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双子月 キラ編 番外 |
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大学に入学してから一ヶ月が経つ。あの苦しい日々からようやく解放され、ようやく食欲が少しだけ戻ってきた。 骨と皮だけの死人のような腕もほんの少しだけ、肌色になっていた。 桜も散り、若葉が生い茂り始めた構内の樹木が、日陰を落とす。 頬を撫でる暖かい風が、煩わしい全てをほんの僅か、和らげる。 呼吸のできる日常が、どれ程大切であるかと思えるだけ、落ち着きを取り戻していた。 そんなささやかな時間を過す毎日が、長く続くはずがないことを、キラは忘れていたかった。 そう、忘れた頃にひょっこりと姿を現すのは、昔から続く常套手段だと識ってはいたものの、油断していたことは事実である。 だからこそ、身構えることをしなかった自分に腹が立つのだ。 「お久しぶりです」 大学の校門の前で待ち伏せて、目的の相手と出会える確率など、計算するのもバカバカしい程、低い数値に違いない。 広い敷地に散らばる全ての職員、学生、関係者の数は計り知れない。 その幾多の人間の中から、たった一人を探し出すのは、困難極まりないだろう。 常人には不可能なことを、目の前の男はいとも容易くやってのけるのだ。 それが、その男が『L』と呼ばれるゆえんであり、証拠でもある。 竜崎と名乗っているが、本名かどうかは疑わしい。 「お元気そうで何よりです」 白いTシャツにくたびれたジーンズ、踵を潰したデッキシューズという出で立ちの竜崎は、猫背のまま小首を傾げた。 こんな日に限って、鬱陶しいほど纏わり付いて離れないライトが居ない。 珍しく分かれた選択科目の為、水曜日だけはライトの受ける講義が一限分長いのだ。 これ幸いと、早めに帰宅しようとしたのが裏目に出てしまった。 まさか、こんな罠が仕掛けられているとは思いもよらなかったのだ。 それもまた、竜崎の計算内なのだろうか。 「キラ?」 目の前に立つ竜崎を居ないものとして、通り過ぎたキラの後ろを付いてくる。 「気安く呼ぶな」 竜崎の姿が目に入った時、ほんの一瞬だけ顔をしかめてしまったのは、失敗だったと後悔していた。 「私のことを認識したくせに、なかったことにしようとするのは良くない判断です。無にしたければ、最初から私の存在を意識してはいけません」 無理難題としか思えないことを常識だと言わんばかりの竜崎の口調が、キラの癇に障る。 「このまま私を無視し続けるならば、叫びますよ?」 突拍子もないことを言い出す竜崎に、キラは仕方なく足を止めた。 子供じみた言い分であればあるほど、竜崎の本気度が高い、ということを過去の経験から、身をもって学ばされている。 「何の用だよ」 「会いたかったというのは、理由になりませんか?」 キラの意識が自分の方へと向いたことが嬉しいのか、態度が豹変する竜崎に、背筋がぞっとした。 「ならないよ。かえって迷惑だ」 キラは竜崎と目を合わせずに、本当のことを告げる。 好かれても困る相手に本音を隠す必要もないのだ。 「相変わらず酷いことを言いますね。その言葉で、私が傷付かないとでも思っているのですか?」 「思っていないよ。むしろ、こんなに簡単に傷付けることができるのなら、嬉しいね」 口の端を緩め、笑う。 「キラ」 突然手首を掴まれ、キラの身が縮む。 「私を怒らせたいのですか」 「怒りたいのなら怒ればいい。僕がいくら酷い言葉を突き刺しても、かまわないと思っているくせに」 竜崎は無視をされるよりも会話を好むのだ。 感情的であっても、会話が成り立たなくても、沈黙を選択することがない。 だからこそ、キラも言葉を選ばないのだ。 キラは背筋を伸ばし、深い呼吸を何度か繰り返す。 震える腕が少しでも治まれば、もっと楽に話せるはずだった。 「私にその口を塞がれたいのですか」 「ふざけたことを」 「そうですね。私はかまいませんが、目撃者が大勢いる場所では、ライトくんの耳にも届いてしまいますからね」 ライト、という単語にキラの瞳が鋭く竜崎を睨む。 「それが、私を挑発すると知っていて、わざとなのですか?」 「わざとなのは、そっちだろ。いい加減に手を放してくれないか」 「キスをしてくだされば放します」 キラは通りを行き交う学生達の奇異な視線を感じながら、竜崎に効果的なダメージを与えられると判断していた。 ライトのことが少しだけ気にかかったが、些末である。 無関心であれば、それはただの行為に過ぎない。 キラは、竜崎に躊躇うことなく口付けた。 触れるだけのキスだったが、それで充分だ。 「約束だ。手を放してもらうよ」 呆然としているようにも見える竜崎の手を強引に振りほどき、キラは駅に向かって歩き出した。 「そんなに私のことが嫌いですか」 微かな呟きが聞こえて、キラは振り返る。 「何か言った?」 首を振る竜崎を置いて、再び歩き出したキラは、二度と振り返らなかった。 終 |
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2005/06/03 |
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キラが本当に酷い子ですが、 |
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