戻 | ||
夜桜 |
||
それは、たった一晩の出来事。 見上げた天井に桜色の空。 散り落ちる桜色の欠片。 夜、暗闇に映し出される白い花。 毎日通っている道の少し奥まったところに、満開の桜で埋め尽くされた小さな公園があった。 僕は今夜初めてその存在に気が付いた。 いつもは見えていないものが、見える時があるのだと、なんとなくそれだけで楽しくなる。 「桜って、思っているよりも白いんだね」 僕はアルコールの入った陽気な気分でその公園に入った。 大学の見知らぬ誰かから誘われて、あるサークルの新歓コンパに参加してきた帰りのことだ。 「そうですね」 そんな危なっかしい足取りでふらふらしている僕が怪我をしないように後ろから見守りつつ、Lはついてきていた。 まさか誘われたからといって、Lまで参加するとは思わなかったというのが、本音だったけれど。 おかげで、普段より早々に退散できたのはありがたかった。 「なんだか、知らない世界みたいだ」 桜の大木に囲まれた一角で、僕は空を見上げる。 隙間の無いくらい咲き誇る桜の大木は、本当の空を覆い隠し、独立した空間を作り出している。 風も無いのに次々と舞い落ちる花びらに触れ、握り締める。 「流河は花見に行ったりする?」 くるりと踊るように振り返ると、Lはすぐ側で僕のことを見ていた。 思った以上に近付いた顔が、なんだか驚いたようだったので、僕は嬉しくなった。 「いいえ」 それでも、冷静に淡々と答えようとするLの態度が可笑しくて、僕は声をあげて笑いだす。 とにかく、楽しくて仕方が無い。 こんな風にふわふわとするほどに酒を飲んだのは久しぶりだった。 相当酔っ払っているに違いない。 明日起きたら忘れているかもしれない。 明日起きたら頭が痛くなっているかもしれない。 それでも、僕は『今』がとても楽しくて仕方が無かった。 「そうなんだ?じゃあ、今度僕と花見に行こうよ」 お弁当を持って、お茶を水筒に詰めて、地面にレジャーシートを敷いて。 ここじゃない、どこかへ。 一緒に、行こうと。 本気じゃない気持ちで、Lを誘う。 「一緒に?」 少し戸惑った風に、Lが聞き返す。 そんなLの不安を吹き飛ばすように、僕は大げさに答えた。 「あたりまえだろ?一人で行ってもつまらないじゃないか」 その時、Lが何を思ったか、僕は知らない。 ずっと孤独に過してきたLが、たったその一言で、何を感じたのか。 その時の僕もその後の僕も決して知ることは無かった。 「お祭みたいに華やかな桜の下で、誰かと一緒に食べるから、お弁当はおいしいし、楽しいんだよ」 僕は、本当に気分がよくていつも以上に素直に気持ちを言葉にしていた。 いつもは疑われることがないように、気を張って思考を巡らせて嘘の笑顔で塗り固めているのに。 今は、本当に楽しくて、自然と笑顔になってしまう。 それすらも気にならないくらい、僕は酔っていた。 「夜神くん、危ないっ」 Lが叫ぶと同時に僕は足元にあった切り株に躓いてしまった。 地面にぶつかると覚悟した瞬間、温かい塊に全身を受け止められた。 けれど、勢いまで受け止めきれなかったのか、塊は僕と一緒に地面に崩れ落ちていく。 先にしりもちをついたLの上に僕が倒れ込む。 「流河、大丈夫か」 僕はLが全てを支えてくれたおかげで無傷だった。 問題は、僕の下敷きになってしまったLが無事かどうかだ。 「ええ、大丈夫です」 ゆっくりと上体だけ起こしたLと目が合ったら、なんだかとても可笑しくなって、僕は笑った。 「夜神くんはちょっと飲みすぎですよ」 呆れたようにぽりぽりと頭をかいたLは、僕の手をとると指先にキスをした。 驚いた僕が手を引っ込めると今度は唇にキスをした。 「・・・流河」 ざざぁっと風が吹き抜け、花弁が雨のように降りかかる。 「少しは、酔いがさめましたか?」 飄々とした態度でLは僕を見た。 予期せぬ出来事が、アルコールに酔った思考回路では理解できなくて、ただ頬が熱くなるのを止められずにいた。 「お花見、楽しみしています」 Lは僕の手を握って、微かに笑ったようだった。 「う・・・ん」 僕は、咄嗟に反応できなかったことを今更後悔して、口を噤んだ。 まともに働かない頭では、どんな言葉も浮かばなかった。 ただ、Lの頭に降り積もった桜の花びらが幻のようにぼんやりとしていたことだけに意識が働いている。 辺りを包んでいた静寂を破るように、僕はくしゃみを一つ。 「寒いですか?」 Lは僕を気遣うように首を傾げ、先に立ち上がった。 「風邪をひくといけませんから、帰りましょう」 そして、僕に向かって紳士的に手を差し出すものだから、僕は思わずその手をとってしまった。 Lの手に引かれて立ち上がると風に吹かれた桜の枝が大きく揺れた。 春先の夜は、さすがに肌寒い。 「夜神くんは、いつもそうやって笑っていればいいと思います」 公園を出るとき、Lが置き土産のようにそう言った。 僕は、それに答える術を忘れ果てていたので、肯定も否定もできず、ぼんやりとした意識でLのことが嫌いだと思っていた。 Lに車で自宅まで送ってもらい、僕らは別れた。 目に焼きついた桜色の世界を僕は早く忘れなければならないと思いながら、走り去っていく車を見送った。 明日から、また仮面を被る日々が始まるのだから。 僕らは、守れない約束をたくさんした。 終 |
||
2005/4/15 |
||
祝30本目。 |
||
戻 | ||
|
||
|
||