所在不明な理由 +++++ 3 | |
エンディングが流れ、テロップが次々と映し出される暗闇の中、隣から抑えきれない嗚咽が聞こえてくる。画面からの照光で照らされるさんは、ハンカチで必死に目を押さえ、小さい子のように泣く姿に口許が綻んだ。 見たい映画が重なって、初めて映画を観る約束をした時に、彼女は不安そうに、自己申告した。 「えーと、ね。冴木君。実は私、かなり涙脆いので、もしかしたら一緒に行かない方が良いかもしれないんだけど」 これは、やっぱり一緒に出掛けたくないという遠回しな断りだろうか? 映画話で盛り上がったは良いけれど、そこまで突っ込んだ付き合いはしたくないとか。そう言えば、この店の外で会う約束以外は初めてだ。一瞬の内に色々頭を巡らせて、何気なさを装って、彼女の表情を窺いながら訊く。 「というのは?」 「多分、この映画だと、ぼろぼろに泣きそうで、終わった後には、一緒にいるのが、冴木君、恥ずかしいような顔になってる気がするんじゃないかと思う」 それこそ恥ずかしそうに言うものだから、最初の懸念も消えて、笑ってしまった。 「あははは。さん。それ良い。すごい見たい」 「冴木君!笑い事じゃなくて」 「うん。笑い事じゃなくて、本当にそんな可愛いさん見たい」 是非とも、見てみたい。 「もう。全然本気にしてくれない。本当に知らないからね。その時に恥ずかしい思いしたって」 「その心配はないから大丈夫」 にっこり笑って、保証する。そんなことを本気で心配するさんは、男心を分かってない。 「いつも、一緒に行く人にお伺い立ててるの?」 「だって、恥ずかしい思いするの、嫌でしょう?女友達と行く時は良いんだけど、やっぱり男の人と行く時はねぇ」 さんの中では、俺は男友達に括られているらしい。まあ、知り合いに括られていないだけ、マシか。 大体『可愛い』と本心から言っても、さらりと聞き流される。本気に取られていないのか、言われ慣れているのか、それとも俺のことを意識していないから気にならないのか。どれも当てはまっていそうだ。溜息に似た息をそっと吐く。 「じゃあ、本当に良いのかな?」 首を傾げて訊いてくるのに、勿論と大きく頷いて返した。 それから何度か一緒に映画を観たが、実際、彼女は涙脆くて、クライマックスは勿論のこと、途中のしんみりとしたシーンでもよく目に涙いっぱいにしている。涙で画面が見えなくならないように、目をいっぱいに見開いて、目の縁に当てたハンカチで涙を吸わせている姿は、今までの経験が垣間見れて、微笑ましい。ついつい画面より隣の彼女を見てしまう。 今回も何時ものように泣き腫らして、目と鼻の頭を真っ赤にしているに違いない。 テロップが全て流れ終わり、映画館が明るくなってほとんどの人が席を立ってから、さんに声を掛けた。 「行こうか」 「……うん」 掠れた声で返事が返ってくる。さんはハンカチを片手に、泣き笑いの表情で立ち上がった。 「化粧室に行って来ていい?」 「ごゆっくり。ホールにいるから」 「ん……」 さんは泣いた跡を隠す為、化粧室に行く。日の目に晒される前に、化粧を直したいんだそうだ。前に、そのままで良いのにと言ったら、絶対に嫌、と告げられた。 彼女を待っている間、ホールでポスターを見て歩く。いま流行りの三部作形式の最終作が次回上映として、大きな場所を占めて宣伝されていた。確か、さん、観たがってたっけ。今度は、これを誘おうか。前売りを買おうと、カウンターに寄ったりしている内に、さんが戻ってきた。 「ごめんなさい。お待たせしました」 「いや。良かったね」 「うん!最後、ああこられるとは思わなくて……」 あ、また彼女の目が潤んできた。興奮冷めやらぬ、といった感じ。堪えきれず、笑ってしまう。 「とにかくお茶でもしようか」 「うん……」 恥ずかしそうにそっと目許を押さえる彼女を促して、映画館を出た。 近くの喫茶店で、パンフレットを見ながら一頻り感想を言い尽くすと、さんは息を吐きながら、カップを手に取った。 「面白かったね。冴木君と観る映画は何時も当たりみたい」 「それは俺の効能な訳?」 「ん。そうかも」 「じゃあ、次は面白くなかったら?」 「別にそれはそれで。ストーリーは面白くなくても、冴木君とだったら楽しいと思うけど。だって映画の好み、というか感想が近いと嬉しいじゃない?」 冴木君と今のところ、隔たったことないもの。 そう、楽しそうに無意識のさんはのたまう。俺は口許をさり気なく右手で覆って、弛むのを隠す。ついでに気を引き締めてみた。 「ん。俺も。でも、ここのところ映画っていうと、俺と観てるよね?友達とかは良いの?あの三部作を一緒に見に行った友達は」 さっき買った前売りの映画を誘う前に、確認しておかないと。 「あ、うん。良いみたい。あんまり好きそうじゃなかったし。彼はサスペンスとかホラーが好きだから」 さんは肩を竦めながら、あっさり重大発言をした。 「−−彼氏、と行ったんだ」 「あ、うん。困ったことに、映画の趣味は全然合わないの」 それこそ恋人の強みで、まるで困ってないように言う。 さんに彼。 意外でも何でもないことで、勿論、居て当然で。ただ、今までそんな節がなかったから、話題に上がらなかったから、勝手に居ないと思っていて。 おかしくも何ともないこと。うん。当然だ。こんな可愛いさんが独り身だなんてあり得ない。 「冴木君の彼女はあんまり映画を観ない子?」 「ちょっと前までの彼女は暗くなったら五分で寝ちゃう子だったよ」 ちょっとって半年前だけどね。気分が重くなるのを何とか隠して、軽く口にする。 「冴木君てば、タラシな発言を」 「そう?」 とにかく守っておかないと、という気持ちでいっぱいになる。何を守るんだか解ってもいないのに。 こめかみに血液が集まって、ズキズキ痛む。 なのに、顔はきっちり笑みを作っていて、カップを持つ指先が冷たい。 「まあ、格好良いから仕方ないかぁ」 さんの笑顔に、目の奥が突き刺すように痛んだ。 † 映画を見終わって入った喫茶店で、思い付くままに感想を話した。興奮状態で、筋道も何もあったものじゃないのに、冴木君は聞いて、相槌を打って、続きを返してくれる。私がぼろぼろに泣くのも、楽しそうに笑って流してくれる。 一緒に遊ぶようになって、もう何度目になるか判らないけど、その度に彼に感動してしまう。こんな風に話せるのって、すごい嬉しい。冴木君とフィーリングが合っているのか、それとも彼が私に合わせてくれているのか。どちらでも、とても居心地が良い。 冴木君は碁のプロで、毎日が勉強の人なのに、会うと次の約束をしてしまう。会社員と違って固定の休みじゃないから、予定が合うのは月に一度くらいだけど、返せば月に一度は必ず一緒に出掛けている。会社帰りに珈琲屋で会う回数も考えれば、自分の彼よりも会っているかもしれない。 そう考えると、冴木君の彼女に申し訳ない気もしてくる。冴木君の彼女ってどんな子だろう。よく分からない−−。 可愛い子?綺麗な子?同い年?年下の子? なんとなく胸の辺りが重くなって、イメージが固まらない。 紅茶を飲んで、思考停止をしかけた時、冴木君が『自分と何時も出掛けてて良いのか?』と訊いてきた。 これは遠回しに距離を置こうという意味、かしら? そう考えたら、さっきよりずっと胸が重くなった。重い石を胸の奥に入れられたみたい。 「あ、うん。良いみたい。あんまり好きそうじゃなかったし。彼はサスペンスとかホラーが好きだから」 無難な答えを探した。 まあ、そうだよね。冴木君には冴木君の生活があるんだろうし。彼女と観たい映画だってあるだろうし。 「−−彼氏、と行ったんだ」 「あ、うん。困ったことに、映画の趣味は全然合わないの。冴木君の彼女はあんまり映画を観ない子?」 「ちょっと前までの彼女は暗くなったら五分で寝ちゃう子だったよ」 それは、今はいないってことかしら?でも、すぐに彼女が出来るんだろう。冴木君なら女の子が放っておかないもの。 「冴木君てば、タラシな発言を」 「そう?」 私の冷やかしも爽やかな笑顔でさらりと流す。こんなところが、タラシなんだよね。憎たらしいけど、本当に格好良い。 「まあ、格好良いから仕方ないかぁ」 本当に、色々と仕方がなくて困る。 仕方ないついでに、距離を置きましょうか。冴木君の未来の彼女の為にもね。 そうして初めて、次の約束をしないで彼と別れた。 |
曖昧な関係の二人。曖昧だから生じるすれ違い。 このまま曖昧で終わらすのか、きちんと関係を位置づけるのか。 次は悩んで貰おうかと思っています。 で、またドリーム小説から外れるのかも……。 良ければまた覗いてやって下さいませ。 20031011 |