「まぁここまで来れば大丈夫かの」

先頭を走っていたマヨは辺りを見回しながら俺の方を振り向いた
俺達がさっきまでいた所は既に騎士団が色々と調べているだろう
とりあえず追手とか尾行のようなものは無いようだ

「あぁそうだカイゼルさん」

「ん?」

俺は男爵に呼ばれて後ろを振り向く
何時の間に現れたのか、寮母であるきつねが男爵の横に立っていた
4対1というのはこの事だったのか、だけど何でさっきは姿を現さなかったのだろうか

きつねは何も喋らずに俺の方へと近づいて来る
俺はきつねから発せられる異様な雰囲気に動く事すら出来なかった

「…流石に今日起きた事は忘れて貰った方がいいわね…下手すれば……」

トン、と軽くきつねの指先が俺の額を突いた
まるで部屋の明かりを消したように一瞬で俺の視界は暗くなり、意識を失った


第61話 改変


ピピピピ…

目覚まし時計のアラーム音が部屋中に響き渡る
俺はもそもそと布団から腕だけを伸ばして時計のアラームを止める。ほとんど条件反射だ
その後に惰眠を貪る。この時間が至福の時だ

「いつまで寝てるの! さっさと起きて朝ご飯食べなさいー!」

が、そんな至福の時も甲高い一声で終了を遂げてしまう
エルリラは思いっ切り俺の布団を剥ぎ取り、肩を掴んで激しく揺さぶってくる
どうせ今日は日曜日なんだもう少し寝かせてくれてもいいだろ…
昨日は色々あって疲れたんだから
と、心の中でエルリラに言う。実際に言ったら多分攻撃が更に激しくなるだろう、だから口には出さない

「良い若いもんがそんなにダラダラしてていいのー!?」

「後5分でいいから…俺の体に残ってる疲れを少しでも和らげさせてくれ…」

「まったく、昨日の夜も何も食べてないんだからちゃんと食べなきゃ…体に毒なのに」

「はぁ!?」

何かおかしい
たしか昨日、俺は昼過ぎに図書館に行って勉強をした
んで夕食前には寮に戻って夕食を食べた、そっからまたテスト勉強をして…
遅くとも12時くらいには寝た筈だ

「ちょっと待て、俺は昨日何時に帰ってきた!?」

「自分の帰ってきた時間も覚えてないの…?」

妙な違和感が体中を駆け抜けた
眠気は一瞬にして吹き飛ぶ。エルリラの言ってる事を俺の記憶が違うのは何だ
たったひとつ、夕飯を食べたか食べてないかの違いだけだがどうにも気になる
俺の中にある記憶、夕飯を食べたという記憶の映像、それが少々不鮮明だった
過程がそこにはない、結果だけが俺の頭の中に残っていた
覚えているのはせいぜい何のメニューを頼んだかくらいだ
食事中の会話やそれがどんな味だったのかが解らない

「えーっと…夜の9時前には帰ってきたと思うけど…
何かボーっとした感じだったし、話しかけても返事無かったし」

決定的とは言わないが、どうやら俺の記憶と実際の行動ではズレが生じているようだ
いや、ズレというよりももっと違う…何かが

「いっ! ぐ…」

それが何なのか、俺は一体昨日は何をしていたのか
本当の俺の行動は? 見た物は? 記憶は?
無理矢理にでも思い出そうとすると頭が割れるように痛くなる
特に図書館を出てからの事を思い出そうとするとだ

「ちょっと、具合でも悪いの? それならそうやって言ってくれればいいのに…」

エルリラはさっきまでと違った弱々しい声を発する
自分の所為で俺が苦しんでると思ってるのだろう、心配そうな顔をしている

「いや、大丈夫…だいじょ…うぶ……」

視界が揺れる
エルリラが叫ぶ声が聞こえる
だがその声は水の中に聞こえてくるようなくぐもった声
歪む、視界も音も全て歪んで聞こえる
こんな状態、以前にもなった事があるような気がする
あれは何時だったか……
闇のエンペリウムと最初に遭遇したときか……いや、その後だったか…




「本当に良かったの?」

寮の敷地内、門を潜ってすぐの所に寮母のきつねが生活している管理人室はあった
管理人室は外観、内装共に寮と同じ作りをしていた
一人で生活するには少し広い程度の建物に、今は男爵ときつねとマヨが集まっていた

「カイゼルって子の記憶を改変するのって二度目じゃない? 大丈夫なの?」

「今回の件…ベイル・フロウという人物は、どうやらカイゼルさんの友人と関係があるようなのです」

「闇のエンペリウムの事は教えるけど…セラフィックゲートとしての仕事には関係させないっていうの?」

きつねは少し強い口調で男爵に食い下がっていた
セラフィックゲートは表向きには存在しないギルド
プロンテラ王・トリスタンV世が言うには、昨今のモンスターの凶暴化は闇のエンペリウムが影響しているという
そこで冒険者を募り、元凶を叩く為の組織を作らせた
それがギルドという集まりだ
ほとんどのギルドは正規承認をプロンテラから受けているが、セラフィックゲートはそれを受けていない
承認を受けるという事は、ギルドをプロンテラに帰属させるという事、国の飼い犬になるという事だ
それを好まぬセラフィックゲートの面々は、それ故に承認を受けていなかった
が、飼い犬になるのを拒む以外にも理由はあったのだが

「闇のエンペリウムの魔力と接触した者は古代呪文を使う事が出来る…
それはエンペリウムが他人の意識を乗っ取ろうとした時に流れ込んでくる膨大な知識のおかげ…」

「まぁそれは解ってる。実際に私達もそうだったしな」

「迷さんの場合、今はちょっと違う状況ですけどね」

「で、それと今回の事を関係はあるの?」

「闇のエンペリウムの破壊、これは全冒険者の意思と言ってもいいでしょう…が
古代呪文使用者の犯罪等の始末…これは率先して王が命令を下してはいません」

「騎士団が能動的に動かないのもそのせいよね…」

古代呪文の使用者の戦闘能力は騎士団の一個小隊と同程度の能力と言われている
が、それは普通の冒険者は知らない事だ
王はその事を知ってか知らずか、積極的に騎士団を派遣しようとはしていなかった
騎士団の無駄な犠牲を増やさない為の所為なのかどうかは不明なところだったが

「その割には私達を消そうとしてるよね。犬形態で襲われたら大変だ」

「どうもそこが解せないんですよね…
古代呪文を使える人達は少なくはありません。しかし何で我々だけ狙われるのか…」

「…うーん…私達の行動に問題あり? 承認を取ってないのが問題?」

「それは解りません。でも私達と関わると必ず危険な目にあいます」

「だからカイゼルの記憶を改変して、昨日の事は忘れてもらう、と」

「えぇ、そっちが本命と言えば本命ですけどね」

「でも流石に2回も記憶を改変するのは…精神に影響が出るわよ?」

「危険に晒すよりいいと思います…私の独断ですが」

男爵はそう言って立ち上がり、シルクハットを被り直す
表情はオペラ仮面に遮られて解らないが、仮面の下では複雑な表情を浮かべていた
自分の判断は正しかったのかどうかと考えているのだろう
カイゼルの安全を守る為とはいえ、一歩間違えれば廃人になってしまう方法を取ったのだから

「とりあえずこれからユツキさんの所に行ってきます…色々報告と指示を仰ぎたいもので…」