14
雄介が病院から抜け出すようにして旅立って、約一週間。
一条を始めとする本部員たちはようやく終焉を迎えた未確認関連事件の事後処理に追われ、忙しい毎日を送っていた。
未確認が出現し、被害が出て……という状況下に比べれば、それこそ比較にならないほど余裕のある日々とはいえ、落ち着いてゆっくりというわけにはいかず。
気がつくと、あっという間に日付が変わっていた。
そんなある日。
いつものように登庁した一条は、警視庁内部が何やら色めき立っているように感じた。
すれ違う人々に何やら落ち着きがないというか……それにしては事件が起こっているようにも思えず。
何があったのだろうかと疑問に思いながら本部へと向かっていた。
今日もまた多くの書類と向き合わねばならないと、気を引き締めながら。
慣れた部屋へと入り、他の人たちに軽く挨拶をして頭を上げると、いくつかの視線が自分にぶつかっていることに一条は気がついた。
「………何か?」
「………いや………」
代表するように杉田が口を開く。
「……まあ、机の上見てみろよ」
「……?」
いわれたとおり素直に自分の机の上を見るとそこは。
赤を基調とした鮮やかな色合の箱たちで飾られていた。
「……ああ」
そうか、と一条は思う。
そういえば今日は……
「彼女に怒られないようにな」
「……いませんよ」
この国における、女性から男性への愛を伝える日だったと、ようやくにして一条は気がついたのだった。
気がついたときにはこの日に何かもらっていた。
はじめはタダでものを貰うのに気が引けていたのだが、一ヵ月後にお返しする日があること、そして、せっかく用意してくれたものを無下にするのも失礼だということで毎回全てをきちんともらっていた。
幸運にも自分は甘いものが好きだったし、疲れて帰ってくる母にもチョコレートは喜ばれるものだった。
送り主を確認していると後から小さな苦笑が聞こえて一条は振り向いた。
「何だか、物凄く一条さんらしいですね」
一条ほどではないものの、いくつかの箱を手に持ち桜井が笑っていた。
「……おかしいでしょうか」
そういえば毎年この日にはいつもそう言われていたような気がする。
例外といえば去年は事件のごたごたで流れてしまったような気もしないでもないが。
「まあ、たしかにお返しはしますけどね」
これがまた面倒ですよね……と言いながら表情がそれを裏切っている桜井を見ながら、一条の脳裏に記憶の声が過ぎった。
「そっかあ、バレンタインですね」
あれはいつだったか、そう、確か数週間前の……0号があらわれる数日前。
鮮やかに彩られた街路樹の下を歩きながら、横の彼が呟いた。
「ほら、ハートとか飾ってるし」
イルミネーションの形を指差し、にこ、と笑う。
「知ってると思いますけど」
にこにこと笑みながら、楽しそうにすれ違う人々を見ながら彼は続けた。
「日本のバレンタインは、他の国と違うんですよね」
本来は、男女関係なく、そして恋愛感情とは関係なく……大切な人へ日頃の感謝をこめて贈り物をする日。
いつのまにかこの国では、女性から男性への、主に愛情を伝える手段としてチョコレートが贈られる日として浸透していると。
一般常識として知っていた一条が首肯くと、ああやっぱり、と彼は嬉しそうに笑った。
「……よく日本のは間違っているとか言われますけど」
そう前置いて彼は夜空を見上げて笑った。
「それでも、好きな人のために一生懸命になれる日があるっていうのは素敵ですよね」
透明な、透き通った笑顔だった。
あのときの彼が何を考えていたのか自分に分かる術はもう無い。
当時聞くにはあまりにも余裕は無かったし………確たる約束など、してしまうと辛いだけだとお互い思っていたのだけは分かっていたし。
それでも………知りたいと思う自分は。
「あの……一条さん?」
呼ばれる声にうつむいていた顔を上げると、望見がそこに立っていた。
「どうかしましたか?」
「……今日、そう言ったのって、一条さんだけです」
本当にもう、と軽く頬を膨らませながら、望見は手に持っていた包みを差し出した。
「いつもお世話になっているお礼、です」
「ああ……ありがとう」
可愛らしく包装されたその包みを受け取って感謝を伝えると、どういたしましてと望見は微笑んだ。
一日かかって貰った量は…まあ平年並み、というところだろうか。
お返しには何を用意しようかと考えながら、深夜に自宅へと帰宅する。
持ち帰った資料をテーブルの上に置き、ネクタイを緩める。
貰ったチョコはまだ一つも封を開けずに、とりあえず冷蔵庫に入れることにした。
扉を開けるとひやりとした空気が肌を刺す。
外から来たとはいえ、まだ暖まらない部屋では少々それは冷たく感じた。
冷蔵庫の中身は閑散としている。
『うあー……何か入れてあげなきゃ可哀相ですよぅ』
記憶の中の声がまた聞こえてきて、一条は少し口元を弛ませた。
一時期は彼のおかげで賑やかだった冷蔵庫も、今は以前の状態に戻ってしまった。
リビングに戻り、ふと目に移った日めくりカレンダーに目を止める。
もう数日の間めくっていなかったそれをまとめて剥がそうと思い、十四日を探したときに一条はそれを見付けた。
「…………」
『14』と書かれた文字の上に、小さくテープで止められたメモ。
めくるまで気付かれないようにとの配慮なのか、薄いペンで書かれた文字。
それが誰のものかなんて、考えるまでもなかった。
メモにある指示どおり、一条は寝室へと向かう。
備え付けのクローゼット、しかも天井に近い位置にあるその戸を開けて、中を覗き込む。
普段は使わない、季節ものの衣服などを仕舞っているそこは、確かに言われるまで気がつかないような場所だった。
あまりものがないはずのそこに、見慣れない箱が一つ。
下におろして蓋を開けると、そこには封筒が一つと暖かそうなセーターが入っていた。
かさ、と封筒を開けて中の手紙を開く。
それはメモと同じ、くせのある丸い字で綴られていた。
「………五代」
一条は彼の名前を呟く。
手紙からかすかに、暖かさと痛みが伝わってきた。
fin.
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