これはきっとあの子を捨てた罰だ。精霊ルビスはお許しにならなかったのだ。母の務めを擲った愚か者を。穢れた双生はそう独りごちた。 大軍を率い押し寄せ、無条件降伏を求めてきた新ローレシア王に対し、サマルトリアの摂政として、徹底抗戦を唱える騎士たちを抑え、和平を求めて会見の場に臨んだ。だが待っていたのは昔のような凌辱だった。 「もうあなたとは…終わったはずです!」 「サマルトリアはローレシアの属領になるんだ。その意味を考えるんだな」 「あなたは!あなたの気紛れだけで…また僕を…」 「だから?」 最初に服を剥ぎ取られた。次いでうつぶせにされ、屈辱の枷を嵌められた。 そうされるまで抗わなかった訳ではない。愛用の細身剣を帯びていなくても戦えるよう、組み打ちの技も鍛えてきたつもりだった。だが勇者ロトの血を最も濃く引く直系にはまるで通じなかった。すねへの蹴りと、鼻先への拳をあっさりと外され、逆に鳩尾を殴られ、嗚咽して転がると、とどめのように爪先で腹を抉られた。 あとは鞭打ちだった。捕虜の拷問に使う道具で、背から尻、内腿、縮んだ男根や女陰に赤いみみず腫れができるまで叩かれた。息も絶え絶えに横たわっていると、奴隷と思しき仮面の娘が現れて、細やかな手つきで隅々まで媚薬の混じった薬草を塗り込み、癒しの呪文を唱えていった。痣があとかたもなく消えると、まもなくまた責めが始まる。痛みが歓びになるまで。 黒髪の覇王は以前より苛烈さを増していた。ロンダルキアへの旅がもともと若者の抱えていた闇を手の付けられないほど大きくしていた。実の父を弑し、穏健派を粛清し、周辺諸都市に圧政を強いながら、心の歪みを形にするように、いびつな支配を広げていく。 哀れな人。なのかもしれない。だがもはやサマルトリア王の名代には、相手を慮る余裕はなかった。子を捨てて故郷へ逃げ戻った日から、償いのようにただ自らの国の臣民を守るためだけに生きてきたのだ。 「分かりました…あなたに抱かれます…だから…サマルトリアでは…どうかリリザでしたような虐殺は…」 「お前の心がけ次第だな」 そう告げると侵略軍の指揮官は、占領地の最初の戦利品を飽きるまで犯し抜いた。 ぼろぼろになった四肢を鎖に繋がれて、サマルトリアの摂政は暗い天幕の帷の奥に横たわっていた。引き連れてきた部下がどうなったのかさえ分からない。情けなさで泣きたかったが、泣けなかった。大切な命を野ざらしに放ってきたあの日から、涙は許されない贅沢だった。 けれど心には混乱と疑問が渦を巻いていた。ムーンブルグの姫を娶り、揺るぎない権力を手にしたあの人がなおも、どうして別の獲物を求めるのか。 単に成熟した体が劣情を誘い、また男の欲望に限りなどないのだと、双生の身には考えが及ばなかったのだ。 朦朧とした頭で、幼い日の記憶をたどる。礼儀正しく、凛々しかったローレシア王子。男まさりで明るく、真直ぐな気性のムーンブルグの王女。三王家の会合で、”お友達”となるよう大人から強いられた際、はっきりとうっとうしげだった王子に比べ、王女は朗らかに接してくれた。似合いの夫婦になったろうに。何故満足しないのだろう。 やがて布張りの牢獄の、扉代わりの垂れ布が動いて、しなやかな影が現れる。近付くに連れ、澄んだ金器の響きが聞こえる。だが重い瞼を開いて目に映ったのは、聞こえた音の爽やかさとは裏腹に淫らな女の姿だった。たわわな乳房の先と、股間の肉襞に穴を穿って輪を通し、魔よけの鈴を吊っている。肌にはびっしりと淫蕩と被虐をもたらす邪教の呪文が刻んであった。恐らくハーゴン一派の奴隷だったのだろう。 覇王の蹂躙に倦み爛れた半陰陽の肢体を、女は丁寧に拭き清め、魔法で青い欝血や赤い疵を治していく。憐れみのこもった、温かな世話だった。 「…誰…」 「まだ喋らないで…怪我に障ります」 奴隷は静かに仮面をとった。鼻梁の通った、矜り高いムーンブルグ王家の顔立ちが現れる。幼い頃に会って以来、忘れようもない神々しいほどの縹緻。ただし瞳には苦悩と悲嘆の澱が沈んでいた。 「あなたは…」 白い指が、サマルトリアの世継ぎの唇を塞ぐ。次いでベホマの発光が裸身を覆い、治癒の最後の仕上げを済ませた。 「ええ。私はローレシア王の妃。戦場では敵を薙ぎ払う杖。野営地では殺戮の火照りを醒ます肉便器…ムーンブルグの雌犬です…あなたを逃します」 「どうして僕…私を…」 「ご主人様を奪られたくないから」 応えながら、美しい貌が歪んだ笑みを浮かべる。己への嘲りを含んだ。 「そうなのですか…」 真実と薄皮一枚隔てて異なる言葉だと分かったが、追求できなかった。だが代わって覇王の妃は震え声で続ける。 「本当は…あなたが好きだから」 「え…?」 王子が目を丸くするのへ、高貴の奴隷は薄く笑った。 「そうでしょうね。あなたには関係のない…ことだから…」 さっきよりも強い戸惑いが脳裏に広がる。虜囚は鎖を鳴らして身を起こそうとし、そっと奴隷に止められた。 「あなたはいつも別の誰かを見ていた。いいのです。多分あなたの体は殿方を愛するようにできていたから。私の勝手な想いは、ただあなたを助ける理由として分かっていただければ」 「…どうして。あなたは、だってローレシアの…」 「ムーンブルグの姫は、必ずローレシアの王子と恋に落ちなくてはいけませんか?私は一度、あの方との縁談を断りました。小さい頃。どうしても優しいサマルトリアの王子様とでなければだめだって。意地を張って。父と母を困らせた。馬鹿な子供の強情。でも恥をかかされた向こうはちゃんと覚えていた。屈辱を忘れなかった。復讐のために、私を妃にしたの」 「そんな…」 「あまり時間はないけれど、もう少しだけ話させて下さい。あの方は愛を知りません。運命の歯車が一つずれていれば、心に落ちた優しさの種が芽吹いたはずだけれど。どこかで何かが食い違ってしまった…でももし、愛に近い気持ちがあるとすれば、あなたに対してでしょう…今は単なる拘泥、でしかないけれど」 「うう…」 そんな価値はない。子を捨てた己には。うつむくサマルトリアの摂政に、ムーンブルグの隷妃は続ける。 「私は身も心もあの方に従わされました。初めは拒んだわ。愚かしくあなたの名前さえ呼んで。この刺青も輪飾りも、あの方に付けられました。そのためにあの方はハーゴンの神官を処刑せずに残しさえした」 「僕…僕は知らなかった…ごめんなさい…ごめんなさい」 「いいのです。あの方は、あなたにも同じだけ酷い真似をしたのに、私は知りませんでした」 「それは…」 「優しい人…もしかしたら…あなたを、あの方の元へ残せば、良い影響があるのかもしれない。冷酷な魂を和らげるような。でもあの方に、あなたを奪われたくない。私の最も輝かしい思い出を。初恋の記憶をこれ以上汚されたくない…勝手な話ですね。国の存亡がかかっているのに」 「…僕は」 赤ん坊を捨てたんです。あなたの考えているような立派な人間じゃない。どうしようもなくずるくて、臆病で、周りの痛みにさえ気付けない。弱い女、男、どちらでもない片羽なんです。虜囚はそう叫びたかった。けれどできなかった。 「アバカム」 枷が外れる。 「私があなたの配下にかけたラリホーは間もなく切れます。一気に陣営の端を突っ切って逃げて下さい…」 「あなたはどうなるんです…」 「私は疲れました…」 「一緒に行きましょう」 サマルトリアの若者が手を差し延べると、ムーンブルグの娘は震えながら握り返してきた。 「本当にずるいですね、私。黙って助ければいいのに。長々と身の上話をすれば、あなたに、そう言って貰えると、本当は期待していた。あわよくば憐れんでもらえると」 「僕は…こんな体ですけれど…」 支え合って生きていくなら、できるかもしれない。愚か者同士。肩を列べて天幕の外へ出る。見張りはどれも昏々と眠り込んでいた。恐るべき魔法の冴えだ。刺青の娘は双生の連れを抱えるようにして、右手の暗く沈んだ天幕の群を指さした。 「サマルトリアの騎士は皆あちらに…」 「中々の手際だな妃よ」 低い声が割って入る。篝火の影から、ローレシア王が滑るように歩み出た。 「俺の杯に薬まで盛るとは…まだそのでき損ないへの下心を捨てていなかったのか」 「…陛下」 調教し尽くされた女畜の肩が小刻みに震え始める。話しかけられるだけで官能と恐怖の発作が襲うのだった。側に立つ半陰陽の体にしてもそう変わりはなかった。 「お許し下さい。この人を逃せば…陛下の寵愛を独り占めできると思い…つい…」 「そうか?ではなぜ一緒に逃げようとする」 「…どうか…私だけをお側に置いて下さい…サマルトリアは元々同盟国。兵など入れずとも、人質などとらずとも、きっと陛下に従います。そうでしょう?」 奴隷が蒼褪めた顔で振り返るのに、虜囚は同じくらい土気色になりながら首を横へ振った。 「陛下…嫉妬に狂った台詞に耳を傾けなさいますな。私をお迎え下さるなら、ムーンブルグの妃はお側を退かせて下さいませ。私を正室に。この者は故郷の城へ追放なさいますよう」 「ふぅん…悋気の強い牝どもだな。俺を取り合って早くもいがみ合うとは。だが駄目だな。家畜の命令に従う主はいない。どちらにも仕置きをしてやる。狂うほどのな」 覇王の言葉に揺すぶられ、二人の内を邪淫の喜びが巡る。相手の催眠にかけるような能弁に、次第に朦朧とし、拒む理由が分からなくなってくる。 「俺は愛など求めぬ。女にも男にも信は置かぬ。ただ支配し、従わせ、奉仕させれば十分だ。サマルトリアやムーンブルグだけではない。ラダトームからも、デルコンダルからも、ベラヌールやペルポイの諸都市からも側妾を上げさせるつもりだ。古代の帝の如き巨大な後宮を作る。入れる者は、小賢しい陰謀を企む心など残らぬよう壊して、ただの肉便器に仕上げる。この俺の手足となる息子や、政略の具となる娘を産むためのな」 「それで…あなたは幸せなのですか…」 サマルトリアの王子はおののきながら尋ねかけた。凄まじい威圧の眼差しに膝を就きかけながら、ムーンブルグの隷妃にすがって支える。とはいえ連れはさらに激しく、瘧にかかったかのごとく身を震わせていた。 「幸せだと?幸せとはなんだ。ちっぽけな家庭を構え、妻子の健やかな姿に満ち足りるだけの暮らしか?下らん。俺はハーゴンを誅して、もっとよいものを知った。女子供がこねくりまわす愛だの情だのより遥かに偉大で、力強く、後の世まで伝えられるような生き方を」 「では…私を殺せばいい…私はあなたの支配を覆す試みを止めません。あなたの障害になるでしょう。何故生かして繋ぎとめようとするのです」 「つくづく愚かだな。俺が天下統一を成し遂げるには、手駒としてのお前たちが絶対に必要なのだ。そもそも惰弱な心が、いつまでも反抗を続けられると想うか?」 どこで間違ってしまったのだろう。歴史は、ほんの一つ釦を掛け違えただけで英雄を魔王に、勇者を邪悪の権化に変えてしまった。ハーゴンよりなおおぞましい独裁者に。 「さてと。啼けわが妃よ」 嬌声とともに刺青の娘が崩れ落ちる。菊座から腸液に塗れた悪魔の尻尾が生えて、妖しくくねった。全身を覆う呪印が輝き、蛇の如く皮膚の上をのたうつ。 「あ゛ぁぁぁあああっ!!!…あぁぁぁっ!」 「心を曝け出せ。 奴隷は虚ろな眼差しで頷くと、直腸を穿る尻尾をぱたぱたと犬のように振りながら、立ち尽くすサマルトリアの王子の小さな秘具にむしゃぶりついた。 「ひぁっ…だめ…いけないっ…」 弱々しく押し退けようとするが、力の入らない手は艶やかな紫髪を滑るだけで、少しも役に立たなかった。精霊ルビスの化現を思わせる美貌がひょっとこ口を作って、不様に奉仕している。神聖への冒涜に満ちていながら、しかし例えようもなく魅惑に富んだ光景だった。 「ほひぇんははい(ごめんなさい)…ほひぇんなはい(ごめんなさい)…」 最前に双生の貴人がそうしたように許しを乞いながら、しかし巧みな舌使いで想い人を絶頂に導いていく。 サマルトリアの摂政は、ローレシア王の嘲りに満ちた笑みを凝視しながら、ムーンブルグの隷妃の熱い口内で果てた。 忠誠を誓った。ローレシアの第二妃は、かつて第一妃がしたように、涙と洟でぐしょ濡れになった顔で、主の逸物に接吻し、貴重な種を啜り飲む栄誉を与えられ、紅い陰唇と褐色の肛孔の双方に情けを受けた。 新たな家畜が完全に堕ちるまで、もう一匹の飼い犬は側に侍って、助言し、慰めた。主に罵られ、下手糞と叱られ、悲しげに泣くのへ、年嵩の奴隷は賞め言葉を捧げた。 「私が最初にした頃よりずっと巧い…陛下はずっとあなたを気に入っています。大丈夫。大丈夫だから泣かないで…きっとサマルトリアは寛大に扱われます…んっ…」 そうしてきっと正室になれると告げる。愛が芽吹くはずだと耳打ちする。王はいつかあなただけの夫になるはずだと。思いつける限りの気休めを注ぎかける。だから今は耐えて。私が側にいても許してと。 サマルトリアの双生は、ムーンブルグの牝犬にしがみついて、幾度も果てた。主は二匹を番わせながら姦すのを好んだ。一匹一匹なら、愛と錯覚できる行為を、はっきりと玩具としての扱いだと分からせるために。 二匹は揃いの刺青を施されていた。肌を触れ合わせると、快楽を増す効果が二乗する仕掛けだった。 夜更けまでの蹂躙が終わると、第一妃はいつも丹念に第二妃を浄めた。命じられてではなく率先して。直腸や腟にたまった精液を吸い出し、汚れた皮膚を隅々まで舐め、気力を振り絞って治癒の術をかける。髪を梳くのも、湯を使わせるのも婢の如くにこなした。困憊しきった半陰陽の王子は、特に逆らおうとしなかった。 紫髪の乙女は、共に責苦を受けてきた伴侶を横たえて、頭を膝に載せてやりながら、綺麗に櫛を入れた金髪を弄んで囁きかける。 「まだ…死ねない…あなたが…これに一人で耐えられるようになるまで…私が要らなくなるまで…もう少しだけ、私を横に置いて下さい…」 「死なないで…」 「…ええ生きます。まだ…あなたに求めて頂けるあいだは…」 サマルトリアの王子が返す眼差しは、子供を案じる母のそれだった。 「本当に…あなたが必要です…」 「そう…言わせているのですね…私が…」 通じるはずのない想いに胸を焦がして、隷妃は首を振る。これは罠だった。一方は愛、一方は憐れみで、互いを縛り付け、覇王の元から逃さないようにする。 「ああ…」 本当に愛を知らないのだろうか。あの魔人は。むしろ周りに張り巡らせた冷たい防御を溶かす、情熱が恐いだけではないか。あの日に異形の恋人を捨てたのは、恐れていた愛を感じ始めたからでは。だとすれば、闇に堕ちた魂を引き上げる糸はまだか細くつながっているのではないか。ローレシア王はそれを防ぐための盾として、もう一匹の奴隷を置いたのでは。 いなくなる勇気さえあれば。生きるにせよ、死ぬにせよ、独りで決めて、やりぬくだけの果敢さがあれば。ムーンブルグの娘は、怯懦に打ち克てぬ弱さに唇を咬みながらも、最愛の人の傍らに留まれる、罪深い幸福にひたっていた。 三国統一の式典は、ローレシアの王城で華々しく行われた。サマルトリア、ムーンブルグ両国の諸侯が遍く招かれ、新帝国の植民地の諸方から運ばれた珍味佳肴が供せられ、古い庫に蓄えられていた美酒がふんだんに振る舞われた。 苛烈を以って知られる帝の存外な歓待ぶりに、半ば戦場に赴くつもりで訪れた各領主は安堵した。やがて宴のたけなわとなり、二つの属領から社稷を譲り渡す儀が始まった。 純白の長套をまとって金髪の第ニ妃と、紫髪の第一妃が現れると、貴賎の群集はともどもにどよめいた。興奮と晴れがましさが、残っていた陰鬱な雰囲気を完全に吹き払った。 二人はするりと薄絹を脱ぎ捨てると、刺青に覆われた素肌と臨月の腹を衆目にさらし、恐慌に近いざわめきが起こる中も、はっきりと聞こえる声で謳いあげた。 「サマルトリアの双生便器と」 「ムーンブルグの牝犬奴隷は」 「偉大なローレシアの帝に」 「永遠の隷属を捧げます」 二匹の家畜は幸せそうに笑み交わして、首輪から伸びる鎖を捧げ持ち、主へ差し出した。左右の手が支配の印を受け取ると、再び甘やかな輪唱が起こる。 「陛下の長寿と」 「帝国の繁栄が」 「とこしえに続きますよう」 「精霊ルビスの加護の下に」 荘厳な音楽とともに城壁に弓隊が現れ、狂乱する諸侯めがけて大量の矢を浴びせ掛ける。しかしもはやムーンブルグの牝犬も、サマルトリアの双生も、かつての重臣が上げる悲鳴に頓着せず、偉大な主の膝下で指と指を絡ませ、突き出た腹と腹を擦らせ、互いの舌を貪りながら、終わりのない恍惚に溺れていた。 ローレシアの帝は、玉座に深く腰かけて、もの想いに沈んでいた。膝の上にはラダトームの姫がまたがって懸命に跳ねていた。時計の砂が落ちきる前に主君の子種を胎内に受けられれば、父や兄の命を救ってやると約束したのだ。無論、ハーゴン教団の魔法で強められた戦士の肉体は、本人が望まない限り射精しないのだが。 広間では浅黒い肌をしたデルコンダルの少年王が、第一妃に抱すくめられたまま、後ろから第二妃に貫かれている。ほとんど機能を果たさなくなっていたサマルトリア王子の秘具は、投薬と妖術によって一時的にオーク並の剛直へ作りかえられ、新たな捕虜の小さな菊座を限界まで広げていた。列強のうちで最後まで抵抗を続けた南方国の主に、かつての小生意気で、憎たらしげな面影はない。飼っていたキラータイガーを薬で狂わされ、獣の性器に処女を奪われてから、心が折れたらしい。 壁際では、ルプガナ領主の後継ぎで、武装商船団を率いる船乗りでもあった娘が、犬猿の仲だったベラヌール市の長の令嬢と秘所を舐りあっている。極限の状態に置いて、相互に依存させれば、偽りの恋人を作るなど容易かった。愛情などそんなものだ。 周囲の狂宴を眺め渡して、帝はだしぬけにうそ寒さを覚えた。誰も主を見ていなかった。奴隷は奴隷同士で、耽溺しあい、慰め合っていた。正しい。そう仕向けたのだから。まかり間違っても心に触れてこないように。 生ませた子等は皆、旧ハーゴン教団の神官に渡して、教育を任せていた。側に置いて万が一にも情が移らぬようにという用心だ。いずれ戦と政に長けた王子と、学問と芸事に長けた王女が育ち、良き駒として働くだろう。 しかし満足がなかった。どこにも。酒池肉林に囲まれながら、凍えそうなほどの冷えが襲ってくる。己には信頼すべき重臣も、愛を注ぐべき家族もいない。苦しみをもたらす種は一つもないはずなのに、どうしてか舌先の苦い味が去らない。 ふと、サマルトリアの半陰陽だけが、こちらを窺っているのに気付いた。惚けた顔付きの中で瞳だけが昏く、幼児を失った母のような悲しげな光を灯している。帝の魂の奥で、何かがかすかにざわめいた。だがそれ以上の感興は起こらなかった。そのうちにムーンブルグの奴隷が、喘ぐデルコンダルの少年の躯ごしに恋人の唇を奪うと、憂いの眼差しは肉の海に没した。 刹那、徹底して打ち負かしたはずの月の都の姫が、かすかな勝利の笑みを浮かべたのを、四海の覇者は見逃さなかった。苛立ちが沸くが、原因が分からない。 「おめでとうございます陛下」 旧ハーゴン教団の神官、奴隷姫すべてに刻印を施してきた翁が、いつの間にか傍らに立っていた。皺だらけの顔が、にたりと追従に歪んでいる。 「もはや地上で陛下に逆らうものはありません、ゆくゆくは伝説にあるギアガの大穴を開いて天空の彼方にあるというミッドガルドにも兵をお進めなされますよう」 「それが、死んだハーゴンの望みだったのか」 「さよう。とも言えますし。違うともいえます」 「予は持って回った言い回しは好まぬ」 「はは…ハーゴンははじめ、ロンダルキア王家の孤立主義がもたらす民の貧困と、魔族に対する差別に憤っていたまで。かの地に魔族と人間が共に暮らせる、豊かな国を作るのが野心でした」 「それが?」 「それが玉座に上り詰めてみれば、下界でも同様の状況が続いている。すべてを矯めなければよしとはしえないと」 「予とて同じだ…はじめは…父王の非道を糺すつもりであった…だがそれだけでは足りぬ…不正はほかの国にも蔓延っていた。しかし滅ぼしがたかった。情が、人と人のつながりが、裁きを下すのを躊わせた。断罪者は孤高でなくてはならぬ…故に」 「陛下は間違っておりません」 「そうだ。間違うはずがないだろう。予はローレシアの帝。勇者ロトの子孫なのだ」 あの日。子を孕んだサマルトリアの双生を打ち捨てた日。あれは間違いではなかった。情を断とうとしても、獣じみた欲望を処理する道具は要った。だからしばらく飼っていたが、足手まといになったので新品と取り替えた。どこにも間違いがあるはずがなかった。しかしあれは、やはり間違いだったのだろうか。 「…最近の予の夢からは暗い影が去らぬ」 「ご安心を。陛下はもはや魔王。いかなるものも傷つけられぬ至高の存在なのです」 「魔王だと…」 「ええ、古のゾーマや竜王にも匹敵する力をお持ちになられました。権力という形で。誰も害する事は能いません」 「本当にそうか…?」 「はい。魔王を滅ぼせるのはロトの子孫のみ。ですが陛下の作られたこの”繁殖場”を除けば勇者の血脈は絶え、生まれ来る子等は残らず、教団が決して父に逆らわぬよう魂に刻印を施しています…どうして不安がありましょうや」 「そうか…」 ならば心配ない。帝は種つけた牝を残らず掌中に抑えているのだから。 いや、一人だけ。 サマルトリアの異形の王子が産み落とした子が行方不明だった。だが野垂れ死んでいるだろう。親に捨てられた仔が長く生きられるはずがない。その事を言おうとしてふと、横に控える訳知り顔の神官に教えるのは止めようと決める。 「そうだな…」 いつの日にか。初めて犯した金髪の恋人と、同じ瞳をした若者がやってくるだろう。手には剣を持って。 その時には恐らくもう、帝は間違いを犯すまい。 |
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