silent rain


 
雨が、降っている。 
寝台で寝返りをうちながら、太公望は雨音を聞いていた。 
眠ろうと思って寝台に横になった辺りから降りだしたその雨は、次第に雨足が強くなっているように感じられる。 
かといって、水入れを引っ繰り返したかのような激しさはなく……さして外に用がある場合で無ければ風流だと言えるような、静かな降りである。 
もちろん夜中に外に用がある訳は無く、子守歌として聞き入るにはちょうどいいものなのだろう。 
本来なら、の話だが。 
しばらくの間ごろごろと寝台の中にいた太公望は、ふと身を起こして寝台から抜け出る。 
横で健やかに眠っている四不象を起こさないように……まあよほどのことが無いかぎり起きないのは承知の上だが、そこは気分というものだろう。とにかく、起こさないように静かに行動を開始した。 
すぐに準備を整えて部屋を出、廊下を歩き始める。廊下にはもちろん誰一人としておらず、雨音が静かに響いていた。 
その中を、ぱたんぱたん、と足音を忍ばせることもせず進んでいく。 
誰かに見つかったところで別にどうということはないし、目的地はそう遠いわけではない。 
進む先に目をやると、一つの部屋から灯りが漏れていた。 
間違うことなき、目的の場所である。 
「……期待を裏切らぬ奴よのう……」 
ふう、とため息を一つ吐いて、歩を速めた。 
少し行くと小さな物音が聞こえてくる。 
からからと、書簡を開く音。 
辿り着いた入り口から部屋の中を覗き込むと、予想どおりの光景がそこにはあった。 
灯りが点された小さな燭台の傍の卓の上には幾つかの書簡が置かれており、それに向かっている人物の背には豊かな蒼髪が流れている。 
「楊ゼン」 
その姿に声をかけると、彼は驚いたように太公望の方を振り向いた。 
「太公望師叔?…どうかしたんですか?」 
「どうもせぬよ。まだ仕事しておったのか?」 
てくてくと近付いて彼の手元を覗き込む。 
まだ墨も生乾き状態の書簡がそこには広げられていた。 
そこに新たに筆を入れながら楊ゼンは言う。 
「ええ…朝歌への再進軍に向けてやることはまだまだありますからね。もう少ししたら終わろうと思っていたのですが……」 
「それなら」 
そう言うと太公望は後ろ手に持っていたものを楊ゼンの前に出した。 
たぷん、と小気味よい音が響く。 
「ちょっと、付き合わぬか?」 


雨は降り続いている。 
卓の上にあった書簡や筆硯は綺麗に片付けられ、二人分の杯が置かれた。 
とくとくと持参した酒を注ぎながら太公望は満足気に笑んでいる。 
それに気が付いたのか、楊ゼンは苦笑した。 
「嬉しそうですね?」 
「うむ…この酒を飲むのを楽しみにしておったからな」 
きゅっと瓶に栓をして、横に置く。 
「身体に触るからと武吉もスープーも許してくれんからのう……しばらく飲んではおらんのだよ」 
「では僕も許す訳にはいきませんね」 
あの二人がそこまで言うのなら、と楊ゼンが付け加えながら言う。 
その声と表情はどこまで本気か解らなく…太公望は怯えるように酒瓶を抱えた。 
「……よいではないか、少しくらい」 
のう?と恨めしげな目で楊ゼンを見上げる。 
その格好を見て、くすりと楊ゼンは笑みをこぼした。 
「まあ…あなたのお酒ということは…仙桃から作ったものでしょうし、大丈夫ですよ」 
「おお、流石に解っておるのう!その通りだ」 
「……何時の間に作ってたんですか……」 
肩を落としてため息をつく楊ゼンには構わずに、太公望は杯を手にとった。 
「まあよいではないか…ほれ、飲もうではないか」 
「……はい」 
楊ゼンも杯を持ち上げ…二人は、こつんと杯を合わせた。


とりとめのない話をしながら杯を重ねていると、それまで小さかった雨音が少し強くなった。 
その音につられて窓の方を見る…すると格子窓から外の様子が見て取れる。 
雫が屋根から勢い良く落ちていた。 
「雨、強くなってきたのう」 
太公望が何気ないように呟くと、楊ゼンも、ちらと窓の方を見る。 
「……そうですね」 
彼はそう言うとすぐの手元の杯に目を落とし、くいと呷った。 
「まあ朝までは止むであろうがな……」 
太公望も窓から視線を離し、楊ゼンの杯に酒を足してやる。 
瓶を傾けてすぐに小さな杯は満ちた。 
自分の杯も乾し、新たに酒を注ぐ。 
太公望はその杯を持ったまま立ち上がると、窓際まで歩み寄った。 
きい、と窓を押し開ける……今まで以上にはっきりとした雨音と、冷えた空気が入り込んでくる。 
「ほう、よく降っておるわ」 
端に背を預けて外に見入った。 
「……窓、閉めませんか?」 
座ったままの楊ゼンが控えめに聞いてくる。 
彼の方は向かないままで、太公望は答えた。 
「せっかくの夜雨を楽しまずにどうする……酒の肴にはちょうどよい、よ」 
水が地を打ち付ける音が部屋に満ちている。 
その間を縫うように、困ったような声が太公望の耳に届いた。 
「…ですが、身体が冷えてしまいますよ」 
「なあに…これくらいどうってことないわ」 
そう言って杯を呷る。 
「雨は良い……降れば地を潤し命を育む……」 
「……それはそうですが…だからといって風邪でも引かれたら大変です」 
「風情が無いのう……」 
むう、と不満顔になりながらも、太公望は窓を閉めた。 
すう…と、雨音が遠ざかる。 
太公望はそのまましばらく窓の外を眺めていた。 
この部屋が面している中庭は、見渡すかぎり雨に濡れている。……見渡すかぎり、といっても部屋の灯りが届く範囲内でしかないのでさほど広くはないが。 
地には既に水溜まりができている。それに落ちた雨が小さく綺麗な波紋を幾つも作り上げていた。生まれた波紋は広がり、次に出来た波紋に打ち消され消えていく。 
視線を少しずらすと、窓に楊ゼンが静かに杯を傾ける姿が映っていた。 
「……のう、楊ゼン?」 
その影に向かうように声をかける。 
「雨は、嫌いか?」 
窓の中の彼が、動きを止めた。 
「わしは、好きだよ。さっき言ったようにわしらの生活には欠かせぬし…風情があって酒の肴にもなる」 
そう言うとまた杯を傾ける。 
「まあ………ちと、苦手にはなったがな」 
窓に背を向け、楊ゼンの方を向く。 
彼は顔を俯けて手のなかの杯を見つめている。 
じっと見ていると、楊ゼンは杯を持ち上げて一気に乾した。 
「………僕も」 
杯を卓の上に置きながら、ゆっくりと口を開く。 
「……雨は、苦手になりました」 
「そうか」 
「ですが……」 
太公望の方を向いて、楊ゼンは静かに微笑んだ。 
「こうしてあなたが来てくださるなら……そう悪いものでもないですね」 
酒で軽く上気したのか、頬が少し朱に染まっていた。 
「…だあほが」 
その笑顔を見、つられたように太公望も微笑んだ。 
「ほれ、もう眠るがよい……かなり酔うておるようだ」 
窓際から離れ、卓の方へと戻る。 
杯に注ごうとして瓶に手を伸ばすと、それが予想以上に軽くなっていることに気が付いた。 
「……おぬし……」 
「あ、ご馳走様でした」 
けろっとして言う楊ゼンを軽く睨むが、それ位で怯む相手ではない。 
太公望は肩を落として大きなため息を吐いた。 
「……わしの酒……」 
これからちびちびとやっていこうと思っておったのに……とぶちぶち呟くがもう遅すぎる。 
やけくそのように残っていた酒を瓶から直接呷った。 
喉を鳴らして飲み、口を離して息を吐き出す。 
「ぷはーっ」 
「うわ、親父くさいですよ師叔」 
「偉護程ではあるまい」 
「それはそうですけど」 
先の大戦から参戦している道士を引き合いに出して、二人は顔を見合わせて笑った。 
その彼は今同じ城内にいるということで、その笑いは少し控えめではあったが。 
………次の瞬間、雨音が一際大きくなった。 
それこそまさに水入れを引っ繰り返したかのような……遠慮無く打ち付ける水の勢いに、地が震えているかのような錯覚さえ覚える。 
屋根からの振動も響き、部屋の空気が揺れる。 
一瞬、楊ゼンの笑顔が引きつったのを太公望は見逃さなかった。 
「…大丈夫か?」 
声をかけると、すぐに普段の笑みを浮かべる。 
「……平気ですよ…あなたが居てくれるから」 
平然として言う楊ゼンに何だか悔しくなって、太公望も言い返してやる。 
「そうか……わしもおぬしが居るから平気だよ」 
「それは良かった」 
くす、と楊ゼンは破顔した。 
「……ですが、少々お願いが」 
「何だ?」 
少し首を傾げて促すと、申し訳なさそうに楊ゼンが口を開く。 
「あのときのようにして頂けたら、もっと平気かと」 
笑顔でさらりと言い切る楊ゼン。 
そんな彼を見て、太公望はにっと笑った。 
「何だ、そんなことか」 
軽く言い放ち、楊ゼンの正面まで歩み寄る。 
少し屈んで、迷う事無く、彼を抱き締めた。 
楊ゼンは椅子に腰掛けたまま、その抱擁を受ける。 
「…ありがとうございます……」 
「なあに、お互い様だよ」 
ぎゅっ……と楊ゼンの背に回した手に力を込めて、太公望は笑う。 
その肩に顔をうずめ、楊ゼンは幸せそうに微笑んだ。


しばらくすると、雨音が次第に弱まり始めた。 
遠くに引いていくように……そして始めのような静かな降りに変わっていく。 
「止んできたみたいだな………………楊ゼン?」 
反応が無いことを不思議に思って腕の中を見ると、彼は静かに眠っていた。 
「……全く……」 
仕方が無いのう、と呟いて、太公望は楊ゼンに肩を貸して立ち上がらせる。 
「仕事で疲れておるのに……眠れなかったのだろう?」 
雨が降ってきたとき、嫌な予感がしていた。 
自分でもまだこんなに雨音に気が散って仕方がないのに、あやつは一体どうしているだろう? 
そう思って来てみると…案の定、であった。 
「どうせ眠れんから仕事しておったのだろう…」 
よっ…と小さく声を出して、太公望は楊ゼンを抱き抱える。 
「…あまり無理するでないよ、おぬしも」 
そう言って、太公望は静かに微笑んだ。 
雨音は未だ止まないが、そろそろあがりそうな気配はある。 
「……にしても……重いのう………」 
ふらふらと寝台に向かいながら、太公望は不満をこぼした。






fin.





研霧織葉さまと出した合同誌からの再録その四です。
これまで連続の4作がその合同誌に載せたものなのですが…
この話を含めてほとんどがちゃっかり仙界大戦後です。
その割りには思いきりほのぼのしてるんですよね……(汗)
ようやくこの話でちょっぴりシリアスと言えるようなそうでないような。
書いたのはフッキショックの遥か前のためにまだのんびりの余地ありですね(涙)





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