「いーちじょーおさーんっ!」
「………」
無情に響いてくる雄介のことばと賑やかな音を、一条はとりあえず無視することにした。
key
その日もいつものように仕事を終えて、一条は帰路についた。
普通に部屋の鍵を開けて部屋に入り、リビングにどさりと荷物を置いた…までは良かったのだが。
「……………」
窓の外に蠢く影を見つけて彼は眉をひそめた。
これで通算………何回目だったのか数える気にもならない。
確実に注意をしている。そんな自信はある。
それなのにどうして…と思うが、今起こっていることは事実だろうからどうしようも無かった。
大きく息を吸って一条は勢い良くカーテンを開けた。
そこには月の光を背に負って笑う人一人。
ガラス越しに小さく、お帰りなさいという声が届いた。
「……………」
にこにこと笑う彼をとりあえず睨み、一条は黙ってそのままカーテンを閉めた。
「……………っ!?」
そうして一条の名を呼びながら控えめに、それでも確かな音でもって窓が叩かれる。
それを背中で聞きながら一条は一人ため息をついた。
このマンションに一条が引っ越したのがつい二週間程前。
東京に来てからは初めはホテル、次は警察官舎と住んでいたのだが、
「鍵開けてくださいよーっ」
「…………」
………色々な事情で引っ越したほうが無難だということになった。
元々家具も少ないから、引っ越しはそんなに億劫なものでも無かったし。
何よりの協力者もいたことだし、全てはスムーズにことが済んだ。
……はずだったのだが。
ため息を追加して、一条は部屋の電気を点ける。
控えめに叩かれていた窓が賑やかなストンプの対象になりかけていたところで、再びカーテンを開けた。
わ。と一瞬驚いたような顔をして両手でリズムをとっていた窓から雄介は手を離す。
そうして笑って鍵を指差した。
「…駄目ですか?」
窓越しに聞こえる少しくぐもった声。
「………全く」
君という奴は、と苦笑して一条は窓の鍵を外した。
からから、と開けられた窓からするりと雄介は入り込む。
「こんばんは、一条さん」
「……ああ」
なんと返していいのか分からずとりあえず首肯くと、雄介は嬉しそうに手にもった靴を玄関に置きに行く。
その背中を見送りながら、一条はある考えを固めた。
翌日、同じように一条は帰宅する。
そして同じように月明かりに照らされる一つの影を見付けた。
「…………」
まさか二日連続で来られるとは思っていなかったため、思わず一条は苦笑する。
「……五代?」
と窓に向かって呼び掛けると、嬉しそうな声とともに催促するようにガラスを叩く音が聞こえてきた。
一瞬、無視してやろうかという意地の悪い気持ちが一条に起きるが……それを察したのか叩く音が必死になってくる。
自分でも最後まで無視できる訳ではないと分かっているが、そうして意地を張れる相手だと思うと何だか擽ったかった。
「いちじょーさーん…」
開けて下さいよー、とまた段々とリズムカルになっていく音と共に、ちょっと申し訳ない気持ちに魘われるような声が届けられた。
「五代」
「ふぁい?」
はごはごと口の中に入れたものを噛みながら雄介は返事をする。
結局すぐに中に入れてもらい、持参した食料で手際良く食事を作った彼である。
ごくん、と飲み込むのを見届けてから一条は傍に置いていた鞄から一つの包みを取り出した。
「…君に、渡しておく」
「はあ…」
小さく首を傾げつつ雄介はそれを受け取る。
視線で開けても良いかと一条に尋ねてくるので、彼は軽く首肯いてその意志を伝えた。
何という訳でもない、小さな白い無地の紙袋。
雄介の手のひらにちょこんと乗せられたそれを彼は丁寧に開ける。
そうしてするりと出てきたものを見て雄介は目を丸くした。
「……防犯上、本来なら作るのは望ましくないんだが…」
焼き魚を箸で突きつつ、一条は言う。
「…しかしこれ以上不法侵入を黙認する訳にはいかないから」
「………で、どうせ侵入させるのなら合法的に、ですか」
動きを止めていた雄介がようやく大きく息を吐いた。
「びっくりしたあー……」
まさかくれるとは思わなかったんですもん。
そう呟いて、雄介は嬉しそうに手に持ったそれをライトにかざした。
「じゃ、これからは先に食事作れますね」
光を反射して輝くそれを眩しそうに見つめ、微笑む。
本当に嬉しそうなその表情を見ながら、一条はまた擽ったいような気分になる。
まさかこんなに喜んでもらえるとは思っていなかったから。
「……冷めるぞ?」
「あ、はあい」
大切そうに鍵をポケットに入れて、雄介は箸を持ちなおした。
翌日。
一条はいつものように帰宅する…部屋に明かりは見えなかったから、今日はさすがに来ていないのだと思った。
三日連続ともなると当たり前かと考え、少し残念な気持ちを押さえて自分で部屋の鍵を開ける。
そして部屋に入り…見慣れた光景を見て肩を落とした。
「……なんで……」
窓の外には月明かりを背負う人影が一つ。
無言で近寄りカーテンを開けると、にこやかに微笑む雄介と目があった。
お帰りなさい、と窓を通して彼の声が聞こえる。
無言で睨んでいると、雄介は苦笑して窓の鍵を指し示す。
見ると、鍵は開いていた。
「……」
冷静になって部屋を見回すと、既に調理済みの料理らしきものがテーブルに並べられている。
なるほど、と納得しながら一条は鍵を閉めてカーテンを閉めた。
「………っ!?」
窓の外から慌てる気配を感じつつ、一条は踵を返して部屋の明かりを付ける。
「いーちじょーおさーんっ!」
「………」
響いてくる雄介のことばと賑やかな音を、一条は笑みを浮かべながらとりあえず無視することにした。
fin.
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