略奪

 

 

「寂しくなっちゃったなあ……」

 わたしの視線はいつも教室の反対側でじゃれあっているふたりに向けられている。転校してきた七瀬さんがたまたまあの席に座ることになって、そして色々あって今のふたりが……あの席に座っていたのがわたしだったら、こうはならなかったのだろうか。

 浩平がからかって、七瀬さんが怒って、浩平がなだめて、七瀬さんが笑う……そんな繰り返しを何度も見てきた、こんな思いをしてまで見なくてもいいのに、知らず知らずのうちにため息が漏れてしまう。

「おにあいのカップルだもん、わたしが邪魔するわけにはいかないよね……もう浩平の世話を焼かなくてよくなったんだ」

『本当にそう思ってるの?』

 いきなり聞こえてきた声はわたしの心を激しく揺さぶった。

「だ、だれっ?!!」

「ん? どうかしたの瑞佳?」

 前に座っている子が怪訝な顔で振り向いてくる、どうやら今の声はわたしにしか聞こえなかったみたいだ。

「え、あ、なんでもないよ……ちょっとした勘違いだった、あはは」

「ふ〜ん」

 そう言うと、その子は気にもとめずに席を立った。

「……今の声は何だったんだろう?」

 振り向いてみても誰もいない、それにどことなく聞き覚えのあるような声だった。そう、懐かしい感じのする……。

『許せないって思っているんでしょ?』

「え?」

 まただ。

『いきなり横からかっさらわれて悔しいんでしょ?』

「なっ……なんのことだよ」

 大声になりかけて慌てて声をひそめる。

『誤魔化す必要なんてないのに……もちろん浩平のことだよ』

「そ、そんなこと思ってないよ」

『それはうそだよ、だって「わたし」が悔しいって、許せないって思っているんだよ』

 ……わたし? その幼い声に似つかない悪意がわたしの心に波紋を投げかける。

「あ、あなたは誰なの?」 

『だから「わたし」だよ、「みずか」。浩平とずっと、いつでも、永遠に一緒にいたいと思っている「わたし」』

「そんなこと思ってないよっ!」

『どうしてそんなに自分を誤魔化すの? 憎いんでしょ? 裏切られたのが哀しいんでしょ? ずっと世話をしてきたのにあっさりのりかえられちゃってみじめなんでしょ? もっと正直になろうよ』

「違うもん、違うもん……」

 でもその子の言葉がじわじわと心に染みていく。こんなにも浩平がわたしの心を占めていたなんて、大切なものは失って初めて分かるってよく言うけど。

『違わないよ。それにきっと浩平はだまされているだけなんだよ。目を覚まさせてあげればきっと感謝されるよ』

「そ、そんなこと……」

『浩平じゃないとだめなんだ……ねえ?』

「だって」

 なにがだってなんだろう、もう何に対して返事をしているのかさえ分からなくなってきた。

『大丈夫、取られた物は取り返せばいいんだよ』

 打ちのめされるわたしを捕らえた声の勢いが増していく。

「……取られた?」

『うん、きっとね、浩平はあの女に誘惑されちゃったんだよ、だから「わたし」も遠慮することなく誘惑してやればいいんだよ。大丈夫、「わたし」から見ても瑞佳は綺麗だよ。それに練習していたんでしょ? 浩平に抱かれることを想像して慰めたりもしたんでしょ?』

「……っつ?!!」

 唐突に蘇る光景、よりによってクラスメートがいる教室で、あってはならない淫らな自分がさらけ出されてしまう。

『浩平の写真を手にとって、熱い吐息を吹きかけたんでしょ? もっと正直になろうよ』

「やめてっ! やめてよぉ……」

 過去の光景に怯えいつのまにか頭を抱えるわたしに周りが注目していた。

 

 

 その日は当然授業に集中できるはずもなく散々な思いで家に帰宅する。しかし家に帰ってきてもその声はわたしから離れずに着いてきた。母親に挨拶をすると逃げるように自室に篭る。楽しみにしていた買ったばかりの小説も役には立たず、いくら耳を塞いでも少女の声が迫ってくる。

『奪い返しちゃいなよ』

 さっきからそのようなことを繰り返し囁いてくる声に、防ぐ方法のないわたしの心が確実に汚染されているのを自覚していた。

「そんなことできないよお……」

 枕に顔を埋めてみても気休めにもならない。そのうちに夕食のできあがりを告げる声があったけれど、わたしはとてもそんな気分になれずひたすら布団の中で体を丸めていた。

「誰か助けてよ……」

 どうしてこんなことになってしまったんだろう、どうして? わたしがなにかいけないことをしたんだろうか。

『どうしてって?』

「いいかげんにしてよっ!!」

『わあ、怖い怖い』

 精一杯怒鳴ってもその子はくすくす笑っている。

『いつまでも自分を抑えていないで解放すればいいのに、つらくないの?』

「だからって……」

『しょうがないなあ、少し手伝ってあげるよ』

「えっ?」

 急に女の子の声がぶれた、とともに身体の奥がじんと熱くなる。

「うそ……なんで、こんな……」

 存在を主張するようにつんと尖りだす乳首。夜の秘め事の感覚が蘇る。

『気持ちよかったんでしょう?』

「熱いよ……どうしちゃったの……」

『浩平の顔を思い浮かべてごらん?』

「浩平の……」

 そう言ったとたん心臓の鼓動が跳ねあがる。息苦しさを覚えわたしは布団から顔を出し金魚のように空気を求めた。

『ほら、思うだけじゃ我慢できなくなってくる……触れてもらわないないと』

「そんな……そんなのって」

 枕に熱い吐息を吹きかけながらそろそろと指を下腹部に伸ばしていく。まだ触れてもいないのに、そこは自分でも驚くほど濡れていた。

『うわあ、すごく、えっちだよ』

「言わないでよ……」

 一度触れてしまった指は止まらない。何も考えられず夢中で慰めてうちに、いつもと同じようにしているのにいつもの絶頂感がなかなか訪れないことにわたしは苛立ち始めた。 

『そんなに自分の指が気持ちいいの? そんなに激しく動かしちゃっていいの? でもね、それだけじゃだめなんだよ』 

「ううっ、そんなあ……」

 その子のいう通りいくら慰めても一定の快感が湧き起こるだけでそこから解放されない。全身が張り詰めているのにかかわらず自分の指では与えられないもどかしさに狂いそうだった。

『かわいそうだね』

 そう言いながらもその子の声は笑っている。その無邪気ともいえる声音に怖れを抱きながら夜が更けていった。

 

 

 眠ったのか気を失ってしまったのか分からないがわたしはいつのまにか朝を迎えていた。目を覚ましたとたんに身体の奥でくすぶっていた快感がじくじくと燃え広がっていく。わたしにはもうそれに抗う力は残されていなかった。

『下着、換えたほうがいいんじゃない』

「うん……」

 からかわれても何も言い返せない。制服に着替えた自分の姿が鏡に映り、自分とは思えない雰囲気に息を飲む。

 そして下に降りる。母親に熱があるのではないかと聞かれるほど火照った体を持て余しながらわたしはそっと浩平の家に向かった。

 もちろんこんな時間に浩平が起きているわけがないけど、何かに怯えたかのようにわたしは足を忍ばせて階段を上がりそっと扉を開ける。

 わたしの思った通り浩平はいつものようにベッドに横になっていた。ゆっくりと近づき顔の前に手をかざして確かに寝ていることを確認する。わたしはかばんの中から用意してきたロープを取り出した。

 これでもう後戻りはできない。

 自分のつばを飲みこむ音がやけに生々しく感じる。

『いよいよだね』

 その子の声は緊張感の欠片もなく、まるでとなりの家に遊びに行くような気楽さを持っていた。それに対して、わたしは緊張のあまりロープを持つ手もおぼつかないでいる。

『そう、そうやってベッドに縛り付けちゃえば大丈夫だよ。浩平は男の子だから念のためにね』

「……こうかな?」

 わたしは声に導かれるままなんとか浩平の手首を縛りベッドのパイプに結びつける。気の遠くなるような作業を終え大の字に拘束し終えても浩平は目を覚まさなかった。

『うん、これでもう浩平はあなたの望むままだよ』

「望むまま……」

 ふらふらとお酒に酔ったみたいにベッドに倒れこんで浩平の側に横たわる。スプリングがきしんだ音を立てても浩平は目を覚まそうともしない。

『それだけで満足なの?』

「ううん、違うよ……」

 こんなに近くに浩平の顔を見るなんて久しくなかったことだ。それだけでわたしの心の箍が外れたような気がした。

『キスしようよ?』

「うん、そうだね……」

 心臓が緊張のあまりばくばく言っている。わたしは目を閉じて唇を突き出した。柔らかな感触に動揺してしまったわたしはさっと顔を離してしまう。

『どうだった?』

「どきどきするよ……」

『でも、キスだけじゃ満足できないよね?』

「うん、キスだけじゃ満足できないよ……」

『じゃあ、どうすればいいか分かってるよね?』

「うん……」

 少女の声が何を指しているのか、奥手なわたしにも分かる。唇の感触をまだ名残惜しいと思っていけど時間も気になることだし、それよりも身体が急かしていた。

「うわぁ、これが浩平の……」

 衝撃的だった。いたずらや偶然でちらっと見せられたものとは違い、ほんとに見たそれは圧倒的でわたしの目はそれに釘づけになっていた。

『遠慮する必要はないんだよ?』

「そうだよね……」

 声に後押しされたわたしはおそるおそるそれに触れてみる。それは体の一部とは思えないくらい熱を放っていて、わたしは触れた指が火傷するかと思った。

 触ってもまだ浩平は起きない。わたしは触れたままゆっくりと手のひらを上下させた。最初ぎこちなかった動きがだんだんとスムーズになる。

「そういえば、これをなめてあげると男の人は喜んでくれるんだよね」

 不意に友達から聞かされた話が浮かんでくる。あの時は恥ずかしくてほとんど聞けなかったけどこんなところで役に立つなんて。

「ん……」

 おそるおそる舌を伸ばしてみる。ぷんと男の人の臭いが鼻をついたけどわたしは構わずに顔を近づけた。

「わっ?!」

 瞬間、それがびくんと震えた。その反応にびっくりしたわたしは目を丸くして至近距離でそれを見てしまう。さっきとはまた違う衝撃を受け、思わず熱い息をそれに吹きかけていた。

「ん……」

 その時、思いがけず大きな声を出してしまったのか浩平がうめく。

『目を覚ましそうだね』

「ど、どうしよう」

 浩平が目覚めるという事実にためらいと罪悪感が急に頭をもたげてきた。けれど快楽を求める身体は簡単に自分を押し流してしまう。

 わたしはその時をじっと待った。そしてのしかかっているわたしの下でついに浩平が目を覚ます。

「う、寒いぞ……ってなんだこりゃっ?!」

 飛び起きようとした浩平はロープに阻まれて枕に逆戻りした。

「目を覚ましたんだね……」

「長森、これはなんの冗談だ?」

 しかめっ面をして問い詰める浩平はまだ冗談だと思っているみたい。ここまでされて冗談だと思える浩平は凄いと思うけど。

「これが冗談に見えるかな」

 大きくなっているそれを指で突ついてあげると初めて本格的に浩平が慌て出した。縛られたロープから逃れようともがく。そしてそれが無駄なことだと理解すると浩平がわたしに向かって怒鳴った。

「長森っ!!」

 そして再びロープをぎしぎし言わせて解くように示す。腕の筋肉が躍動し反動でベッドから落とされそうになる。

「ふふふ……」

 しかしその抵抗もわたしが触れるまでのことだった。そういえば浩平の引きつったような顔を見るのは初めての気がする。

「……気持ちいい?」 

「き、気持ちいいって、や、やめろよ!」

「ふふ」

 そんな浩平が可愛く思えてきてもっとしたくなる。わたしは握っていた手を離してぺろりとなめた。瞬間浩平が信じられないものを見る目つきでわたしを見る。わたしはそのまま勢いに任せてくわえた、吸い上げた。そのたびに浩平がびくんと仰け反らせて悶える。苦痛に耐えるようなその表情がさらにわたしを煽った。口の中で脈打つそれがすごくいとおしく思えてくる。

「これ以上されたら……は、離してく」

「我慢、しな、くていいんだよ……ぜんぶ、わた、しが」

 飲んであげる、そう言い終わらないうちに浩平のものが一瞬大きく跳ねた。

「むぐっ」

 口の中に続けざまに放たれる浩平の精で息が詰まってしまうけど、わたしは全て受けとめる。

「はあ……」

 粘ついたそれを飲みこんで口を離す、力を失ったものが吐き出されてわたしの唇と糸で繋がれた。

「何を……考えているんだよ……こんなことし……やがって」

 出させてしまうと、今度は意識が自分のあそこに向かう。確かめるまでもなく換えたはずの下着がまた濡れていた。

「わたしまでおかしくなっちゃったみたい……触ってもいないのに、こんなに濡れちゃってる……やっぱりえっちなのかな」

 指を触れると昨夜とは比べ物にならない強い快感が押し寄せる。それはひとりでは得られないものだった。わたしを強く満たしているのを感じる。浩平の表情がわたしの想像とまったく違っていたものだとしても、もう止められるわけがなかった。

 欲望に突き動かされるままわたしは下着を脱いで浩平の上にまたがった。萎えていたものを刺激を与えて力を取り戻させる。

「わたしの初めて……もらってくれるよね」

「だめだっ、それだけはっ……」

 あそこに浩平のをあてがうと、傷ついた浩平の視線、それのみを受けとめながらわたしは体の力を抜いた。突き刺さる浩平のものがわたしを押し広げて、そして破れる。わたしが全てを奪った瞬間。

「くうぅ、痛いよ……」

 あまりの激痛に涙がこぼれて来る。それでもめげずに腰を動かした。

「うっ、くふっ、はあぁっ……」

 やがて痛みの中からじわりとにじんでくる熱い感覚を覚え、その感覚に突き動かされてわたしの腰が跳ねる。

「長森……」

「はあっ……ああっ……ふうっ……うぐっ……」

『凄いよ……』

 呆れかえったその子の声すらまったく気にならなくなっていた。

「ああっ、浩平のが出たり入ったりしてるよぉ、びくびくして熱くてっ」

 叫んだ時だった。

「こ、こうへ……」

 声にならないかすれた叫びが痛みと倦怠感に浸っていた自分に突き刺さる。振り返ると七瀬さんが部屋に入ることもできずに凍りついたように立ち尽くしていた。

「な、七瀬っ?!」

 そしてわたしの下で浩平が叫ぶ。

「瑞佳……あんたたちこんな朝っぱらからなにしてるのよ……」

 わなわなと震えるその唇は血の気を失っていた。そしてわたしたちの見つめる前でみるみるうちに涙が瞳から溢れてくる。

「七瀬さん……」

「あ、あたしが迎えにって、それで学校にって、なんで……しっ、しんじらんない……ばかああっ!!!!!」

 七瀬さんは叩き付けるように叫ぶとさっと身を翻した。

「ちっ、違うんだっ!!」

 弾かれた浩平の声はもう届かない、七瀬さんは乱暴な足音を響かせて部屋を出ていってしまっている。そして訪れる沈黙、部屋に放心状態の浩平とわたしが残される。

『ありがとう』

「……え?」

 急に嘲笑的なニュアンスを含んだ彼女の言葉にわたしははっと顔をあげた。

『くすくす、ここまでおもいどおりになってくれるなんておもわなかったよ、ほんとうにおひとよしなんだね』

「え? え?」

『これでこうへいがもどれるすべはなくなった……「わたし」とのけいやくはぶじにはたされる、ふふふ』

「な、なんだよ、それ……」

『でも、いいでしょ、こんなにいいおもいをしたんだから……ね』

 ワンピース姿の女の子がすーっとわたしから抜け出して、わたしと見詰め合うようなかたちになる。その子は確かにわたしだった、でもわたしはこんな嫌な顔をしたことはない。ないはずなのになんでこんな表情を見せられるのだろう。

『いつまでつながっているつもりなのかな? いくらわたしがふしだらだっていってもこれはないんじゃない?』

 幼い自分に言われているということが激しく傷つける。

『みれんたらしいよね』

「あっ、だって」

 突き刺さる視線にあそこがきゅっとしまってしまう。

「くうっ……」

 浩平の声に気恥ずかしさが増す。けれど体に力が入らなくてわたしは動くことができなかった。

『ふふふ……かわいそうだから、あなたのきおくはちゃんとのこしておいてあげるよ……いつまでもこのひのことをわすれないようにね』

「こ、浩平をどうするつもりっ?!」

『いやだなあ、じぶんがいったことなのにわすれちゃったの? わるいけどせつめいするぎりなんてないし、じゃあそろそろおわかれだね……ばいばい』

「ま、待ってよっ! お別れって?! ちょっとお!!!」

 チャンネルが切り替わるようにふたりが消える。あっと思う間もなく重力に従ってわたしの体はベッドに着地した。

「どういうことなんだよ……」

 浩平が消えても汚れたシーツはそのままに残っていた。右足に引っかかったままのじっとりと湿った下着もそのままだ。仕方なくわたしはそれを履く。濡れた下着の感触が肌に伝わり自分を凄く惨めにさせた。

 誰もいない部屋はとても寒かった。そこでわたしは泣いた。

「ううっ……ごめんなさい……ごめんなさい、七瀬さん……ぐすっ、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」 

 

 

 泣き腫らした顔で学校に行けるはずもなく、わたしは動かない体をむりやり引きずって家に帰った。ようやく自分のしでかしたことの恐ろしさに気づいて一日中震えていた。

 

 

 けれどいつまでも休むわけにもいかない、心配そうな母に見送られて学校に向かったわたしはいつのまにか浩平の家の前に辿りついていた。いつもの習慣に自分で驚くと同時に罪悪感に苛まれ、下を向いて足早に通りすぎる。結局一度も顔を上げることなく学校に着いてしまった。

 教室に入るといつもと変わらない様子でクラスメートたちが迎えてくれた。その事にほっと安堵の息を吐き、かけて違和感を覚え初めて顔を上げた。そして愕然とする。七瀬さんの後ろの机が綺麗さっぱりなくなっていた。

「あら、風邪はよくなったの? ……ど、どうしたの?」

 血相変えて近づいてきたわたしに七瀬さんが声をかけてくる。その声音には私に対する糾弾のようなものはまったくなかった。がそれに

「七瀬さんっ! 浩平は?!」

「……へ? 誰それ? 瑞佳の友達?」

 ……浩平を知らない? きょとんとした七瀬さんの顔はとても嘘をついているようには見えない。

「七瀬さんの後ろの席のっ!」

 何を言っているのかさっぱり分からないといった感じの七瀬さんにそれでも言葉を繋いでしまう。

「……後ろって? 転校して来た時からあたしが一番後ろだったはずだけど……その、折原って人がどうかしたの?」

「知らないんだ……」

「ご、ごめんね、なんだかあたしが悪いことしたみたいね」

 ここに至ってわたしはこれ以上聞くことを諦めた。

「いや、いいんだ……知らないんならそれでいいんだよ、ごめんね、変なこと聞いたりして……」

「構わないけど……それより顔色が悪いんじゃない? 学校に出てくるのが早かったんじゃ?」

「え、そうかな? 自分では変わらないと思うけど……心配してくれてありがとうね」

 あくまでも心配そうな七瀬さんの言葉に思わず涙がこぼれそうになる。

 七瀬さんは浩平に関する全てを忘れていた。それでもあの記憶が残っていないことだけは感謝する。確認してみると七瀬さんだけではなくみんなが浩平のことを覚えていなかった。本当にあの子に連れていかれてしまったのだろう。

 わたしだけが忘れずにいる。そして忘れずにいることで一生罰を受け続けるのがわたしにとって一番相応しいのだと思う。けれども七瀬さんの後ろにある空間はなにも語ってはくれなかった。

 

 

 

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