戻 | ||
五行連載・その三 |
||
振り返ったら、そこに居る、という当たり前のことが、本当は、奇跡だということをその頃は知らなかった。 今なら、素直に、言えただろうか? 居ないことが、当たり前になった、今・・・。 *** 黒い布張りの表装の本を開いた。 かすれた印刷の英文が、行間少なく並んでいる。 「何か、見つかったのか?」 図書室の、奥。 天井の明かりさえ、本棚に遮られて、届かない。 薄暗い、場所で、声だけが響いた。 「いいえ」 それだけ、答えて、視線はまた手にした本に戻す。 「こんな暗いところで本なんか読んだら、目が悪くなるんじゃないか?」 少々おせっかいな物言いで、近づいてくる気配がした。 「読めるので、不便はありませんが?」 「そう?」 特に気にした様子もなく、あっさりと答えて、茶色の髪をした彼は、1メートルほど離れた場所で、背表紙を読んでいた。 「夜神くん」 声を、かけた。 話したいことがあったわけではなかった。 呼びかけたことに反応して、振り返った目が真っ直ぐにこちらを向いた。 「なに?」 図書室という場所柄か、潜めた声が微かに響いた。 「夜神くんは、何を探しに来たのですか?」 「時間が有効に使える本」 冗談なのか、本気なのか、わからない言い方で、視線を本棚に戻した。 「そんな本があれば、私にも教えてほしいです」 「あったらね」 黒表紙の本を手にとって、数ページめくった。 夜神月という人間を観察していて、わかっていることは、彼には、ムダがないということくらいだった。 こんな風に、目的もなく(もしかしたらなんらかの目的があるのかもしれないが)図書室で時間を使う事が非常に珍しいくらいに。 彼は、どうして、いま、ここにいるのか。 なにが目的で図書室にいるのか。 そればかりが、わからないことが、腹立たしい。 一冊一冊を確かめるように書棚から取り出しては、また戻していく。 その作業を繰り返す。 何かを探している事に間違いはない。 ただ、何を探しているのかが、皆目見当もつかない。 なぜなら、今、夜神月の目の前に並んでいるのは、歴史に関する書籍だからだ。 そこからは、なにも読み取れない。 今現在、資料として必要な授業を受けているわけでもないのだ。 「日本の歴史に興味があるのですか?」 背表紙から察するに、織田信長に関する本を読み出していた。 「今日は、珍しくおしゃべりだな」 ぱたん、と、本を閉じて夜神月は顔をあげた。 口元がかすかに笑んだように見える。 (笑った?) その事に疑問を持ちながらも、竜崎は月から目を離さなかった。 「図書室では静かに。日本語が読めないわけじゃないんだから」 人差し指を柱に向かってまっすぐに伸ばす。 白い紙に毛筆で書かれた標語は達筆で、遠くからも読みやすい大きさだった。 夜神月は、ふ、と笑みを消して、それから、そこには何もなかったかのようにその場から離れていく。 なにも、言えなくなってしまった事を後悔しながら、1分後、ようやく竜崎も彼の後を追った。 1分は長すぎた。 (・・・油断してしまいましたか?) 図書室内を見渡して、すでにどこにも姿が見えなくなった月の残像を追いかけた。 長く続く廊下は、薄暗く、人の気配がしない。 窓の向こうに見える白い校舎がぼんやりと浮かび上がって見える。 大学、それも日本で通う事になるとは、思ったことがなかった。 もともと、先のこと、いまある事の先を想像することなどないのだけれど。 ただ、夜神月に関することだけは、その先を思ってしまう。 一緒にいたら? もし、彼がキラだったら? 脳内では、ほぼ100%に近い数値ではじき出している答えに証拠がない。 ただそれだけを求めているだけだというのに、常に頭の隅に存在する意識。 彼がキラではなかったら・・・? この先のことを、遠くない未来のことを想像してしまいたくなるのだ。 それは、ありえないことなのだけれど。 竜崎は、誰もいない廊下を少しだけ早足で歩いた。 1分先にいる影に追いつけたなら、何かが変わるかもしれない。 変わらないかもしれない。 彼が探していたのは、本ではなかった。 (それだけは、わかっていたのだが・・・) 図書室で、時間を無駄に消費していた。 理由は? (私を試していた?・・・いや、私を観察していた) 竜崎と名乗る人間が、どんな相手であるのか。 距離を置いて、調べていたに違いない。 (・・・私も、同じことをしていた) 夜神月という人間が、どんな人物であるのか。 ずっと、観察していたのだ。 (気がつくのが遅すぎたようだ) けれど、時間はまだある。 探り合い、欺き合い、騙し合う。 スタートしたばかりなのだ。 まだ、なにもわからない。 これから、すべてが始まるのだ。 お互いが、お互いのことを知る術を得るために。 言葉を駆使して、何一つ見逃すことのないように。 ひとつずつ、確かめていく。 その先にある、真実を得るために。 終 |
||
20.3.23〜20.12.18 |
||
その三は18しかないのに |
||
戻 | ||