くる
和らかく目の前で彼が笑む。
「お夕飯何が食べたいですかぁ?」 「……何が作れる?」 「なぁんでも」
一条さんが食べたいものなら何だって作っちゃいますよ。
勤め先の店で普段使っているエプロンを持参して、雄介は一条の部屋の台所に立っている。 「今日はもう、張り切って作るんで!」
疲れ果てた一条が深夜に帰宅すると玄関先で雄介がスーパー袋と一緒に冬の冷たい風に吹かれていた。
驚いてどうして部屋の中に入っていなかったんだと一条が聞くと雄介はちょっと複雑そうな顔をして笑った。
だって、少しでも早く一条さんに会いたかったから。 「……そうは言っても、もう決まっているんだろう?」
「あ、バレてました?」 手際よく袋から中身を取り出して道具を準備している彼に迷いは無かった。
「それでもどうにでもなる材料は揃えているんですけど……」 「いや、君が作りたいものでいい」 「はぁい」
規則正しい包丁の音と一緒に暖かい返事が返ってくる。 「じゃあ、お鍋ってことで!」
程なく、ぐつぐつと良い音が一条のいるリビングまで聞こえてきた。
寒い、寒い日だから。 外は風が強い日だから。 雪がちらついても不思議じゃない日だから。
だから。
これまた雄介が持参したらしい卓上コンロがテーブルの上に置かれる。
「闇鍋にします?」 「………遠慮しておこう」 「えー、楽しいのに」
そう言いながら標準的な具を次々と入れていく雄介。口とは裏腹に不満そうな顔では全く無くて。 「あ、ほら…煮えましたよ」
楽しげに彼は湯気の向こうでまた微笑んで。 「……ああ、すまない」 一条もようやくつられて微笑んだ。
風が強い日でした。 とても寒い日でした。 雪が降ってもおかしくない日でした。 だから。
「ねえ、テレビつけてもいいですか?」
「……駄目だ」 一条の部屋のテレビはいつの頃からかコンセントが抜かれたままになっている。
「……食事中にテレビを見るのは不作法だと思わないか」 嘘をつくような気持ちで一条は答えた。
本当はそんなもの、口実でしかない。 「あー、そうですよねぇ」 それでも雄介はただそう言ってあきらめる。
だが。 「あの、じゃあ……今日は何人だったのか教えてください」 それを知ることは決してあきらめない。
「………」 そしてそれを素直に一条は教えない。 一条はただ黙って次の具を口に運んだ。
季節は何時の間にか秋から冬に変わりました。 肌寒い日が続いてどこもかしこも冬の仕度に追われていました。
寒い、寒い冬がやってきました。 それなのに。
「ねー、一条さ〜ん」
「………五代」 かたん、と箸を置いて一条は雄介を見る。 「………知りたいのか?」
「や、もうそれはぜひ!」 にこにこ、と彼は笑う。 「だってそうじゃないと俺、困っちゃいますよ」
「……困るものか」 「困るんです」 反論しても彼の中の真実だけは変わらない。
「だって、知っておくべきことは知っておくべきでしょう?」 「…………」
「それが現実に起こっていることだったら、なおさらです」
笑みを浮かべながら言う雄介に、一条はようやく今日の0号による被害者の数を告げた。
寒い、寒い冬がやってきました。 それなのに街は何処も彼処も真っ赤な炎で照らされました。
昨日はあの街今日はその街。 明日はこの街かもしれません。
「……ありがとうございました」
短い数字を小さく口の中で復唱してから、雄介は一条に言う。 「明日は、誰も死なないといいですね」 「…そうだな」
昨日と同じことばを、一条は返した。
明日はこの街かもしれません。 そう思うと人々からは笑顔が失われました。
だからといって誰にも為す術はなく、ただそれに怯え続けるだけでした。
どうにかしようとしても炎は何処に現われるか分からなかったから。 ただただ、怯えて暮らすだけでした。
「…明日も、早いから」
「でしょうねえ」 ちえ、と残念そうに舌を打つ雄介に苦笑しながら、一条は部屋の電気を消した。
窓の外に見える明かりは、格段に減っており……誰もが、息をひそめて夜が過ぎるのを待っているようだ。
一条はベッドに座って外の様子を眺めていた雄介の上半身を押して横にさせる。 そしてカーテンを閉めた。
「やりますか?」 「明日は……」 「どうせ俺がこっちだからいいでしょう?」
カーテンを閉めた腕をつかんで引き落として、雄介が笑う。 「も、好きなだけやっちゃってください」
「……………そういう露骨な………」 「事実でしょ」 本当もう、いまさら何を。
苦笑しながら、落ち込んでいる一条の頭を引き寄せて、雄介は言った。 「何にも考えられなくなるくらいまで、お願いしますね」
「……分かった」 笑いながら言う雄介に、一条も笑みで答えた。
恐くて怖くて怯えて畏れて。 人にはただそうすることしかできませんでした。
誰もが笑顔を失ったその中で、ただ一人。 未だ心からの笑顔を浮かべられる人がただ一人。
「………っく」
それまで押さえていた声が、無意識の内に漏れた。 感覚は既に飽和しており、荒れた息が自分のものとも理解出来ない。
望み通りに何も考えることが出来なくなった雄介は、ただただ一条に縋り付く。 一条はそんな彼を強く抱き返した。
いつだって、いつだって笑顔でした。 ただそんな人でも涙は流せます。
でも涙は流せるけどそのきっかけがありません。 加えて泣き顔なんて見せたくはありませんし。 だから彼は笑うのです。
いつでも。
弛緩した足を静かに下ろし、一条は乱れきった雄介の髪をすく。
眦に残る塩辛い水を吸い取り、荒れた呼吸を続ける口を軽く塞ぐ。 「………」
重たげに瞼を押し開けて、雄介は目の前にいる一条に微笑んだ。 「………ね、いちじょうさん」
彼はゆっくりと腕を一条の背中から顔に滑らせる。 「明日は、誰も死なないといいですね」 「……そうだな」
す、と頬を撫でた手がはたりと落ちた。
fin.
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