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五行連載・その二 |
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白い紙の切れ端に、一片の言葉。 シュレッダーにかける、いわゆる「いらない紙」の裏に書かれた、走り書きのようなもの。 ふと、手にしてしまった瞬間に、それを読んでしまったがために、それを粉々にすることができなくなった。 誰にとってもそれは、意味のないものだというのに。 月はその紙片を握り締めた。 (ばかだな) そう思う自分が、許せなくて、月は握り締めた紙片をポケットへ押し込んだ。 何も見なかったことにして、月は自分の持っていた書類をシュレッダーにかけた。 粉々に砕け散る紙のように、邪魔な思いも砕け散って粉々になればいい。 こんなものに依存することなど、あってはならないのだから。 それでも、シュレッダーにかけることができなかった。 急にポケットが重くなったような気がして、月は思わず溜息を吐く。 「悩み事ですか?」 誰も居ないと思っていただけに降って湧いたその声に驚きを隠せないまま、月は振り返った。 革張りのソファの向こう側、見えないところで人影が動いた。 油断していた。 正直に言えば、まさにその通りで、月は一瞬平静を装うことを忘れてしまった。 「竜崎?」 どうしてそんなところにいるのか、とかそこでなにをしていたのか、とか。 その全てが、愚問だ。 「重い溜息ですね。目が覚めてしまいましたよ」 竜崎の言葉には嘘ばかりが混ざる。 「寝てもいないくせに、よく言う」 ポケットの中の紙片を見つけられないように、月はシュレッダーの電源を切った。 「隠し事はよくありませんね」 「隠し事?」 また、おかしなことを言いだしたと、月は首をかしげる。 「いま、月くんが心にしまったものを教えてください」 「なぜ?」 ポケットにねじ込んだ紙片が見つかったわけではないというのに、どこか落ち着かなくて、月はゆっくりと呼吸を繰り返した。 「私が知りたいからです」 ソファの後ろから緩慢な動作でゆるりと月に近付いた竜崎は月から目をそらすことはしなかった。 心臓の音が鳴り止まないほど、酷く緊張した月は、竜崎の視線を真っ向から受け止める以外に何もできない。 ただ、この動揺が悟られなければいいと、ただ、それだけのために最大限の平静さを表情に映した。 「好奇心?」 「純粋な探究心・・・と」 人差し指をすっと伸ばして、月の心臓に触れた。 「どうして、ここが、そんなに激しく脈打つのか。それは、何が原因なのか。きっかけは何か」 竜崎に触れられた途端、全身から緊張感が抜けていく。 知らない、という安心がもたらすもの。 (僕から引き出そうとしていることがなにか・・・) ポケットの紙片? 溜息の理由? 「竜崎がいないと思っていた。なのに竜崎が現れた。だから、驚いた。・・・だけじゃ、納得しないのか?」 「そうですね。私が知りたいのは、それじゃありません」 「じゃあ、なに?」 竜崎が何にこだわっているのか。 どうしても聞き出したいわけではなかったが、いまは、余計なことに勘付かれても困るのだ。 月は、竜崎の戯言に付き合うことにした。 「月くんのポケットの中身」 竜崎の視線が、下方へと落とされる。 (見られていたわけじゃない。これは、竜崎の罠だ。動揺してはいけない。引きずられてはいけない。僕は、何も知らない) 月はふ、と口元を緩めてポケットの中に手を突っ込んだ。 「ポケットの中に?なにがあると?」 「私の本音」 ポケットの紙片を指して言うのなら、それは、一番聞きたくて、一番聞きたくない答えだった。 (僕は何も知らない) 月は自分に何度も言い聞かせる。 「僕が竜崎の本音を隠していると言いたいのか?」 「月くんが拾い上げた私の本音は、月くんが触れた時点で、月くんのものとなります」 竜崎の遠まわしな表現と淡々とした口調から、なにかを読み取ろうとするのは、至難の業だ。 だからといって、そのまま惑わされたり、流されたり、してはならない。 月は、いつも以上にまっすぐ竜崎を見つめた。 なにかを、悟られてはいけないのは、自分の方なのだから。 「僕のポケットに存在する、竜崎の本音は僕のものとなった。ということは、竜崎にそれを追求する理由はないんじゃないか?」 「月くんのポケットに入って、それが、どう変化したのか。それに、興味があります」 「なにも・・・なにもかわらないだろう?僕には竜崎の本音がわからない。僕が変えることなどできない」 「では、どうして私の本音を受け取ったのですか?」 「受け取った覚えはないよ」 「では、そのポケットの中の紙片を見せてください」 「ないものは、見せられないよ」 「あるはずです」 「確かめてみる?」 月は両手を上にあげてみせる。 竜崎はそれで何かを悟ったのか、深い息をひとつ、吐いた。 「どうかした?」 「いいえ。確かめなくてもわかりました」 「そう?」 月が両手を下げると、竜崎はその手を掴んだ。 「なに?」 月が驚いたように一歩身を引いたが、竜崎は放さなかった。 「私が、ここで、私のものだった本音を言ったら、月くんは、どうするでしょうか?」 「・・・・・・。どうもしないと、思うけど?」 「どうして、私に興味のないふりをするんですか?」 「どうして、僕に興味を持ってほしいんだ?」 見詰め合ったまま、どちらも動こうとはしなかった。 先に目をそらしたら負けだとでもいった風に、傍から見ればくだらないと思われることを知っていながら、やめることはできなかった。 「私は、月くんに興味がある。月くんが私に興味があれば、私は遠慮することなく、月くんを探求できます」 「竜崎が興味あるのは、僕のどこかにいると疑っているキラにだけじゃないか」 「何故、そう思うのですか?」 「目を見ればわかるよ」 月はふ、と穏やかに微笑むと、竜崎の手を振り解いた。 「竜崎は僕に興味がない。だから、僕も必要以上に竜崎に興味が持てない。そーゆーことだろ?」 「違います」 はっきりと否定をした竜崎が、再び月の手首を掴んだ。 先刻よりもずっと強い力が込められている。 「確かに、きっかけはキラであったかもしれません。しかし、現在は、夜神月自身に興味があります」 鈍い痛みが手首から伝わってきて、月は顔をしかめた。 (なぜ、そんなに必死になるんだ?) 月には、竜崎がキラという存在以外に興味を示す対象があるとは思えなかった。 例え、自分の方が竜崎をLだと知って近付いて、まんまと敵であること以外の感情を抱いてしまったことを認めたとしても、竜崎もそうであるとは、どうしても信じられない。 疑えばきりがない。 けれど、疑わなければ、側にいることなどできないのだ。 「僕、自身に?」 「はい」 「僕は竜崎が興味を持つほど特別ではないと思うけど?」 「それを決めるのは、私です」 「僕の何がそんなに気になるというんだ?」 「素直ではないところ」 竜崎の意外な一言に、月は思わず声を荒げた。 「ふざけるな」 「ふざけてなどいません。むしろ、今まで以上に真剣です」 竜崎の漆黒の双眸は揺らぐことなく真っ直ぐに月に向けられていた。 その視線で、月はポケットに隠した紙片を思い出し、思わず目を逸らしてしまう。 「僕が素直じゃないと?」 「はい。私が見ている限りでは」 「竜崎が見ていてそう思うならそうなのかもしれないね」 「そうですね。いまの月くんがまさにその証拠です」 「僕が?」 「聞きたいことがあるのでは?」 「誰に?」 「私に」 竜崎が淡々とした口調を崩さずに、月を責める。 月には、そう聞こえた。 気になっていることを早く言えばいいと、何を躊躇う必要があるのだと、視線が口調が表情が、全て月に向けられている。 (聞いて、どうする?) 月は、竜崎が何に気がついて、何を知ろうとしているのか、自分の何を暴こうとしているのか、その意図を計りかねていた。 (答えを用意しているわけじゃないくせに〉 竜崎が見つめる先が自分であることがだんだんと苦痛になってくる。 ポケットの中の紙片を思い出して、月は目を閉じた。 ほんの少しだけ、時間を置いて、口を開く。 「竜崎に聞きたいことがあるとしたらひとつだけだ」 「なんでしょう?」 「答えのない問答を繰り返しても時間の無駄じゃないか?」 「答えがない?」 「そうだろう?」 「・・・では、私が答えを言いましょう」 「答え?」 「月くんがそのポケットにしまいこんだ、紙片。それは、私の本音であり、希望であり、願望です」 「・・・!」 「信じるか信じないかは月くんの自由です」 「勝手だな」 「拾ったのは、月くんの意志ですから」 「見ていたのか」 「月くんが拾うように仕向けたのは、私です」 「・・・」 諦めたように、月がLを見ると、その両目は真っ直ぐに月をとらえていた。 「僕は信じないよ、竜崎」 それが、今できる、精一杯の返答。 正しいかどうかは、別の次元にある。 必要なことは、心が揺るがないようにすること。 「わかりました」 「じゃ、僕は作業に戻るから」 平静を装って、月は必要なファイルを手にすると、何もなかったかのように竜崎から離れた。 それを引き止めたのは、竜崎だった。 「え?」 降り返った瞬間、その口唇を塞がれた。 それも、ほんの僅かな間だ。 「りゅ・・・」 「強がりもいつまで続くか。楽しみですね」 「ふざけるな」 口唇を手の甲で拭って、月は竜崎を睨む。 その様子を満足そうな表情で応えて、竜崎もまたソファの裏側へと戻っていく。 月は、竜崎の姿が見えなくなったのを確認してから、ポケットの中の紙片をシュレッダーにかけた。 (こんなものがなくとも、変わることはないんだ) それは、ゆるがない願望であり、欲求でもある。 月は、分厚いファイルをゆっくりと開いた。 終 |
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19.5.26〜19.11.21 |
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その二は完結までに約半年かかってますな。 |
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