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誕生日・2006 |
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去年は雪が降っていた。 見上げた空は快晴。すでに春の訪れを感じさせるほど、日差しは暖かく、吹く風は穏やかだった。 去年の今頃は、片付けようと思っていたコートを引っ張り出さなければならないほどの寒波に襲われていたことを思い出す。 さすがに葉の落ちた木々に新芽を期待するわけにはいかなかったが、垣根越しに見えた梅の木の蕾は僅かに色付いていた。 月は、本屋で雑誌と参考書などを買い、帰路に着く。 道行く人々は、重いコートを脱ぎ、笑顔が浮かぶ。 寒い日々が終わりを告げる頃。 油断をすれば、再び冬に舞い戻りかねないあやふやな季節。 いまは、温暖化が進み、暦通りに四季は変化しなくなっていることに、薄々と勘付いているというのに。 それでも、まだ、大丈夫だと、世の中は思っている。 月は、住宅街の一角でふと、立ち止まると同時に、携帯電話が鳴りだした。 非通知である。 画面を見つめた月の口元に笑みが浮かぶ。 繰り返す、呼び出し音。 ゆっくりと携帯電話を耳にあてた。 「珍しいね」 思わず、笑いを含んだ声になる。 かろうじて、笑い声は抑えたが、表情までは戻せなかった。 電話に出るのが遅すぎませんか?などというのは、非通知で掛けてくる相手にだけには言われたくはない。 「そんなことを言われても僕にも僕の都合があるんだよ」 笑いながら答えて、月は正面からやってきた自動車をよけながら、電柱に背を預ける。 「・・・それで?何か急ぎの用事でも?」 日差しは暖かい。 立ち話も苦にならずに済んでいる。 「なんで、黙るんだよ。用がないなら切るよ」 何かを言いよどむ相手に月は急かした。 時々、意地が悪いですね、と電話の向こうの声に溜息が混ざる。 「そうかな」 知ってて知らないふりをする。知られていてもかまわなかった。 それが、ちょうどよい距離になるからだ。 『お誕生日おめでとうございます。今年も無事に祝うことができてよかったです』 淡々と告げる声。 いつもと変わらないそれは、本当によかったと思っているのか、それすらも信じがたい。 「ありがとう」 淡々と答える声。 去年は言えなかった、それを、今年は言えた。 そして、月は自分から電話を切った。 携帯電話をポケットへ入れ、月は歩き出した。 春へと近づいた、2月の終わり。 この先のことなど、誰もわからない。 今だからこそ、受け取れる何かを心に抱えて、月は前を向いた。 自宅近くの垣根の向こうに梅の木がある。 ひとつだけ、白い花が咲いていたのを月は気がつかなかった。 玄関を開けると、大きな花束が目に入った。 (またか・・・) バラだけではなく、色とりどりの花々の前で、母親が笑っていた。 「おかえりなさい。ケーキも届いてるわよ」 いい年をした息子に花束とケーキが届くことをおかしいと思わないのだろうか、と月は心の隅で考えた。 花束もケーキも無視することに決めて、月が階段をのぼっていくと、背中から「ちゃんとお礼の電話しなさいよ」と、母親の声がする。 月は、仕方なく「はい」と素直に返事をしてから部屋に入った。 「花束とケーキを喜ぶと思っているのか、それとも嫌がらせか」 耳元で聞こえた声を思い出し、月は携帯電話の電源を切った。 終 |
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2006/03/3 |
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設定としてはパラレルです。 |
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