幸福論改訂 +++++ 13 | |
† 会場の中央に据えられた料理テーブルに沿って一周しながら、二度目の物色をする。まだパーティは始まったばかりで料理もふんだんにあるし、料理の周囲に人も多い。めぼしいものをお皿に盛ると、同じ課の人達のテーブルに戻った。 創立何十周年記念パーティなんて、つまりは十年に一度ある訳で、そんなものに当たる年に在籍しているのは運が良いのだろうか。二度も三度も出る可能性もあるのだと思うと肩を竦めてしまうけれど、いつもの部内パーティより規模も料理の質も良いので、出席必須なら、こっちの方が良いかもしれない。上の方々や来賓のスピーチは少しうんざりするけれど、神妙な顔をして俯いていればいいし、あと残っているのはもう締めくくりのスピーチくらいだ。美味しい料理をお腹いっぱい食べて乗り切ろう。 「ただいま。新しいお料理はまだだったわ」 「もう少しでしょう」 「新しいのは出ないという可能性もあるけどね」 「うわっ、取り敢えず、行ってこよう」 同期の子が手にしていたビールグラスを置いて、料理へと向かう。 「行ってらっしゃい」 見送ってから、お皿に箸を付けた。周りはみんな課内の仲の良い人間なので、気を遣わず楽で良い。雑談をしながら、入れ替わり立ち替わり、飲んで食べて−−無駄に時間を使っている気もするが、親睦という大義名分の前、そんな疑問は聞こえない振りをするのだ。 ふと目を上げた時、遠くのテーブルに別れたあの人がいるのに気が付いた。多分、元気そう、に見える。 課同士の交流は少ないので、前のようにアンテナを張り巡らしていない今は、噂も聞こえてこない。今までなら、この会場に足を踏み入れた時点で、どこにいるのか気が付いたことを思うと、ほんの少し寂しい気がする。未練の寂しさではなくて、想いが失なわれてしまったことへの哀しいような切なさ。ずっと抱えていきたかったのに、手放したことへの、あの人ではなく想いへのほんの少しの罪悪感。 そう。こうして、あの人を冷静に見られるのだから、大丈夫。彼のことも時が解決してくれる筈。この苦しいような喪失感も、薄れて、消えていく筈。 沈み込みそうな思いを振り払うように、声を上げた。 「−−飲み物取ってくるけど、他にいる人いる?」 「も少しビールで行く」 近くの人間が頷いているのを見て、自分の分だけ、取ってくることにした。 「了解。じゃあ、行ってきます」 壁際に何ヶ所か作られたドリンクカウンターは混みかけていた。ちょうどみんなが飲み物を替える時に当たったようで、ついていない。 「−−さん?」 後ろから声を掛けられ振り向くと、経理の戸田さんが居た。 「あ、いつもお世話様です」 カウンターの周りで足を止めた私を見て、戸田さんが訊いてくる。 「飲み物?何にする?」 「えーと、白ワインにしようかと思ってます」 「ちょっと待ってて」 「あ……」 さっとドリンクカウンターへ向かうと、するりと内側に入り込んで、いつの間にか両手にグラスを持って戻ってきた。そんなそつのなさが彼に似ていて、親近感を感じる。 「はい」 「有難うございます」 「東二課はどこに居るの?」 近くのテーブルに一時避難して、持ち歩けるようにワインに口を付けてグラスの中身を減らしながら、差し障りのない会話をする。 「入り口を入った奥です。後ろの方に固まっています」 「そうか。じゃあ、挨拶に行こうかな。案内してくれる?」 「いいですよ」 戸田さんはうちの課−−関東第二課担当で、いつも何かとお世話になっている。確か、私より三年上だったと記憶している。仕事は完璧だし、間違いは分かり易く丁寧に教えてくれるので、うちでは大人気だ。きっと担当が変わったりしたら、大騒動になるだろう。 「そう言えば、戸田さん。昨日の申請は大丈夫でしたか?」 「さん。ここで仕事の話は無しだよ」 「あ、済みません」 「でも、気になるよね」 そう言って悪戯っぽく笑うと、大丈夫だよ、と言ってくれた。 「月曜には受理書が行くと思うから、宜しくね」 「有難うございます」 戸田さんが浮かべた柔らかい笑みが懐かしい気がして記憶を探ると、彼の笑顔と似ているのだと気が付いて、胸が痛む。 会いたいのに会えなくて、すぐ近くにいるのに遠くて、掛け替えがないのに失ってしまった彼に。彼が戸田さんみたいに、年上だったら良かったのに。そうしたら……。 そうしたら? 意識せずに、思惟の流れるまま考えていた内容をはっきり理解して、頭を殴られた気がした。 「さん?」 「あ、ごめんなさい」 突然、立ち止まってしまった私を不思議そうに見る戸田さんに、何でもないと笑って歩き出しながら、冷えていく指先が震えてグラスの中身を零しそうになるのを止めるのに必死になった。笑顔を顔に貼り付けたまま、それだけに意識を集中させた−−。 ロビーの奥のソファに身体を沈ませるように、座り込んだ。 テーブルまで戻ると、戸田さんを連れて帰ってきた私は、案の定、喝采を受け、盛り上がったその場から頃合いを見て、抜け出してきた。 漸く気が付いた自分の心に打ちのめされて、もう作り笑いも出来ない。自分の俗物さが情けなくて、思いっきり唾棄したくて、そして失笑するしかなかった。 私は冴木くんが好きだったのだ。 恋人には絶対しないと決めていたタイプなのに、そんな理性で決めた制約なんて関係なく、感情のまま、心は素直に彼に惹かれていた。なのに、年下は恋愛の対象外と、頑なに信じていた私は、その想いから目を背け、耳を塞ぎ、痛む胸に泣いて、彼を恨んで−−全て自分の莫迦な恋愛論を振り翳していた所為だ。 年下は頼りないとか、甘えられるのは嫌だとか、友人に紹介する時に恥ずかしいとか、人に変な憶測をされるとか、流布に振り回され、世間体を気にして、勝手に制約を作って、そんな莫迦なもので縛ったまま彼と相対していて、ちゃんと彼を見ていなかった。もっとちゃんと彼を見ていれば、そんなものも払拭することが出来たかもしれないのに、莫迦な私は自分の構築した恋愛論に拘泥して、彼を傷付けた。 好き、なのに−−多分、従兄よりも、会場にいる彼よりも、今までの誰よりも好きなのに、私はその手を振り払ってしまった。 胸に迫る喪失の大きさに、涙も出ず、ただ両の手で顔を覆った。 華やかなパーティの騒めきが遠く聞こえた。 |
世間体とか、第一印象で判断とか、ありがちなんですけれど、よく陥る罠です。でも、やっぱり年下は越えるハードルがかなり高い気がします。相手が冴木さんなら別ですけれど(笑)。 20041001 |