白く青くあたたかな夜
その夜一条が仕事を終えて帰ると、ぐったりと倒れ伏している同居人を発見した。
靴を履いたままの足が玄関に残り、後は廊下に伸びている。
さすがに驚いたが、その背中が規則正しく上下しているのを見て安心した。
厚手のブルゾンは着たままだし、暖房も入っているから風邪は引かないと思うのだが…
投げ出された腕の先には、正方形の紙の箱が落ちていた。
奇跡的に、上下は逆さまになっていない。
寝そべっている雄介を起こさないように静かにまたぐと、まず先にその箱を救出した。
通り過ぎるときに、ふわりと甘い香りがただよう。
すくい上げたその箱と同じ香りをまとった雄介を、苦笑しながら見つめた。
ここ数日間、雄介は近所のケーキ屋でバイトをしていた。
今までにも何回かこの時期のバイトを経験したことがあるという。
一条自身は経験は無いが、彼の話からそれがどれだけ厳しい仕事であるのかは知っていた。
「でもね、何故かまたやりたくなるんです」
今年それをやると決めたとき、雄介は笑って言った。
「一晩中、バターや卵やイチゴやチョコに囲まれて…もう目眩起こしそうになったりもするんですけど」
「…考えるだけですごいな」
「でしょう?でもそうして出来上がった箱を、どんな人が買って帰るんだろうって…想像するのが結構楽しかったりするんです」
「…君らしいが…だが、大変だろう?」
「一条さんだって疲れてくるんだから、お互い様です」
一条さんは日付変わるくらいに遅くなるんですよね、と言いかけて雄介はぽん、と手を打った。
「…?」
「そだ、一つお願いがあるんです」
「…なんだ?」
テーブルの準備を整え、夢の住人を起こしに戻る。
「五代」
「んー…」
ぽんぽんと上着の上から肩を叩くと、廊下とキスをしていた顔がようやく動いた。
「…大丈夫か?」
「……ぁい」
弱々しい声と共にごりごりと床に額をすり付け、ゆっくりと顔を一条に向けた。
「お帰りなさい…」
「ああ、ただいま」
「う…もうお帰りの時間でしたか」
がしがしと頭をかく。
「…何時に帰ってきてたんだ?」
「……上がっていいと言われたのが三時で…」
「…そうか」
くしゃくしゃと頭を撫でると嬉しそうに目を細めた。
そして自分の周りを見て、あれ、とつぶやく。
「ああ、ケーキならテーブルに置いたよ」
「ありがとうございます…ってことは俺よりもあの子を優先させたんですね」
ひどいです、と言いながら口元はゆるんでいるから説得力が無い。
「…君が作ったケーキだしな」
「…照れますね」
テーブルの上には、同じぐらいの大きさのケーキが二つ。
「あ、ちゃんと買ってきてくれたんですね」
それを見て雄介が嬉しそうに笑った。
「どこで買いました?」
「駅前のスーパーにしてみた」
「何割引き?」
「五割」
「おおお」
すばらしい、とぱちぱち手を叩く雄介。
苦笑しながら、一条は部屋着に袖を通した。
雄介には、割引きされたケーキを買ってきてほしいと頼まれていた。
有名店ではなく、コンビニやスーパーで手に入る…ありふれたタイプのものが良いとも。
「…でも食いきれないぞ」
「それなら明日も食べましょう」
「…朝食代わりか?」
「うーん…卵焼きとソーセージでも添えてみますか」
笑いながら雄介は自分のバッグから手のひらに乗るくらいの包みを取り出す。
着替え終わった一条がそれをのぞき込むと、中から落ち着いた色味のキャンドルが出てきた。
「ちょっと、欧風にしてみようかと思って」
テーブルに並べられたケーキやワインやグラスの合間に、ことりとそのキャンドルをセットしてマッチで明かりを灯す。
「けっこう明るいって聞いたんですけど…」
消してみますね、と断ってから部屋の照明が消される。
ほの明るい光が、テーブルを優しく浮かび上がらせていた。
電気に慣れた目には暗くも思えたが、次第に食事には十分な明るさだとわかる。
「…着替えようか?」
「俺も風呂入ってないんでお互い様です」
それなりのムードがある光景にそぐわない服装に、お互い顔を見合わせて笑った。
こつりとグラスを合わせて、この夜を言祝ぐ。
「…照れますねー」
「…そうだな」
「やっぱり欧風は無理がありましたか」
「いや…これはこれでいいんじゃないか?」
「そですね」
雄介が見つけてきたこじんまりとしたツリーがテーブルに乗っている。
それを何となく、指先で軽くはじいた。
100円なんですよそれ、と誇らしげに雄介が言うのに、一条は素直に驚く。
「よく出来てるもんだな」
「でしょ?このサンタとか…」
「…」
「…絶対今違うこと考えたでしょう」
「…いや」
微妙に視線をずらして、一条はグラスを傾けた。
まったく、と軽くため息をついて雄介はもう一度そのツリーを見た。
小さなツリーには雪が白く積もっている。
「…ね、一条さん」
「…なんだ?」
「次の休み、長野行きませんか?」
「長野か?」
「はい…雪、見たくなっちゃいました」
「…そうか、積もってるかな…」
「積もってますかねー…」
くい、とグラスをあおる。
「…やっぱりね、冬は雪見ないとね」
「そうか」
「そだ、天気雪見たいです」
「ああ…きれいだな、あれは」
「はい」
青い空から静かに舞い降りる白い雪。
高く遠く、どこから降ってくるのかわからないほど遠く。
その魅力を説かれたのはもうかなり前で、実際に見ることが出来たのはいつだったか。
くったく無くそれを見たいとほほ笑む彼に、一条もこころからの笑みでこたえた。
しんしんと、雪がどこかの街に降り積もる。
fin.
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