這松に鶯が鳴く.霞のたなびく碧空から,柔らかな陽が射し,白梅の蕾を擽って,仄かに緑がかった花弁を開かせようとする.朝方の霜柱が溶けて土はぬかるみ,根の強い小さな草の芽が吹く中に,くっきりと雀の足跡を残していた.
目覚めたばかりの春の乙女は,まだ執念深い冬の翁と席を同じくしている.小鳥の囀りはあたかも通りがかる雲へ,注意を促すかのようだ.見よ,見よ,野の香満つ景色の其処彼処に,老いたる爪痕が刻まれているのを,と.雑木林の根元を埋める笹の葉には雪塊が溶け残り,樹陰の涼に危うい余命を繋ぐ.年降りた樺の幹は,一月前鹿の仔の齧った痕を痛々しく残す.天候の不順が,竜の牙のような桁外れの氷柱を生じさせた為,重荷に耐えかねた大振りの枝は付根からへし折れ,根元で苔の苗床と化して横たわっていた.
嗚呼しかし最早,辺りから死の静寂は去った.登山客の他は,滅多に往き交う者とてない山中に在って,確かに今,砂利を踏みしだく,軽やかな足音がする.鼻緒の軋みと下駄の歯の鳴る響きが忙しく早く,小径に広がった.撞木が鉦を打ち叩き,ころころと明るい笑いが上がると,梢高くにぶつかって万象を騒がし,囃唄が若葉の季節の訪れを告げる.
かんなぎの装いをした子供が二人,天狗のように跳ね回り,じゃれ合いながら道を来る.そっくり鏡に写し取ったような目鼻,寸足らずの背丈.並んで走りながらも,目まぐるしく右と左が入れ替わり,どちらがどちらか区別がつかない.
「兄者(あにじゃ),あそこ」
「そうじゃな弟者(おとじゃ).あそこじゃあそこじゃ,匂いがするぞな」
先に口を利いたが弟,後に答えたが兄.片やはくるりと宙でとんぼ返りを打ち,片やは喧しく鉦で囃す.互いの周りを巡ると,顔を合わせてにんまりする.もう解らなくなった.右が兄で左が弟か,あるいは逆か.
揃って撞木で差し示すのは,行き先に構える瓦屋根の大門.蔦の絡む柱には,くすんだ表札が掛かり,北斗と読み取り難い字体で屋号だか姓だかが記してあった.
「匂うぞな,鬼の匂いじゃな」
「臭い臭い大鬼の匂いがのう」
脇腹を肘で小突き,額をぶつけあって忍び笑いをすると,先を争って軒下へ駆け入る.一人が相手を押し退けると,配線も剥き出しに取り付けられたインターフォンを押そうとし,ぐっと伸上がってから地団駄を踏んだ.
「兄者,届かんぞな!」
「弟者はちびだわの」
「兄者と変わらん」
「ほーかね.なら,肩に乗るぞなも」