魔法の言葉 | |
目が覚めた。意識が緩やかに上昇して気が付いたら覚醒していた。珍しく気持ちよい目覚めで、もう一度目を閉じて夢の名残を探そうという気にもならなかった。白い天井を眺めてから、ゆっくり横を向くと、隣の温もりに擦りよってみる。もう目はすっかり覚めていたが、彼の腕の中で眠る暖かさは手放しがたくて、遮光カーテンの周囲の僅かな隙間から漏れる光だけが光源の中、彼の顔を見上げる。 端正な顔。起きている時だと優しい雰囲気に見逃してしまうけど、目を閉じていると冷淡に見えるほど、整った顔立ちをしている。規則的に繰り返される呼吸。無防備な表情と薄い無精髭に愛しさが募る。誘われるままに、そっとその頬に手を伸ばした。彼の体温は暖かくて、私の指先が冷えていることに気付く。起こしてしまうかも。急いで手を引っ込めようとした。 「……ん、さん?」 寝ぼけ眼の冴木君と目が合う。 「なに?どうしたの?」 彼に触れていた冷たい手が、優しい言葉と共に温かい手に包まれる。 「何でもない。まだ寝てても大丈夫よ」 「ん……」 返事と取れないような返事をすると、冴木君は眠気に引かれるまま目を閉じた。右手で私の手を握り、もう片手で私を胸に引き寄せて。 「−−冴木君?」 「……うん」 応えはあっても、起きてはいなくて、そのまま彼は穏やかな寝息を立ててしまう。低血圧な冴木君は朝が弱い。いつも起きた直後は、ベットに腰掛けて固まっている。こんなんで朝一からの手合いはどうするんだろうと心配したけれど、冴木君曰く『シャワーを浴びれば覚醒する』んだそうだ。でもきっとそれだけでなく、冴木君の碁に掛ける気持ちが彼の状態を変えるんだと思う。それから比べると、私の前での冴木君はいつも朝に弱くて、それが少しだけ嬉しい。 「−−冴木君?」 起きて欲しいような欲しくないような、小さい声で彼の名前を呼んだ。 目の前の緩やかに上下する胸。緩やかに身動きを封じられたまま、そっと視線をあげて彼の顔を見る。また夢の中に行ってしまったようで、しばらく、そのまま彼の鼓動を感じていた。とくん、とくんと、規則正しく少しゆっくりな心音は、彼が睡眠下にいることを教えてくれる。 捕らわれたままの左手と間近に聞こえる鼓動と、唐突に胸の奥から込みあげるものがあって、冴木君の胸に額を押しつけた。目蓋の裏が熱くなって、水分が目の縁に集まってくる。衝動のまま、この感情をどうしても彼に告げたくて、一番近い言葉を口にした。 「冴木君、好き……」 「−−うん。俺も好き」 突然、声が降ってきて驚いて顔を上げると、彼と目が合った。冴木君はどこか眠気が残った柔らかい笑みを浮かべた。 「さ、さえきくん、起きてたの?!」 上擦った声で問い掛けながら、顔が真っ赤になったのが解るくらい熱くなるのを感じる。 「寝てたけどね。さんの告白は聞き逃さないように出来ているから」 そう言って、もう一度、無防備な笑みを向けてくる冴木君に、何て言ったらいいか分からなくて、ただ熱くてたまらない顔を伏せた。 「さん、ねぇ、顔上げて?」 「やだ」 子供のように、駄々をこねるように言葉をもらす私に、くすくすと笑い声が密着した胸から響いてくる。 「さん、可愛い」 「もう、揶揄ってばかり」 笑いを含んだ声に、悔しくて顔を少しだけ上げると、額にキスを落とされる。あ、と思う間もなく、そのまま触れるだけの優しいキスはこめかみに、目蓋に頬にと、緩やかに繰り返されていく。 「さ、冴木君……」 暖かいベットの中で、柔らかいキスであやされて、彼の名前と共に小さく吐息を零してしまう。気が付くと背中に回された手がゆっくりと動き、抜き差しならない状態に陥りそうだった。 「冴木、くん……ねぇ」 「なに?さん」 「ちょっと待って」 「何を?」 その間もキスとうごめく手は止まることが無くて、目尻に水分が滲んでくる。目覚めてはいても、いまだベットの中で、心地良い微睡みに浸っていた身では抗う気力も生まれず、その前に冴木君に触れられて、私に抗える訳もなく、焦る気だけ表層に残る。 「ねぇ……」 耳の下に、埋めるようにしてキスを落とされると、完全に力が抜けてしまった。それでも最後の足掻きのように彼の胸を軽く叩いて視線を取る。 「なに?」 にっこり、それこそ確信犯の笑みを浮かべて、覗き込まれる。本当に自分の魅力をよく判っている人で、こういう時、困る。その微笑みに一体何人の人が逆らえるのだろう。女性なら、百人中、九十九人は落ちると思うのは、惚れた欲目だろうか。 「……いまがいつだか知ってる?」 息を吸って、呼吸を整えて、何でもない振りをして言葉を綴る。この至近距離では、ばればれなんだけれど。 「ん、まだ寝てて大丈夫なんでしょ」 「それは、寝る、っ、微睡む話で−−」 「だから大丈夫。今日は誰も来ないし、来ても出ないし、この部屋はカーテン閉めれば一日中夜だから」 「冴木くんっ!」 「ん−−」 少し首を傾げて、私を見下ろす視線に、どうやったって私は勝てなくて−−。 「……違うでしょ。言う言葉」 ふいっ、と視線を逸らして、ただ一つの答えしかない問いを投げかけた。それは私の羞恥や意地や建て前や、そういったものを全て溶かす言葉。 一瞬、空気がふっと揺らいで、それから冴木君にぎゅっと抱き締められた。 「さん−−」 真面目な声に、私は再び視線を合わさずにいられない。 「好きだよ」 「うん……」 好きで堪らなくて、冴木君から貰うその言葉が嬉しくて、それでも恥ずかしさは消えなくて、小さく笑うと、冴木君のキスが落ちてきた−−。 |
済みません。本当に、山なし落ちなし意味なしで。そして、冴木さん、無精髭はやしてて済みません。 本当は、低血圧で朝に弱い冴木さんを書きたかったんですけど、どこをどう間違えたのか…(涙)。 20031112 |