

得意の風の刃が鞍上から、迎え撃たんとする魔物を襲い、我が児だけには傷一つ付けずに引き裂いていく。とても歯が立たぬとみた敵は、浮き足立つと、さっと踵を返して近くの林へと遁走した。

「逃すか！」

馬から飛び降りざま、老練の騎士は新たな呪文を唱え、次々にかまいたちを紡ぎながら肉薄する。やがて樹陰の向こうに二人は消え、断末魔の叫びが上がる。

ほどなくして先王は無事な姿で戻ってくると、虚脱してうずくまる姫君のもとへ歩み寄った。

「おお…何という…邪教徒ども…魔物ども…ムーンブルクの至宝を…許せ…許せ…不甲斐ない父を…」

「ああ…父上…父上ぇえええええええ！！！」

親子はひしと抱き合って顔を寄せ、互いの頬を涙で濡らした。月の都のかつての君主は、齢を重ねてから得た娘を救えなかった悔しさを、歯を食い縛り、拳を握り締めて表していた。癒しようもなく痛めつけられた少女は、ただ嗚咽して保護者の腕にすがったのだった。

先王はすぐにも医師を呼び、治療に当たらせた。怪我はほとんどなかった。魂を毀ちたほかは、祈祷師は丁重といっていいほどの注意深さで捕虜を扱ったのだ。

問題は心の傷。そうとはっきりすると、父は大胆な方策をとった。スライムや大なめくじなど、ムーンブルク近在の魔物を捕えてきて、娘に今度は武器を持たせて相対させたのだ。

姫君が、ためらいもなく妖魅を屠るのを確かめると、しばらくはさらに人外の殺戮をさせたあとで、牢につないであった邪教徒を引き出してきた。先王を襲った刺客の一味だという。拷問によって口も聞けないほどに痩せ衰えた若者を、幼い魔法使いは渡された聖なるナイフで以ってあっさりと斬り捨てた。

かくして、少女は立ち直った。のみならず歴代でも最強の呪文の冴えと、武芸を誇る騎士として成長を遂げていったのだ。兄シメオンの友でローレシアで無双の剣を誇る青年と出会うまで、およそ大人の男であろうと負けを知らなかった。

ムーンブルクの民は、内親王を襲った悲劇の詳細を知らなかったが、残虐なまでに邪悪を追い詰める勇姿を怖れかつ敬い、月の都の戦姫と呼んで賛えた。光の側を担う兄王と、闇の側を受け持つ王妹と、陽と陰に秀でた二人を戴いて魔法の国は益々栄え、ロトの血を伝える三つの領土で、実質最大の勢威を誇るまでになった。

「あの折は、君も楽しんだだろう」

大御所はぼんやりと呟いた。今や奴隷の監督に任じられた側近は、祈祷師を演じた昔を思い出して苦笑いで応じる。

「いや生きた心地がいたしませんでした。いずれ己の上に立つ御方を嬲るなど」

「忘却の呪文であの事件に関する記憶は殆どなくなっているはずだ」

「ですが…やはりあの方の氷のような眼を見る度に生きた心地がいたしません。今闘えば私は、あっという間に八つ裂きにされてしまうでしょう」

「さもあろうな。そう育てたのだから…だが君の不安ももうすぐ終わりだ」

「…は…」

気まずげに、しかし安堵を隠しきれずにいる部下に、先王は薄ら笑みを浮かべた。

「だが忘れるなよ。あの少年、ハーゴンについては月の都の戦姫よりなお恐ろしき存在へ育てるのだぞ。私の血統のうちでも、最強にして最も酷薄、兇暴な殺戮の化身としてな」

奴隷の監督は深々と頭を垂れながら、しかし何故この主君は、かくも一族に対して惨くなれるのだと不思議がらずにはいられなかった。

「楽しみだな」

極上の葡萄がとれた年の、美酒の仕上がりを待つような口調。老臣がもし顔を上げていれば、疑問に対する答えを得られたかもしれない。だがすでに権力への屈従と陰謀の嗜虐に慣れた身には、敢えて仮借なき意志の根源を探る気概はなく、大御所の瞳に宿ったロトの血筋への魔王の憎しみを知る事はなかった。