34.
『彼はジェネティックだったんだ.企業は,ジェネティックの子孫がキャンプ内で交雑し,優秀な家畜が繁殖するのを期待していた.我々がキャンプを襲撃した時,連中が焼却処分しようとした書類から見つけた情報だ.ジェネティックは,学習能力が高く,知的成熟も早い.肉体的にも,常人の数倍の耐久性を備える.だが皮肉にも,彼等が期待したような旺盛な生殖能力は持たなかった.ホルモンバランスが壊れやすく,十五歳前後までしか生きられないのだ』
『…彼は知って…』
『そうだ.我々は隠さない.たとえ絶望しか齎さぬ真実でも隠すよりは教える.兎に角彼は己の素性を知ってから,我々の一員となる道を選んだ.六番目のインシュマーとして』
青年は額に手を当てて呻いた.
『では何故,師は私にだけ教えて下さらなかったのだ…』
『それはな,子供らしい感傷だ…あの子が,己の信念へ背いてまで隠した唯一つの真実を,どうか責めてくれるな…誰しも預言者その人ではないのだ…』
乗客が桟橋に集まり始め,別れを惜しむ声や晴れやかな挨拶で辺りが喧しくなる中,サイードはハシームを見詰め,ずっと用意していた言葉を,厳かに呟く.
『お前は若く健康だ.あの子達の分まで生きてやってくれ』
『いいえ』
チェアラムの戦士は,強く頭を振った.
『今の話を聞いて,尚更,ダマスに居られる新しいインシュマーに会わない訳には行かなくなりました.どうしても,お守りしたい』
『そうか…良し.それなら…彼女に,シンガポールのサイードから宜しくと伝えてくれ』
『彼女?女性なのですか?』
『喉は薬で潰しているから,声は変わらんがね.彼女の本名はファティマという.先代インシュマーの幼馴染だ…賢い子だ…きっと君を気に入って,彼の,アディフの話を聞きたがるだろう』
若者は今度は素直に頷き,タラップを登って行く.中年の男は,誇らしさと悲しみの入り混じった気持で背を見送った.恐らく生きては帰るまい.ファティマも,他の多くの兄弟,姉妹も.放射能に信仰心は無力だ.しかし,それでも,インシュマーだけは生き残る.伝説的なテロリストの名は,何者にも葬りされはしない.受継ぐ者がある限りは.負けはしないのだ.
だが,サイードは独りごちた.果して彼の名は其処までして生き残らせる意味があるのだろうか.此程多くの犠牲を必要とする大義とは,我々が全てを奉げて戦うに値するのだろうか,と.