one day
「眠……」 あくび混じりに出た呟きは、実に太公望の心からのものだった。 夜、執務室、目の前には仕事の山……という状況。ここ最近の太公望にとってはもはや当たり前のものとなってしまった。 自ら望んでやっていることとはいえ、毎日続けていると体が悲鳴を上げてくるのも仕方の無いことである。 そして何故か当たり前になっているものがもう一つ…。 「だったら寝ればいいでしょう…」 そんな仕事を最後まで手伝ってくれる天才がいること、である。 今も卓の向かいですらすらと仕事を片付けながら、声だけはかけてくる。 「…しごとあるであろ」 「そんなに眠そうにしているくらいなら明日やればいいんです」 かたん、と筆を置き、書簡を脇に寄せながら軽く睨むような目が太公望に向けられる。 「むう…明日の残りはどうするのだ…」 半分机に突っ伏しながらそれでも視線は相手の方にやる太公望。 「…明後日やればいいんです」 「明後日の残りはどうするのだー」 「明々後日って…ああもう!キリがないですよ師叔!!」 「そう、キリがないから今のうちに終わらせるのだ!!」 そう言うと太公望は卓に手をつき、勢い良く上半身を起こした。 ……墨がまだ生乾きであった書簡の上に伏せていたためか、ちょっぴり顔に墨が付いている。 そんな自分の上司を見て、自他共に認める天才道士はため息を吐きながらももう一度筆を手に取った。 「…わかりました。じゃ、手伝いますからいくつかこちらに…」 「嫌だ」 「何故です」 「おぬしは自分の仕事だけしてればよい!これはわしの仕事だ!」 噛み付かれんばかりに言われ、少々困りながらも口を開く。 「僕のは終わりました」 「え…」 「ほら」 言われた方を見ると確かに彼の分の仕事が終わっいるのが目に入る。 「…ならば休んでおれ」 「そういう訳にもいかないでしょう」 「何故だ」 「あなたとは違って」 一呼吸置いてから続きを言う。 「仕事している人の前で休むのは気が引けます」 「なぜそこで強調するかのう……」 「とにかく仕事ください」 「むー…わしならかまわず寝るがのう…」 腕を組んで考え込む太公望の隙をつき、開いている手をのばして目的のものをとる。 「あ!こら勝手にとるでない!!」 我に返るが、既に遅く…すらすらと仕事に手を付けている。 「さ、早く終わらせましょう」 「全く……」
静かな部屋に、筆の走る音が響く。 「楊ゼン」 「何ですか師叔」 「…すまないな、助かるよ」 「どういたしまして」 そしてちょっとした微笑みの音。
「終わったー!!」 座っている椅子から落ちんばかりに後の方に体をそらしのびる太公望。 「わ、早いですね…」 「おぬしはまだか?」 「はい…あと少しなのですが…」 楊ゼンが先程奪い取った仕事は実はかなりやっかいなものばかりで、まだ終わりそうにもなかった。 「…ではわしは先に休もうかのう?」 太公望は口の端を軽く上げ、楊ゼンの方を向く。 「……すうす……」 「冗談に決まっておるだろう!!」 「冗談には……」 聞こえませんでしたが、という言葉はかろうじて口には出さずに耐える。 「わかっておるよ…さて、どこで詰まっておるのだ?」 「あ、はい……ここの件ですが………」 「ふうむ…そこはのう……」
しばらくすると全ての明かりが消え、闇が全てを覆い尽くした。 夜明けまでのしばしの休息が、等しく全てに訪れる。
fin.
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