quarrel
「すーす……」
「何だ?どうかしたのか?」
「あのですね、これ、ここがわかりません」
「ほう……ああ、これはな、これこれこうで…」
小さな頭をこくこくと首肯かせて聞いている子に、解りやすく説明する。
こども、というのはどこでどう理解してくれるかなど解らない。よって、より広く、より深く説明することが必要なときがあるのだ。
そんなことを冗談混じりに思いながら我ながら優しい瞳でこどもを見た。
「……こうなのだ。どうだ?解らぬところは無いか?」
「いいえ!わかりました!ありがとうございます」
目をぱあっと輝かせたかと思うと、ぺこ、とお辞儀をする。
なになに、と軽く答えを返すと、その子はぱたぱたと部屋を出ていった。
背に、肩までの蒼い髪が揺れている。
珍しいことに喧嘩をしたらしい。
よりにもよってあの二人がだ。
どうも様子を見ていると……太公望が一方的に悪いらしく、彼自身もそれを認めている。
だがどうしても謝ろうとはしないその態度に、楊ゼンがぶち切れた。
そしてとった行動が……。
ストライキ、である。
自分自身で変化したのか……それとも変人やオタクに頼んだのかは解らないが、楊ゼンはこどもの姿になってしまった。
しかし、記憶は元のままである。
そして彼はそのまま、軍の仕事を手伝っていた。
「……なあ楊ゼン…」
「なんですか?ぶおう?」
通りすがりに、庭で哮天犬と戯れている楊ゼンを見付けた姫発は思わず声をかけていた。
「……いつになったら、元に戻るんだ……?」
哮天犬の背にのったまま楊ゼンは姫発の傍まで来る。
ぽふぽふと姫発が哮天犬の頭を撫でると、きゅうんと気持ち良さそうにないた。
「そりゃそのままでも仕事に影響ないんだろうけどよ、見てるこっちが気が抜ける」
そのことばに楊ゼンは眉をきゅうっと寄せて、頬を膨らませる。
「……あのひとがあやまってくれるまで、です」
そうしてぷいっと顔を背けると、ちょうどその先に太公望が歩いていた。
いくつかの書類を抱えて、ぱたぱたと歩いているその姿を認めると、楊ゼンは目尻に指を当ててべぇっと舌を出し太公望を睨む。
すると太公望は微笑ましげにそれを見つめ……空いている手をひらひらと振って答えた。
楊ゼンのきつい眼差しにもこたえた様子は無い。
「………」
呆然とするしかない姫発の横で、楊ゼンは哮天犬に八つ当りを開始していた。
白い毛を小さな手できゅっと掴んで引っ張り、ばふばふと毛並みを叩くなど。
主人の仕打ちに哮天犬は黙って耐えている。
まあ、なりがこどものためにそう強い力があるわけでもないのだろうが。
とにかく懸命なその姿には同情を禁じ得ない。
「………はあっ」
ため息を一つ吐いて、姫発は彼から離れた。
「どうして、謝らないんですか?おっしょーさま?」
豊邑内の視察中に、武吉が太公望に尋ねる。
横には四不象も浮かんでおり、同じ疑問を何度も主人にぶつけていた。
が、太公望は何も言わない。
同じ質問をした武吉にも、太公望はただ笑うだけで。
「………まああの姿も可愛いかろ?」
ただそう言って意地悪げに口の端を上げた。
ごろごろごろごろ。
自室の寝台の上で、楊ゼンはひたすら寝返りを打ち続けていた。
そのうちに目が回ってきて力なく突っ伏す。
「……なにやってんだろ……」
はふう、とため息をついた。
そのため息だけは嫌に大人びたものであったが。
「でも……すーすがいけないんだ……」
いつもならすぐに自らの非を認め、謝ってくる彼が……今回はどうしたことか謝りもしない。
だからといって嫌われたわけではないのは解るので、どうしようもない。
でも。
「ぼくからはぜったいにおれませんからね」
ごろごろごろごろ。
そうして楊ゼンはまた寝返りを打ち始めた。
その姿を影から見つめるもの一人。
「いかん……可愛すぎる……」
がしがしと頭を掻き毟ってその場にうずくまり、困ったようにため息を吐いた。
実際、その姿はどう控えめに見ても可愛らしい。
「困ったのう……」
抱き締めにいきたいのだが、そうもいかない。
「……ただ喧嘩してみたかっただけとは、今更言えぬよな………」
面白半分で放っておいたら、予想以上に面白い展開になってしまった。
まさか彼がストライキと称してあのような愛らしい姿になってくれるとは……。
「思わぬところに収穫があるとはよくいうものよ」
くすくすと笑ってまた楊ゼンの方を見ると、彼はまた疲れたようにくたっと寝台に突っ伏していた。
後日、いい加減飽きてきた太公望がようやく楊ゼンに頭を下げる姿があったという。
fin.