いつも仕事が終わって県警を出るのは、夜空に星々が瞬く時間だった。 そうは言っても都会の夜で、それほど多くの星は見られなかったが……それでも。 「……東京よりは、多いな」 小さく呟いて一条は駐車場へと向かった。 変わりなくあるもの 空にはきらきら金の星。 そんな童謡の歌詞を素直に受けとめられるぐらいには、今の生活には余裕が出てきたように思われた。 何しろこうして足を止めて、空を見上げることが出来るのだから。 それにここ最近は雪雲が垂れ篭めていたから…久々の夜空に、目が向いたのかもしれない。 だが、この土地に赴任した当時はそれほど気にしなかったことも確かだった。 職場と部屋との往復…他には目を向けず、ただそれを繰り返す日々。 『たまには立ち止まりましょうよ』 先を急ぐ俺を見て、彼はいつもそう言って苦笑した。 そんなことは無理だ、と素気なく言うと、 『だったらせめてゆっくりいきましょう、ゆっくり』 そう言って微笑まれた。 そんな日々が遠いものとは決して思えないが……それでも、今隣に彼がいないことは確か。 「…………」 ふ、と我知らず苦笑する。 澄んだ黒い夜空では変わらずに星が瞬いていた。 空には星があること。 月は満ち欠けすること。 雲は形を変えること。 そんな当たり前のことを思い出させてくれたのが彼だったと思う。 忙しい日々では見上げることなどほとんど無い空を見上げて、嬉しそうに微笑んで。 今日は三日月ですよ、とそれだけで笑う彼を初めは不思議な奴だと思った。 それから付き合いを重ねる内に、その感覚に慣れざるを得なかったが。 「外国の道って、地平線まで続くじゃないですか」 「だから他に見るもの無くて……それでじゃないですかね」 彼は照れ臭そうにそんなことを言ったけれども、きっと小さな頃からそうだったのではないかと思う。 妹と二人でそうしている姿を想像して、思わず顔を綻ばせた。 部屋の鍵を開けて、中に入る。 長野に戻ってから改めて借りた部屋は東京のそれよりも少し広めに出来ていた。 元々部屋でゆっくり過ごす機会は少ないし、あるとしてもそんなに広いスペースは必要ではない…荷物だってそれほど多いわけでは無い。 しかし職場への移動や…他の理由を考慮すると、この部屋はそれなりに気に入っていた。 ふと見ると、朝に急いでいたためかカーテンが少し開き外の光が射し込んでいる。 代わり映えのしない家具の間を抜け、冷えた空気に眉を寄せつつ窓に近寄った。 途中で暖房を入れ、白い息を吐きながらカーテンに手をかける。 そうして一条は、窓辺に置かれた鉢植えを見付けた。 「………………」 自分で置いた記憶は無い……サボテンと思われる小さな緑が、外の明かりに照らされていた。 元々置いていた鉢植えと同じリボンがかけられていて…どこか誇らしげにそこにいる。 窓に目を向けよく見ると、この週末に拭こうと思っていた汚れが綺麗になくなっている。 改めて部屋の中を見て回ると、どこもかしこも綺麗に掃除が行き届いていて……冷蔵庫を開けると丁寧にラップされた皿に旨そうな料理が入っていた。 そのラップの上に小さな紙片を見付け、手に取る。 「……『お早めにお召し上がりください』」 裏を返してみてもそれ以外の文字は見つからない。 他に言うことは無かったのかとも思うが、彼がそれしか書きたくなかったのならそうなのだろうと一条は思う。 「……この、不法侵入者め」 メモを手に取り冷蔵庫の扉を閉め、一条は苦笑を浮かべる。 彼はもう一度窓に寄り、新しい住人を窓辺から部屋の中に招き入れた。 翌朝管理人に、従兄には会えたのかと聞かれた。 それとなく話を聞くと一条の従兄を名乗る青年が一条を尋ねに来たのはいいものの、鍵もないし勤め先に押し掛けるのも…ということで頼んで鍵を開けてもらったらしい。 「ちょっと話をしたら悪い人じゃなさそうだったから」 そう言って人のいい管理人の老婦人は微笑んだ。 職業柄、そういう軽率な行動は謹むようにといつも言っているのだが、彼女は年寄を馬鹿にするんじゃないよと一蹴する。 「それに…」 「?」 「スーパー袋両手に下げている姿見たら、犯罪者だなんて思えなくてねえ」 言われ、以前はよく見た姿を思い出す。 すると老婦人はきょと、と目を丸くしてこう言った。 「あら……いい表情されるじゃないですか」 「…?」 「程よく力が抜けていて、ますます素敵ですよ」 にこりと微笑まれて、一条は苦笑するしかなかった。 昨日、彼がここに来ていた。 残された痕跡からはそうとしか判断が下せなかった。 会いたい、そう思わないと言ったら嘘になる。 東京に連絡を入れればあっさりと会えるのかもしれない…それとももう空港へ向かってしまっただろうか。 でも、彼がもしも自分に会いたかったのなら。 何を差し置いても会いにくる確信も自信も失われてはいなかったので、追い掛けることはしなかった。 それでも少しでも、痕跡があるというだけでも。 それなりのしあわせを感じ、彼もまたそうであるといいと一条は願った。 fin. |