子猫 Side L

 
     
     
 

激しく降り注ぐ雨音に混じって、微かな鳴き声が聞こえた。
Lは通りがかった廊下の窓に近付いた。
見えるのは、風に揺れる中庭の木々ばかりだ。
一度聞いてしまった声をそのまま無視するわけにはいかないと思った。

傘を持たずに、土砂降りの雨の中を歩き回る。
肩も髪も容赦なく濡らす雨粒は、風に煽られてますます酷くなった。
中庭の茂みの奥に、小さな段ボール箱を見つけた。
か細い鳴き声は、そこから聞こえた。
ビニールシートが被せられたそこには、小さな子猫が必死に鳴いていた。

「捨てられたのですか」

どうにか濡れないように、Tシャツにくるみ、腕に抱えて、校舎に入った。
子猫の鳴き声は、廊下に響いたが気にする者はいなかった。
ただ、びしょぬれの姿を見て訝しがるだけだ。

迷うこともなく、図書室へ向かう。
とりあえず、探さなければいけない人がいるのだ。

午前中の講義にあからさまな不満を露にしていたから、必要な文献を探しているだろう。
真面目で勉強熱心。
その知識への執着と吸収力は目を見張るものがある。
そこまでして、何を求めているのだろうか。

図書室のカウンター近辺は、本の貸出や返却の手続きをする学生で混雑していたが、参考書の並ぶ書棚を過ぎ、分厚い洋書や蔵書が並ぶ奥の方になると途端に人影は無くなる。
しん、と静まった冷たい空気を彼は非常に好んでいるようだ。

「こんなところにいたのですか」

蔵書コーナーの書棚の突き当たり、数少ない窓の下に月は座っていた。
雨のせいで窓から入る光は弱々しく、月の輪郭をぼやけさせた。
そこに居るだけで、印象に残る容姿に、捕らわれそうになる。
彼は異質の者だ。

月はLの姿を見止めると、驚いたように目を見開いた。
さすがに、髪の先から雫をたらすほどに濡れた姿は想像していなかったのだろう。

「なにをしてきたんだ」

月の問いに、Lは腕に抱えた子猫を見せた。
必死に鳴き続ける声は、雨音よりも大きい。

「ひろって、しまいました」

Lは子猫を床に下ろした。
よたよたとおぼつかない足取りで、子猫はまっすぐ月に向かっていく。

「あんまり役に立たないかもしれないけどね」

月が鞄から取り出したハンカチを差し出した。
確かにこの小さな布だけでは、ずぶぬれになった全身を救うことはできない。

「ありがとうございます」

それでもLはハンカチを受け取り、とりあえず額を拭いた。

鳴きながら擦り寄る子猫を月は両手でそっと抱き上げる。

「お前は捨てられてしまったのか」

その喉元を撫でる月の表情は、いままで見たことも無いほど穏やかに微笑んでいた。
いつもの笑顔とは明らかに異なっている。
それは、彼の異常なまでの美しさを更に引き立てた。
穏やかな瞳に映るのは無垢な生き物の姿だ。

どうしてこのままでは、いてくれないのだろうか。

こんな風に、ただ自然のままにいてくれたのなら、疑いもしなかっただろうに。

「それで、どうするんだ、これ」

月の胸元で丸くなった子猫を指差し、Lを見た。
優しげな光はそっと影を潜め、その瞳を曇らせる。

Lはハンカチを握り締め、膝をついて月に近付いた。
子猫を覗き込むようにそっと手を伸ばす。

「とりあえず、今日は私がつれて帰って、飼ってくださる人を探します」

ホテルを転々として暮らしている自分が飼うわけにはいかない。
Lは目を閉じた子猫の背中を撫でた。

「それがいいね」

月が微笑う。
自覚していないのだろうか。
無防備な笑顔は、決して自分に向けられることは無い。
人間全てに興味がないと、いつも退屈そうにしているのに。
こんなときばかり。

「夜神くんはいつもそんな風に笑っていればいいと思います」

その笑顔を絶やさずにいて欲しいと思うのは、願望。
誰にも見せたくないと思うのは、独占欲。
悔しいと思うのは、嫉妬。

Lの一言に、月は眉間に皺を寄せる。

「表面だけの笑顔はいつかばれます」

そしてばれた時、月の元に誰も残らない。

「普段は作り笑いだと言いたいのか?」

不快感を露にし、月はLを一瞬睨む。
その目が、嫌いだ。
鋭く放たれる視線に突き放される。

「違いますか?」

Lは正面から月の視線をとらえた。
謎かけをするように問い詰めると、月は必ずそれに答えようとする。
自分が彼をキラだと疑っているから、その疑いを少しでも晴らそうとしているのだろうか。
そう考えれば、おかしなことはひとつもない。
疑われた人間は、疑う人間に対し、無実を主張するのは当然だ。

ふ、と自然に目を逸らし、月は苦笑する。

「酷いな。僕はそんなに役者じゃないよ。でも流河は僕を疑っているから、そんな風に見えるのかもしれないけどね。流河が僕をキラだと疑う限り、僕が何を言っても結局は何かの判断材料にしかならないんだろう?ここで怒ったとしても何の解決にもならないのはわかっているよ」

そのとおりですが。
Lは親指の爪を噛む。
常に観察をして、常に疑っているわけでもない。

「言葉では何とでも言えます」

彼の言い訳は、いつも迅速で的確だ。
迷いなどなく、真実を述べていく。
だからこそ、突っついてみたくなる。
それが本音かどうか。

「ああ、だから疑いたければ疑っていればいい。どうせ何を言っても流河には怪しいと聞こえるんだろう?」

月はうんざりしたように深い息を吐き、子猫を片手で掴むとLの背中に置いた。

「あ、なにを」

子猫が落ちないように必死になってLの背中に爪を引っ掛けた。
Tシャツの生地が嫌な音を立てる。
万が一穴が開いても子猫の爪ではたいしたことにはならないだろう。
Lはなんとか子猫をつかまえ、床に下ろした。

「流河と話していても埒が明かないな。いつも押し問答になる」

月は面倒くさそうに呟き、窓を見上げた。
窓を打ち付ける雨音が激しさを増している。
強くなった風の音が時折混じり、外は嵐めいてきた。

「それでも」

傍らの鞄を掴み、立ち上がろうとした月の手首をLは掴んだ。
見上げると感情のない双眸に自分の姿が映る。

「それでも、私は夜神くんが好きです」

真実。
この感情に嘘はない、唯一無二の想いだ。
捕らわれて身動きが取れないことを奥底に隠蔽している。
何度伝えても伝わらないもどかしさに、鳥肌が立つ。

月の瞳が冷たく凍る。
信じるものかと、訴える。

「キラでも?」
「キラではないのでしょう?」
「疑っているくせに」
「疑っています。でもそれは関係ない」

そこに居たのが夜神月だから好きになった。
その正体が何であれ、惹かれることに違いは無い。

たとえ、敵であったとしても。

月が乱暴にLの手を振り解く。

「私が好きになったのはあなたです」

完璧ではない、不完全な精神は強靭な壁に守られてはいるが、本当は脆く儚い。
壁にひびさえ入れば、崩壊させるのは容易だ。
じわじわと追い詰めて、閉じ込めて、捕らえたい。

「興味ないな」

月から冷酷に言い放たれた言葉に、Lは動じない。
それは最初からわかっていたことだ。
だからこそ、惹かれてやまない。

「かまいません」

好かれたいとは、思ってもいない。
ただ、一方的な好意だ。
それも屈折した。

全身を拘束して監禁してしまいたいのは、彼を誰の目にも触れさせたくないという激しく強い思いなのだけれど。
自らが犯罪者になるわけにはいかない。

Lは視線を外し、よちよちと月に向かって歩き出す子猫を抱き寄せた。

(こんな小さな生き物にさえ嫉妬してしまうほど、私の心は狭いのです)

子猫は喉を鳴らし、Lの膝の上に丸まった。

「・・・、ハンカチ返さなくていいよ」

月はそう言い残し、その場を去って行く。
握り締めたハンカチは濡れて、皺だらけになっていた。



終わり


 
 

2004/07/08

 
     
  子猫 L視点。  
  月の笑顔が書きたかったので。  
     
   
     
     
     

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